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目が覚めると、隣には女が寝ていた。
細く真っ白な肩を剝き出しにしたまま、
何に怯える事もなく、気の抜けた顔をして眠っていた。
美しい。
女の顔をよくを見て、そう思った。
でも、特別な感情は、なにひとつ湧かない。
きっと、
この女の名前を、僕は知らないからだろう。
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「なに聞いてんの?」
そう尋ねられ、ハッとした。
そうか、ここは、食堂…
「あ…えっと、クラッシック。」
「クラシック!?お前…オシャレかよ!笑」
僕の肩をドンドン叩きながら、彼は笑った。
買ったばかりであろうハンバーガーとポテトのプレートを僕の隣に置くと、当たり前のごとく隣に腰を下ろす。
マスクの鼻の部分を直しながら、僕は再び携帯の画面に目を下ろした。
「アキってそーゆーの聴くんだ?まぁお前モテるしな!」
なぜクラッシック音楽を聴いているイコールモテるなのか、なぜまだ朝の7時だと言うのにハンバーガーとポテトを朝食にセレクトしたのか、第一、なぜまともに同級生との交友関係すらない僕の、一体どこを見てモテると言っているのか。
彼には、色々謎が多い。
彼の名前は伊藤悠太。
僕の友達…というか、いくつか同じ授業を選択している言わば学生仲間である。
まだ運動部の朝練が終わらないこの中途半端な時間帯に学食に現れる学生など、僕と彼ぐらいのものだ。
学食の叔母さんが売店の遠くの方に見えるなか、食堂には僕と彼のほか、時折生徒が窓の外を横切る程度。
要は、ほぼ貸切状態である。
彼は大学入学後すぐにサッカーサークルを辞めた本人曰く「帰宅部部長」らしいが(そんな部活は勿論無いが)、あまり踏み込んだ話を聞かないもので詳しくは分からない。
けどまぁ噂によれば高校時代の彼は、近所の高校一帯で知らない者はいないほど恐れられている俗に言う強豪チームに所属していたらしく、実力や練習メニューが辛くて辞めたという訳でもないらしい。
ではなぜ、辞めてしまったのか。
僕のような運動ポンコツ野郎には分からない、何かがあるのだろうか。
まったく、謎が多い。
「あ、お前も食う?」
そう言って彼は、自分のプレートにのるポテトの入った入れ物の口を、ご丁寧にもこちらに向けてきた。
「大丈夫。ありがとう。」
ハンバーガーやポテトが嫌いな訳ではない。ただ、朝から高カロリー極まりない米国の生んだ典型的アメリカ食を食べようとは思えないだけだ。
しかし彼はいつもこうだ。
必ず自分の食べているものを勧めてきてくれる。
こんな陰キャラを朝ごはんのお供に選び、人目を気にすることもなく自分のバイト代から購入した朝ごはんを分けてくれようとする。
きっと、根はいい男なのだろう。
「…そういえば」
「…ん?」
彼の食べる手がふと止まり、何気なく僕も携帯の画面から顔をあげる。
いつもしっかりと僕の顔を見て喋る彼と、一方であまり人と目を合わせて喋ることのない僕が、久々に3秒以上目が合った。
「…お前が食べてるとこって…見たことないな」
…え?
「あ…そう…」
彼の前で食事…確かに、言われてみればしたことが無い。
いや、なにも彼の前を避けているという訳ではない。
タイミングがなかっただけだ。
朝ごはんは家で食べるし、食堂以外にも飲食可能なスペースが多いキャンパスということもあってか、必要があればちゃちゃっと済ませるし、そもそも取得単位の関係で午後からの授業が短いときは持ってくるのが面倒なので昼食自体を取らない。
中には午後の授業を取る生徒に付き添って、自身の授業を終えてからわざわざ食堂で昼食を共にしている物好きもいるが、無論僕にそんな人はいない。
だからまぁ、彼が僕の食事姿を見たことなくても不思議ではないのだけれど。
…いや?
やはり僕は無意識のうちに他人と食事を共にすることを避けていたのか…?
だとしたらかなり人として終わっているような…
そんなことを考えていると、今度は彼が、じろりとこちらを睨んでいるのに気づいた。
「…何だよ」
「…お前って…」
重たい空気が一瞬漂った。
…まさか、…こいつも今日から僕を変人呼ばわりするのか…。
…
「……歯、あるよな?」
…彼は馬鹿かも知れない。
僕は彼のプレートから1本、ポテトを摘み、そのままマスクの下から自らの口へ運んだ。
マスク越しに、少し大きめに噛んでみせる。
ちゃんと飲み込んでから、こう答えた。
「…当たり前だろ」
歯は、ある。
舌も、ある。
ただ、常にマスクをし、口元を見せないだけだ。
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