7.「小野小町って知ってる?」
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董子専用の石造りの建物に入り、1階の12帖のダイニングルームに通された。
ロウソクの炎が灯った燭台モチーフの、クリスタルウォールシャンデリアの灯りのなか、ダイニングテーブルに、きらびやかな料理が並んだ。
こちらも和洋折衷。肉もあれば生魚もある。色とりどりの京野菜も眼の保養になった。
着物姿の母親は給仕に徹していた。同時に黒衣役なのか、村上とは最初に邸宅に招待したときに、ふた言三言口を利いただけで、ほとんどしゃべらない。
しゃちほこばった村上は席に着いていると、2階から螺旋階段を伝い、中谷 董子がおりてきた。
テレビでは滅多にお目にかからないドレス姿である。眼にも鮮やかな青いサテン生地。
いつもより肌の露出が多く、眼のやり場に困った。
メイクも決まり、仄暗いダイニングに、高級絵画の彩りを添えたようだった。
「夢を見てるようです。でもなんでおれを――?」
「さあて。片尻あげてオナラがポイント、稼いだかな」
「嘘でしょ。董子さんが片尻あげて、プッ!ってするわけがない」
「あのね」
見かねた母が、眼を丸くし、
「あきれた。せっかく村上さんをご招待したのに、オナラの話が前菜がわりとか」
と、言った。
三人は同時に笑った。それで一気に場が和んだ。
気を利かせて、母は頭をさげ、「では、ごゆっくり」と言って退室した。
それから、めくるめく時間をすごした。
薄味ながら、出汁が奥行きを与える料理は無論おいしかった。
それ以上に、ふだんテレビでは見せない、人間味あふれる董子との会話は弾みに弾んだ。
ボールを投げれば、ちゃんとバットの芯に当てて返してくるトスバッティングさながらのやりとり。
村上はますます逆上せあがった。
話題はなんてことはない。
テレビ業界の苦労話からはじまり、キャスター同士の人間模様、生放送でやらかした失敗談、タイアップする業者との忖度などの裏話を聞かせてもらった。
対する村上は、稚拙な内容ばかりになった。
とはいえ28の大人の女性が、おおいに反応してくれた。けらけらと笑い、おかげでクールビューティーと冠される董子の態度を軟化させ、ここまでプライベートな質問に答えてくれた例は他に見当たらないのでは……。
「ね、董子さん」村上はしたたかワインに酔いながら、砕けた口調で言った。呂律がまわらなくなっている。「SNSでも知られてます。なんでプライベートな情報が目撃されてないんですか? ちっとも市内で買い物してる姿を見かけないって噂されてる。仕事が終わればアンドロイドの電源が切れるんじゃないかって書き込みもあるぐらい」
「嫌ね。私、Twitterやブログはするけど、他の人の、私についての書き込みは見ない主義だから。だって怖いもん。まさかそんなこと書かれてるの?」
「他人の評価は気になる?」
「ちっとも。我が道を行く。――ショッピングは全部、母さんがしてくれるから。お洋服は妹が烏丸通りのデパートで服屋さんに勤めてるの。私のスリーサイズ知ってて、適当な品を送ってくれるから、試着せずに買えるわけ。もちろんフィットしないときもあるけど。他の物だって、ネットで買える時代だし、わざわざ街中に出かけなくて助かってる」
「だったら、休みの日はほとんど家に?」
「アンドロイドに見える? 今どきのロボットはちゃんと表情も変化するよ?」
「嘘々」
「そんなふうに見られるのは悔しいな。これでも一生懸命、感情表現を豊かにしてるつもりなのに」と、董子はどこか寂しげにうつむき、「この四角い私の家ってね。1階は居住空間だけど、2階は書斎やアトリエになってるの。――どう、少しは見直した?」
「アトリエ。油絵か彫刻でもやってるんですか。意外だな」
「ブブーッ。……意外って失礼ね。正解は陶芸」
「陶芸? なら、見学させてもらわなきゃ」
