泉鏡花『紫障子』の時間
『紫障子』は、大正8年(1919年)3月に発表された短編。晩年の大作『由縁の女』の連載中(大正8年1月から10年2月まで)に発表されている。怪奇現象の原因が最後にきちんとあきらかにされる、全容解明型のストレートな怪談である。
全集以外では、『泉鏡花集 黒壁 ― 文豪怪談傑作選』 (ちくま文庫)に収録されている。
シンプルな素材を料理するときほど凝った味付けをするのが鏡花の性向なのは、前稿「泉鏡花『ピストルの使い方』の使い方」でも見たとおりなのだけれど、本作も例外ではない。とりわけ顕著なのが、時間序列の錯綜である。
もちろん内容も、怪談としての執拗な生理的恐怖描写がすばらしいのだけれど、それ以上に奇想の面白さがまさっている。
おそらくは鏡花が見聞した関西の風俗や花柳界のならわしから想像をふくらませた話なのだろうが、馴染みのないそれらに対するおっかなびっくりな空想が、とんでもないイリュージョンを生みだすことになる。深夜の庭の暗がりで白と黒の碁石を歯にカチカチとあてている二人の舞子さんだとか、恐怖を通り越してもはやシュールでしかない。
猿を蛇で脅すというおまじないなのか、雨戸の枢木を意味する「サル」の場所に「巳」というお札が貼ってある(しかもそれが深夜にトイレを探す手がかりになる)なんていう仕掛けや、黒の碁石(那智黒石)を試金石に使うという雑学知識から妄想が発展していく過程なんかも面白い。「二ツ三ツ四ツ、忍べ」(全集19巻 p563)というのは何だろう? お座敷遊びのことばなのだろうか。私にはわからない。
ヒロインの美女、蘆絵が大阪の芸者であるにもかかわらず鏡花の典型的な可憐・奉仕型ヒロインで、「じれったい」と辰巳芸者的な意気を見せるなんてのも楽しい。
と、細部の美点を挙げればキリがないのだが、今回はストーリーを追うことを保留して、時間の流れと語り手のみに注目してみたい。
全体の構成は、あまり風采の上がらない主人公が、旅先の宿で憧れの美女と布団を並べるという喜びの高揚と、悪夢にうなされて吐き気を催す身体感覚の低調が同時進行をしたその先に、どす黒い怪異が出現するというもの。
冒頭で主人公が、悪夢から覚める場面を「現在A」として、その時点からの記憶の遡行を「-(マイナス)」で表し、そこからの出来事の発現をB、C、D、Eと付すとして、篇中で語られる時系列に沿った出来事は、次のように整理される(本文未読の方は、記号の並びだけ眺めてください)。
A-6 下総国成東の温泉、征矢との友人関係
A-5 今回の旅のはじまり~夜汽車中での蘆絵との最初の出会い
A-4 大阪で征矢に会う
A-3 蘆絵との奈良滞在~碁石の由来と円髷の女
A-2 奈良見物と食事の怪
A- 京都到着~宿泊
↑
A 京都の宿での深夜の目覚め
↓
B 宿内午前二時の彷徨
C 部屋替えをした二階の部屋
D 宿を出てから蘆絵の死まで
E その後の顛末
このA-6からEまでを、本文で記述される順に挙げていくと、次のようになる(実際に起こった出来事ではない夢や幻覚は「+α」で表した)。
1 A[語り 私から主人公へ]
2 A A-
3 A A-の続き
4 A A-の続き
5 A+A-の続き(Aと接続)
6 A A-2
7 A-2の続き(A-と接続)[途中で語り 主人公から私へ] a-3
8 A-3の続き
9 A A-3の続き A-6 A-5
10 A-5の続き(A-4と接続)
11 A-4
12 A-4の続き A-3の続きの会話でA-4の続き A-3の続き
13 A-3の続き A-3の続き
14 A[語り 私から主人公へ] A-2の続き A-2の続き a
15 A-2の続き(逆行) A A-2の続き(逆行) A
16 B
17 B
18 B
19 B
20 B
21 B B+α C
22 C
23 C
24 C C+α
25 C+α C
26 D E E[語り 主人公から私へ]
全26章のうち、A-からA-6までの複雑な交錯がみられるのは第13章までで、第14章以降はごくふつうの回想がなされる程度。第16章以降は過去をふり返ることなく、一気呵成に時間表順の出来事が語られる。
さらに第1章から第13章までの前半部分内においても、回想の内容がしだいに「A-3からA-」と「A-6からA-4」の二つのグループに結合されて、後半のダッシュに向けての地固めが進められる。
本作もまた、鏡花のほとんどの作品がそうであるように、分量的なちょうど中間点に構成上の頂点がくるように作られていることが確かめられる。ちょうど、創作物の真ん中にアタリ線を下書きしてから作業に取りかかると決めている工芸品の職人のように、几帳面な設計のもとで組み立てられているわけだ。幻夢的な場面(+α)の配置にさえ、構成美が感じられる。
とりわけ注目すべきは、時間の錯綜はあくまでも主人公の意識の流れに自然に沿ったもので、そこから飛躍する部分、説明的にならざるを得ない部分は、語りが主人公から作者へと交代するという破天荒な手法が採られていることである。
読む側からすれば、まるで主人公の意識の混乱をそのまま反映したような時間の錯綜に翻弄されるのだけれど、じっさいの作品では、一片の混乱もなく構成が行きとどき、違和感を感じさせかねない部分も、なめらかな語りによって継ぎ目が補修されている。
さらには、回想される出来事と現在進行形の出来事との、第12章から第15章の中央部分で折り返した対称性も見えてくるだろう。そういった鏡花の小説の工芸品的な特質は、初期の頃からすこしも変わっていない。
じつはもう一つ、『紫障子』には重要な特徴があると思っている。それは、主人公が怪異に遭遇してもあまり驚いていない、という点である。
そのことについてはまた、別の機会に。