修学旅行・洸一、愛憎劇場
★5月10日(火)
修学旅行、二日目。
今日はグループ単位で、朝から自由行動の日だ。
パンと乳製品が主体の朝食を食べ終えた俺達は、先ずはお部屋でお着替え。
自由行動中は、私服でOKなのだ。
「さてと…」
バッグの中から、俺様のカッチョイイ服を取り出す。
薄い金色のストライプの入ったブラックなスラックスに、胸襟の開いたナイスデザインな紫紺のシャツ。
そして薄手のジャケットと――うむ、我ながらベストドレッサーだ。
「ふふ、どうだ豪太郎?中々にダンディだろ?」
「……上海の人買いみたいだよ」
流行りの服に身を包んだ豪太郎は苦笑を溢した。
相変わらず日和った男だ。
「ふんっ、俺様の素晴らしきセンスにケチを付けるんじゃねぇーよ」
言いながら俺は、多嶋の方を見ると、
「……お前は馬鹿か?」
「な、なんだよ神代…」
多嶋は、何故かスーツ姿だった。
しかもネクタイまでしてやがる。
一体、何処へ何しに行くのだろうか?
「お前、何故にスーツなんだ?」
ってゆーか、わざわざこの日の為に青○かア○キで誂えたのか?
「ん?そりゃあ…やっぱ違う僕も見てもらいたいと言うか……」
多嶋の馬鹿は、照れ臭そうに笑う。
ぬぅ……
穂波に気に入られる為に、スーツまで新調するとは…
何が一体、こヤツをそこまで本気にさせるのだろうか?
「……良く分からんが、お前の努力に免じて良い物を呉れてやろう」
俺はポケットから、クマ公がデザインされたピンバッジを取り出し、多嶋に手渡す。
こいつは、イザと言う時の為のお助けアイテムだ。
穂波に襲われそうになったら、こいつを遠くへ放り投げるのだ。
穂波はクマチックなモノに飛び付く習性があるので、その隙に逃げ出すと言う算段なのだ。
「そいつを襟元に付けてりゃ、穂波は寄って来るぞ」
「そ、そうなのか?」
多嶋はいそいそとバッジを付け出す。
「なんか、悪ぃな神代」
「気にすんな」
これで団体行動中は、穂波は多嶋の襟元に付いたバッジに引き寄せられるだろう。
俺は一安心だ。
「さて、それではボチボチ行くか。遅いと、我らが突撃委員長様の血圧が跳ね上がるからな」
★
ホテルの玄関先、大きな駐車場の所で、我が校の生徒達が屯している。
俺は小さなリュックを肩に担ぎ、穂波と委員長を探し回る。
リュックの中身は、言わずと知れた酒井さんだ。
さすがに剥き出しのまま持ち歩いていると、限りなくキ印扱いされるので、こうしてリュックから首から上だけを出しているのだ。
・・・
ま、これはこれで、かなりヤバイ姿だとは思うが……
「あ、洸一っちゃわぁーーーーん♪」
穂波がブンブンと手を振りながら駆け寄ってきた。
豪太郎と同様、流行に踊らされた日和った格好をしてやがる。
ところで、その後に見慣れぬ可愛い子ちゃんがいるんじゃが……誰だ?
「よぅ、穂波」
「えへへ~、洸一っちゃん。相変わらずトンチキな格好してるね♪」
「朝から無礼な発言、痛み入ります。ところで穂波よ、お前の後ろにいる女の子は……誰かな?」
ロングの髪に、クリクリの大きな瞳。
長袖ニットにこげ茶色のプリーツスカートと言うシックな出で立ちは、なんちゅうか……ちょっと好みだ。
「はぁ?なに言ってんのよ洸一っちゃん。伏原さんだよぅ」
「――な、なにぃぃッ!?」
俺はマジマジと、委員長を見つめた。
「な、なんや洸一君…」
少しだけ頬を赤らめ、照れ臭そうに笑う美佳心チン。
「ば、馬鹿な……ザンバラお下げと分厚いメガネが信頼と実績のトレードマークである委員長が……もしかして一晩で劇的な進化を遂げたのか?」
ダーウィンもビックリですぞ。
「アホなこと言うなや」
美佳心チンはヘッと鼻で笑うと、
「メガネをコンタクトに代えて、お下げを解いただけや。別にどーって事はあらへん」
「いや、そんな事はないぞ」
何しろ家で漫画でも描いていそうな地味子ちゃんが、いきなり美少女変化だ。
なんちゅうか、蛹が孵化して妖精が生まれたと言うか――ともかく、驚くべき変身だ。
「うぅ~む……いっそのこと、学校でもその姿で……」
「嫌や」
「お、おやまぁ…」
「面倒臭いやんけ」
委員長様はサッと髪を掻き上げた。
「ところで洸一君や。そのリュック…何かはみ出しているで?」
「ん?あぁ、実は酒井さんを……」
言って、俺はリュックを前に持ち替える。
酒井さんは委員長を見やると、小さく『キ…』と独特の声を上げた。
「き、喜連川先輩の魔人形かいな。……洸一君も、大変やなぁ」
一を聞いて十を知る事が出来る美佳心チンは、おおよその事情を察したらしく、複雑な笑顔で俺を見つめた。
「まぁ、のどか先輩の頼みと言うのは、基本的には命令と同義語ですからなぁ……ハッハッハ」
俺は笑いながら、酒井さんの頭を撫でる。
と、酒井さんは『キッ』と鋭い声上げ、体をガタガタと震わせていた。
「ん?どうした酒井さん?」
彼女の視線を追うと、そこには穂波がいた。
穂波も、鋭い眼差しで酒井さんを睨んでいる。
「……出たわね生き魔人形」
「キ……」
二人の間に、何やら火花みたいなモノが散る。
実はこの二人、あの『穂波仮病事件』以来、あまり仲が宜しくないのだ。
ぬぅ…
「おい、穂波」
「……なに、光一っちゃん?」
酒井さんから目を離さずに、穂波。
「……多嶋の襟元に、クマチャンがいるぞ」
「――エッ!?」
穂波は獲物を狙うハゲタカのような目でスーツ姿の多嶋を見つけるや、
「く…くまキターーーーーーーーーーッ!!」
ダッシュで多嶋の元へと駆け寄って行った。
やれやれ…
敵は去ったか。
「ところで委員長よ。俺達の班は……どこを見て回るんだ?」
「なんや?そんな事も知らへんのか?」
美佳心チンは呆れたような声を上げた。
「すまん。その辺りの事は、ずーっと委員長任せだったモンで……」
「しゃーないなぁ。今日はな、メインとして旭山動物園に行くねん」
「旭山動物園?」
ふむ、行動展示とかで最優秀動物園に選ばれた観光スポットだったよな……確か。
「なるほど。動物園か」
「そや」
「しかし、皆の意見は限りなくバラバラだったような……」
「構へん。何故なら、ウチが行きたいんや」
委員長は言い切った。
「そ、そうなんですか。しかし、それだとブーブー言う輩がおるような…」
特に穂波とかが。
「そないなヤツはおらへんで?」
美佳心チンはニヤリと笑みを浮べ、多嶋が胸に付けているクマ公バッジに夢中の穂波を見やり、
「旭山動物園にも、クマはおるねん。しかも北極クマがおるねん」
「なるほど。それは喜びそうだ」
ってゆーか、狂気乱舞するに違いない。
「それにや、榊さんが喜んで行くんやったら、多嶋クンも文句は言わへんやろ?」
「良くご存知で…」
「そないな事、見てたら分かるわい」
委員長はそう言うと、哀れな目で多嶋を見つめ、溜息を吐いた。
「それに……古河クンの方も大丈夫やで?そもそも洸一君は、ウチが行きたいって言うんや……文句はあらへんやろ?」
「俺?俺はまぁ、面白ければどこでも良いって言う感じだし…」
「せやろ?ちゅうーことは、洸一君が行くと言う事は、古河クンも無条件で付いて来るんやで?」
「よ、良くご存知で…」
「ま、そーゆーこっちゃ。だから今日は、皆で楽しく動物園に行くねん。まさに完璧やねん」
「だと良いんじゃがのぅ…」
★
道内で使える公共交通機関の特割チケットを担任の谷岡ちゃんから貰った俺達は、いざ旭山動物園とやらへ向かった。
札幌駅から特急で旭川駅へ。
そこからバスで約小1時間行った所に、目的の動物園がある。
なんでもここは、日本最北の動物園だそうだ。
しかし……なんだな、まるで保護者になった気分だな。
俺は苦笑と溜息を交互に漏らした。
「光一っちゃん光一っちゃん、あそこに大きなクマがいるよ♪」
瞳をキラッキラッと乙女のように輝かせ、鼻息も荒くクマに魅入る穂波。
「洸一……子供達の団体が多いね。遠足かなぁ?」
等と、既に動物とは関係の無い事に興味を示す豪太郎。
「神代。榊さんの好みはオレンジジュースかな?それとも炭酸系?」
そして早くもパシリ専用モビルスーツと化した多嶋。
美佳心チンに至っては
「洸一君や。この動物を良く見んかい」
と、俺の頭を強引に掴む。
どーゆーワケか皆さん、この俺を連れ回すのだ。
ちなみに俺は俺で、
「酒井さん。こいつがイワトビペンギンだ」
魔人形に説明もしてやらなければならない。
何だかちょっと大変だが……それはそれで、仕方が無い。
何故なら、みんな俺のグループだからだ。
だけど……
「……神代洸一。あの動物は、何であんな風に寝ているんだ?」
と二荒。
更には、
「ねぇ洸一。オラウータンって、なんかアンタに似ているわね」
と、二荒と同じ班にいるとことん失礼な智香に、極め付けは、
「……あぅ」
「……変態野郎」
「ナイトストライカァァァ」
トリプルナックルの御三方。
何故にこヤツ等がここにいる?
札幌から遠く離れた観光地で、何故に一緒になる?
