癒やし、その7 役目
「【異界の迷い子】であることは言わないように気をつけてくださいね。たまに同時にたくさん現れるということもあるそうですが、基本的にはとても珍しい存在です。ギルドの受付嬢には国への報告義務が課せられているので、そのことを言えば国に報告されますからね」
「おっさん、頼りなさそうだから気をつけろよ。この世界は【異界の迷い子】をすごい面倒くさい扱いする奴らがいるからな」
「……」
田中は普通にトレジャーギルドと呼ばれる場所に連れてこられた。特に騙されて縛られることもなく、奴隷商人に売られかけるということもなかった。
目の前の建物は、白い煉瓦造りで、なかなか立派だった。扉をあけて中に入るとグーリンデやキナとよく似た服装の者。当然のように男の姿が多くて、若干女は少なめに思えた。
そして田中は思った。
疑ってすみませんでした。と。
どうやら、グーリンデたちは本当に厚意で、田中をここまで案内してくれたようだ。田中をだますつもりなら、ここに連れて来ずに、地理に詳しくない田中をどこにでも連れて行くことはできたはずだ。しかし、ここまで来るまでに、グーリンデたちにそんな素振りは全くなかった。
「色々すみませんでした」
田中はかなり疑ってしまったことを申し訳なく思った。疑義の言葉を口に出して言った訳ではないから、ギリギリセーフではあるが、心の中で激しく謝罪した。田中はこれまでのサラリーマン生活で毎日毎日同じことの繰り返しだった。
客に頭を下げて、何とか商品を購入してもらう。売れなければ上司に怒られ、売れたら当たり前。死ぬほど売れたら褒められるが、そんなものがずっと続くわけがなくて、売れなくなればまた怒られる。
そんな毎日にきっといろいろ磨り減っていたのだ。
「いえ、言ったはずですよ。我々エルフは、【異界の迷い子】を教え導くのが役目だと。ここで私は待っているので、早く登録を終わらせてきてください」
「なあ、ところでグーリンデ」
ふとキナが口を開いた。
「なんでしょう?」
「お前、これからどうすんの?」
「どうする?とは?」
田中は受付に向かいかけていた足を止めた。
「だからー、『エルフにとって、【異界の迷い子】を教え導くことって一番大事なことだ』って前に話してただろ」
そんなことを話していたのか。でも田中にその気がなくても確かに魔王になるかもしれないような存在から目を離すのは、かなり宜しくないことだ。
「このタナカにいろいろ教えてやるのが、グーリンデには大事な役目なんだよな?」
「そうですね。それはかなり大事なことです。エルフにとって何よりも優先すべき事と言われています」
「じゃあさ、今まで通り3人でパーティー組んで、って訳にはいかないの?」
キナがかなり気になる会話を始めた。田中としてはグーリンデがここまで案内してくれただけでも十分だった。これ以上望むこともない。
何よりも田中は【異界の迷い子】ではない。自分の意思で帰ることができる。それに日本に帰るつもりでいたし、会社だってやめるつもりはなかった。
「そうですね。あなたたちとのトレジャーハンターとしての生活はとても楽しいのですが、エルフにとっては役目の方が大事です」
「だよなあ。エルフってそういうことの方が大事だっていうもんな。じゃあさ、このパーティーはここまでってことか?」
「いいですか?私が抜けたら、あなたたちはかなり困るでしょ?少なくともシルバーから、ブロンズに落とされるはずです」
「別にこっちはいいぜ。今生の別れってわけでもないしよ。なあ、ヒトミ」
「問題ない。ビーストアークにも世界をまわる役目がある。グーリが、役目を優先させるのは当然」
田中はてっきりこの人はしゃべれないのではないかと思っていてヒトミが口を開いた。そして何か当たり前のように田中のためにグーリンデが犠牲になるようなことを話している。この世界の人間は、やはり田中の世界と価値観はかなり違うようだ。
「あのう?」
田中は思わず口を挟んだ。
