アイの情け
前書きのためのスペース
<VTuberでここまでしっかりと喋れる人いるのかなぁ>
曇り一つない、それはもう満天であった。都会近郊の大通りだったので視等級2.0のポラリスははっきりとは見えなかったが、それでも満月が夜の空を彩っていた。真理子はバイト先であるガソリンスタンドに着くやすぐにスタッフ専用の服を着る。
「尾田さんこんばんはー!」
夜の11時になるにもかかわらず元気に挨拶をするのは、近くの私立大学に通う相沢早久だ。ガソリンスタンドのバイトで必要な危険物取扱者試験 乙4類を法律確認しただけの状態で試験に臨み、いともたやすく資格を取得したらしい。頭の良さに惚れ、真理子は一目を置いていた。
「相沢君こんばんは~。今夜もよろしくお願いしますね。」
「こちらこそ、よろしくですぅ。」
相沢はペコっと頭を下げ更衣室へと入って行った。
実は夜のガソリンスタンドは客があまり来ないので、必要最低限の仕事をしていれば何をしていても許される。真理子はナンバープレース問題集を持ち込み難易度中級ぐらいの問題を解き始める。ナンバープレースというのは3×3ブロックに区切られた9×9の枠内に1から9をダブりなく入れるパズルゲームで、大学の受験の問題として採用されたケースもある。また、競技プログラミングでもよく扱われる題材で25×25の枠内に正方形でない25個の不規則なブロックが敷き詰められた状態で数独を解くアルゴリズムの開発など求められる非常にホットな問題なのだ。
ちょうど真理子の鉛筆が止まったところで相沢は更衣室から出てきた。片手に淹れたてのコーヒーの入ったマグカップを持っていた。
「尾田さん、パズル好きですよねぇ。こういう動画投稿サイトとか見ないんですか?」
相沢はマグカップをテーブルに置き、ポケットからスマホを取り出し画面を見せつける。
「私はもうじき70の歳だからねぇ。そういうのはあんまり詳しくないのよぉ。」
「そうですかぁ、あ、そこの空欄9が入ると思います。」
相沢は右下の空欄を指さした。真理子はきょとんとした顔で相沢を見つめる。
「あぁ、ごめんなさい。でも、中央上の9でロックがかかってて中央下の真ん中の段のどっちかに9が入るからここの段の横の列に9は入らない。で、左下の9と中央右の9で右下の9が固定されるわけですよ。」
「あら、本当だわ。そんな技があったなんてねぇ。」
「ナンプレ解くのによく使う技術っすよ。」
相沢は少し自慢げになりコーヒーを飲む。
手に持っていたスマホはテーブルに置かれ、画面をスクロールしていく。
「あら、さっきの子。ちょっと、見せてもらっていい?」
「ん?どれですか?」
真理子は相沢のスマホの画面に見覚えのあるものを発見したのか声をかけた。上に戻っていってもらうとそこには一人のVTuberの動画があった。
「これ。この子、息子宛てに届いた服に描かれてた子と同じだわ。」
「あぁ、音芽アリアですか。活動開始してそろそろ半年が経とうとしている人気VTuberですよ。実は僕もちょっとだけ興味があります。」
「え?相沢君も?正直、私には何がいいのか分からないのだけど...そもそも、V?って何なの?」
「あはは...でも、気持ちは分かりますよ。僕も最初は何が良いのか分からず食わず嫌いでしたね。ですが、例えばこうして配信に入ってみましょう。今日の音芽アリアの配信は翌1時まで雑談配信みたいですね」
そう言って相沢はアリアのライブ配信をタップし、スマホを壁に立てかけた。30秒程度の広告が流れた後、アニメ風でやや立体的な動きをする少女の配信へと入った。
「うーん。転生したらアリアは魔法使いになりたいかなー。近距離剣術でえいやってやるよりも遠距離射撃で敵を薙ぎ払いたいなぁ。で、聖典も使える魔法使いなの。ヒーリングでパーティとかサポートしちゃったりとか。あ、そうそう、遠距離で派手な魔法とか良いよね!
