癒やし、その6 親切な人
田中は惚れっぽい。とにかく惚れっぽい。どれぐらい惚れっぽいかというと、女の人がこちらに対して親切にしてくれると、結婚したいと思うぐらい惚れっぽい。会社の女上司の事ですら、未婚だったから最初は惚れていたぐらいである。
それが、こんなに綺麗な人が声をかけてきたとなれば、田中はイチコロである。
「あの?」
「分かりました。お付き合いさせてもらいます」
付き合いという言葉に胸がドキドキする。わかってる。今まで社会人として生きてきたのだから、理性の部分がそういう意味では無いと答えを出している。でも想像の翼を広げることを人は許されている。
だから田中は好きに想像した。
「良かった。警戒されているようでしたから、どうすれば解きほぐせるかと考えていました」
エルフの女の人。グーリンデが無い胸をほっとさせる。もちろん、警戒心もちゃんと田中は持っている。しかし、万が一、何かあったとしても、一日だけ生きていれば田中は【異界渡り】で逃げられる。
そのため、普段の田中よりも大胆になることができた。
「おお!マジでついて来てくれるのかよ!なあ、おっさん!やっぱりあんた異界人なのか?」
人種のキナが、田中に確認してくる。 頭で手を組んでいて、そうすると豊かな胸が強調される。田中は紳士なので、そっと目をそらしながらちらちら見て、そして考えた。
「……」
ここで認めてしまうべきかどうか。
だから質問した。
「私が異界人だったとしたら、そこから先、何が起こるのか聞いてもいいでしょうか?」
そうだと認めているようなものだ。それでも田中は明言を避けた。
「そりゃ……どうなるんだ?」
キナはよく知らないみたいだった。その様子は演技には見えなかった。
「どうもなりませんよ」
グーリンデが優しい声で教えてくれた。
「国に報告したりすると少々面倒なことになるのですが、エルフである私が案内を申し出た以上は、そんな面倒には会わせません。もともと私たちが外に居るのも、【異界の迷い子】を教え導くという目的からでもあるのです」
「グーリンデさんでいいですか?」
「はい」
にこっと笑って返事をされると、それだけで心が癒された。田中は思った。この人は絶対善人だ。なぜなら顔が綺麗だから。
「グーリンデさん、どうしてあなたは私に親切にしてくれるのですか?」
「当然の疑問ですね。何の見返りもなしに私がこういうことを申し出ているとすれば、それは疑わしいです。しかし、エルフにはちゃんと目的がある。【異界の迷い子】は人によってかなり、大きな力を持ってこの世に現れるのです。過去にそれでこの世界に災厄をまき散らしたことがあります」
グーリンデの顔は真面目だ。田中は、自分はどういう存在だろうかと考えた。田中はこの世界へ自由に来れる。これは結構、大きい力なのかも知れない。でも少なくとも災厄をもたらす気など無かった。
「逆に福音をもたらす存在もいます。我々エルフは【異界の迷い子】が福音となるように教え導くことを目的として、エリオーガル各地で活動してます。まあ多くの【異界の迷い子】は、この世界に何の影響も与える事なく死んでいきます。それに【異界の迷い子】と出会う事自体が稀なので、大方のエルフは世界を楽しんでいるだけですけどね」
「はあ」
「それで、私はあなたを【異界の迷い子】と断定していいでしょうか?」
「え、ええ、それでいいです。俺は日本という場所から来ました」
田中は認めた。この世界のことを何も知らない田中が、これ以上警戒することは無意味だと考えた。
「ほっ、どうやら間違えた人に声をかけていたわけではないんですね」
「日本のことって知ってるんですか?」
「ええ、ニホンはジゲンシンと呼ばれる現象が一番起こる場所と言われてますよ。エルフの間では10年に1度ぐらい、ジゲンシンが起きて、ニホンから人がやってくる。と言われてるんです」
「じゃあ前は10年前に?」
「ええ、そうです」
「10年前に来た人は生きてるんですか?」
「もちろんですよ。この国にはいませんが、キナの出身国、帝国で幸せに暮らしてます」
田中はふと、そんなこと簡単に教えていいんだろうかと心配になった。10年に1度しか現われない【異界の迷い子】。それがとても珍しい存在であるのは間違いなさそうだ。
「私にしゃべっても良かったんですか?」
「あ、ああ、もちろん、これは、あなただから話したことなので、他には漏らさないようにお願いしますね」
「はあ……?」
「田中さん。この話はこの辺で終わりにしましょう。それよりもまず身分証を作りに行きましょう」
「は?身分証って簡単に作れるものなんですか?」
田中の世界ではそれはかなり難易度の高いことだった。少なくとも無国籍の外国人が日本の身分証を獲得しようと思ったら、かなり違法なことにも手を染めなければいけなくなる。
少なくとも田中は42年間生きてきた中で、身分証がない状態での身分証の作り方なんて知らなかった。もちろん誰かのためにそれを作る方法を示すこともできなかった。
「え、ええ、ニホンから来た人はそれをまず不思議に思うそうですが、この世界では身分証は簡単です。そもそも、人のコセキというものが、ニホンと違い、この世界にはありません。トレジャーハンターという職業はご存知ですか?」
「宝物を見つけようとしている人たちのことですよね?」
日本語と英語が入り混じった言葉を平気で向こうがしゃべってくる。しゃべる時の口の動きが日本語ではないというわけでもなく、この世界の人間も日本語をしゃべっているようだった。
「それで間違っていません。この世界では過去、かなり高度な魔法文明が栄えていたと言われています。今では造れない物がたくさん造られ、それはとても貴重なものばかり。そして【異界の迷い物】。異界は隣の世界と言われていて、ジゲンシンと呼ばれるものが起きたときに、この世界では造れないものが迷い込むのです。他にもダンジョンなどと呼ばれるものもあり、その中にも貴重な宝が眠ると言われています。トレジャーハンターはそれらを見つけるのがお仕事です」
「なるほど」
日本では宝物を探したところで簡単に見つからない。しかし、この世界では職業として成立しているようだ。
「そしてこのお仕事ですが、誰でもなれます。どこかの国の誰かである必要はありません。トレジャーハンターランクというものがあり、ストーンが一番下、次がブロンズ。シルバー、ゴールド、ルビーと続きます。私たちはシルバーランクのトレジャーハンターです」
「はあ」
「そしてタナカさん。私はあなたにもこれに成ることをお勧めします。トレジャーハンターの証明書は、どこの国でも通用しますし、ランクが上がると信用もそれにつれて上がります。どうですか?もしよければトレジャーギルドにご案内しますよ」
「……」
かなり変わった世界だ。田中が居た世界とは価値観も違う。田中が居た世界ではトレジャーハンターと言えば、それが職業として成立するのかというぐらいのものだ。
それがこの世界ではかなり信用度の高い職業らしい。何しろその職業の身分証をもっていればどこの国の身分証にでもなると言うのだ。日本ならば弁護士や医者や税理士でもそんなのは無理だ。
「分かりました。ではトレジャーギルドに案内してもらえますか?」
「承りました。ではついてきてください」
そっと綺麗な手を差し出された。田中は子供ではないから、手をつないでもらう必要はないのだが、それを断る理由もなくて握った。グーリンデの手はとても柔らかくて、田中はとても満足だった。
ただ、なんとなくちょっと変だなとは感じていた。この人たちいくらなんでも親切すぎない?42歳にもなる田中はそこまで人を信じて生きることはできなかった。何よりも奴隷もいるような世界で油断して酷い目に遭うのはいやだった。
でもまあいい。もし騙されてたら、魔法を試してみたいと思っていた。