「あとでね。陶芸の魅力に憑りつかれたのは亡くなった父の影響なの。京都界隈では名の通った芸術家だったのよ。土をこね、ろくろにまわしていると、すごく集中するの。これが私にとって、いいリフレッシュになるってわけ。中心にブレがあると、たちまち仕上がりはダメになるんで、まったく気が抜けない。人間だって、基本、中心にブレがあるとわやになるよね。作品が完成すると、そのときのメンタルが反映されるのか、ひとつひとつが異なる味のあるものになって」
「董子さん、趣味も突きつめるんだな。陶芸の面白さはよく伝わった。ね、このあいだの質問の続き。――ほんとうに付き合ってた男性はいなかったんですか?」
「いたら、君を家に招待したりしないでしょ」
「こんなにも魅力的な人なのに、特定の恋人がいなかったなんて奇蹟だな」
「いままで仕事と趣味が生き甲斐だったから。完全ブロックしてた」
「なら、フリーはまちがいないと」
「まあ、フリーっちゃフリー」
「おれは董子さんにとってどんな存在?」
「……教えてやんない!」
「ありゃ」
「それはそうと、ね、村上君。――小野小町って知ってる?」
董子はテーブルに頬杖を突いたまま、唐突に聞いた。
負けず劣らず彼女も酔っ払い、おたがいの思考は支離滅裂になっていた。
「世界三大美女と言われた人でしょ。クレオパトラや楊貴妃と並ぶ。教科書で習ったけど、よく知らない」
「そ。同時に、六歌仙の一人として天才的な歌人でもある。この山科に随心院ってお寺があってね。そここそ、かつて小町が住んでた跡地だとされてるの。ここからそんなに離れていない。よかったら今度、一緒に見に行ってみない?」
「ひょっとして――デートとか!」
「かもね。じつは最近、歴女に目ざめちゃって。『花の色は、うつりにけりな、いたづらに。我が身世にふる、ながめせしまに』ってね、古今和歌集にもある」
「さすが学がある」
小野小町はそもそも正確な生没年が明らかにされていない。仁明天皇(810~850年)に女官として仕えたと言われている。
9世紀中ごろの平安時代に実在したものの(825~900年?)、いくつかの歌を残すだけで出自も、亡くなり方もわからないまま、霧の彼方へと消えたミステリアスな女性として知られている。
生誕と晩年にまつわる土地についてはいろんな諸説があり、これも如何ともしがたい。
少なくとも生誕地とされる場所は、全国に何カ所も数えられる。
秋田県湯沢市、福島県小野町、熊本県熊本市などが候補地にあがっているが、これとて決定打に欠ける。
そんななか、山科の小野地区にある真言宗善通寺派の大本山の寺院、随心院こそ小野小町の住居跡に建てたとする説もあるのだ。
これに対し、百夜通いの深草少将の住まい跡とされるのが、伏見区西桝屋町にある曹洞宗の欣浄寺だという。もっとも、このような伝説の数々は、小町の死後にこじつけで創作されたものにちがいない。
深草少将は歴史上では、しょせん伝説の人物だとされている。
モデルは僧正遍昭(平安時代前期の僧・歌人)か、大納言義平の子、義宣とも言われるにすぎない。
まさに欣浄寺から随心院へと、深草少将は夜ごと片道5km弱の道のりを通ったと伝えられているのだ……。
他にもここ随心院には、小町の晩年の姿とされる卒塔婆小町像をはじめ、文塚、化粧井戸などいくつかの遺跡が残されている。
小町に心を寄せた深草少将をはじめ、多くの貴公子から渡された千束の恋文が、この文塚に埋められたというのだ。
結論からいうと、そのデートは実現することはなかった。
それゆえに、いつか董子と史跡めぐりををしたくて、のちに小野小町について調べることになり、それなりの知識を得たのだが……。
なぜ董子と、それ以上の仲にならなかったというと――。
目くるめく売れっ子美人キャスターとの食事会を終えたあと、村上は勢い余って董子にキスをせがむことなく、この夜は素直に引きさがった。そばで母親が待機している手前、粗相は許されまい。