第17話 幕を開ける茶会(前編)
不穏な空気が室内に流れ始めたことなど気にも止めず、茶菓子を一口食べた紫雲が声を上げた。
「なんじゃ、これは! めちゃくちゃ旨いぞ、このお菓子!」
「ありがとうございます。我が芹澤グループが秋に発売する予定の新商品をお持ちしました」
「そうか、土台となるタルト生地の焼き加減も良い。生クリームも甘すぎず、生地とクリームの間にある不思議な餡のうまさを最大限に引き出しておる!」
「生クリームは砂糖の使用量を控え、さっぱりとお召し上がりいただけるようにレモン果汁を少し入れたと聞いております。また、餡はサツマイモを炭火で焼き上げ、裏ごししてペースト状にしたものをベースに使用しております」
「じゃろうな! そこまで手間をかけねばこの滑らかさは生まれん。ところでこの生地にも秘密がありそうじゃな?」
「はい! 良くぞ聞いてくれました! この生地を編み出すための機械は自分が開発したものです! なんといってもその秘密は……」
お菓子を頬張りながら幸せそうな紫雲を誘導し、質問の矛先を変えた玲士。意気揚々と説明を始めようとしたところで横やりが入る。
「お二人とも。語り合うのは結構ですが、お菓子の批評を聞くために集まったわけではありませんよね?」
隣に座る弥乃から冷ややかな声が紫雲に突き刺さる。
「いや、ほらアレじゃよ。長旅で疲れた皆を和ませようという……それに美味しいお菓子を食べるなら笑顔が一番じゃろ?」
「師匠、さすがでございます。緊張しているであろう子供たちを気遣い、必死に和やかな場を作ろうとされていたのですね」
「そ、そうじゃとも、やはりこの場を仕切る者としては当然の行いであろう! じゃから弥乃ももう少し笑顔になって……」
「楽しそうにしていたのは師匠と玲士くんだけでしたが?」
「そ、そんなはずは……」
弥乃の言葉に慌てた様子で紫雲が室内を見渡すと、玲士の隣で静かにお茶を飲む言乃花。反対側には黙って笑顔を浮かべているメイと呆れた様子で白い目を向ける冬夜。
「紫雲さん、副会長とのお話は終わりましたか?」
座卓へ湯呑を静かに置くとゆっくり目を開け、紫雲の方へ向き直る言乃花。ほほ笑んでいるが、向けられた視線には無言の圧力がのしかかっている。
「そ、そうじゃな……楽しみにしていたお菓子じゃったからついテンションが上がってしまったわい」
「私も頂きましたがとても美味しいですね」
「そうじゃろう! こんな美味しいお菓子を前にしたら心躍ってしまうわい!」
「そのお気持ちはわかりますが……そろそろ本題のほうに入っても宜しいですよね?」
再び言乃花から凍てつくような視線を向けられ、思わずのけ反りそうになる紫雲。
(視線だけでこの圧力……さすが弥乃の娘じゃ。もう少し話題をずらしてからと思ったが……仕方がないのう)
小さく息を吐いてお茶を啜ると、先ほどとは打って変わった真剣な表情になる紫雲。和やかな雰囲気は一変して緊張感に包まれ、全員の視線が集まるとゆっくりと口を開いた。
「改めてになるが、長旅ご苦労じゃった。二つの世界を渡り歩き、貴重な経験をしてきたことであろう。本来であればじっくり聞いていきたいところじゃが……どうやら皆がワシに聞きたいことがありそうじゃしな。ワシのわかる範囲で答えていこうと思う」
紫雲が言い終えると同時に、先陣を切って言乃花が手を挙げた。
「早速ですが、私の方から質問させて頂きたいと思います。ヘリポートでレアさんを圧倒されていましたが、一切の魔力、殺気や気配すら感じられませんでした。魔法を使おうとすればどれだけうまく隠そうとしても、魔力の残滓が残るはずです……痕跡を全く残さずに魔法を使うことなど可能なのでしょうか?」
「なかなか鋭い質問じゃな。よく鍛錬し、勉強してこなければ疑問に思うことも無かったじゃろう」
言乃花の質問を聞いていた紫雲は顎に手を当てると大きく頷き、驚いたような表情になる。少し考えるように俯くと言葉を選びながら話し始める。
「魔法を使用すれば魔力の残滓が少なからずその場に残ると言いたいわけじゃな?」
「はい。様々な文献を読んで試してみましたが、どれだけ出力を押さえても残ってしまいました。ましてや高火力の魔法を使おうものならば……」
「うむ、基本的な考え方は間違っておらんから大丈夫じゃぞ。じゃがな……大きな見落としをしておるな」
「見落とし……ですか?」
紫雲の言葉に目を見開く言乃花。
「そうじゃ。魔法を使うと残滓が残ってしまうという事が当たり前じゃと思っておらぬか?」
「違うのですか? 空間に放たれれば拡散は避けられないのではないでしょうか?」
「ふむ……ワシの聞き方が悪かったかもしれん。どうして拡散が起こってしまうのかを考えてみてはどうじゃろうか?」
「どうして拡散が起こるか……」
俯きながら考え込んでしまった言乃花を見て、紫雲が全員に声をかける。
「いい機会じゃからみんなも考えてみてくれんか? いろんな意見があった方が面白いからのう」
弥乃を除いた全員が一斉に真剣な表情で考え始めた。
「魔法を使うと何が起こる? うーん……」
「そういえば冬夜くんが使った新魔法だっけ? すごくキラキラした花びらが舞って綺麗だってレイスさんが言ってたよ。もしかして何か関係があるのかな?」
(キラキラした軌跡……響さんの襲撃の時の話よね? あっ!)
冬夜とメイの会話を聞いた言乃花が顔を上げると紫雲が声をかけてきた。
「お? なにか閃いたようじゃな?」
「はい、魔法が放たれた後に拡散が起こるという事は……余計な魔力を使っているという事ではないでしょうか?」
「その通りじゃ、よく気が付いたな」
言乃花の返答を聞いた紫雲は笑みを浮かべて大きく頷く。
「魔力と体力はよく似ておると考えると良いじゃろう。無駄のある動作で動き続ければ息切れをするように、魔法も使い続ければ同じことが起こる。特に若い時は大技に頼りたくなるからのう、そうじゃろ? 弥乃」
「お恥ずかしい話です。昔はレアさんやリズさんのように大技を繰り出すのがカッコいいと思っていましたので……」
「アイツ等は体力も魔力もけた違いじゃからのう」
「お母様が? 普段の稽古でも必要最小限の動きで無駄がないのに……」
恥ずかしそうに口元を押さえて話す弥乃を見て、勢いよく座卓に手をつく言乃花。
「どうしたんじゃ? そんなに驚くようなことではないぞ」
「で、ですが……あまりにも意外過ぎて……」
口をパクパクさせている言乃花を見て、目を細めると険しい表情になる紫雲。
「この程度の話で驚いているようではまだまだじゃな……それではワシから忠告しておいてやろう。冬夜、お前もちゃんと聞いておくんじゃぞ」
「うん……わかった」
冬夜たちが真剣な表情を見せた途端、まるで外部と遮断されたように音が消えた。
「現状に満足しているのであれば……お前たちに勝ち目はない。この先、生き残る事すら難しいじゃろう。たとえ最後の切り札である『魔科学』が完成してもな」
空間を蝕むように重苦しい空気が立ち込め、冬夜たちを包み込む。
いったい紫雲には何が視えているのか……




