6.食事会への招待
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それから連日のごとく出待ちに行った。
土曜日など、21時からはじまるラジオ番組も、こちらは入待ちした。出勤してくるところを狙うのである。
放送がはじまる3時間前に局へ入る情報を得ていたので、これも入り口で張り込み、みんなと口をそろえてあいさつした。
ところが熱心に京中テレ前で粘ることをくり返していたとき、どうしても行けない日があった。
思いついたように母親が、地元愛知の一宮市から、京都へ訪ねてきたのだ。ろくに返事もよこさない息子を心配して、様子を見にきたのだった。
アパートで暢気にギターを弾いている姿を見て安心した。
京都まで来たことだし、せっかくだから市内の名所めぐりに付き合えと、強引に連れ出されたのである。
いつもながら母親のペースに巻き込まれ、さすがに董子に会いに行くどころではなくなった。
思いがけない1日が、董子にとって予想外の効果をもたらしたのだから、世の中なにが影響するかわからない。
いつものごとく木曜の朝の番組を終え、局から出てきた彼女は、出待ちの面々のなかに、村上の姿がいないことに気づいた。
ファンは意外と年齢層の高い男が占め、20歳の村上は捜せばすぐにわかったにちがいない。
局の前に勢ぞろいした男たちは、めずらしく自分たちに眼を向けてくれたことに驚いた。
大抵は無視されても、生の彼女を目撃するだけで満足できたものだ。というのも、お目当ての中谷キャスターに、たとえ彼氏がいなくても、まさか自分が恋人になりたいとは高望みしてはいなかった。
高嶺の花は眺めるだけでいい。
誰もが自分が相手では釣り合うはずがないと、気後れするためだ。
たった1日、玄関周辺で村上の姿を見かけなかっただけである。――董子の内側で、いかに村上が気になる存在かをあらためて感じた瞬間だった。
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それから1週間後。
土曜日だった。董子がパーソナリティを務めるラジオ番組を、誰もが楽しみにしていた。
例のごとく村上を含めたファンたちが入待ちしていると、夕方18時すぎに、赤いハイブリッド車が京中テレの駐車場に入ってきた。
いつも彼女の入りは、母親らしき人物が運転する車に送ってもらっているのだ。
さすがに仕事前なので、緊張した面持ちだった。
パンプスの硬い靴音を響かせて、足早にやってくる。
ファンは口々に、「おはようございます」「お疲れさまです」「頑張ってください」と、あいさつした。
村上はそれに混じり、
「董子さん、リラックスして!」
と、声をかけた。
誰がエールを送ってもふり向きもしない彼女が、眼を大きくして村上を見つけた。
すると、花が咲いたような笑顔を見せ、手をふってくれた。
たちまち村上は、周囲の男どもから白い眼でにらまれた。
董子は立ち止まることなく、颯爽たる足どりでエントランスへ入っていった。
冠番組が始まるのは21時で、終了は22時。
その後、諸々の手続きを終えて退社するのは0時をまわることがある。オンエアーのあいだ待ち続けるのも大変なので、ファンは三々五々、解散するのが常だ。
村上も今から五十部の部屋を訪ねようと考えていた。
ロータリーの方へ歩いていると、背後からクラクションを鳴らされた。
ふり返ると、さっきの赤いハイブリッド車がゆっくりやってくるところだった。
運転席側の窓を開け、董子の母親が顔を斜めに出している。
まさに純然たる京都人らしい上品な顔立ちの人。しかも和服。
目もとが董子とそっくりだった。年は50半ばにも達してはいまい。
「あの……。村上さん?」
「はい、そうですが」
「私、中谷 董子の母です。たった今、娘からLINEが入りまして」
「で」
「玄関前で待っててくれるメンバーの中で、一番年が若く、イケメン男子に伝えてと連絡がありましたの」
「そいつは光栄です!」
「明日、あの子はお仕事、休みなの。よかったら山科の自宅に来ていただき、夕飯を一緒に食べませんか、とのことです。時間は夕方の6時に。……誤解なきよう。こんな形で男性を招待するのは初めてのことなんです。あなた、大当たりね。……もっとも、腕によりをかけて料理するのは、私の役目なんですけど」
村上の喜びようといったらなかった。
思わずガッツポーズが出て、カンガルーみたいにジャンプした。
「ありがとうございます! 必ず参ります。たとえこの世に終わりが来ようとも! 這ってでも行きます!」
董子の母は、自宅の番地を伝えた。
村上はあわててスマートフォンをタッチし、地図で調べる。念のため、董子自身の電話番号まで教えてくれた。
まさかこんな日がくるとは――村上は夢心地になった。
「じゃあ、ちゃんと伝えましたので。これで失礼します。また明日ね」
「ありがとうございます!」
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証拠として五十部に見せつける必要があった。
五十部がホンダCBR250RRのハンドルを握り、そのうしろに村上はまたがり、指定された山科の高台をめざした。
董子の自宅は、山科区でも東端の小高い山に囲まれた大塚高岩だった。
閑静な住宅街で、日当たりも申し分ない。
ゆるやかな丘の上に建つ立派な門構えの邸宅である。
敷地は広く、芝生は青々としていた。飛び石を渡って歩いた先が、明治から続くという厳めしい日本家屋だ。母屋らしい。
くわえて、最近できたばかりらしい向かって左の石造りの建物は、董子にとって憩いの場であり、仕事場でもあるという。2階建てだった。
和洋折衷のコントラストは、いかにも売れっ子中谷キャスターがくつろぐにはふさわしい。
朝は車の騒音に悩まされる心配もあるまい。背後にある竹林の葉が風になびく音と、小鳥のさえずりを耳にしながら眠りから醒めることだろう。京都市内でも、まるで山中の庵にいるかのような空間だった。
「ホンマかどうか、おれはまだ信じてへんからな。……おまえ、たまたま中谷姓の家を見つけて、丸め込もうって魂胆とちゃうか。一緒に彼女と飯を食うんやったら、証拠として写メか動画でも録ってこんかい」
武家屋敷を思わせる門柱に、『中谷』の表札がかかっているのを眼にしながら、五十部は言った。
村上はタンデムシートから降り、ヘルメットを脱いで彼に渡した。
「ごあいにくさま。連れていって、証人になってもらいたいのも山々だが、董子さんのご指名なんでね。おれひとりで来てくれと。帰りはなんとかする。じゃ、行ってくれ。ここまで送ってくれておおきに!」
「くそが。負けたら、おれの愛車がおまえのものになるなんて!」
五十部はガソリンタンクに抱きつき、ベソをかいた。