その犯人は。
俺は、教室に残って窓からぼんやりと外を眺めていた。
ようやく夏の暑さが去って、風にも秋の気配が混じりはじめた。あれだけ欝陶しかった蝉の喧騒も、聞こえなくなってしまうと少し寂しさを感じる。
……なんて、感傷に浸って青春を楽しんでいるわけではない。
ただ、日直日誌を書き忘れていたので放課後にダラダラ書いていたら一人教室に残っていたというだけである。
この後、部活に顔を出すのもなんだか面倒だ。今日はこのまま帰ろうかな。
クラブ、と言っても名ばかりでたいした活動もしていないし。
そんなことを思いながら帰り支度をしていたところ、教室のドアがガラガラっと開けられた。
「あ。やっぱりまだ教室にいたのね。今日、クラブに来るか聞こうと思って探しに来たのよ」
入ってきたのは、クラスメイトで同じクラブに所属している、雪川だった。
「おー。そうだなぁ。今日はサボる」
雪川は、ちゃんとクラブには出なさいよねっ! とか言うタイプの女子ではない。というか、俺の入っているミステリークラブというマイナーな集まりの中には部活に対してそんな熱い思いを持っている人はいないはずだ。
こんな風にわざわざ出欠の有無を聞きに来るなんてめずらしい。
「そう。よかったぁ。大前先輩がケーキ焼いてきてくれたんだけど、今日来る人数によって何等分に切るか変わるから」
つまり、一人でも食いぶちが少ない方が良いってことか。
帰ると言ってる俺にそのことを言うなんて、フェアなのか、嫌味なのか……。
「クラブの活動でもあるのかと思ったら、ケーキの話か」
今更ケーキ目当てにやっぱり行くとも言えず、とりあえず思ったことを述べる。
ケーキは好きでもないが嫌いでもない。
「うん、そう。まぁ、そんな顔しないで。来るんなら、ちゃんと小宮山の分も切ってあげるから」
……子どもをあやすように言われてしまった。そんな物欲しそうな顔はしてないはずだ。
「別に」
……と、子どもみたいな返事をしてしまった。返事にすらなっていないなぁ、と思いながら次の言葉を探す。
「他のメンバーは来るの?」
と聞いてみた。
「うん。もう部室に来てる。大前先輩はもちろんだけど、普段あんまり顔を出してくれない雨中先輩もふらっと来たし、いっつも真面目な後藤ちゃんは当然来てるし」
うちの弱小クラブは、今雪川が言ったメンバーで全員だ。
雨中先輩はいつも人の話を聞いてるかどうかわからないようなぼんやりした男の先輩で、他に入るクラブもないからうちに居着いているような人だ。
今年入部してきた後藤ちゃんというかわいい一年の女の子と帰りが同じバスらしく、どうもそれ目当てで最近はクラブへの出席率が上がっているようだ。でも、
「めずらしいな、そんな揃うなんて」
「そうね〜。あとは小宮山だけよ。どうする?」
念押し、とばかりにもう一度尋ねられた。
う〜ん。と、俺はもう一度迷う。特に予定があるわけではない。それは雪川も心得ているようだ。
悩んでいる俺を見て、雪川はふと思いついたように口を開いた。
「あのさ、じゃ、問題出しま〜す。答えが出たら参加する。出なかったら家に帰って考える。……ってのはどう?」
そんな提案をされた。
我がミステリークラブは、なんとなく推理小説とかが好きな人間が集まってはいるが、それについて語り合うなんていう活動はあまりしていない。部室に集まって何をしているかというと、ほとんど雑談と、各々での読書。後は古いビデオデッキで、ミステリー映画鑑賞という名のただの映画鑑賞をするくらい。
たまにお勧めの推理小説やらをまとめた冊子のようなものを作って発行しているから、なんとかクラブとして認められているようなもんだ。
その数少ない活動にも俺はあまり参加していないのだが、雪川はたまに俺に、自分が読んだ推理小説のトリックなんかを出題してくる。
だいたいすぐに解けるものばかりだが、結構暇つぶしにはなるのである。
「わかった」
短く答えて、メモの用意。
雪川は、にこっ……というよりはにやっとして、わざとらしく咳払いをしてから話し始めた。
「じゃあ、タイトルは小宮山殺人事件、ね」
つまり、俺が殺されたってことだな。縁起でもない……。
「部室で小宮山の死体が発見されたのは、早朝。刃物が胸に刺さっており、出血多量が死因よ。死亡推定時刻は昨日の夜七時頃。
時間と、部室という場所から容疑者は同じクラブの四名に絞られた。
まず、Aの言い分。『うちのクラブはいつも帰る時間は決まっていない。好きな時に帰るのだが昨日は私が一番最初に部室を出て、その後は商店街に行った。そういえば、商店街を歩くBを偶然見かけた。遠かったので声は掛けなかったが、見かけた時間が死亡推定時刻に近かったため、Bは犯人ではない』とのこと。Aが立ち寄ったという本屋では、買い物をしなかったのではっきりと事実は確認できていない。
Bは『殺していない。小宮山とは仲が良く、そんなことをする理由がない。自分はAの次に部室を後にした。商店街には行ったが、時刻は覚えていない』。部員には事実確認済み。Aの目撃情報はあるが、商店街で立ち寄った店はなく、本人が言うように時刻がはっきりしていないため確認はとれず。
次にC。『実は犯人は私です。殺すつもりなんてなかった。ふざけ合っていたら転んだ拍子に刃物が小宮山の胸に刺さってしまい、怖くなって逃げた』と供述。刃物は、当日、部員が持ってきたケーキを切り分けるために調理室から許可を得て借りてきていたもので、翌日に返す予定だったため部室内の誰でも簡単に手の届くところに置いてあった。指紋はふき取られていた。