観光名所なら、他にもいっぱいあるではないか……
「分からんのぅ…」
首を捻りつつ、様々な動物が織成す自然の営みに、目を細める俺。
「なんや洸一君?疲れた顔してからに…」
と、俺を疲れさせている輩の一員である美佳心チンが、キシシと嫌な笑みを溢して、顔を覗き込んで来た。
「……いや別に。たださ、一人でのんびり見て回りたいなぁ……とは思っていないぞよ」
「ふ~ん…」
「しかしなぁ、美佳心ちゃんよ。いくら観光スポットとは言え、二荒やトリプルナックルのグループとかち合うのは、物凄い偶然だとは思わないか?」
「は?偶然やあらへんよ?」
委員長はキョトンとした顔で言うと、不意にクスクスと笑い出し、
「二荒さんのグループはな、ウチ等がここに来る事を知ってたねん」
「そ、そうなのか?」
「せや。何せウチは直接、二荒さんに何処へ行くのか聞かれたからなぁ」
「……そうなんですか」
「ちなみに小山田のド馬鹿どもは、単にウチ等の後を尾けて来ただけや。気付けへんかったんか?」
「全然だ…」
ぬぅ、そーゆー事だったのか…
「あ、でも何で俺達のグループと同じ場所に?他にも面白い場所はあると思うんじゃが…」
「はぁ?」
美佳心チンは心底呆れるような顔で俺を見ると、大きな溜息を吐きながら、
「これだからアホの洸一君は……」
ヤレヤレと首を振った。
「な、なんだよ…」
「あんなぁ。アンタは本当に、そーゆー事には疎い男やな。演技でなかったら、ホンマに天然記念物モンのアホやで」
「疎いって……何がだ?」
「自分で考え。それよりも洸一君や、ボチボチお昼やで?……あらかた見て回ったし、そろそろ榊さんを呼んで来ーや」
「呼ぶって……あいつ何処にいるんだ?」
見当たらないぞよ?
「あん?クマの所に決っているやろーが。さっきからずーっと、涎たらしてガラスに張り付いてるやんけ。……他の客はみんな引いとったわ」
「――呼ばずにそのまま帰ると言う選択肢が欲しいなぁ」
その後……
窓ガラスに引っ付いている穂波を引き離して、本日の昼食。
そこで一悶着あった。
北海道、旭川のラーメンを強固に主張する美佳心チンと穂波と多嶋に対し、北海道の新鮮な魚を使った寿司を主張する俺様と豪太郎。
結局、短い議論の末にボコボコにど突き回されてラーメンになったのじゃが……
ちくしょぅぅぅぅ、明日こそは絶対に寿司を食べてやるぞ。
★
札幌市内に戻り、レンタサイクルで適当に市内を走り回った後、俺達はホテルへと帰還。
いやはや、なんちゅうか……疲れた。
穂波は何かあると直にテンパるし、美佳心チンも普段のクールさをかなぐり捨てかの様にはっちゃけちゃうし、豪太郎は豪太郎で街行く地元少年に色目を使う始末。
更に耳元では酒井さんが興奮のあまり『キーキー』鳴き喚くと来た日には、さすがの俺様もバテバテだ。
ってゆーか、のんびりと観光した気分になれねぇ……
ホテルの最上階にある巨大な展望風呂に浸かりながら、俺は独り苦笑を溢した。
まぁ、良いか…愉しかったし。
「おい、神代」
バシャバシャと湯を掻き分け、多嶋が俺の傍に寄って来た。
「今日は本当にありがとうな。感謝してるぜ」
「はぁ?――って、あぁ……あのピンパッジの事か」
礼を言うのはこっちだ。
お陰で、いつもの3割減で穂波の干渉を受けずに済んだからね。
「いやぁ~、何だか今日一日で、グンッと榊さんとの距離が縮まった気がするよ」
心は遠く離れているがな、と言おうとして、俺はその言葉をグッと飲み込んだ。
多嶋には悪いが、もう少し踊っていてもらおう。
「へぇ~……そりゃ良かった」
俺はそう言って、浴槽の湯で顔を洗う。
ついでに、勾玉のアクセサリも磨いちゃう。
「おう、ありがとう。それでさ、明日の午後からのグループ行動の事なんだけど……」
「明日?」
顔を上げると、多嶋はマジな顔になっていた。
「明日が…どうかしたのか?」
ちなみ明日は何処に行くのか、俺はなーんにも知らないぞ。
「明日はさぁ……本当の意味での自由な日じゃん」
「そうなのか?」
「…知らなかったのか?伏原さんが、『どう考えても、計画が出来へん。みんなバラバラやからな。よって明日は各々自由に行動しーや』と言っていたぞ」
「な、何て投げやりな…」
と言うか、それで学校の許可は下りるのか?
「そこでだ、神代。俺……明日は榊さんを誘って、クマ牧場に行ってみようと思うんだ」
「ほぅ、中々にツボを押えたチョイスだな。あのキ○ガイに尻尾があれば、ブンブンと振るに違いないぞ」
「榊さんに尻尾は無いッ!!」
「見えないだけであるんだよ。黒くて細長くて、先っちょがスペードのマークみたいになってる尻尾がな」
俺はそう言って、何故かムキになっている多嶋の顔に指で水滴を弾いてやると、
「で、クマ牧場に行くから、なんだってんだ?」
「あ、あぁ……そこでさ、俺……告ってみようかと思うんだ」
「……」
少しだけ意識が遠くなった。
この馬鹿……本気なのか?
本気で、あのヤバい女に告白しようと言うのか?
・・・
俺は刺されても知らんぞ?
「そ、そうか。取り敢えず、頑張れ、としか言い様がないな」
「あぁ……俺はやるぜ、神代。本気で……本気で好きになった女の子だからな」
「なんか……少し痛いな、お前」
ってゆーか、怖いよ。
そもそも、穂波のどこが良いのだろう?
次の瞬間に、何をしでかすか分からん所か?
★
風呂から上がった後は、本日のディナーだ。
今日はバイキング形式では無く、何だか豪華なフランス料理系フルコース。
何でも、テーブルマナーを学ぶのも勉強の一環だとかヒゲの谷岡ちゃんはヌカしていたが……
実に面倒臭い。
たくさん並んだスプーンやフォークは外側から使うのだ云々と言うが、大和の民である俺としては、箸をくれ、と叫びたい。
そもそも俺は、堅苦しい席は苦手だ。
飯ぐらい自由に食わせやがれッ。
何ならインド人ばりに素手で食ってやるぞ。
「何だかなぁ…」
取り敢えずは膨れた腹を擦りながら、俺はホテルの中をブラブラと散策していた。
「昼はラーメンで夜はフランス料理……何だか、サッパリとしたモノが食べたいのぅ。具体的には冷奴とか」
そんな事をブツブツと溢しながら、複雑に入り組んだホテルを歩き、気が付けば大きな御土産売り場に出て来ていた。
廊下の脇には、公衆電話が置いてある。
ふむ……
俺は受話器を手に取った。
と、
「あれ?洸一っちゃん?」
「あん?」
振り返ると、穂波がいた。
ニコニコとキ○ガイじみた笑みを浮かべ、手にはお土産だろうか、鮭を咥えた木彫りの人形がある。
・・・
女子高生が買うお土産とは、到底思えない。
が、穂波らしくて良いと思う。
「光一っちゃん、電話掛けるの?」
「まぁな」
「私のスマホ、貸してあげようか?」
「……いや、いいです」
俺は丁寧にお断りした。
何故ならだ、以前この馬鹿に携帯を借りた事があり、ちょっとした用事でとある女の子に電話を掛けたんじゃが……
後日その女の子の所には、無言電話が何回も掛って来たそうな。
いやはや……
桑原桑原、と言う感じ。
携帯を借りたら履歴等は全て抹消すべし、と俺はこの女から学んだね。
「ふ~ん、なら良いけど……ね、誰に電話掛けるの?」
「あん?これン所だよ」
俺はピッと小指を突き立ててやる。
その瞬間、穂波は俺の突き立てた小指をギュッと掴み、
「……誰?」
メキメキメキッと、まるで引き千切るかの様に引っ張った。
「い、痛い痛い痛い……冗談だよ、冗談。ちょっとのどか先輩の所へ、お礼を言おうと思ったんだよぅ」
「…な~んだ」
穂波は俺の指を解放した。
「っもう、洸一っちゃんは、変な事ばかり言うんだから」
へ、変な事?
僕ちゃん、何か怒らす様な事を言いましたか?
「ま、そーゆーワケだ」
俺はガックリと項垂れ、受話器を取った。
そして穂波が立ち去るのを確認した後、
「さて、アイツは家にいるかな?」
北海道に転校した級友の女の子、吉沢に電話を入れたのだった。
★
「……あれ?」
気が付いたら、ホテル内で迷子になっていた。
「あ、あれれ?」
何処を向いても、同じような部屋が並んでいる。
「…っかしいなぁ。確か俺様の部屋はこっちだと思ったんだが…」
そもそも、自分達の部屋の名前すら忘れているから困ったモンだ。
確か、俺の記憶では鳥の名前だったような気がする。
鶴の間…だったかな?
「ん?神代洸一か…?」
「んにゃ?」
不意に呼び止められ、顔を上げると……そこには、学校ジャージに身を包んだ凛々しいと言うかおっとこ前な二荒真咲さんが、腕を組んで訝しげな表情で佇んでいた。
「よぅ、二荒……」
「こんな所で何をしている神代洸一。この階は女子の部屋しかないぞ?」
「ありゃま」
うぅ~ん、そうなんですかぁ…
良かった、テキトーに部屋に入らなくて。
「ふむ……どこか女の部屋にでも遊びに行ってたのか?」
どこか咎めるような口調で二荒は言う。
「いやいやいや、滅相も無い」
俺は慌てて首を横に振った。
何故かは分からないが、弁明しないと殴られそうな気がしたからだ。
「実はその……迷子になっており申す」
「はぁ?迷子?貴様は馬鹿か?」
二荒の姉御は歯に衣を着せてはくれない。
お陰で絹糸のように細い俺の神経は、いつも悲鳴を上げる。
「……うん」
「まぁ、広いから迷う事もあるだろうが……自分の部屋ぐらい、案内図を見れば分かるだろうに」
「……自分の部屋の名前すら分からん」
そう言うと、二荒は思いっきり呆れた顔をした。
腰に手を当て、ガックリと項垂れる。
どーでも良いが……ジャージ姿の二荒は、言い知れぬ色香が漂っていた。
具体的に言うと、体のラインがシャキーンと見える。
洸一チン、ちとドキドキだ。
うぅ~む…
見慣れた空手着とは違い、なんちゅうか……ドカーンと出てるなぁ……
二荒は着痩せするタイプなのだろうか?