あ...もし、アリアが敵に襲われて負けそうになっちゃった時はみんな助けてくれるよね(圧)…」
真理子はポカーンとして聞いており、ようやく口を開いた。
「何のお話をしているの?」
「これは多分、この子がもしスライムとかドラゴンとか妖怪とかいるような世界に渡った時にどんなお仕事をしたいのかってことをお話されているんじゃないかなと思います。」
「ふーん、よく分からないわね」
「ま、まぁ。でも、ここからがちょっと面白くて、ここにチャット機能というものがありますよね?ここを押してみてください。ほらこうやってコメントやら絵文字やらが流れていると思います。これが今、まさしく現在、この配信を見ている人が送っているメッセージなんです」
「お喋りなの?この絵文字可愛いわね」
「尾田さん、この子にメッセージとか相談事とか送ってみたくないですか?」
「え?でも...」
「遠慮なさらずに、趣味のこととか、何でもいいですから」
「私文字打ち込むの苦手で...紙に書くくらいならできるけど...」
「僕が打ち込みますよ」
「うーん、ちょっと待ってて。あ、車一台入ってきたわよ」
「そうですね、とりあえず僕が対応します」
相沢は外に出てお客さんの様子をうかがう。
その間に真理子はコピー機の紙のストックからA4紙を1枚取り出した。軽くメッセージを送ろうとしていたが、伝えたいこと聞きたいことがボロボロと溢れ出る。それは今日もあった。自分がしっかりと支えてあげたいという気持ちが十分にあるのに上手くいかない。いや、自分自身がうまくいく術を知らないのかもしれない。過去を振り返ってみて過ちを犯してしまったとするならばあれもこれもあるのだろう。結局文章としてまとまりきらないうちに相沢が戻ってきた。
「尾田さん、書けましたか?」
そう言って真理子の書いたメモを覗くと相沢は眉をひそめた。何も口にしない真理子と書きなぐられたメモ、それは彼女の苦悩の全てを表していた。
「と、とりあえず僕の方でまとめて送ってみますね」
相沢はそう言ってスマホを持ち文章を打ち始めた。彼はスマホを触るのに長けているようで中々に散乱していた文章を一瞬でまとめ上げすぐにチャットに送ってくれた。他コメントよりも長文だったので配信内のアリアもすぐにそれに反応する。
「『こんばんは、初見です。私は40代後半になる息子を持つ母親で息子を養うために働いています。息子を外の空気に触れさせて社会に送り出したいのですが、息子はそれを強く拒み部屋に引きこもってしまっています。最近は私に対するあたりも強く、私が部屋に行くとずっと暴言を吐かれます。ですが、そんな息子を私は愛しています。息子のためにも穏便に彼を社会に送り出す方法を教えてください。』
え、重い内容だなぁ。ほぼニートしているようなアリアが言える事じゃないんだけど、お母様の思う「社会に送り出したい」というところに必要なのは3ステップあるかなって思う。1つ目はまず息子さんと話し合うこと。アリアだってこうやって配信している中で急に首根っこ掴まれて外に出されるのは嫌だし、まずはお互いがしっかり話し合うことが大事かなって。暴言吐かれたりとか暴力とかねもしかしたらそう言う被害も懸念点としてはあるし話の内容とか逸れたらあれだから、第三者を用意して客観的にお話を見守らせるとかいいかもね。『襲われたら殴り返せばいい』それはダメだよ。暴力ダメ、絶対!で、2つ目が話し合った内容で少しずつ息子さんを外に慣らしてあげることだね。いきなりバイトしろとか言われても困るだろうし、おつかい...いや散歩レベルで外に出る時間を作らせることが大事かな。出来るようになってきたらおつかいとか行くとかね、スモールステップで成長させていく感じで。で、えーと3つ目が簡単なバイトとかチャレンジしてみるだね。バイトじゃなくても近所の付き合いが良ければご近所さんのお手伝いとかそのレベルでもOK。ここで必要になるのが他の人とお話しする力。どんなことでも他の人と会話するというのは避けては通れない道だからね、これはアリアの永遠の課題でもあるんだけど整理してしっかり伝えるってマジで難しいのよ。でも、そういう対話力をつけていって社会に慣れていく。ってこと言ってもアリアほぼニートだから信憑性は薄いかもね。お母様のアドバイスになったのか分からないけどアリア、お母様も息子さんも応援してるよ!」
真理子は再度きょとんとしていた。相沢がとなりでにやにや笑って話しかける。
「こういう感じでメッセージを送ると確率ではあるんですが、答えてくれるんです。送ったメッセージにリアクションしてもらえて嬉しいとかもっとお喋りしたいとか思ってみんなVTuberにはまっていくんですよ。ってそれどころじゃないか...」
「相沢君。このアリアって子、ものすごくしっかりとしたこと言ってくれて...。私...」
真理子は大粒の涙を浮かべ泣き出した。嗚咽にもならない声で、天井を仰いだ。相沢はおおっと驚きながらその様子を見つめる。涙が治まったところでまた真理子が口を開いた。
「このアリアって子は現実にいるのかな...」
「そうですね。この現実世界に間違いなく存在しています」
「そうなのね...」
相沢はVTuberというものについて説明をしようとしたが、すぐに蛇足に過ぎないと気づきやめた。
「息子はね弘っていうの。弘が引きこもりになってしまったのは大学を中退してからで...」
「ほう」
相沢は興味津々で真理子の話を聞く。
「大学受験で3年浪人してようやく入った大学も実はあまり知られていない大学で。通学時間も新宿乗り換えで1時間かかるのよ。で、大学は同年代じゃなくて価値観が合わなかったとかすぐに辞めちゃって...」
「それで25年近く引きこもりをということですか?」
「そうね。鬱とか心の病気なんじゃないかとかで不安で不安で、だけどしっかりとお話しができなかった。アリアちゃんの言うとおりにまずはしっかりとお話をしてみようかなと思う」
「尾田さんの大変なところ見て僕にも何かできないかなって思いました。いつでも僕に声をかけてくださいね」
「相沢君、ありがとう。」
その後は2人の会話も盛り上がらず日の登る時間帯となってしまった。空全体には昨日の満天が嘘かのように雲がかかっていて嫌に気持ち悪く感じてしまう。湯気だっていた相沢のコーヒーも疾うに冷め切っていた。真理子は制服から着替え今にも寝落ちしそうな相沢に手を振り帰路につく。
愛と哀って表裏一体なんだって