最後にD。『私はCと一緒に部室を出て、Cと同じバスに乗って帰った。私はCよりも早く降りるので、そのバスに乗ってるCをバス停から見送った。バスの本数は少なく、死亡推定時刻に部室にいることは不可能。もちろんCに犯行はできない』。確認したところ、バスの時刻はDの言う通りのものだった。
この中で嘘をついている人が二人、それとは別に犯人が一人よ」
そこまで一気に、何かを読み上げるかのように言って、雪川は一息ついた。
「お〜。すごいな。そんだけスラスラ言えるなんて」
パチパチと、気のない拍手を送りながら俺は言った。
「何、そのテキトーなあしらい!? ちゃんと聞いてたでしょうね!?」
聞いてた。結構集中して聞いてた。メモも取った。けど……
「それ、推理っていうか、パズルだよな。嘘をついてる人が二人……って、もうその時点で枠組みができてるし」
なんて、頭でっかちなことをつい言ってしまう。言いながらも、答えを考えてるんだけど。
どうにもつっかかちゃうんだよな。
「誰も推理問題出す、なんて言ってないし。問題作るの大変だったんだから」
雪川は腕組みをして、座ったままの俺を見下ろす。
「へぇ。自分で作ったの?」
「まぁね。大前先輩と一緒に」
ああ。あの先輩、料理もできればお菓子も作れるし成績も良い美人。雪川も懐いてるもんな。
そんなことを考えながら、問題の方に意識を移した。
アリバイトリックみたいなのがあるわけじゃなく、単純なロジックパズルだろう。
自分が犯人だと言っているのが一人なのだから、まずCから考えてみる。そうなるとDの証言が嘘だな。だとするとA、Bは正しいことになり、嘘をついている人間が一人足りない。
……犯人は嘘を言っているのか本当のことを言ってるのか明示されてないんだよな。
じゃあ、次はDが犯人だった場合。とりあえずCが嘘だな。で、Cの時と同じくA、Bが正しいことになるから嘘つきが足りない。
Aが犯人だった場合、Bは本当、Cは嘘。Dは本当となり条件に合わない。
Bが犯人だったら、B自身とAの証言が嘘になり、当然Cも嘘。Dだけ正しいな。犯人とそれ以外に嘘をついてるのが二人。
うん。Bに決定だな。
CとDが帰ってから、部室に戻って来たってところだろ。
「わかった。犯人はBだ」
悪いが、結構簡単な問題だな。ひねりもないし。
俺の答えに、雪川はまるで俺がすぐに正解を言うのを予想していたかのような顔をした。
「そう。正解」
…………。
やけにあっさりしてるな。
いつも俺がそんなに時間をかけずに解くので、変なところで負けん気の強い彼女は凄く悔しがるのに。今回は、答えの根拠すら聞いてこないなんて。
「Bは小宮山に自分の想いが伝わらない事がわかり、悲しみから小宮山のことを刺してしまったのだった」
急にナレーションのような語りだ。というか、
「なんだよ、その昼ドラみたいな設定は?」
そんなことで殺されてたまるか。
俺の突っ込みに、雪川は、フフっと笑う。
「は〜い。ここで問題です」
は? 今までのは?
「もし、殺される前にBからきちんと『好きです。付き合ってください』って言われたら小宮山はなんて答える?」
「え?」
「それが、私からの問題。答えが出たら、部室に来てください。今日は読みたい本もあるし、多分、最後まで部室に残ってると思うから。あ、でも答えが出なければ今日中じゃなくていいからね」
雪川は早口にそうまくし立てると、そそくさと教室を出て行ってしまった。廊下からも走って遠ざかっていく足音が聞こえてくる。
あれ?
いや、問題解きながらもちょっと考えてたんだが、容疑者の数はうちの部員数とぴったり合うし。
それぞれ誰かに当てはまってるんだろうな、って。
四人しかいないんだからほぼ無意識にAがあの人で、Bは……って当てはめて考えてたんだけどさ。
もっかい考えてみようかな。
口調は統一されてたから材料にはならない。
あくまで問題として作られてるんだから、実際にこんな単純な供述をみんながするとは思えないが、この中で当てはめていくって言うならヒントは充分にある。
CとDは絶対、後藤ちゃんと雨中先輩なんだよな。バスで帰るっていう設定とかも。
そうなるとBと仲の良い後藤ちゃんが、思わず嘘をついて庇うのも納得がいく。思い込んだら一直線の子だから。
Dの雨中先輩はなんにも知らずに、ただあったことを供述しただけって感じがぴったりだ。
そして、Aの大前先輩がそつなく嘘をついてBから疑いを逸らしている。Bは大前先輩から、余計なことを言わないようにと入れ知恵されたってとこだろうな。
必然的に、何回考えてもBは雪川だ。
……遠まわしな、告白、だ、と思っていいんだろうか?
それ以外の可能性とかいろいろ考えてみたが。
多分、刃物の指紋がふき取られてたのも刺された俺が雪川を庇って、とかそういう設定好きそうだよな大前先輩、とか思ったりもして。いや、これは問題上仕方ないよな。考えすぎか。
ぽつんと取り残された教室で、俺は考えをめぐらせていたが。
馬鹿馬鹿しくなった。
答えなんて出てるんだから。
例えケーキナイフが部室にあったとしても、刺されるような結果にはならないことは確かだ。
俺は、答えを伝えるために部室に向かって歩き出した。