こうして肌にピタッとしたジャージとかを着ていると……ボンッと出てキュッと絞まってデンッと出ていると言うか……
限り無く、ナイスプロポーションだ。
全体的に丸みを帯びたそれは、実に女の子らしい。
同じ体操着でも、少年のような優ちゃんが着ているのとは雲泥の差だ。
ぬぅ……これは夏になったら、必ずプールに誘わなければなりませんなッ!!
「ん?どうした神代?珍しく真剣な顔をしているじゃないか…」
「…んぁ?あ、あ~~ちょっと心の中で決意をば…」
「ふむ…それはそうと神代洸一。お前の部屋は、上の階の『椿の間』だぞ」
「あ、そうなのか」
って、鳥の名前じゃねぇーし…
我ながら、大した記憶力だ。
「あれ?でも二荒、良く俺の部屋の名前を知ってたなぁ…」
「た、偶々だッ」
何故か二荒は、俺を睨み付けた。
「偶々、知っていただけだ。他意は無いぞ」
他意ってなんだろう???
「そ、そうか。何だか良く分からんが、ともかくありがとう。楓の間だったな、俺の部屋は」
「椿の間だ」
「そうとも言う。じゃ、俺様はこれで…」
俺はそそくさと、その場を後にしようとするが、
「待て」
背中に突き刺さるような凛とした二荒の声。
俺は恐る恐る振り返った。
「な、なんでしょうか?」
僕、何かお気に障ることをしましたか?
「神代洸一……その…今から、何か予定があるのか?」
「へ?予定って言われても……取り敢えず部屋に戻って、ゴロゴロしながらテレビジョンでも見ようかと…」
「……なるほど。つまり、予定は無いと言うことなんだな?」
「うぅ~ん……そう言われると、何かちょっと悔しいと言うか…」
「無いんだな?」
二荒はもう一度尋ねた。
何だか知らんが、目がマジだ。
「…うん。予定は無いデス」
「そっか……うん、ならばちょっと付いて来い」
「……は?」
「い、良いから……黙って付いて来いッ」
二荒はそう言って、俺の手をギュッと握り締めた。
な、なんだろう?
どこへ連れて行くのだろう?
・・・・・・
もしかして、ホテルの裏とかでしばかれるのかな?
僕、なーんにも悪いことはしてないんじゃが……
★
二荒真咲さんは、まるで人攫いの如く、俺の手を引っ張りながらズンズンと歩いていた。
廊下を進み、そして階段を上がり、また廊下を進む。
正直に言って、もう僕は何処を歩いているのか見当さえつかない。
にしても、少し恥ずかしいにゃあ……
二荒は、俺の手をギュッと握り締めていた。
性格はともかく、可愛い女の子に手を握られていると言うのは、男おいどんな俺様に取ってはかなり恥ずかしい行為だ。
無論、手を繋がれたと言うだけで照れに照れてしまうと言う程、俺は女の子慣れしていない、と言うわけではない。
ただ、相手があの泣く子も沈黙すると言うリーサルウェポンである二荒嬢と言う現実が、俺に困惑をもたらしているのだ。
ちなみに、穂波も良く俺様の手を握ってくるが、その時は悲鳴を上げながら振り解くのが常だ。
何故なら、アイツは何をしでかすか分からないからである。
う、うむぅ……しかし二荒の手って……や、柔らかいじゃねぇーか……
彼女の手は予想外に小さくて細く、そしてちょっぴりヒンヤリとしていた。
実に心地良く、握りがいのある手(謎)だった。
空手とかやってるから、もっとゴツゴツしてるかと思ったんじゃが……
ちなみに、穂波の手も柔らかい、と言うかかなりプヨプヨしている。
……もしかして、肉球の名残なのではなかろうか?
「な、なぁ二荒。その……どこへ行くんだ?」
俺は前を行く最強空手女子の後ろ姿に声を掛けた。
ちょっと大き目のお尻様が、左右にフリフリと揺れ動いている。
若い僕には目の保養……もとい、目の毒だ。
「もう少しだ…」
二荒は振り返らずに言った。
「も、もう少しって…」
段々、人気の無い方に行ってるような……
何をする気なんだ??
やっぱしばく気ですか?
どうしよう……土下座で許してくれるかな?
「ここだ…」
「へ?」
二荒は廊下の突き当たりにある扉を空け、表へと俺を誘う。
ピュウ~ッと冷たく乾いた風が、俺の体を通り抜けて行った。
「さ、寒いぞ…」
「そうか?北海道でもこの辺は平野部だから、それほど寒くはないぞ?」
と、二荒嬢はのたまうが……いやいや、かなり寒いですぞ。
吐く息も白いしね。
「そ、そうかなぁ?昼はともかく夜はキーンと冷え込んでいるような…」
「神代は鍛え方が足りない」
そーゆー問題なのか?
「と、ところで……一体ここはどこよ?」
俺は辺りを見渡し、そして固まった。
天空に広がる、大パノラマ。
敷き詰めた群青の布に、まるで錐で穴を開けたかのように点在する無数の小さな光点。
今にもこの身に雪崩れて来そうなのは、あれは天の川だろうか。
「す、すげぇ…」
天然のプラネタリウムに、ボキャブラリーに乏しい感嘆の言葉が自然と漏れた。
「凄い眺めだろう」
「あ、あぁ…」
俺は明滅する星々を見上げながら、小さく頷いた。
「まさか街中でこんな光景を見る事が出来るとは…」
「知らなかったのか?ここからの星の眺めは最高だと、ホテルのパンフレットに書いてあったぞ?」
「知らんかった…」
ってゆーか、そんなパンフレットがあったのか?
俺は煌く星々の瞬きから視線を外し、何となく辺りを見渡してみる。
ぬぅ……
広いテラスの彼方此方には、ポツンポツンと人影が見えた。
肩を抱き寄せ合ったり腕を組んだり……その殆どが皆カップルだ。
その中には、チラホラと我が学校の生徒だろう、ジャージ姿の男女もいる。
なるほどねぇ……
こんな浪漫ティックな場所だ、恋人達が愛を囁き合うには最高のスポットなのだろう。
し、しかし……俺と二荒は、他人からはどう見えるのだろう?
……女王様とその従者か何かか?
そんな事を考えていると、不意に二荒が囁くように、
「神代洸一。もう、寒くはないか?」
「ん?」
その言葉に、肉体が外気温を思い出したかのように、僅かに震えた。
「うぅ~ん、やはり少し寒いかな?」
「そ、そうか。なら…」
と、二荒の手が俺の手から離れたと思ったら、次の瞬間には、スッと腕が組まされていた。
「これなら……少しは暖かい」
「……うん」
頷くしかななかった。
頭の中は、結構パニックだ。
ふ、二荒が…寄り添っている……
う、腕を組んでいる……
こんな事態は、全く想定していなかった。
俺はそれほど初心ではないが、それでもこれは些か戸惑ってしまう。
だが二荒は、そんな俺の心を知ってか知らずか、更にグイグイと体を押し付け、密着度を増していた……ような気がしたのだった。
★
二荒真咲は、俺の腕に両の腕を絡め、更には肩に頭を預けていた。
対して俺は、直立不動のまま、どーして良いのか分からない。
これがもし、二荒ではなくて穂波だったら、俺はその脇腹にキッツイ一発をお見舞いしてやる所なんだが……
ふ、二荒って……こんなに気安いヤツだったか???
どうも自分の中のイメージの二荒と、こうして俺に身を寄せている彼女とが、イコールで結びつかない。
確かに、二荒は仁義に厚くてちょっとおっかない女の子だけど、それでもその根は実に純情な乙女であると言う事は知っている。
だが今日の彼女は……何となく、違うのだ。
良く分からんが、ドキドキするのだ。
彼女の言葉一つ一つが、まるで俺に甘えて物を言っているようで、しかもそれがちょっと嬉しいやら照れ臭いやら……
あぁ、僕は一体、どうしたら良かんべ?
ぐぬぅぅ…
こ、この満天の星空と言うヤツが、俺を狂わせているぜ…
俺はまるで漆黒の絨毯にぶちまけた宝石の如く煌く星々を見上げ、キュッと唇を閉じる。
――流されるな、神代洸一ッ!!
心の中で、もう一人の俺が俺の精神を叱咤する。
場の雰囲気に流されると、後で後悔するぞッ!!
その通りだ…
取り返しの付かない事をして悔むのは、ア○ロだけで良いじゃないか……
「……神代洸一」
耳元に響く、二荒の甘い声。
「あ、あぅ……なんでしょうか?」
「前から聞きたかったんだが……どうして、まどかの事はまどかって呼び捨てにするんだ?」
「あ、あぅぅ???」
な、何をいきなり?
「それはその……あの馬鹿が、偉大な俺様を呼び捨てにするからだ」
「だったら喜連川先輩は?それに優貴も…」
「そ、それは……何となく、かな?」
「……そうか。ならどうして私はいつも、苗字なんだ?」
彼女はそう言って、ジッと俺の目を見つめてきた。
どこか真剣な瞳だ。
「あ、あぅぅ……え~と……」
はて?どうしてだろうか?
・・・・・・
呼び捨てにしたらブン殴られそう……だからかな?
「神代洸一。もし私が、お前の事を洸一と呼んだら……お前は、私の事を名前で呼んでくれるのか?」
「え?あぁ…まぁ…うん」
俺は小さく頷いた。
一体、二荒が何を言いたいのか……僕ちゃんには分からない。
名前で呼ぶとか呼ばないとかが、そんなに重要な事なのだろうか?
