第2話 婚約者と妹の不貞
「は?」
「だからぁ、王太子妃の座が欲しいのぅ。お姉様私に頂戴?」
両手を胸の前で組みおねだりのポーズをしながら私へ距離を詰めて来るメイリア。え、いつの間に2人はそういう関係になっていたの?
「ま、まってよ。いきなりそう言われても……!」
そう言われても私は既にレーン様と婚約している身。自分から婚約をどうこう出来る権限はないので今すぐ王太子妃の座を妹にあげるだなんて言えないしそもそもメイリアがレーン様とそういう関係にあったなんて、レーン様とは良好な仲ではないとはいえ婚約者として悔しい気持ちで一杯になる。
そうか。レーン様は私よりメイリアの方が良いんだ。それならあんな私の事なんて眼中にない態度、納得できるけど辛くて悲しい。
「もしかしてお姉様には婚約破棄できる権限はないとでも思ってる?」
図星だ。はあ、こういう時に限ってメイリアは私の心中を突いてくる。
「そうよ。私がどうこう出来る問題じゃないもの!」
「それなら安心して頂戴。もうレーン様とガラテナ王妃様から許可は頂いたから!」
「……え?」
そんな短時間の間に2人から婚約破棄の許可を貰ったと言うのか。すると部屋に先ほどすれ違ったレーン様がづかづかと入って来る。
「れ、レーン様」
「ジャンヌ。これにサインしさっさと城を出ていけ」
レーン様は私に婚約破棄に同意する旨の内容が記された書類を突き付けてきた。
「ほら、早くこれにサインしろ! お前の地味で陰気な顔はもう見たくないんだ! ……はあ、ようやくせいせいするよ」
「……っ!」
「レーン様そこまで言わなくたっていいじゃなぁい。お姉様がかわいそう!」
くすくすと私をバカにする笑いを浮かべるメイリアと、私をまるで罪人を見るかのような目で睨みつけて来るレーン様。
これまでの日々は一体何だったのだろう。私は何の為にこんな人と婚約してこのお城にてガラテナ王妃様から将来の妃教育を受けさされてきたのだろう。そして何の為に両親は私を厳しく躾けてきたのだろう。
(でも、サインしたらもうどうだってよくなるのよね)
ペンへと手が伸びようとした時、レーン様! という兵士からの声がかかる。
「クソッ」
とだけ言い残した後荒々しい風のように部屋を出たレーン様。おそらくはガラテナ王妃が彼を呼んだのだろう。
「ほら、お姉様早くサインしなさいよぅ!」
「ぅぁ……」
「メイリア様! レーン様から一緒に来てほしいとの指示です!」
「あらぁ、戦場にも私を連れてってくれると言うの?! 楽しみだわぁ! じゃあねお姉様!」
(いや、違うでしょ。戦場に妊婦のあんたを連れて行く訳無いって)
メイリアはうきうきと足を弾ませるように歩きながら兵士と共に部屋を後にした。部屋には私と婚約破棄の書類だけがぽつりと取り残される。
「……っ!!」
誰もいなくなった部屋の中で私は婚約破棄の書類を手に取る。破ろうとしたけどすんでの所で手に力が入らなくなって破れない。
「……はあ……」
婚約者としては相手が不貞を働くなんて一番つらい事だ。そしてメイリアはレーン様との子を孕んでいる。メイリアの事だ。容易にガラテナ王妃に取り入って媚びを売り許可を取り付けてきたのだろう。頭はバカなメイリアだけどこういうのは昔から得意にしてきた女だから想像に難くない。
王太子妃じゃなくなるのはつらいししんどい。それに屋敷に戻っても私の居場所はない。婚約破棄しても私の居場所なんてこの国にはないし、婚約破棄に応じなかったら最悪……濡れ衣を着せられて処刑だなんて事になったらおしまいである。
(……あれ?)
私の居場所がないなら、作ればいいんじゃないの? というよくわからないおぼろげな考えが頭の中に浮かんで消えそうになった。でも、どうやって居場所を作るの?
