明日は雨か
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Now,at present(現在)
- 大根大学八王子校舎 -
夕焼けに赤く燃える空に、一文字の飛行機雲。遥か上空で延び続けるそれは、金色に輝いていた。
「明日は雨か」
4 階の教室で、彼は小さく笑みを浮かべた。
大根大学八王子校舎。
既に学生の姿はまばらである。
「涼ちゃん、帰らないの?」
彼、藤岡涼介が振り返ると、戸口で髪の長い少女が首を傾けていた。
「香織さぁ、ちゃんで呼ぶのやめようよ。俺、男だよ」
赤城香織。同学年であり、家も隣の仲である。
家……とは言っても、彼にとっては本当の家ではない。
記憶と家族を失った涼介を、養父の藤岡尚志が引き取ったのである。
ただ……藤岡が引き取る経緯に、政治的思惑と期待も込められていたのだが。
15 年前のあの日、正体不明の物体が落下した丹沢。その内部で冷凍睡眠状態で発見されたのが涼介だった。謎の鍵として覚醒を急がれたが、目を醒ましたのが 5 年前。保存システム、回復力など奇跡と言っても過言ではない状況であったが、重要な物が欠けていた。
……記憶。
以前の記憶が欠落していたのだ。そこで、保護観察の意味も込め、当時の調査団である藤岡元教授が引き取り、現在に至っている。
「ダメダメ。涼ちゃんにカッコイイ呼び方は似合わないよ」
香織に明るく言い放たれた涼介は、しかし苦笑を浮かべた。
「ま、しょーがないか」
鞄を持って教室を出た。
「今日は年1の検診だから、先帰ってていいよ」
後に続く香織は一瞬呆と視線を泳がせた。
「そっか、ねぼすけ涼ちゃんが起きて、もう5年か。いいよ、付き合う」
「来ても面白いことないけどなぁ」
香織は首を傾げ、涼介を覗き込む。
「保護者だよ」
別に涼介が頼りない訳でも、香織が大人びている訳でもない。ただ、やはり記憶のない涼介に対する保護意識なのだろう。
「記憶、戻るかなぁ」
廊下を医務室に向かう香織の呟きに、しかし当の本人は、
「まぁ、なるようになるって。それにしても、今時記憶喪失だもんなぁ」
気楽に笑う涼介へ一言、
「自覚がない!」
校庭に植わる楠木の枝が、ざわりと揺れた。
枝振りの多いそれの、一部が僅かに、ほんの僅かに不自然な色を見せていた。
「あはっ。気楽だねぇ、ひとの気も知らないで」
髪を後ろで無造作に束ねた女性が苦笑した。
インカム一体型のスコープを覗きこむ彼女、その身は森林迷彩のツナギを着込んでいた。
デジタルスコープに表示される情報に、素早く視線を走らせる。
……異常なし。
映像に合わせて耳に届く音声……他愛ない会話にも特記事項はなかった。
彼女は口許を歪め、インカムに苦情を漏らした。
「こちら minx( ミンクス ) 。 phantom( ファントム ) へ。異常なし。いつまで監視すんのよ」
『 phantom だ。真面目にやれよ』
彼女は、ふん、と息を吐く。
「あたしは地味なの向かないのよ」
『先刻承知だ。ただな、 joker( ジョーカー ) もそっちだ。抜かるなよ』
「あらま……。大げさね」
『どうもパラナル天文台から嫌なデータが来たらしくてね。 spade( スペード ) が現地とやり合ってる』
「それホント?詳しく教えなさいよ」
彼女の口許が明るく微笑んだ。
『やけに嬉しそうだな』
「やだ、分かる?」
イヤホンの向こうで溜め息が聞き取れた。
『詳しくは知らん。 tomcat( トムキャット ) を向かわせた。それまで我慢しろ』
「りょーかい」