・・・
個人的には、俺は名前で呼ぶ方が気さくな感じがして好きなのだが……
「そっか…」
二荒の顔に、僅かに笑みが広がった。
「なら……今日から私は、神代の事を洸一と呼ぶ事にする」
「そ、そっか。って、別に断言するほどの事じゃないと思うけど、二荒がそう言いたいのなら俺は別に…」
と、いきなり俺の腕を組んでいる彼女の腕に、ギュッと力が加わった。
そして唇を尖らせ、どこか拗ねた様な口調で
「…二荒じゃない。その……私は、真咲だ」
「あ、あぁ……うん、そうだったな」
俺はコホンと咳払いを一つし、どこか照れながら、
「え~と……真咲」
「うん♪」
二荒の顔に笑みが広がった。
そんなに嬉しい事だろうか?
わ、分からねぇ……
二荒……もとい、真咲姐さんが何を考えているのか、とんと分からねぇ……
だがそれでも、こうして喜んでくれるのだから俺としては悪い気はしない。
むしろ、ちょっとだけ嬉しい。
「し、しかし……なんだな、ここはカップルばかりだな」
俺は照れ臭さを隠す様に、そう言った。
「そうだな」
真咲も小さく頷く。
「こんな降って来る様な星空は、街中では滅多に見る事が出来ないからな」
「まぁな。確かにロマンティックな場所だわな」
こう言っちゃ何だが、俺様はこう見えてもロマンチストなのだ。
泣きゲーで号泣するほどのロマンチストなのだ。
ってゆーか、実際は女よりも男の方がロマンチストなんだが……
やはりこーゆー場所に来ると、心から感動を覚えてしまう。
いつかあの星々の海を、自由を求めて泳ぎたいものだ。
「それにしても……些か目のやり場に困るが……」
周りのカップルは、人目も憚らず、かなりイチャついていた。
肩を寄せている者、抱き合う者、あまつさえチュウを交している馬鹿者どももいる。
もしもここがこんなロマンチックな場所では無く、単なる街中であったとしたならば、俺様はその脳天にネリチャギを決めてやっていたであろう。
日ノ本の民ならば、もっと慎みを持たんかいと声を大にして言いたい。
「……な、なぁ洸一」
真咲さんが更に身を寄せて来た。
そしてチラリと上目遣いで俺を見つめ、
「今の私達は……他から見たら、どんな感じに見えるのかな?」
「どんな感じって……その……」
「恋人同士……に見えるのかな?」
「う、うん……まぁ…」
曖昧な言葉しか出て来ない。
心の臓が、まるで心室細動を起こしたかの如くドキドキと早鐘を打つ。
『お、落ち付け神代洸一……』
と、冷静に諌める俺様と、
『今すぐ二荒真咲を抱き締めたいッ!!しかも理由は無いッ!!』
と興奮しまくりの俺様が、心の中で葛藤を繰り広げる。
そう、理屈では分かっているのだ。
この感情は、あくまでも一時のモノなのだ。
今の俺は、こーゆー浪漫チックな雰囲気に流されているだけなのだ。
二荒真咲に対して、俺は恐怖以外の感情を持ち合せてはいないのだ。
・・・・・・
だが、果してそうだろうか?
確かに、二荒は美人だ。
好みのタイプと言っても良いだろう。
それにその一本筋の通った性格も、好感が持てる。
もしかして俺は……知らず知らずの内に、二荒真咲に対して何かしらの特別な感情を持ってしまったのではなかろうか?
わ、分からねぇ……
分からねぇーけど、とにかくドキドキが凄過ぎて……
俺の心臓は、マジでドッキンコドッキンコしていた。
額にはうっすらと汗も浮び、呼吸も少し荒い。
・・・・・・
・・・
ちょっと待て?
少しばかり、ドキドキが大き過ぎやしないか?
そう思うと同時に、俺は自分の肉体に起こった突発的不祥事を目の当りにし、まるで倒れる様にその場にしゃがみ込んだ。
「ど、どうした洸一ッ!?」
二荒の驚いた声。
突如その場に蹲った俺に、オロオロと慌てる。
「だ、大丈夫か?お腹を押えているけど……い、痛いのか?」
「し、心配ねぇ…」
そう返答するしかなかった。
よもや、実はチ○コが大きくなりました、とは口が裂けても言えない。
言ったら最後、凄いパンチとか蹴りが飛んで来そうだ。
「さ、寒かったから冷えたのか?」
「う、うん。……多分」
頷く俺。
しかし、おかしい……
確かに俺は、思春期真っ只中のチェリーボーイだが、こうも無節操に、チ○コを膨らますほど病んではいない。
だったら一体何故?
それほど二荒真咲に対して、興奮しちゃったのか?
・・・・・・
――違うッ!!
この下半身の痺れる感覚……これは間違い無く、彼奴の仕業だッ!!
あのクマ女め……またしても俺に一服盛りやがったんだッ!!
そうに違いないッ!!
「ち、ちくしょぅぅぅ……あの野郎……」
「ほ、本当に大丈夫か洸一?」
心配そうな顔で、俺の顔を覗き込んで来る真咲さん。
「ここが痛いのか?」
「……え?」
スッと伸びてきた彼女の手が、俺の下腹部に触れた。
具体的に言うと、ジャージズボンをこんもり膨らませている将軍様に触れた。
「……」
真咲姐さんの時が止まった。
「……これは……違うんですよ?」
取り敢えず、言い訳をしてみる。
「……」
真咲姐さんは、固まっていた。
何だかカチカチになっている物体に触れながら、自分も固まっていた。
「え、え~と……信じて欲しいけど、これはとある女の陰謀でして……」
「……」
真咲姐さんの体が小刻みに震える。
ヤ、ヤバイ……
今すぐ逃げないと、かなりヤバイ……
だけどチ○コが大きくて立ち上がれないッ!!
これが所謂、絶体絶命と言うヤツですか?
「ば、馬鹿か貴様ーーーーーッ!!」
言うのだった。
ヒュンッと空気を切り裂く音と供に、掬い上げるような真咲姐さんの殺人アッパーが炸裂。
俺は血反吐を撒き散らしながら、煌く星々の海へとダイブしたのだった……
その後、半分ほど砕かれた顎を押えながら、病んでいるクマ女に詰問したところ、
「私、そんな事はしてないよぅ」
との事。
その目に偽りの光は見えない。
ま、確かに……
昨日の事もあるので、今日の俺は注意していた筈だ。
薬物を投与する隙は与えなかったと思う。
と言う事は……
あれは、自分自身で大きくなったと言う事なのか?
あの二荒真咲に対して、俺は欲情してしまったと言うことなのか?
・・・
信じられん。
紳士である俺様と俺の愛棒が、そのような不埒な真似をしてしまうなんて……
うぅ~む……きっと、疲れが溜まっていたに違いない。
男は疲れた時、不意に大きくなる事があるからなッ。
・・・・・・
多分。
★5月11日(水)
修学旅行3日目。
バイキング形式の朝食の後、俺達はホテルを後にし、向かう先は函館。
最後の夜は、函館で一泊するのだ。
チャーターした大型バスで札幌を離れ、毛唐の教会や五稜郭等を軽く見学した後、昼過ぎに函館市内にある宿に到着。
今度はホテルではなく、旅館だった。
もちろん、ゴージャスでやたらデカイ旅館だ。
その名も、『料理旅館・喜連川』。
そのまんまだ。
そこでこれまた豪華絢爛、松花堂チックな昼食を戴いた後、各自割り当てられた部屋でお着替え。
午後からは自由行動なのである。
「いやはや、これまた学生には場違いな部屋だねぇ……」
飛燕の間と言う、何やら三式戦闘機的な名前の付いた部屋に通された俺は、鞄を下ろして頭を掻いた。
10畳近くはある和室が二つに、床の間には一見して高そうな掛け軸が飾られてある。
落款には、何やら文晃とか書かれているが……後で俺様がこっそりと落書きをしておいてやろう。
もちろん、嘘だがな。
「しかし、これは見事な眺めだなぁ…」
窓の外には、広大な日本庭園が広がっていた。
下駄的履物が揃えて置いてあると言う事は、どうやらこの窓から表へ出て散策する事が出来るらしい。
和を尊ぶ俺様としては、実に嬉しい限りだ。
後でのんびりと、散歩でもしようではないか。
「洸一、早く着替えないと……」
と、景色に見惚れている俺の背中から、豪太郎が声を掛けて来た。
「ん?おぉ……そうか」
窓の外の絶景から視線を外し、部屋へと戻る。
既に豪太郎は、私服に着替えていた。
相変わらず、個性の欠片もないチャライ服を着ている。
「ったく、没個性な服だなぁ」
「洸一が特殊過ぎるんだよ」
「まぁ……お前はそれで良いが、問題は貴様だ」
俺は豪太郎から多嶋に視線を移すと、わざとらしく大きな溜息を吐いた。
「な、なんだよ神代……」
「……お前は場末のホストか?」
多嶋の馬鹿は、今度は黒系のスーツに身を固めていた。
胸襟の開いた派手な色のシャツも着ている。
一見して、僕は馬鹿デス、と分かる格好だ。
「全く、どこで買ってきたんだよ、そんな服……」
「う、うるさいな。これが俺に出来る、精一杯のお洒落なのさ」
多嶋のド阿呆はグッと拳を固めてそう言うと、胸のポケットから櫛を取り出し、
「特に今日は、この俺の一世一代の勝負の日だからな。念入りに髪も梳いておかないと……」
「さいですか…」
俺は疲れた溜息を漏らした。
そう言えばこの馬鹿…
今日、あの穂波に告るとか言っていたなぁ…
何を考えているんだか知らんが、あの地雷女に対して何て恐ろしい事を…
うぅ~む……
「なぁ、多嶋」
「ん?なんだ神代?」
「あのよぅ、その……やっぱよ、もう少し考えてからにしないかい?」
「はぁ?」
多嶋は素っ頓狂な声を上げ、マジマジと俺を見つめた。
「な、何を今更……もしかして神代、お前……実は榊さんの事を……」
「いや、全ッッ然に違う」
俺は即効で否定した。
「俺が心配なのは、お前の事だ」
「は、はぁ?」
「こんな事を言うのは何だが……絶対に、悪い事が起こるって。断言できる。俺にはな、何となく分かるんだよ」
「……それは俺が振られるって事か?」
「いや違う。むしろその方がスキッリして良いと思うが……なんちゅうか、突発的災害に巻き込まれるような……そんな気がするんだ」
「……神代が何を言ってるのか、良く分からないな」