「タナカさん。すみません。あとでちゃんとお話しするつもりだったのですが、キナが言ってしまったので、もう言わせてもらいます。タナカさん。もし良ければ、これから先ずっと私をあなたのそばに置いてもらえないでしょうか?」
「は?」
42歳田中は惚れっぽい。そして結婚することをずっと夢見て生きてきた。できればこの年の頃には既に子供も生まれて、嫁と3人で仲良く慎ましく生きて行く予定だった。しかし、全然そのとおりにはいかない人生だった。
「それとタナカさん」
「は、はい」
「よく間違われるので言っておきますが、私は女です」
「あ、ああ、そうですか」
正直グーリンデは性別の見分けがつかなかったので、その情報は非常にありがたかった。おそらくエルフは顔がよくて胸があまりない種族なのだろう。きっとそのせいで男女の見分けがつきにくいのだ。
「もちろん、あなたの傍でずっといるのだから、男女としての関係を望まれるのであれば、そういうことをするのも問題ありません。我々エルフの寿命はとても長く、その間に命の短い人種と所帯を持つことも珍しくありません。子供が生まれたとしてもご安心ください。ハーフエルフの寿命は150年ほどです。私が責任をもって最後まで大事に育てます」
「そ、そう言われましても困るのですが……」
思わず、すごい問題のある客に当たった時と、同じ言葉が出てしまった。42年生きてきた田中の人生でこのパターンは一度もなかった。あるわけもない。むしろある人がいたら聞いてみたい。
「どうして困るのですか?」
「グーリ。さすがにそれは早いって。おっさん困ってるだろ。きっと、年齢的に元の世界では結婚してたんだろ。帰れないにしたって前の嫁のことも簡単に割り切れるもんじゃないよ」
意外なことにキナの方が、常識人のような言葉を口にした。しかし42歳田中は童貞だ。結婚歴はない。もしかしたら、そのおかげで魔法使いになれたのかもしれない。
「あ、ああ、そうでした。すみません。自分の本来の役目を果たせるエルフは非常に少ないのです。私としたことが、あまりにそのことで逆上せ上がってしまいました。あなたに思わず自分勝手な事を次々と……」
「あ、いや、別に怒ってるわけではないのですが」
「しかし、きっとあなたは、この世界では、よくわからないことが多いと思うのです。しばらく私と行動を共にするということは了承してもらえるでしょうか?」
「あ、ああ、はい。それでしたら、もちろん。というか、むしろありがたいです」
「よかった。では引き止めましたが手続きの方をしてきてください」
田中はしばらく。グーリンデに言われた言葉を考え込みたい気分だった。しかし、ここで停止するわけにもいかない。動こうと、受付嬢のいる方へと歩き出した。木製のカウンターの向こうに受付嬢が3人並んでいた。
日本の受付と同じで、見た目のいい人たちだ。ほかの2人はすでにお客がいたので、田中は暇そうにしている受付嬢の前に立った。
「あの、トレジャーハンターになりたいのですが手続きをお願いします」
「はいにゃ。じゃあ、この書類に色々書き込むところがあるから全部書き込んでほしいにゃ。文字は書けるにゃ?」
そういえばここに来るまで、この世界の文字を何度か見かけた。
「って、ずいぶんおじさんにゃ」
受付の女性はヒトミと似ていて、猫が人間になったみたいな見た目をしていた。 まさかこの子まで一緒に生活しようとか言ってこないだろうなと田中は警戒した。
「ええ、42歳です。結婚歴はありません」
「へえ、結婚しそびれたんだにゃ。でもそんなこと聞いてないから言わなくていいにゃ」
「……そうですね。失礼しました。えっと、この書類に書き込めばいいんですね」
「はいにゃ」
恥ずかしい。穴があったら入りたい。とにかく書類を見つめる。珍しい羊皮紙のようだった。インク壺が置いてあって、羽ペンで書き込むようだ。
書類を見る。なぜか日本語だった。さすがにそれは不可解だったが、この世界には日本人がよく迷い込むのだという。もしかするとそのせいなのかと思いながら、書類に日本語で書き込んだ。