第5話 謎の女性『レア』
謎の女性に話しかけられ、驚きながら答える冬夜とメイ。
「いろいろ教えて頂いて、ありがとうございました」
「ありがとうございました」
「うんうん、二人とも良い返事だわ。おやつも美味しかったでしょう? うちのパティシエが作るお菓子はどれも絶品だからね! ただ困ったことがあるのよね」
腕を組みながら眉間にしわを寄せて答える女性に対し、冬夜が問いかけた。
「困ったこと……ですか?」
「どれも美味しすぎてついつい食べ過ぎちゃうのよ。だから、ちゃんと体を動かさないと太っちゃうでしょ? ほら、私は世界を飛び回ってるから運動不足になりやすいのよ。だからちょっとレイスくんに付き合ってもらったの、ね? レイスくん?」
「ちょっとというレベルじゃないっすよ……レアさん」
肩で息をしながらレイスが声を絞りだすように答える。全身から汗が噴き出し、普段の明るい様子は鳴りを潜めている。そのとき冬夜の背中で寝ていたはずの美桜がレアに見つからないようにこっそり忍び足でその場を離れようとしていたのだが……
「あら? 美桜ちゃんじゃない!」
「『みお』ってどなたのことでしょう? 私は『みざくら』という者です。人違いなのです」
「何を言ってるのよ! さっきまでおやつを食べ過ぎて動けなかったのは誰だっけ?」
「な、なんで美桜のとっぷしーくれっとを知っているのですか?」
「やっぱり美桜ちゃんじゃない! さっき言乃花ちゃんから伝言があったのよ。『美桜がおやつを食べ過ぎているのでちょっと運動させてきてください』って」
「……は、はめられたのです! ひどいです! お姉ちゃんは美桜を売ったのです!」
レアから言乃花の根回しがあったことを聞かされ、慌てふためく美桜。
「美桜はもう大丈夫なのです! あと少しお散歩すればすぐお腹ペコペコになるので問題ないのです!」
「あらそうなの? 実は今日の夕食に美桜ちゃんが大好物のハンバーグをたくさん作らせているのだけれど」
「ハ、ハンバーグ!! そんなにたくさんあるのですか?」
「もちろん、好きなだけ食べていいのよ。あ、でもそのお腹だと食べられないわよね? 残念だわ、デザートのフルーツもたくさん用意させたのに……」
「フルーツも!? なんだか美桜は急に運動をしたくなってきたのです!」
レアから飛び出る甘い言葉に目をキラキラ輝かせていく美桜。ここでダメ押しの一言が飛び出る。
「そうそう、さっき佐々木から今日の夕食から新作のケーキを出すって聞いたわね。すごく可愛いうさぎさんの形をしているみたいなのよね」
「うさぎさんのケーキ!?」
「そうよ、ようやく完成した新作なんだって。グルメな美桜ちゃんなら……発表前に食べたいわよね?」
「食べたいです! 美桜の厳しい味覚でチェックしてあげないとダメなのです! これは戦いなのです!」
「じゃあ戦いの前にしっかり準備運動しておかないといけないわよね? 冬夜くん、メイちゃん、ソフィーちゃん。美桜ちゃんをちょっとお借りするわね」
「あ、はい、どうぞ」
「美桜ちゃん、頑張ってね」
「一緒にうさぎさんのケーキを食べようね!」
同意を求められて慌てて答える冬夜と笑顔でエールを送るメイとソフィー。三人の了承を得たことを確認すると口元を吊り上げ、いたずらを考えついた子供のような笑みを浮かべる。
「あ! 美桜はすごく重要な用事を思い出したのです。すごく申し訳ないのですが、急いで向かわないといけないのです!」
レアの表情を見た美桜がハッと我に返ると慌ててその場を離れようとしたが、時すでに遅し。
「美桜ちゃん、重要な用事って何のことかしら?」
音もなく美桜の背後に回り込み、両手でがっしり両肩を掴んでいるレア。笑顔と共に全身からオーラが立ち昇り、身動きが取れないほどの圧が放たれる。
「……美桜ちゃん、観念したほうがいいっすよ」
少し息が整ってきたレイスがあきらめたような表情で美桜へ話しかける。
「レイスお兄ちゃん……美桜を裏切るのですか?」
「言乃花さんの根回しがされている以上、逃げることは不可能っすよ……では自分はこの辺りで失礼……」
「何を言っているのかしら? レイスくん、あなたも付き合ってもらうわよ。イノセント家の次期当主が甘ったれたことを言わないわよね?」
「……マジっすか……」
「そうと決まれば出発! さあ、楽しい運動の始まりよ!」
がっくりと項垂れるレイスとは対照的にテンションが高く上機嫌なレア。右手で美桜、左手でレイスの首根っこを掴むと二人を引きずりながらプールのある方向へ歩いていく。
「いったい何だったんだ……大丈夫なのか? あの二人は……」
「美桜ちゃん、頑張ってね!」
「ファイトだよ! 美桜ちゃん」
連れ去られていく様子を呆然と見送る冬夜とは対照的に両手を力いっぱい振り上げて笑顔で見送るメイとソフィー。
「美桜ちゃん、レイスさん! しっかりしてください!」
数時間後、冬夜たちが夕食のために食堂へ行くと、室内に設置された二十人掛けテーブルの下座の椅子で、テーブルに突っ伏したまま動かない美桜とレイスの姿が……
「全く、ちょっとプールで泳いだだけなのに、今の子たちは体力がないわね」
「あ、あれはちょっととは言わないのです……」
「二時間休憩なしで泳ぎ続けられるのなんてレアさんだけっすよ……」
上座に座るレアは晴れ晴れとした表情をしていた。
一連の騒動がこれから始まる波乱に満ちた夕食会の序章であることに冬夜たちはまだ気が付いていなかった。