多嶋は首を捻った。
「俺も分からん。まぁ……勘、と言うヤツかな?」
「悪いが神代、俺の決心は変らないぜ」
「……そっか」
俺はもう一度、溜息を吐いた。
そしてニヤニヤと笑みを浮べている多嶋を、ジッと見つめる。
「な、なんだよ神代。そんなに睨まなくても…」
「睨んでいるんじゃなくて、見つめているんだよ」
「き、気持ち悪いなぁ」
「馬鹿言え。俺はお前の姿を目に焼き付けているだけだ。これが今生の別れになるのかも知れないからな」
★
午後からは、各グループごとに分かれての自由行動となっているのだが、我が班は各自がそれぞれ自由行動だった。
「なぁ、本当に良いのか?」
と、俺は旅館前でボーッとしていた委員長美佳心チンに尋ねる。
彼女は解いたお下げ髪を掻き上げながら、
「しゃーないやん。みんな行きたい所がバラバラなんやし」
「……まぁな」
確かに、我が班員達は協調性がない上に我侭だ。
もちろん、俺もそうだが……
「で、美佳心チンは何処へ行くんだ?」
「ウチはもう一度、五稜郭の方へな。そーゆー洸一君は、何処へ行くねん?」
「俺?俺はまぁ……ちょっと人と会う約束をしててな」
「人?」
「去年、転校したヤツがこの近くに住んでるんだ。で、折角だから会おうかと……」
「へぇ~…そうやったんか」
美佳心チンは何故か感心したように何度も頷いた。
そして俺の肩を叩きながら、
「自分、中々エエとこあるやないけ」
「そ、そう?」
「せや。転校するっちゅーのは、これが案外、寂しいもんなんやで?その友達、きっと喜ぶで」
「う、うん…」
会うのは女の子……と言うのは、黙っておこう。
妙な詮索をされそうな気がするからな。
「それにしても……なんや多嶋クン、妙な格好で張り切っとるなぁ。アウトロー気取りか?」
委員長は横浜の若大将みたいな格好をしている多嶋を眺め、苦笑を溢した。
失笑していると言っても良いだろう。
「アウトローって言うより、ただの馬鹿だあれは」
「確か多嶋クンは、榊さんと一緒にクマ牧場へ行くとか言うてたけど……」
「だから、あんなに浮れてるんだよ」
「ふ~ん……なるほどな。せやけど洸一君、エエんかい?」
「へ?何が?」
「何がって…」
と、美佳心チンは急に声を潜め、
「多嶋クン、榊さんに惚の字なんやろ?」
「可哀相な事にな」
「多嶋クン、カッコエエやん?マジな話、榊さんを取られてしまうかも知れへんで?」
「正直、俺はそれを祈っている。金出して引き取ってくれるのなら、いくらでも出す」
「……洸一クン。アンタ、榊さんの事……嫌いなんか?」
「いや、別に嫌いではないぞよ?」
「せやったら…」
「……美佳心チンよ」
俺は軽く溜息を吐いた。
「嫌いじゃないと好きの間には、大きな溝があると思わないか?確かに、俺は穂波の事が嫌いではないが……遺憾ながら、恋愛対象には見ていない。別に幼馴染がどーとか好みがどーとかの問題とかじゃなくて、なんちゅうか……精神的にちょっとなぁ」
万が一、俺が穂波と付き合う事になってみろ……
俺は1週間足らずで、心に何か深刻な支障を来たすぞ。
断言出来るね。
「ふ~ん…」
「な、なんだよ美佳心チン。その意味深な顔は……」
「まぁ、洸一クンは、そーゆー事には疎いタイプの人間やからなぁ…」
「どーゆー意味?」
「さぁな。……自分で考え」
★
と、言うワケで、皆は散り散りになった。
今からほんの数時間は、誰にも束縛されない自由な時間だ。
ちなみに酒井さんは、美佳心チンに託しておいた。
酒井さんも、五稜郭を見学したいと言っていたから、丁度良いだろう。
「ってゆーか、結局豪太郎の馬鹿は何処へ行ったのやら……」
俺はそんな事を呟きながら、ブラブラと歩き出す。
と、不意に背後から、
「……洸一」
俺を呼ぶ声。
振り返るとそこには、薄い藍色のシャツに茶色のチノパンと言うボーイッシュな格好な格好をした真咲さんが、腕を組み、どこか不機嫌と言うか困ったような顔で、立っていた。
「ごめんなさい」
取り敢えず、殴られる前に謝っておく事にする。
「え?いや……謝るのは此方だ。昨日はその…」
「いやいやいや、悪いのは俺でス」
何せ、婦女子の前でいきなりチ○コを大きくしてしまったのだ。
穴があったら入れたい…もとい、入りたい気分なのだ。
「こ、洸一は悪くない」
真咲姐さんはそう言うと、サッと面を伏せながら、
「お、男と言うものがそーゆーものぐらい、私でも知っている。ただ……初めて見たから、少し驚いて……」
「い、いやぁ~…別に男は、いつも膨らませているワケじゃないんだが……」
それではただの変態だ。
「ま、まぁ、昨夜の事はお互いに、あれは悪い夢、と言うことで忘れようじゃないか。ハッハッハ…」
「う、うん」
真咲は小さく頷いた。
良かった……
どうやら、それほど怒ってはいないようだ。
ただ、雰囲気的には少し気まずいがね。
「ところで真咲。独りで何してるんだ?他の班員は?」
「ん?今日はその……自由行動にさせたんだ」
「ありゃま」
なんだ、ウチの班と一緒かよ。
「今日が最後の自由行動だからな。だから皆それぞれ、見たい所を見れば良いと思ったんだ」
「なるほど」
「そう言う洸一は、何をしている?」
「俺も同じだ。各自、今日は自由行動にしたからな。だから独りで、ブラブラしようと思ってる」
「そ、そうなのか…」
「まぁな」
俺はそう言って、少し考えた。
どうせなら、真咲も連れて行くか?
・・・・・・
うん、それが良い。
吉沢と真咲は、同じ空手部の親友だった筈じゃないか。
お互い、久し振りに会いたいだろうし…
うんうん、我ながらナイスアイディア。
ホント、何て気の利く男なんだろうねぇ。
「……なぁ真咲。もしもどこか行くアテがなかったら…」
「行くッ」
二荒真咲は顔を上げ、俺の目を見つめながらキッパリと言った。
「仕方ながないヤツだ。洸一がそこまで言うのなら、付き合ってやる」
「……まだ、なーんにも言ってないんじゃが…」
「そ、そうだったか?」
「まぁ良いや。だったら真咲、今日は一緒に行こうや」
★
真咲と二人、並んでブラブラと散策。
新緑の街路樹からの木漏れ日が、まるでピシピシッと音を立てて体に突き刺さるような感覚。
うむ、今日も良い天気だ…
チラリと隣りを歩く真咲さんに視線を走らせると、彼女はニコニコと微笑んでいた。
どうやら機嫌は良いらしい。
昨夜の事があるので、どうなるか心配だったが……この分なら、僕チャンが危害を加えられる心配は無いだろう。
にしても、少し手持ち無沙汰だなぁ……
何とは無しに、自分の手を見つめる。
ふむ……
俺はそっと手を伸ばし、ブラブラと揺れ動いている真咲の手を握ってみた。
その瞬間、まるでコークスクリュー的ジェットコースターに乗ったかのように世界が回転。
アスファルトの大地が、脳天に突き刺さった。
「――ぬぉぉぉぅッ!!?い、痛ぇぇぇッ!?」
「だ、大丈夫か洸一?」
真咲姐さんが顔を覗き込んで来る。
「だ、大丈夫も何も……一体、何が起こったんだ???」
痛む頭を押さえると、少し瘤が出来ていた。
これはもしかして、超常現象の類いなのではなかろうか?
「こ、洸一が悪いんだぞ」
「は、はい?」
「いきなり手を握るから……驚いて技を使っちゃったじゃないか」
「……技?」
つまり……なんだ?突然手を握り締められた真咲さんは、驚いて俺を投げ飛ばしたと……そーゆー事ですか?
・・・
さすが学園の守護者、凄い早業だ……
マジで無重力を味わったよ。
とても女子高生とは思えませんなッ。
「ま、全く……手を握るなら握ると、一言言ってくれれば良いのに…」
そんな恥ずかしい事は言えない。
ってゆーか、何で俺は手なんか握ろうとしたのだろう???
「ほ、ほら洸一。……立てるか?」
と、真咲が手を伸ばす。
俺は恐る恐る彼女の手を取って、立ち上がった。
ぬぅ、まだ頭がクラクラする……
「本当に洸一は、次に何をするのか分からんから困ったモンだ…」
それはアンタの方でしょーが…
と言う言葉は飲み込んで、俺はテヘヘヘと愛想笑いを一つしながら、真咲姐さんの前で不用意な行動は慎もう、と心に深く刻み込んだ。
「……ほ、ほら洸一」
「ん?」
「手……繋ぐんだろ?」
真咲の、その破壊力とは裏腹の綺麗な手が、スッと差し出される。
「……」
「だ、大丈夫だぞ?」
「お、おう…」
何だか良く分からんが、俺は彼女の手を握り締めた。
昨夜もそうだったが、彼女の手は、なんちゅうか……実に握り心地が良い。
俺の手にジャストフィット、と言った具合だ。
「……真咲の手って、案外柔らかいんだよなぁ」
「ど、どーゆー意味だそれは?」
「いや、空手とかやってるから、もっとこう……ゴツゴツしてると言うか、ゲンコツ煎餅みたいな感じだと思っていたんじゃが……」
「し、失礼なヤツだ」
握っている手に、僅かに力が加わった。
「私だって女なんだぞ。ちゃんと肌とかは……ケアしている」
「ふ~ん…」
その割には、マジでまどか辺りと殴り合ってる様な気が……
「ところで洸一。一体、何処へ行くんだ?」
「ん?先ずはこの先にある元町をぶらつこうと思ってな。ついでに、まどか達のお土産も物色しようかと…」
「まどか?」
真咲の眉がピクンと跳ね、それと同時に、握っている手に物凄い力が加わった。
手の甲から、メシャメシャッと破滅の音が響く。
「――ぬぉぉぅッ!!?い、痛い痛い痛いーーーーーッ!!」
「あっ、スマン。つい力が……」
つい、と言うレベルの力ではない。
まるでプレス機に押し潰されたような感覚だ。
一体、その細腕の何処から、そんな力が湧いてくるのか……実に不思議である。
「ったく……何で真咲は、まどかって言う言葉だけで、そんなに過剰に反応するかなぁ」
もしかして、何かトラウマでも持っているのか??
