第32話 難民
「いらないでしょ。返信送っても意味無いだろうし」
「じゃあ、このまま無視しておくわ」
「それがいい」
という事で両親から送られた手紙はそのまま証拠として取っておき、返信は送らない事にした。
次の日の午前中。私はメイドを引き連れて屋敷の近くにある税理士事務所へと歩いて向かっていた。本当は馬車でもいいのだが馬車を停めると通行の妨げになるので歩いて移動している。
「こんにちは」
税理士事務所があるアパルトマンの扉を開く。カラカランとドアベルの音が聞こえた時、左方向から怒鳴り声が響き渡った。
「泥棒! 待てーー!」
振り返るとボロボロの服を着た若い男が野菜を抱えて一目散にこちらへと走ってくるではないか。避けないと!
「ぎゃっ」
しかし、間に合わずに若い男とぶつかってしまった。もろにぶつかってしまい身体全身に重苦しい衝撃が走る。
「ぐっ……」
「奥方様、大丈夫ですか?!」
「ごめんなさい、起こすの手伝ってくれるかしら?」
なんとか起き上がろうとするけど、左腕から左肩が痛すぎる上にだらんとして力が入らない。これは多分左肩が外れている。あと私はまだ婚約者であって奥方では無いのだが。
「よいしょ……」
メイドの手を借りて何とか起き上がるが若い男に至っては起き上がる気配すらない。そうこうしているうちに彼を追っていた八百屋の店主がこちらへとやって来た。
「おい、泥棒め! 野菜を返せ! あと起きろ!」
若い男の身体を八百屋の店主が揺さぶるが若い男はどう見ても意識を失っている状態だ。
「この近くに医師はいないかしら? 呼んできて」
「かしこまりました……!」
メイドに近くの医師を呼ぶようにと指示を出し、若い男の様子を見る。
(とりあえず、楽な姿勢を取った方がいいかも……)
「八百屋の方、ちょっとお手伝い良いですか? この方意識を失ってるみたい……」
「わかった、ご婦人」
八百屋の店主と共に若い男を横にして楽な体勢にした。だがまだ彼の意識が戻る気配はない。
ぼさぼさの黒髪な彼の着ているブラウスとズボンは所々裾が破れていて、ネズミに食われたような小さな穴もぽつぽつ開いてしまっている。それにすすなのか泥なのか分からない黒ずみもある。
(貧困層の方かしら。まだルーンフォルドの領内にもこのような方がいるのか……)
「おまたせしました!」
メイドと共に中年くらいの医師が走って駆けつけてくれた。街の平民達が急造の担架も用意してくれたので彼の身体を担架に乗せ、近くにある診療所へと運び込んだのだった。
診療所に到着し、ベッドに乗せられた瞬間彼は目を開けた。
「はっ……!」
「気が付きましたか? さっきはごめんなさい」
目を覚ました彼にぶつかった事を詫びると、いやいや謝らなくても良いと言われた。肩がまだ痛いので医師から脱臼の処置を受けながら若い男と話してみる。
「しょ、食料は……」
「野菜の事ですか?」
「ああ、ああ……あれがないと家族が……家族が待ってるんだ」
「あの盗んだ野菜は八百屋の店主が回収しましたよ」
実はどさくさに紛れて八百屋の店主が盗まれた野菜を全て取り返していたのだった。私のそばにやって来た八百屋の店主がうなずく。
肩がぐっとはまった時、八百屋の店主が若い男にちょっといいか? と質問した。
「おまえ、なんでうちの品を盗んだんだ。家族の為か?」
「ああ、そうです……すみません」
「職は? ルーンフォルド公爵家領地でお前のような貧困民は初めて見たよ」
八百屋の店主もそう言うと、若い男は観念したかのように口を開く。
「実は俺、リュシアン王国から来たんです。もう職も無く生活の苦しいリュシアン王国にいても意味はない、と仲間達と一緒にこっちへ逃れてきたばかりなんです」
難民か。リュシアン王国はそんなにひどい事になっているのか。
しばらくして宮廷からカーリアンが診療所へと来てくれた。メイドがわざわざ宮廷まで私の事を報告しに行っていたらしく、女帝陛下の指示もあって仕事を切り上げて来たのだった。
「すみません、仕事中に」
「いや、怪我したと聞いてね。具合はどうだい?」
「肩ははまったわ。でもまだ全身が痛いかな。彼には申し訳ない事をしてしまった」
「えっと、あなたは……」
若い男が私の名前を聞いたので私は隠す事無くジャンヌ・クロードです。と伝えた。
「え、あのレーン王太子の婚約者だった方ですよね?」
「ええ、もう婚約破棄したけれどね」
「そうでしたか、ジャンヌ様もここに来たんですか……やっぱりアーネスト帝国に来てよかったのかな。でも、俺達仕事が……」
「仕事に困っているのですか?」
聞けばリュシアン王国から逃れてきたのはいいが、道に迷ったり仲間達とはぐれてしまった事で家族だけになってしまったそうだ。
「俺、文字の読み書きも出来ないんで……仕事が」
仕事を求めているのなら、職場を案内するべきだろう。大農場か? それとも別の?
「ジャンヌ、良い事考えたんだけどいいかな?」
「何かしら?」
何かをひらめいたらしいカーリアンがそっと私の顔に近づいてきた。