第9話 新たな火種の幕開け
冬夜たちが楽しそうにパン屋へ向かい始めたころ、世界の理の外にある別空間には雪江と瑠奈の姿があった。真っ白な空間内のある一点を二人は揃って見つめていた。
「……来ました」
瑠奈が呟いて雪江に目配せした時、何もない空間に一筋の切れ目が出来る。少しずつ大きくなる切れ目から人影が出てきた。
「あら? お二人にお出迎えされるとは……こんな歓迎はうれしいですね、アビー」
「本当ですわ! 久しぶりに楽しい遊びができそうですね、お姉さま」
現れたのは先ほど冬夜たちの前から姿を消したノルンとアビー。
「まさか私が幾重にも張った結界をこんなに早く突破してくるとは……さすが魔法を消し去る者ですね」
「褒めていただけるなんて嬉しいですわ、精霊の魔術師さん。あなたとの戯れは本当に心躍りますから」
「できることなら、あなたとはあまり関わりたくないのですが……」
褒められたことに対し、子供のように無邪気な笑顔を浮かべるアビー。その様子を見た雪江の表情に変化はないが、声色に心底嫌そうな雰囲気が漂う。すると今まで静かに見守っていた瑠奈が口を開く。
「あなたたちがここに来たということは……冬夜たちとの話し合いも終わったということでしょうか?」
「さすが瑠奈さんですね。すべてお見通しというわけですか」
アビーの隣にいたノルンが薄ら笑いを浮かべ、感心したような雰囲気を醸し出す。
「あなた方の起こす行動などすべてお見通しですよ。しかし、思ったよりも早く現れたところを見ると、イレギュラーなことが起こったのではないでしょうか?」
瑠奈が放った指摘にノルンの眉がわずかに動く。
「さあ、どうでしょう? 何事にもイレギュラーはつきものですから……」
「そうですか。わずかですが……声に焦りが滲んでいますよ?」
わずかな変化を見逃さなかった瑠奈。鋭い一言に対し、珍しく感情が表に出始めるノルン。
「チッ……私としたことが飛んだ失態でしたね、人間ごときに指摘されるとは……」
「あらあら、いつも冷静沈着なノルンさんにしては珍しいですね?」
「見苦しいところを見せてしまいましたね……あまりに鋭い指摘だったので少し驚いてしまいました」
表情に変化は見られないが、肩を小刻みに揺らしながら必死に怒りを抑えるノルン。
「ごめんなさい。まさかこんな安っぽい挑発に乗っていただけるとは思っていなかったので……つい、あなたとの会話を楽しんでしまいました」
「……」
無視を決め込むノルンに、瑠奈が不敵な笑みを浮かべてさらに煽り始める。
「返答がないところを見ると真実に近かったようですね。ではもう少しだけ私の推測にお付き合いいただきましょうか。あなたはクロノスの計画を止める名目で、冬夜たちに近づいた。響が偽物の虚空記録層を見せられて利用されていることは伝え、さらに創造主を欺いて計画を進めようとしていると煽った……真の目的を進めるために。なぜならあなたたちの狙いは冬夜とメイちゃん、そして……」
「それ以上は言わせませんよ!」
さらに話を続けようとすると、珍しく感情を露わにしたノルンが右手を縦に振り抜く。同時に瑠奈がわずかに体を反らすと、風圧で切られた数本の髪が宙を舞う。
「あら……まだお話の途中ですよ?」
「ふふふ……あなたは少し知りすぎてしまったようですね。どこからの情報かわかりませんが、ゆっくり聞かせていただくとしましょうか?」
先ほどまでの余裕は消え、殺気立った目で瑠奈を睨みつけるノルン。その様子を気に留めることもなく右手を顎に当て、少し困ったような表情を浮かべる。
「弱りましたね……私はただ自分の考えを語っただけですよ?」
「それは少々無理があるお話ではないでしょうか? いくら世界の理から外れた存在であるとはいえ、すべての計画をうかがい知るなどということは不可能です。誰か情報提供したものがいるとしか思えません」
「なるほど、たしかにそう考えるのが妥当ですね。あ、そうそう……少し前、私にちょっかいかけてきた威勢のいい男の子がいましたね。まあ……勢いだけでは私の口を割らせるのは難しかったようですが」
瑠奈が左手をかざすと何もない空間がわずかに歪み、中から茶色い布切れを取り出す。それを見たノルンは一瞬目を見開き、すぐに笑い声をあげる。
「ふふふ、そういうことだったのですね。あのバカは本当に余計なことばかりしてくれます」
「まったく人の話を聞いてくれなくて困りましたよ。『虚空記録層のところに案内しろ! お前たちなんかと話している時間はないんだ!』って……私も少々運動不足でしたので、ちょっとお遊びに付き合っていただきました」
「そうですか、さぞ楽しかったでしょうね」
ノルンが言い終えると同時に姿が消え、瑠奈の目前に現れる。その勢いのまま、彼女の喉元めがけて手刀を繰り出した。
「隙ありですわ」
瑠奈の首筋を横一線に切り裂いた……はずだった。だが、その姿はまるで蜃気楼が消えるように景色に溶けていった。
「さすがセカンドを名乗るだけあって、速度や急所を狙う正確さが段違いです」
「お姉さま、助太刀いたしますわ」
ノルンの背後に現れると、地面に映る影に向かって手に持ったダガーを突き立てようとするアビー。影に刃先が触れる寸前、何かが飛び出すと状況を見守っていた雪江の隣に現れる。
「瑠奈さん、腕はまだ衰えてなさそうですね」
「はい、お義母様。私にはやるべきことがありますから……それに彼女たちときちんと決着をつけておかねばなりません」
「そうですね。冬夜たちが間違った方向へ進まないためにも、ここが踏ん張りどころですから……」
二人は視線を合わせると軽く頷き、ノルンとアビーに向かって構えをとる。
冬夜たちの知らぬところで、新たな戦いが始まろうとしていた。