「べ、別に……そーゆーワケではないぞ。ただちょっと……お前の口からまどかって名前が漏れると……」
「へ?俺?」
「な、何でも無いッ。そ、それよりも、早く行くぞッ」
「お、おう…」
俺は僅かに首を捻り、歩き出した。
★
函館元町にある、赤いレンガの大きなお土産物屋『Rじゃじゃ』の店内は、観光客でごった返していた。
「す、凄いなぁ…」
と、真咲が目を丸くしながら店内を見渡す。
「さすが観光地の土産物屋だな。広いし、色んな物が売っているぞ」
「うぅ~む……しかし北海道と言うのに、タラバ蟹やウニとかイクラが売ってないのが、残念だな」
俺は苦笑を溢した。
「そういうモノは、海鮮市場しか売ってないだろう…」
「ま、そりゃそうか。ちなみに真咲よ、タラバ蟹はどうしてタラバ蟹と言うか知ってるか?アレはタラの捕れる漁場、即ち鱈場で捕れるから鱈場蟹と言うんだぞ」
ってゆーか、実は生物的には蟹じゃないしね。
「ふ~ん…」
と、真咲さんは生返事をしながら、熱心に店内に陳列してある、何やらファンシー系のお土産物を熱心に見つめていた。
ふむ、やはり真咲も、こーゆー所は女の子なんだねぇ……
等と妙に感心しながら、俺も並んでいるお土産物を物色してみる。
「さて、先ずは優ちゃんや姫乃ッチのお土産は…」
「ん?水住は確か、北海道生まれじゃなかったか?」
「そうなんだよ。だから結構、悩むんだ」
俺はそう言って、棚の上に積まれている、ヌイグルミを眺める。
いやはや……
種類は多いな。
が、どれもなんちゅうか……ねぇ?
御当地の緩キャラって言うの?
何だかなぁ……
かと思えば、やたら萌え化しているのもあるし……
もっとこう、リアル志向のヌイグルミは無いのか?
・・・
ま、リアルも追求し過ぎると、ただの剥製に行き着いちゃうんじゃが…
「お?これは中々にリアルチックなヌイグルミですな。しかもキタサンショウウオと言う両生類的なチョイスが何とも…」
「……洸一。どうせ買うのなら、可愛いのにしろ」
真咲は少しだけ眉間に皺を寄せ、俺から謎のヌイグルミを取り上げた。
「ぬぅ…俺的には、非常に味のあるアイテムだと思うんじゃがのぅ」
「お前の趣味は、少し特殊だ」
「それって、褒めてる訳じゃないんだよね?」
俺はヤレヤレと溜息を吐き、更に辺りを物色してみる。
「ふむ……可愛い系ねぇ。だったらこのエゾリスか、ナキウサギか……エゾモモンガと言うのもあるが、ここは定番の狐野郎のヌイグルミにしてやるかな」
「ほぅ…中々に可愛いな」
「そうかなぁ…?」
なんちゅうか、こう……死んだ魚のような目をしているヌイグルミだぞよ。
やはり俺的には、あのキタサンショウオとやらのヌイグルミの方が良いような気がするが……ま、女の子の意見も参考にしておかないとな。
「良し、優チャンと姫乃ッチは、取り敢えずこのヌイグルミと後は御菓子にしよう。優ちゃんは、そうだなぁ…やはり定番のバターサンドだな。姫乃ッチは、北海道とは関係の無いヤツにするか」
俺はそう言って、ヌイグルミと御菓子を買い物篭に入れた。
「え~と、次はラピスとセレスだが……あ、これが良いかな?」
「ほぅ、ハンカチか」
俺が手にしていたのは、アイヌの様々なシンボルが画かれているハンカチーフだった。
丸やら三角やらの幾何学的紋様が、中々にカッチョイイ。
ついでに、自分用にも一枚買っておこう。
「それとオマケに、この北海道の可愛い動物がプリントされたスマホケースも買っておくか」
「あ、それは良いな。……私も買うか」
「さて、次はのどか先輩なんじゃが…」
うぅ~む、何にしよう?
例え土産とは言え、どうせ贈るなら喜ばれる物が良い。
が、あの人の嗜好はちと特殊だから……貰って何が嬉しいのか、全く見当が付かないぞ。
「うぅ~む……悩む。これは悩みますねぇ」
「……」
「取り敢えず、有名メーカーのチョコレートと……あ、このアイヌのお守りって言う奴で良いかなぁ。何かリアルな小動物の手だけど」
それともう一つ、このナキウサギのヌイグルミにしよう。
ま、3つも贈ればどれか一つぐらいは喜んでくれるだろう。
取り敢えず、数で勝負だ。
「さて、最後はまどかなんじゃが…」
「……まどかならこれで良いだろう」
と、真咲が俺に、瓶に入ったマリモを突き付けて来た。
「マリモ……ですか」
「そうだ。アイツはこれで充分だ。間違って食べてしまうかも知れないけどな」
「ぬぅ…」
真咲姐さん、少し毒が強いですねぇ…
「で、でもなぁ…」
「ダメなのか?……だったらこれにしろ」
真咲が指差したのは、北海道を模った分厚い木の板に『根性!!』と文字が書かれた、その存在意義すら定かではない未知な物体だった。
「どうだ洸一?これこそ北海道ならではのお土産だろ?」
「……確かに、北海道以外では見掛けんな」
ってゆーか、北海道でも滅多にお目に掛れない。
「でで、でもなぁ……俺的には、そーゆーのはお笑い腰砕けアイテムとして非常にポイントが高いと思うが、まどかに贈るとなると、ちと命懸けのような気が……」
贈った瞬間、いきなり脳天から叩き付けられそうだ。
「なんだ、さっきからまどか如きにやけに真剣じゃないか」
真咲姐さんが、何故か俺を睨む。
「うぅ~ん……俺、まどかにお土産買ってくるって約束したし……それにヘタなもんを買って来たら、僕チャン物凄い勢いで撲殺される危険が…」
「…フン、まどかになんて気を使う必要は無いのに…」
真咲はブツブツとそう溢すと、ソッポを向いてしまった。
な、なんで?
僕チャン、何かご機嫌を損ねるような事をしましたか??
ぬぅ……真咲も、時々分からないよなぁ……
「あ、これが良いかな?」
「……まどかには勿体無い」
真咲はお袋みたいな事を言う。
「そ、そうかなぁ?」
俺が手にしていたのは、小さな木彫りのエゾシマリスだった。
中々にお洒落で可愛い。
「うぅ~む、見事な作りですねぇ。造詣師は誰じゃろ?」
「……しかし高いぞ」
「そ、そうなのか?」
俺は値札を見てみる。
「――8千円ッ!?」
卒倒しそうになった。
「たかが木の分際で、8千円とは…」
滅茶苦茶な値段だ。
8千円もあれば、中古のエロゲーを買った上にメイド喫茶でお茶を一杯飲めるじゃないか……
「フッ、だから勿体無いと言っただろう。……止めとけ、洸一」
「ぬぅ…確かに、餓鬼がテキトーに付けた様なぼったくり値段だな。だがしかし、なんちゅうか……魅力を感じる。まぁ、まどかには奮発したと言う事で…」
「こ、洸一ッ!!?」
真咲は、買い物篭にそのお土産を入れる俺を見て、金切り声を上げた。
「な、なんだよ…」
「……何でも無い」
「そ、そう?」
その割には、物凄く機嫌が悪いんだが…
「あ、それとこのジンギスカン・キャラメルと言う、大丈夫かこれ、なお菓子も買っておこう」
「……」
「さて、一通り買い物は終ったな」
「……」
「ぬぅ…」
真咲さんは唇を尖らせ、ソッポを向いたままだ。
あからさまに怒っている。
何だか良く分からんが、少しだけ身の危険を感じる。
何とかしなければッ。
「え、え~と……真咲さん?」
「……なんだ?」
ジロリと俺を睨み、素っ気無い声で、
「買い物が済んだら、さっさと帰るぞ」
あぅ…
「そ、その……なんだ、真咲は、何かこれが良いなぁ~…って言うお土産はあるか?」
「…無いな」
「そ、そんな事は無いだろ?何でも良いから言ってみろよ……俺が買ってやるからさ」
「え?」
瞳をパチクリとさせる真咲さん。
「わ、私にも……何か買ってくれるのか?」
「お、おうよ。まぁ、真咲には昨夜のこととか……色々と迷惑を掛けてるしな。そのお詫びと言う事で…」
あと、俺の身の安全の為にも、何とか彼女のご機嫌を直さないとね。
★
「~♪」
真咲さんは、ご機嫌だった。
片方の手には、俺様が買ってやった大きなキタキツネのヌイグルミが入っている紙袋。
そしてもう片方の手は、しっかりと俺の手を握り締めている。
やれやれ、全くとんだ散財だ。
とは思うが……まぁ、機嫌が直ったから良しとしよう。
それに、彼女の嬉しそうな顔を見ていると……俺も何だか嬉しいし、楽しい。
なるほどねぇ……世の中から、女の子にせっせとプレゼントを贈る馬鹿な男が無くならないワケだ…
そんな事を考えながら、少し照れ臭い気持でブラブラと街を歩いていると、
「なぁ洸一。これからどうするんだ?」
手を繋いでいる真咲さんが、そう尋ねてきた。
ふむ…
近くの公園で吉沢と待ち合わせをしているのだが……真咲には黙っていよう。
少しは驚かせたいしね。
「これからかぁ……それは秘密デス」
「ひ、秘密?」
「ぐっふっふっ……これから、ドキドキするような楽しいイベントが待っておるのだよ、真咲くん」
「よ、良く分からないが…」
「良いから良いから…」
等と言いながら彼女を連れて歩いていると、いきなりガクンと、繋いでいる手に重力が加わり、思わず後ろへコケそうになってしまった。
――な、なんだ???