「この国を……脱走する?」
それは亡命を意味する。勿論捕まってしまったら極刑とまでは行かなくても重い罪にかけられる可能性はある。一応両親や貴族学校、ガラテナ王妃から刑罰について学んだのでその事は十分理解しているのであまり選択肢に入れたくないけど何故か魅力的に思える自分がいる。ジャンヌ・クロードとしての自分から新たな自分として生き直すにはとても良い案じゃないか?
(でも、領地はどうなるのか……)
窓から見える景色。その遠くには延々と山々が広がっている。その時廊下からカツカツという靴音と共に男性達の声が聞こえてきた。
「いつになったら王妃様と謁見できるんだ?」
「今フミール族との戦闘指揮に入っているらしい。結構大損害だそうだぞ」
「ふん、リュシアン王国はこれだから……うちの女帝陛下を見習って同盟くらい結べば良いものを」
「リュシアン王国は100年くらい前からフミール族との戦争を続けているそうだからなあ……」
「カーリアン様からのシルクを早く渡して帰りたいとこなんだがな」
「そうだなあ」
む、聞いた事のある名前だ。
まず女帝陛下と言うのは間違いなくアーネスト帝国の女帝陛下の事だろう。そしてカーリアン様はそのアーネスト帝国の公爵家当主にして大臣の1人という人物だ。カーリアン様は私がレーン様と婚約した際にその婚約お披露目パーティーであいさつを受けた記憶があるのと、遠目から姿を見たのが数度あるくらいだ。
「婚約おめでとうございます。幸せな結婚生活になりますように」
そうパーティーであいさつしたカーリアン様はとても穏やかで優しいまさに貴族の紳士と言った具合の男性だったのをおぼろげながら記憶している。
(こんな時に限って戦闘が激しくなるなんて思ってもみなかっただろうな)
アーネスト帝国はフミール族とは同盟関係にあるのでまず敵対する事は無いだろう。フミール族の首領もアーネスト帝国の女帝陛下には友好的で好意的だという噂も聞いた事はある。
(……ちょっと話を聞いてみようかしら)
子供の時みたいな興味が唐突に湧いたので、私は部屋から出てまだ廊下をとぼとぼと歩いている使者と思わしきアーネスト帝国の男性達を呼び止めた。
「すみません、ここへどうやって来たのですか?」
勿論アーネスト帝国からここに来るルートはいくつかあるのは知ってるけど、どちらも山越え前提だから生ぬるくないのも知っている。
「ああ、俺達はあの北方の山から来たけど……そのルートが最も近いルートになるから」
(やはり最速ルートか。その方が安全だしな)
最速ルートは道こそ険しいがフミール族の行動領域ではないので比較的安全なルートだ。
「わかりました。教えてくださりありがとうございます」
「? あ、ああどうも。あなた、名前は?」
「……名乗る名はありません。ただの女ですわ」
「そうか。なんかつらそうな顔してるな。つらい事があったら逃げていいんだぜ? カーリアン様も常日頃からそう言ってるからな」
「! そうですか。ありがとうございます」
「いやいや。では幸運を」
使者と思わしき彼らの姿が小さくなり、見えなくなった。
……最速ルートで逃亡するか。それなら気づかれる事は無いだろう。それにつらい事があったら逃げてもいい、か。
(じゃあ、全部投げ捨てて逃げてしまおうか)
もういいや、何もかもどうでも良くなってきた。私は机に置かれたままの婚約破棄の書類に目を移す。
「サイン、してしまおうかしら」
……今更ながらレーン様と婚約してから良い事なんてなかったじゃないか。ならメイリアに全部全部あげて逃げてしまおう。妃としての面倒事もクロード公爵家の領地経営の仕事も全部押し付けてしまおう。
「よし」
息を吸って吐いた後、私は婚約破棄に同意する書類にジャンヌ・クロードとサインをした。