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8.パニック障害?

◆◆◆◆◆


 母親が運転する車でアパートまで送ってもらった村上だった。

 別れ際、なんら異変は感じなかった。


「あの子が家であんなに笑ったのは久しぶり。これも村上さんのおかげね。よかったら、またいらしてください」


 と、言い残し別れた。

 次につながる食事会の幕引きに思えた。

 ところが明けてすぐ月曜の朝。


 村上は例のごとく情報番組にチャンネルを替えた。

 幸せの絶頂だった。雲の上を歩ているような心境とは、まさにこのことだろう。いくらローカルテレビとはいえ、ついに液晶画面の向こうの人とお近づきになれたのだ。


 しかし、そこに中谷 董子の姿はなかった。

 メインキャスターの座には、いつもスポーツコーナーを伝えている桐島きりしま 佳南かなんが、いくぶん緊張した面持ちで代理を務めていたのだ。


 テレビの縁を抱えるように、文字どおりかじりついた。

 アニメキャラが7時の時報を告げたあと、男性メインキャスター、田邊たなべが硬い表情で頭をさげ、こう言った。


「あらためまして本日は、いつもなら私の隣にいます中谷キャスターが、長期休暇に入ったことをお伝えします。代わりに、桐島キャスターがピンチヒッターを務めてまいりますので、どうかご了承ください。今朝からご心配のお電話やメールをいただいております」




 村上は耳を疑った。

 長期休暇? 昨日の弾けた会話のなかで、董子はいっさい口にしなかったが――?

 なおも田邊の口上は続いた。


「なかには、命にかかわる病気になられたのではないかと推察されるご質問も承っております。少なくとも生死を左右するようなものではないのは確かですので、どうぞご安心ください。ですが、今は病名を明かすことは控えさせてください。中谷 董子本人、ならびにご家族のご意向によりまして、現段階では伏せさせて欲しいとのことです」


 ――なんだって? あの董子さんが病気?


「いずれにしましても、このたびは突然の離脱により、視聴者さま、またスポンサーさまには、大変ご心配とご迷惑をかけてしまっていることを、重ねてお詫び申し上げます。番組スタッフ一同一丸となって、『京都つばきテレビ』、いままで以上に盛りあげていきたいと思っております」


 と言い、田邊は神妙な表情で、ふたたび薄くなった頭頂部を見せた。

 カメラが切り替わり、桐島キャスターが映し出された。

 まさに青天の霹靂へきれき。小柄で童顔の23歳は、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして、あいさつをした。


 村上はスマホを手にし、董子に電話をかけた。

 …………

 …………

 …………


 電源を切っているか電波の届かない圏外にいるらしく、白々とアナウンスが流れた。

 LINEでメッセージを送ってみたが、これもすぐに返事が来るか怪しい。

 いったいどういうことだ?

 昨日の今日になって、いきなりの展開。

 夢心地から一気に墜落したようなものだった。


◆◆◆◆◆


 山科の自宅へ直接バイクで乗り付け、様子を見にいった。

 母親が応対してくれたものの、董子はいっさい姿を現さなかった。

 少なくとも入院しているわけではないようだ。今はそっとしておいてくれと追い返される始末だった。

 あきらめず、日をおいて見舞いがてらCBR250RRを走らせたのだが、いずれも取り付く島もなかった。


 どうにも腑に落ちない。

 村上は去り際、石造りの建物を見つめた。

 1階の居住スペース、2階のアトリエとも、レースのカーテンが引かれ、仮に病に侵された董子が窓際で佇んでいたとしても、村上には見つけられなかった。

 そもそも入院するほど重いのではないのか。それすらわからない。


 邸宅の背後に広がる竹林は薄暗すぎた。

 陰気な風を受け、不安げな葉擦れの音を響かせていた。いつもなら楽しそうな小鳥のさえずりもなく、代わりにカラスがしゃがれ声でわめいていた。

 まるで卒塔婆そとばが乱立する墓場を思わせた。空気でさえ、納骨堂の内部のようにひんやりしていたのだから、とても昨日来た同じ場所とは思えない。




 意外と中谷 董子がテレビ放送、ラジオ番組とも出演をやめ、長期休暇に入った話題はすぐには騒がれなかった。

 男性ファンも現金なもので、京中テレの女子アナの若返りを希望する勢力も少なからずあったらしい。残酷なことに、28で年を食っていると囁かれる業界である。これを機に、桐島キャスターがメインを務めてくれたらという上げ潮ムードもあったようだ。


 SNSで口さがない書き込みも目立った。

 どこで誰に聞いても真相はわからずじまい。芸能リポーターや、週刊誌の記者ですら情報をつかめずにいた。憶測だけが一人歩きした。


 SNSの信憑性ある書き込みのひとつに、董子は以前からパニック障害と闘っていたとの関係者の証言が眼にとまった。

 ファンたちは、以前からクールビューティーと評され、仮面をかぶり続けることは本人にとって負担になっていたのではないか、と推し量る声も散見された。


 他人が決めた理想の人格と、本当の素の人格とのギャップ――ペルソナの相剋そうこくに苦しんでいたのかもしれない。その重みに耐えきれず、深刻なメンタルの病を発症させてしまったとしたら……。

 いずれにせよ、ネットでの議論も推測の域を脱しておらず、決め付けるのは時期尚早だった。




 とはいえ、人の噂も七十五日。

 芸能ニュースには誰かの不倫報道、意外性あるカップルの誕生と結婚、あるいは衝撃の離婚、大御所役者の訃報がひっきりなしにくり返され、やがて董子のことも世間から忘れ去られていった。

 フリーになり、いずれは大手キー局に引っ張られる噂もあったが、それさえも泡のように消えていった。

 世界がまわっているかぎり、いくら売れっ子美人キャスターといえど、時のうねりに流されたら、忘却の渦潮に落ちていくのみである。

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