見ると二荒の真咲さんが、俯きながら立ち止まっている。
はて…?
「ど、どうかしましたか、真咲しゃん?」
「そ、その……私達は、まだそういう関係じゃないと思う」
「……はい?」
「洸一の気持ちは……な、何と言って良いか分からないけど……やはり順序と言うものが……」
僕も何と言って良いのか全く分からないんじゃが…
彼女は一体、なんの話をしておるのだ?
「その……洸一、やっぱり今日は帰ろう。こ、心の準備が……」
「いや、帰るって言われても……なんで?」
「な、なんでって…」
真咲が顔を上げる。
その瞳には、明らかに戸惑いの色が広がっていた。
はて…?
俺はゆっくりと、彼女の視線を追った。
その先には、ゴージャスなのかチープなのか良く分からない西洋の城が、デデーンと辺りを睥睨するかのごとく聳え建っている。
しかも御休息は7000円でお泊りは15000円だ。
お、おいおい……
「あ、あのぅ…真咲さん?」
「な、なんだ?」
上ずった声。
首の根元まで、朱に染まっている。
一体、彼女の頭の中では、今どんな病的妄想が渦巻いているんだか…
「あ、あのなぁ、いくら何でも、俺はそこまで破天荒でもなければチャレンジャーでもないぞ?」
「そ、それは……どう言う意味だ?」
「どーゆー意味って……」
「もしかして……私では不満なのか?」
「何を言うてるんですか?俺が言いたいのは、根本的に話しが噛み合ってないと言うことだ」
「?」
「だから……俺は別に、真咲をあの迷宮組曲みたいなお城に連れ込んで、どえらい事をしようとか思ってる訳じゃなくて、偶々歩いていたらあそこに謎のお城があったと言うだけ。分かる?全ては真咲さんの妄想なのですよ?」
俺がそう言うと、益々真咲の顔が赤くなった。
そしてどこか怒気を孕んだ目で俺を睨み、
「そ、そんな事は分かってるッ。こ、洸一を試しただけだッ!!」
「――ギャフン」
さ、さすが学園最強の戦士…
何て負けず嫌いなんでしょうか。
「そ、そもそも私をあんな所へ連れ込んで……どうこう出来ると思ったかッ」
「いや、初めから連れ込む気は全く無いんじゃが…」
「だ、第一だ、洸一に……そんな度胸は無いッ!!」
ぬぅ…
そうまで言われると、俺も男だ……黙って引き下がる訳にはいかない。
売り言葉に買い言葉と言う奴だ。
ここは少し、真咲をギャフンと言わさなければ……
「ほぅ…」
俺は真咲を見つめた。
「そんな事言うと……本当に連れ込むぞ?」
「じょ、上等だ……やってみろ」
「ギャフン」
あ、いかん、俺が言ってしもうた。
「ほ、本当だぞ?本当に入っちゃうぞ?そして入れちゃうぞ?……何を入れるのかは言えないがな」
「べ、別に……構わん。お前にそこまでの度胸があるのならな」
真咲はそう言うと、顔を伏せてしまった。
「くっ…」
ど、どうしよう?
なんだか、えらい事になってしまった気がする。
ここは一つ、男の怖さを教える為にホンマに連れ込むか?
・・・・・・
・・・
いやいや、俺が彼女の怖さを思い知るだけのような気がする。
それにだ、よしんば真咲と成り行き任せにナニがナニしちゃったら、後々、どーなることやら……
一度きりの過ち、何て事にはならないだろう。
真咲はどうか知らないが、俺はそんなドライな男ではない。
責任は取るッ!!
ちゃんと、真咲と付き合う。
そんな事になってみろ……って、あれ?
どーなるんだ???
俺が真咲と付き合うって……それって、ちょっとラッキーな事じゃないか?
・・・
ちょっと待て。ここは冷静に考えてみようじゃないか……
確かに、彼女は恐ろしいぐらい強い女の子と言うか強過ぎて恐ろしいけど、見た目はかなりグッドだ。
性格も俺好み。
怒ると確かに怖いけど、それは怒らせないようにすれば良いだけの話だし……
おいおいおい……これって、物凄いチャンスなんじゃないかい?
「……」
俺は音を立てないように、唾を飲み込んだ。
――良しッ!!
心は決った。
これはきっと、運命なのだ。
俺はこれから、真咲とホテルに入る。
そして凄い事をする。
それから正式に真咲と付き合う。
将来は幸せな家庭を築く。
以上、俺の中の未来計画終了。
いざ、往かん――未知の世界を求めてッ!!
が、俺の足は止まったままだった。
まるで石のように、ピクリとも動かない。
ぬぅ…
心はGOサインを出したのに、本能がNOと言っているような……
何故だ?
真咲とチョメチョメすると、何か災いが起こると言うのか?
・・・・・・
・・・
起きそうだ。
確信に近い予感がする。
何だか分からんけど、俺の周りに存在するクリーチャーどもが、この俺に生きながら地獄を味あわせるような……そんな気がする。
だがしかし、このチャンスを逃せば……
「ってゆーか、俺はさっきから何を考えているんだよーーーッ!!」
脳がゲシュタルト崩壊を起こしそうだ。
「ど、どうした洸一?」
「あ、いやいや……何でもない」
俺はフルフルと頭を振った。
全く、妙な妄想ばかり浮ぶぜ…
これはやはり、穂波に盛られた毒の影響か?
最近の洸一チン、ちょっとエッチな傾向が強いが……ま、仕方のない事だ。
そーゆー年頃だし、そもそもエッチな事が好きと言うのは、思想や人種、貧富に関係なく、工場出荷の段階で付いて来る人間としての基本仕様みたいなものだからね。
「あ~……行くぞ真咲。こんな所で突っ立ってないで、俺には行く所があるんだよ」
「は、入らないのか?」
「当たり前だ」
俺は苦笑を溢しながら、彼女の手を引いてホテルの前を通り過ぎる。
「洸一は……思ったよりチキンだな」
「チキンって言うにゃッ!!……常識があると言え」
★
真咲とブラブラ街を歩くこと数十分、俺達はちょっと大きな公園に辿り着いた。
海が近いのか、潮の香りが僅かに漂う。
「公園か…」
真咲が呟いた。
「ここに何か、あるのか?」
「ん?ん~~……取り敢えず、夕焼けが綺麗だな」
「……そうだな」
小さく頷き、彼女の体が俺に寄りそうに様に密着。
「空気が澄んでるから、夕陽も綺麗に見える…」
「函館かぁ……明日には帰るんだよなぁ」
「……うん」
真咲は繋いでいる手を離し、何故か腕を絡ませてきた。
肘の辺りに彼女の体温を仄かに感じる。
「……洸一は楽しかったか?修学旅行」
「……どーなんだろう?」
何だか、良くない思い出ばかりだったような気がする。
毒は盛られるわブン殴られるわ……
「私は……楽しかったぞ」
「そりゃ良かった」
「でも……も、もう少しだけ、思い出が欲しいな」
そう言って、真咲は更に密着してきた。
な、なんだ?
どーゆーこと?
真咲姐さん、物凄く積極的なんじゃが……
ナイーブ国の民である僕チンとしては、かなりドキドキしますぞ。
「洸一……」
真咲が俺の名を呟く。
その瞳は、ウルウルと潤んでいた。
ゴミでも入ったのだろうか?
「洸一……」
何かを待っているかのように、もう一度俺の名を呟く。
「ま、真咲…」
俺も彼女の名を呼んでみた。
特に意味は無い。
呼ばれたから呼び返しただけなんじゃが、彼女は何故だか嬉しそうに微笑み、そしてそっと瞼を……
と、その時だった。
公園の入り口方面から
「おぉ~い、神代~♪」
と、聞き覚えのある元気な声。
「よ、吉沢?」
真咲姐さんは駆け寄って来る彼女に瞳を瞬かせ、そして思い出したかのように、俺からサッと身を離した。
今まで密着していた部分が、スースーする。
ちょっと寂しい。
「神代~……って、あれ?……真咲?」
吉沢も立ち止まり、目を真ん丸にしていた。
「あ、あれれれ??」
「よ、吉沢…」
「う、うっわぁ~~…――懐かしいね♪」
吉沢は笑顔で駆け寄ると、真咲の手を取り、ブンブンと上下に振った。
「吉沢も、元気そうだな」
真咲姐さんも、嬉しそうに微笑む。
うむ、心温まる旧友同士の邂逅じゃのぅ…
「ハッハッハ……どうだ、驚いただろ吉沢?」
「驚いたよぅ」
最後に見た時より少し髪が伸びたかつての級友は、どこか苦笑めいた笑みを溢しながら、
「神代の隣りに誰かいるなぁ~って思ってたら、真咲だったモン。ビックリするわよ」
「ワハハハッ」
「わ、私も驚いたぞ、洸一」
と真咲さん。
「何処に連れて来るかと思えば、まさか吉沢と待ち合わせをしているなんて……何で教えてくれなかったんだ?」
「そりゃあ、驚かそうと思ったからだ」
それ以外に理由は無い。
「さて、ここじゃなんだし……取り敢えず、どこかでお茶でも飲もうや」
★
場所を公園近くの『函館慕情』と言うダメな名の付いた小洒落たカフェに移した俺達は、雑談に花を咲かせていた。
ま、彼女が転校してまだほんの3~4ヶ月足らずだし、俺は俺で時々彼女に電話なんぞを入れているから、それほど特別な話はないが、真咲と吉沢は休む間も無く話し続けている。
彼女達は同じ部活だったし、色々と積もる話もあるのだろう。
「そうか……こっちの学校でも、空手部に入ったのか」
と、真咲さんはそう言って紅茶を啜った。
「まぁね。それ以外に入りたい倶楽部もないし…」
と、吉沢も同じように紅茶を啜る。
ちなみに俺様は、デミタスカップに入ったエスプレッソだ。
この苦味が好きなのだ。
「しっかし、まさか真咲が神代と一緒にいるなんて……って、神代?あんたさっきから何ジロジロ見てるのよ?」
「んにゃ?いや、なに……お前の学校、制服がブレザーなんだな、と思ってな」
吉沢は、濃い茶色のブレザー姿だった。
胸には、何やらカッチョイイエンブレムが付いている。
ちょこざいな、と言う感じだ。
「えっへっへ……良いでしょ?」
「何が良いんだか分かりませんな。それよりも吉沢、学校の方はどうだ?」
「別にぃ。……普通よ」
「普通ねぇ。彼氏の一人でも出来たか?」
「う……」
吉沢はジロリと俺を見つめた。
何故か真咲も、俺を睨んで来る。
僕チャン、何か拙い事を言ってしまいましたか?
