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アンカレッツ   作者: 坂本柊
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今日は、午後からの授業は無い。

こちらとしては迷惑な話だが、生徒数の少ない授業は他の授業に比べ、案外簡単に教授の都合で休講になったりするものなのだ。

今日もまた、それにあたった。

まったくもって理不尽極まりない話である。


午前に単位の埋め合わせで取った、面白くもなんともない授業を時の流れに身をまかせながら終えると、やっと僕はこの狭苦しい箱庭から解放されるのだ。


学び舎から外に出ると、暑いもわっとした空気が周囲一体を包み、太陽は意地悪にもギラギラと僕を照らす。


ああ、夏も始まったばかりだ。


マスクが顔と一体化するように張り付く季節…。

僕が、あまり好まない季節である。


余談だが、僕は決して「大学」というひとつの組織を馬鹿にした、不真面目な生徒ではない。

朝練終わりで持ち合わせた全ての体力を使い切った奴らや、授業開始すぐ、遅刻ギリギリに滑り込んでやって来る本末転倒な奴らと違って、僕は教授たちから、「比較的ちゃんと授業を受けているタイプの生徒」

だと認識されているはずだ。


なにも僕が人一倍勉強を得意とする、超がつくほどの真面目人間だと自画自賛したい訳ではない。

いや、むしろ単元によっては下から数えた方が早いんじゃないかと思うテストもある。


しかしそんなことは、もはや問題ではない。

なぜなら彼らは、「一体なぜ君は学校に来ているんだい?」と問いただしたくなるぐらい、授業という授業をことごとく睡眠に利用しているのだ。

それも週に5回。要は登校日全てである。

[寝る子は育つ]や[果報は寝て待て]と言った、古くから伝わることわざですら、彼らを放置していい理由にはならない。

入学当初はいちいち細かく注意していたマメな教授達も、もはや諦めの体制に入っているのか分からないが今では「そうしていることが当たり前だ」と言ったように、注意どころか声掛けひとつしない。

おそらく影で点数を引かれているのだろう。


僕はというと、そういう奴らに喧嘩を売る訳でもなければ「なぁ、君ももう少し真面目に授業を受けないか?」と、出木杉くんのように促すわけでもない。


ただ、これだけははっきりと感じるのは、「僕は君たちとは友達になれそうもないよ」という冷めた言葉だけである。


…自身の薄情さは、明白だ。


----


授業が終わっても、友達と仲良くアイスクリームを食べに行くような僕じゃない。


期限切れ間近の定期を持って、いつも通り帰路につくだけだ。


自分でも「青春を楽しんでいない自覚」はあるのだけれど、でもやっぱり変わり者の僕は、この2年と半年という長い歳月の間、やっぱり誰とも波長を合わせることは出来ないのだった。


偏差値と通いやすさだけで決めた大学からは、自宅は目と鼻の先だった。

遅延に大雨、カルガモの親子の横断などといったよくも悪くも突っ込みにくい理由でよく止まる電車で数分揺られ、駅から15分ほど歩いた所に、うちはある。

アクセスレベルはまぁ、ほどほどに悪いだろう。


おかえりも、

お腹すいたでしょ?も、

今日は学校どうだった?も、


その家からは帰ってこない。


一人暮らしをしているのだ。


まず、第一にべたべたのマスクをゴミ箱にぶち込む。

そして汗でじめじめと身体に張り付いていた不快なシャツを脱ぎ、しっとり湿ったアンダーシャツと一緒にそのまま洗濯カゴに放り投げる。

なんとも快適な瞬間だ。

夏用の薄手のズボンは、「衣替えの季節になるまでクリーニングに出さない」と決めた貧乏性の僕によって、毎回汗を吸ったまま、情けなくハンガーに2つ折りで掛けられてしまっている。

すまない、僕のズボン。

もし僕が、金をばら撒いて歩くほどの大富豪だったとして、一通り身の回りを良質な空間に固めて、貧しい国のひとつでも救ってみた後ならば、残った金で毎日でもクリーニングに出してやりたい気分だよ、と心の中で誓ってやった。


まぁそんな話も夢物語。

引っ越してきたばかりの時には既に壊れていた名ばかりのクーラーからは生暖かい風しか出ず、冷蔵庫には僅かな常勤調味料たちと、自作の麦茶、調理スペースの上の棚には乾燥パスタと缶詰、レンチンご飯が入っているだけ。


絵に書いたような男の貧乏暮らしである。



「せんくんのおうち何にもなぁーい」



そういえば、朝家に居た女もそう言っていた。


ごもっともではあるが、普通上がり込んだばかりの家の棚をぽんぽん開けて中身を見るか?引き出しを開けて、普通の服ばっかりーつまんないのーとか言ってみたりするか?


まったく、非常識で教育のなっていない女だった。


なぜ、あんなー…


せんくん。

一十百千万の千ではなく、仙と書いて、「せん」。


僕の


もう1つの名前。


本名の松岡千明(まつおか ちあき)ではなく、

もう1つの…。


ああ、このことを考え出すと、頭が痛い。

昨日寝ていないせいか、頭がまわらないのだ。

昨日は、きっとここで、彼女と。

うん、間違いないだろう。


はぁ、まったく、


ああ…


…ハァ


ため息をつき、後悔しても、

遅いし、意味は無い。


しばらく、眠ることにした。


クーラーが使える夢でも見れたら、

これ以上の幸福などないだろう。


外では、けたたましく蝉が鳴いている。


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