第1話 紫雲のミッション
深夜の学園長による襲来、さらにリーゼの暴走に巻き込まれるという怒涛の二日間に疲れ果てていた冬夜。
自室のベッドの上で幸せなひと時を過ごしていたのだが、その時間も長くは続かなかった。
「おい、冬夜! いつまで寝てるんじゃ、さっさと起きんか!」
「……うーん、もうお腹いっぱい……あ! じいちゃん、その唐揚げは俺のだ!」
「何を言っておるんじゃ……寝ぼけておらんと、さっさと目を覚まさんか!」
「あ、俺の唐揚げ……いてっ!」
紫雲がタオルケットの端を勢いよく引っ張ると、冬夜がベッドから転げ落ちる。そのまま床に頭を打ち付けたところでようやく目を覚ました。
「いってぇ……何すんだよ、人が気持ちよく寝ていたのに……」
「何度声をかけても起きん冬夜が悪いんじゃろうが。ほれ、さっさと着替えて朝ごはんを食べてこい。もうみんな動き始めとるぞ」
「え? こんな朝早くから?」
「何を言っておるんじゃ……もう九時過ぎじゃぞ?」
「は?」
転がっていた目覚まし時計を拾いあげ、時間を見た冬夜の顔が引きつる。
「九時二十分だと……いやいや、そんなはずはない。スマホのアラームも止まっている……きっとこの目覚まし時計が壊れてるんだ!」
「何をバカなことを言っておるんじゃ。自分でベッドから叩き落としたんじゃろ。それにスマホは電源が切れて真っ暗になっておるぞ?」
「うそだ! 昨日寝る前にちゃんと充電して……って充電器側のケーブルが抜けてるだと……なんで? どうして?」
「……スマホを見ながら寝落ちしたんじゃろ。寝返り撃った時にでも引っ張って抜けたとしか考えられんな」
指摘を受けてしばらく考え込んだのち、記憶が甦ってきた冬夜の顔に冷や汗が流れ始める。
「そうだった……せっかく実家に帰ってきたから、メイたちを案内しようといろいろ調べている途中で……って、電源落ちたら調べたデータ見れないじゃねーか」
「お前のことだからそんな事じゃと思ったわ。それで、メイちゃんと何か約束しておったんじゃないのか?」
「あー! 一緒に母さんの墓参りに行こうって約束してたんだ。その帰りに近くのパン屋に行きたいって……ヤバい、約束の時間が大幅に過ぎてる!」
再び時計を見た冬夜の顔からどんどん血の気が引いていく。慌てて着替えの服を取りに行こうとして、タオルケットに足が絡まった。そのまま床に顔面を打ち付けると、あまりの衝撃に大きな音と振動が家の中に響く。
「ものすごい音がしたけれど……冬夜くん、大丈夫?」
すぐに階段を駆け上がってくる足音が聞こえ、心配そうな顔をしたメイが部屋の入り口から顔を覗かせた。
「ああ、ちょっと転んだだけだ。それよりもメイ、寝坊してごめん! すぐに着替えて下に降りるからキッチンで待っていてくれないか?」
「うん、でも大丈夫? おでこも赤くなって……」
心配したメイが部屋に足を踏み入れようとした時、紫雲が優しく声をかける。
「メイちゃん、心配することはない。寝坊した冬夜が悪いんじゃからのう。さて、ワシらはキッチンで朝のティータイムにせんか? たしか戸棚の中に美味しい紅茶があったはずじゃ」
「じいちゃん、それってばあちゃんが大事にしている紅茶じゃないの? 見つかるとまた怒られるんじゃ……」
「少しくらい飲んでも罰は当たらんじゃろ。こんなかわいい孫の友達が来てくれているんじゃ。それにばあさんは朝から出かけておるし、しばらく帰ってこれんから大丈夫じゃ」
「いや、絶対あとでばれるやつだろ……」
まるでいたずらを思いついた子供のような笑みを浮かべる紫雲。部屋の入り口に立つメイに視線を送るとゆっくり歩き始める。
「そんなことよりも早く着替えて降りてくるんじゃぞ。メイちゃん、ゆっくり待っていようかのう」
「はい、わかりました。冬夜くんも慌てずに来てね。弥乃さんが朝ごはんを用意してくれたから」
「ああ、着替えと片付けが終わったらすぐ行くよ」
冬夜が声をかけると笑顔で手を振り、階段を降りていくメイ。紫雲が後を追うように部屋から出ようとして、何かを思い出したかのように声をかける。
「そうじゃった、メイちゃんと出かけた時にワシのおやつも買ってきてくれんかの?」
「じいちゃん、レアさんからたくさんお土産のお菓子貰っていたじゃないか」
「それはそれ、これはこれじゃ。ばあさんにお土産は回収されてしまって、どこに隠されたのかわからんからな。ほれ、昔よく連れていった駄菓子屋があるじゃろ?」
「ああ、公園の向かいにある駄菓子屋か。懐かしいな」
紫雲の言う駄菓子屋とは、数々のバトルが繰り広げられた公園の東側にある店のことだ。冬夜も物心つく前から紫雲たちと通っていた思い入れがある場所だ。
「そうじゃ、重要なミッションじゃからな。お前らも好きな物を買っていいんじゃぞ」
「何がミッションだよ……まあ、じいちゃんの好みはわかってるから任せておいてよ。ソフィーや美桜ちゃんにはおまけ付きのお菓子がいいかな」
「そうじゃぞ、ワシのようにお菓子道を極めようと思うとなかなか険しい道のりじゃからな」
「なんだよ、お菓子道って……」
腕を組んで高笑いする紫雲とは対照的に、右手を額に当てて大きなため息をつく冬夜。満足げに部屋から出ていこうとした紫雲がふと足を止めた。途端に部屋の空気が一変し、張り詰めた緊張感が支配する。
「おっと、肝心なことを言い忘れておったわ。冬夜、帰ってきたらメイちゃんと二人だけで座敷に来るんじゃぞ。お前たちに伝えておかねばならんことがある」
先ほどまでの笑顔は消え、有無を言わせない圧力を纏う紫雲。
「いいか、たとえ信頼できる学園の友人であろうとも知られてはならぬ、わかったな」
「……はい」
今まで見たことも無い迫力に圧倒され、小さく返事をするのが精いっぱいの冬夜。
紫雲が人払いをしてまで二人だけに伝えたい内容とは……?




