1.古傷
キツネが道路を横切ったので、軽く車のブレーキを踏んだ。
艶のある赤みがかった体色のホンドギツネは、我関せずといった調子で河原から道をトコトコ渡り、山の方へかけあがっていく。
愛知県一宮出身の村上 将生からすれば、その野生の歓迎に驚かずにはいられない。
2020年の10月半ばだった。日中の風も冷たさを増し、キツネが分け入っていった山手にも秋の彩りが広がりを見せていた。
5年に一度行われる国勢調査のため、国道169号沿いの和歌山県新宮市熊野川町九重を訪れていた。和歌山の東南端から北西の熊野川沿いにさかのぼり、さらに支流である北山川を北上し、九重トンネル手前すぐ左手の集落だった。トンネルを越えればすぐそこは奈良県だった。
調査と言っても、あらかじめ前回に調査票を配布してあったのだ。
地域住民が書類にちゃんと記入しているかチェックし、回収する作業である。抜けがあるならば、説明し付け足すにすぎない。
調査票は郵送はもちろん、2015年に実施されたときからはインターネットによる回答もできるようになったとはいえ、いまだ山間部は調査員が一軒一軒民家をまわり、回収しなくてはならなかった。
不在の場合、ふたたび訪ねなければならない手間もかかるため、決して楽な仕事ではない。
ましてや村上はある事件に巻き込まれた後遺症で、片脚が不自由だったため杖は必須だった。それに軽い記憶障害と、うまく発音できない失語症まで尾を引いていたので、片時もメモ帳は手放せない。もっとも、仕事をする分においては、古傷はさほど苦にしていなかった。
ある一軒家の縁側で、調査票を確認したあと、独り暮らしの老女が出してくれた緑茶をいただいた。
しばらくのあいだ、談笑した。
ふいに遠く、北山川を挟んで対岸の山際に、古ぼけた数軒の家を見つけた。
あちら側は三重県熊野市紀和町花井のはずだ。とはいえ花井集落でも、飛地のように北側に離れた位置にポツンと建っているのだ。
川の上を行き来できる橋も見当たらない。蛇行する川のカーブの内側に砂利の浜が広がり、その山との境に民家が張り付いていた。なんとも辺鄙な集落である。
花井から浜伝いに行こうにも、川はぐねぐねしているため、流れがぶつかる箇所は浜が途切れ、急な崖っぷちで閉ざされ、とてもたどり着けそうにない。それとも山の中に陸路があるのだろうか?
スマートフォンをタッチし、グーグルマップを見ると、花井の隣に位置する離れ小島のような集落である。
この北山川が800メートルほど北へ流れたのち、ヘアピンカーブして奈良県吉野郡十津川村竹筒方向に流れているようだ。
集落を築くには、お世辞にも立地条件のよくない場所に位置していた。はたして向こうの集落は機能しているのか。
村上はあくまで和歌山県の熊野川沿いの調査を任されてあったので、そちらへ渡る必要はないが、素朴な疑問を抱いた。花井は背後の半島っぽい山を二分して三重と奈良に分かれ、辛うじて川沿いは和歌山も境にかかっており、3つの県にまたがる特殊な土地だった。
ためしに人のよさそうな老女に聞いてみた。
「あれが百夜月ですよ」
返ってきた答えがそれだった。
「ももよづき?」
「百の夜の月と書いて、百夜月」
やはり百夜月は、紀和町花井集落の小地名にすぎないらしい。
老女が知るかぎり、現在は誰も住んでおらず、2006年に最後の住民男性が脳梗塞で倒れ、そのまま立ち退いた。5年後には亡くなったようだ。
いまはその息子らが、ときおり集落を訪れ、自宅や墓、小さな寺を管理しているのだとか。あるいは家のそばにはわずかばかりの梅畑があるらしく、その世話に定期的に通っているという。したがって、百夜月は無人の集落である。
紀和町花井自体へ行くには三重県側から県道を通じてアクセスできるらしい。道はこのへん一帯すべてに言えることだが、うねうねと曲がりくねったうえ、アップダウンもあって、たどり着くまでが大変のようだ。
それはわかるとして、はたして百夜月へ行くには――?
「百夜月か。なんとも風流な名前ですね。――もしかしてなにか、謂れが?」
「それがね」80すぎの老女は縁側から身を乗り出し、指さした。「ドラマチックなんです。あそこにはね、男と女の切ない悲恋伝説が昔から伝えられているの」
「悲恋伝説ですか。興味深い。あの、お時間よろしければ、その話、聞かせてくれませんか」
と、村上が水を向けると、老女は嬉々として笑い、こんな話を聞かせてくれた。