13.「可愛さ余って憎さなんとやら」
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意識を取り戻したとき、そこは病室だった。
心配そうにベッドのまわりを取り囲み、のぞき込んで見守る大勢の人影。
おぼろげな視界が、しだいに鮮明になっていく。
村上の母親を筆頭に、五十部、職場の同僚や学生時代の仲のよかった男友だちや、以前付き合っていた女の子の姿が像を結んだ。
まず母が涙ながらに口を開いた。
――よくぞ無事に眼を醒ましてくれた。私が石頭に生んだおかげで死なずにすんだと、我が子よりもむしろ自分自身を褒めた。
みんなは口々に、意識を取り戻してくれたことに手を叩いて喜んでくれた。
そうこうするうちに、病室のスライドドアが開き、スーツ姿の二人組が入ってきた。
片方はいかにも顔つきが不動明王みたいに厳めしく、もう片方はチタンフレームの眼鏡をかけ、数学が得意そうなインテリヤクザみたいに見えた。
みんなを押しのけて村上の枕元に立つ。
胸ポケットから手帳をチラリと見せた。刑事だ。
「お早いお目醒めでよかった。センセは回復の見込みは薄いかもしれへんと心配されてたようですが、思たより軽うすんだようでなによりです。ともあれ生還、おめでとさん」と、スーツを着た不動明王が言った。「さて――事件に巻き込まれたことについて、根掘り葉掘りお聞きしたいところですけども、正味6日間も昏睡状態をさまよっとったわけですさかい、さすがに酷な話かもしれまへんな。とりあえず本日は顔見せちゅうことにしときましょ。後日伺います。あ、ほな失礼」
と言って、刑事たちはポケットに手を突っ込んだまま、飄々と去っていった。
村上はどうにか上半身でも起こそうとしたが、頭頂部が激烈に疼き、顔をしかめてあきらめた。
顔じゅうに包帯を巻かれてあるようだが……。村上はどうにか声をしぼり出した。
「……事件?」
「将生ったら。ひょっとしたら、憶えてないのかい?」母は五十部と顔を見合わせ、思わず手を口に当てた。「せっかく息を吹き返したと思ったら、記憶喪失ってことになったんじゃ……」
五十部はそれをさえぎり、代表でこれまでの経緯を説明した。
村上が董子の自宅に行ったとき、暴漢に襲われ、そのまま意識を失ったこと。
中谷 董子ファンによる襲撃者は、ブラックジャックで殴りつけ気を失わせたあと、そばで制止させようとした雑誌記者によって通報された。
男は逃亡を計ったものの、市内に潜伏しているところを、すぐ京都府警によって二名に対する殺人未遂の容疑で逮捕された。
男の名は舘林 崇。
42歳。住所不定。無職。10年前まで陸上自衛隊に所属していたが、上官に暴力をふるい、駐屯地外での窃盗、わいせつ行為などの不祥事を起こし懲戒免職されていた。中谷 董子の熱狂的ファンだった。
大捕り物の様子は映像つきで報道された。
のちの取り調べで、中谷邸に押し入り、暴力に訴えかけた動機について、こう自供した。
――「可愛さ余って憎さなんとやら。彼女を殺して自分も死ぬつもりやった。ところが思いを遂げられず、中谷 董子の母親に気づかれたため逃亡したんや。途中、門のところで現代の深草少将こと、村上と鉢合わせした。積年の思いをぶつけるため、鈍器でしばき、殺害しようとしたわけや」
村上は頭蓋骨が陥没骨折し、脳挫傷の診断を受けた。
医師からは、たとえ意識を取り戻したとしても、なんらかの重い後遺症が残るかもしれないと念を押された。
一時は危篤となり、予断を許さぬ容態にまで陥ったのだ。
やがて峠を越え、6日間、生死の境をさまよった末、奇蹟の生還だった。
一見したところ高次脳機能障害もなさそうなことに、一同、安堵の胸を撫でおろしたのだった。
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思わぬ形で現代版百夜通いは中断された。
奇しくも小野小町に試された深草少将が、予期せぬ吹雪に拒まれ、あえなく命を落としたように――。
せっかくおびただしい日数を通いつめたというのに、村上の想いは届かなかった。
頭を烈しく殴打された後遺症はあとあと響き、リハビリを続けねばならず、約1年間を病院で無為にすごすことになった。
致命的だったのは、その間、村上は董子の安否について心配することをまるっきり欠落させていたことだ。
あれほど董子への気持ちを獲得したくて頑張ってきたのに、熱烈な感情もどこへやら、雨後の虹がいつの間にか消失してしまったかのようにかき消えてしまった。
追い打ちをかけるように、より現実は過酷なものとなった。
一宮市の自動車製造業の職場は、入社してわずか半年の社員を長期休職させてくれるほど甘くはなかったのだ。
ましてや業務とは関係のない私傷病の案件。
総務課の人間が見舞いがてらやってくるなり、この分だと運動麻痺が残るだろうと警告された。
復帰したとしても業務に支障をきたし、まわりに迷惑をかけると思われるので、やんわり自主退職するよう勧められた。
職場に未練はなかった。
バイクで連日、山科まで往復4時間近くを行き来し、社内でもよからぬ噂が立っていた。
仕事中ミスをすれば、女のもとに通いつめたから疲れのせいだと決め付けられた。いかな若さが取り柄の村上でも、当てはまったかもしれない。
素直に従った。同僚にまで迷惑をかけるのは本意ではない。
1年に及ぶリハビリの甲斐はあった。
以前の健康体には程遠かったが、なんとかもとの生活を築けるまでには回復していた。
村上は退院すると、地元一宮の寮から家財道具を含めたいっさいの荷物を引き払った。
その後、さりとて京都へ越したいとも思えず、流れ流れて和歌山まで来たのだった。
漂泊の年になった。
苦々しい思いを抱えたまま、早6年の歳月が流れてしまった。
運動麻痺の後遺症に加え、軽い記憶障害と失語症を抱えてしまったせいで、肉体労働や複雑な事務職はできないため、短期間ではあるが非常勤国家公務員である国勢調査員として雇われた。
調査員証を首にぶらさげた村上は、調査票の束を持って、和歌山県新宮市熊野川町の奥へと分け入っていた。
そこで偶然眼にしたのが、お隣、三重県熊野市紀和町花井の一部の小地名、百夜月。
その地に残る悲恋伝説から、まさか中谷 董子との百夜通いを思い出させてくれるとは予想だにしなかった……。