喪失感
第 5 章 奪還
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……懐かしい。
見下ろす風景に涼介の心がほころんだ。
横浜市青葉区の住宅街で、建て売りながらも立派な一戸建てだ。『昴』の表札がやけに懐かしい。
と、門の向こうのドアを開け、小さな少年が飛び出した。
青のキャップに、小さなリュック。
……あれは。
「涼介!こら、一人で行くな!」
中から呼ぶのは……洋介兄さん。
「直哉くん呼んでくるだけ!」
これは…… 16 年前のあの日。町内会で丹沢へキャンプに出た朝だ。
これは悪夢!この日さえなければ。
……行くな!
止めたくても、体が動かない。
「いいじゃないですか。私たちも出ましょう」
中より優しい声が。
胸を締め付けるこの声は……母さん。
『起きろ』
やだ、もう少しだけ。
『藤岡涼介、起きろ!』
起きたくない!
父さん、母さん……夢の中でもいい、逢いたい。幻聴だって構わない、もう一度あの声を!
戸口に影が……直後、顔面を襲った衝撃に夢が途切れた。
「起きたな?」
言いようのない喪失感が胸を襲う。
「なんで、なんで起こすんだよ……」
再び顏を殴られた。
「甘ったれるな!」
- 陸上自衛隊朝霞駐屯地 -
埼玉県朝霞市の川越街道沿い。首都高外環と交差する、練馬に近い土地柄。この辺りは、駐屯地と理化学研究所がある他、目立った施設のない平地である。
「どうだね、彼は」
指令部西棟の監禁室。実験器具を大量に持ち込んだ監禁室に、自衛隊には似つかわしくない肥満男、渡瀬良樹が顏を出す。
元 GDS 業務管理官。未だ内閣の犬であることに変わりはない。
「長官代理、わざわざ……」
モニターを見入る隊員が起立して敬礼した。
……代理。そうなのだ。自衛隊管理下に置かれた GDS の長官代理が、今の渡瀬である。
「構わんよ。4日経つが、何か変化は?」
「いえ、中々機甲体にはなりません。それどころか……」
視線の先、モニターには涼介の姿があった。
ただ、ベッドに丸くなり、咽ぶように震える涼介の姿。
「心理的につつけば機甲体に変化すると思ったがな。どうしてもあの秘密が欲しい。続けろ」
「はっ」
敬礼に見送られ、渡瀬は退室した。
……果たして。
GDS を統べる重責にある渡瀬は眉を寄せた。
つい先程、各国 GDS 支部に提案し、その事案が可決された。 Pavor の楔、トランスプラント・セルを破壊し、機甲体を殲滅せよ。
日本で、千代田区で出来たのだ、支部のAMでも可能な筈だ。及び腰だった各支部が、その事例に勢い付いた。
しかし、異様な不安と重圧が両肩を襲う。
……待つのが耐え難い。
丹沢の本部を離れた理由がそれだった。だからこそ、涼介の、 Pleiades の秘密が知りたい。あの力が欲しい。
「最強の力が……」
- 丹沢、 GDS 本部医務室 -
右手が温かい。
苦しみの中に、暗闇の中に、そこにだけ仄かな灯があるような……。
香織はつられるように近寄った。
「香織!」
悲鳴にも似た呼び声に、その灯が全体を照らし始めた。
……あの声は。
「……お父さん?」
光が戻る。
目を開くと、白い天井を背景に、父、赤城修三が覗き込む姿が写る。
「やだ……覗きに来ないでよ」
寝惚けていた。しかし……。
「先生、小林先生!香織が目を覚ましました!」
途端に寝床が騒がしくなり、香織はあの瞬間を思い出す。
「……あたし!」
勢い半身起き上がると、体の内から鈍い痛みが滲み出た。
「っくぅぅぅ」
「む、無理するな。今先生が来る」
いつもはしかつめらしい表情で部下を叱り飛ばす赤城だが、今は娘を前にした、ただの無力な父親だ。
腕には点滴、指より心搏を計測されていた。
……あたし、どうなってたの。
「長官、騒がないでも聞こえますよ」
カーテンで仕切られた診察室より、小林医局部長が現れた。しかも、白木や東山技術部長、そしてなぜかシン・オルコックや東郷隊長まで……。
「え、え、な、なに……」
香織は無意識に毛布を胸元に手繰り寄せた。
「これ君たち、女性の診察に顏を出す物じゃないですよ」
「そうだ、香織は見世物じゃない!」
「長官、貴方もです」
「おいおい、父親だよ」
しかし、小林の無言の圧力に屈し、全員引き連れカーテンの向こうに引き下がる。
「あの、これって……」
「君が死にかけていた間、色々あってね」
香織は開いた口が塞がらなかった。
「死にかけた !? 」
香織の背に聴診器を当てつつ小林は頷いた。
「骨折はなかったものの、衝撃で脊柱が大きく歪み、呼吸不全、心不全。しかも内臓への衝撃で弱っていた」
香織を横にし、腹に圧をかける。
「あの時の……」
「奇跡だよ」
ほっと息を吐く。
「AMの解析によると、咄嗟にフィールドを一点に集中させ、更に Syleus に涼介くんが体当たりしたことで衝撃が激減したそうだ。直撃だったら即死だよ」
そう、死んでいてもおかしくなかった。香織の頭にあの場面が強烈にフラッシュした。
「涼ちゃんは !?Syleus を倒したんですか !? それに……」
さっき集まった顏ぶれに、涼介と恵美の姿がないことを思い出す。
「涼ちゃんがいない……それに恵ねぇ!」
いや、それより……。
「どうして幹部の人たちがこんな所に集まってるんですか !? 」
不意に注射器を取り出した。
「あ……せ、先生、あたしそれ苦手……」
しかし容赦なく香織の腕を取り、針を刺し込んだ。
「もう少し休みなさい。話はそれからです」
柔らかく微笑む小林の顏が、鎮静剤の効果で白く霞んでいった。