「彼氏なんて……まだいないわよ。まだ作る気もないし…」
「そうなのか?」
「そうなの。ったく……そーゆー神代は、どーなのよ?」
「俺?俺はその……例えるなら、雲、かな?自由気侭に漂うのが好きなのよ…」
「相変わらず脳味噌が膿んでるわね」
吉沢は呆れたように俺を見つめるが、不意に口元に笑みを浮べると、
「でもアンタ、真咲と仲が良いじゃない」
「……へ?」
「さっきも確か、腕を組んでた様な……」
「み、見間違いだぞ、吉沢」
そう言ったのは真咲さんの方だった。
「私と洸一は、そんな不適切な関係じゃない」
不適切な関係ってなんじゃろ?
「ま、そーゆー事だ吉沢。俺様と真咲は、偶々今日一緒にいただけの話だ。そもそもクラスだって違うしな」
「ふ~ん……でも神代、あんた真咲の事を呼び捨てにしてるし……」
「それは俺の得意技だからな。それにだ、この数ヶ月、色々とあったからのぅ……本当に色々とあった」
「色々ねぇ…」
どこか意味深な瞳で、吉沢は俺と真咲を交互に見つめた。
「そっかぁ……私が転校してから、ほんの数ヶ月で色々とあったんだ…」
「あぁ……あった。被虐的な数ヶ月だった。呪われるわ殴られるわ戦うわ街は壊滅するわ……ダイジェスト風に纏めても、1週間ではとても放送出来ないほど、色々とあった」
思い出すだけで鬱になりそうだ。
「な、なんか……私の考えていた事と違うんだけど…」
「ん?なんだ?お前の考えって?」
「ん?ん~~……ね、神代。あんた、本当に真咲と付き合ってないの?実はこっそり付き合ってるんじゃないの?」
「は、はい??」
俺は首を捻る。
俺と真咲さんは、そんな仲良しさんに見えるのか?
「そ、そんな事は無い」
否定したのはまたもや真咲さんだった。
「私と洸一は、まだ付き合ってはいない」
「その通りだ」
俺も相槌を打つが、『まだ』って……どーゆー意味じゃろう???
「あ、そうなんだ。ふ~ん…」
「な、なんだよ吉沢。その憐れんだ目は…」
「全く、神代は相変わらずね」
「へ?何が?」
「真珠の価値が分からない豚野郎って事よ」
「な、何たる言い草…」
「うるさいわねぇ……神代は隅の方で、ブーブー言ってなさい」
「……ブーブー」
取り敢えず俺は、言ってみるのだった。
★
陽が西の空に半ば沈んだ頃、俺は喫茶店を後にし、ブラブラと一人、宿へ向かって歩いていた。
真咲さんはまだ、吉沢と喋っている。
って言うか、俺が強引に彼女を置いてきた。
ま、なんだ……俺とは違い、彼女は吉沢のマブダチなのだ。
俺がいたら出来ない話、女の子同士の会話と言う奴もあるだろう。
うぅ~ん、何て俺は、気の利く男なんでしょうか……
なんて事を考えている内に、宿に到着。
さて、取り敢えず部屋に戻って風呂入って……
その前に、あの馬鹿(多嶋)は一体、どーなっておるんじゃろうか……
「……お?」
玄関をくぐると、丁度ロビーの所に、多嶋の心の隙間に入り込んで内部を破壊した張本人である所の穂波が、一人佇んでいた。
さてさて、結果どーなった事じゃろうか…
期待半分、怖さ半分な気持ちで、俺は片手を挙げながら
「よぅ、穂波」
「あ、洸一っちゃん…」
――ぬっ!!?
穂波の目元に、見慣れぬ雫が……
「ど、どうした穂波?目にゴミでも入ったのか?」
「こ、光一っちゅわぁぁぁん」
穂波はガバッと、まるで蝿取り草みたいにいきなり俺を抱き締め、
「うぅぅ…」
いきなり胸元でグスグスと咽び泣く。
お、おいおい……
「ど、どうした穂波?何故に泣く?」
心臓を、キュッと鷲掴みにされた気分だった。
理由は分からんが……妙に焦る。
「光一っちゃん。た、多嶋くんが……」
「多嶋…」
なんだ?
多嶋がどうかしたのか?
それとも――多嶋に何かされたのかッ!?
「た、多嶋が……な、何かしたのか?」
掠れた声しか出ない。
あの野郎……よもやまさか……い、一線を超えたとか……
しかも強引にとか……
「う、うん」
穂波小さく頷き、涙を流しながら、
「あの野郎……とんでもねぇクソ野郎だよッ!!」
「…………はい?」
「あのね、今日は私ね、クマ牧場へ行って来たの」
「それは知っている」
「そうしたらあの多嶋の野郎も付いて来たの。でもそれは良いの」
「お、おう…」
「でもねでもね、私がクマちゃんにね、柵の上から餌をやってたら突然……」
「突然……どうした?」
まさか多嶋本人が獣になったとか…
「突然ね、多嶋の野郎がいきなり私の前へ来てね、ジッと気味悪く見つめて来るの」
「……」
「そしてね、いきなり手を握り締めて…」
「て、手を?」
「うん。それで私驚いて……気が付いたら、多嶋の野郎を投げ飛ばしちゃったの」
「投げ飛ばした……」
真咲の手を握って投げ飛ばされた俺が言うのも何だが……
多嶋よ、穂波相手にお前は何処までチャレンジャーなんだ。
「うん。だって怖かったもん。あの時……多嶋の野郎、目が血走ってたもん」
穂波は全く悪びれずに言った。
何て恐ろしい女だ。
しかしまぁ……確かに、それは多嶋の馬鹿が悪いな。
相手は穂波だぞ?
自分の常識が通用すると思った時点で、負けだな。
「それでどうしたんだ?多嶋はどうなった?」
「う、うん。それがね、多嶋の野郎……落ちちゃった」
「ん?落ちた?何処へ?」
「クマチャンのいる所」
「―――ギャフン」
だ、だから俺があれほど止めとけって言ったのに……
「そ、それから多嶋はどうなった?」
もしかして、お陀仏?
「クマちゃんにお尻を噛まれて救急車に運ばれて大変だったよぅ…」
穂波の目に、またもや涙が滲み出した。
「うぅぅ……か、可哀相だよぅ」
「多嶋がか?」
「――違うよッ!!」
穂波は発狂したかのように叫んだ。
あまりの剣幕に、ナイーブでデリケートな僕チャンのハーツはいきなり破損。
膝がガクガクと震え出す。
「多嶋の野郎はどーでも良いのよッ!!可哀相なのは、クマチャンだよぅぅぅ」
「ク、クマ???」
「そうだよぅ。多嶋を齧ったからって、罰を受けるんだよぅ。下手したら薬殺されちゃうよッ。クマカレーの材料になっちゃうよぅぅぅ」
「そ、そうか……それは可哀相にな」
俺はそう言って、穂波の頭を優しく撫でる。
もちろん、可哀相と言ったのは多嶋に対してだ。
哀れなり、多嶋……
どうやら穂波に取ってお前は、鼻も引っ掛けない所か対象の死角にいる存在みたいだな。
しかしぶっちゃけた話、獣以下の存在価値とは……悲し過ぎて何と言って良いやら……
「ところで、その多嶋はどうしている?」
「部屋で寝ているよぅ。さっき病院からノコノコ戻って来たから、蹴りを入れてやったモン」
「あ、あらそう…」
「光一っちゃんも部屋に戻ったら、多嶋の野郎に罰を与えてね。クマチャンの仇だよぅぅぅ……チュミミーン……」
「わ、分かった」
とは言ったものの、俺は死者に鞭打つ真似なんて出来ないけどね。
★
部屋に戻ると、包帯を巻いた尻の上にアイスノンを置いた多嶋の馬鹿が、うつ伏せ状態で『うぅ~ん、うぅ~ん』と呪われそうな呻き声を上げて転がっていた。
とても修学旅行に来ているとは思えない、嫌な光景だ。
うへぇぇ……
なんちゅうか、災難に遭ったと言うよりは地獄巡りをして来た、と言う感じで非常におっかない。
穂波にちょっかいを出すとどーゆー事になるのかと言う、良い見本だ。
「……よぅ、多嶋」
俺は彼奴の枕元に腰を下ろし、出来るだけ優しく声を掛けるが、彼奴は『ヒィッ』と情け無い声を上げ、体をブルッと震わせた。
どうやら多嶋の心は、PTSD並の深刻なダメージを受けてしまっているようだ。
あ、哀れよのぅ…
「大丈夫か、多嶋?」
「あ…あぁ、神代か……」
顔色の悪い多嶋の馬鹿は、やつれた笑みを溢した。
その姿に、今朝のあの野望と希望に満ちていた時の面影は全く無い。
「とんだ目に遭っちまったなぁ…」
「い、いや……悪いのは俺の方だし……」
「……」
まだ言うか、この大馬鹿は?
穂波はお前を投げ飛ばしてクマの中へ落とした。
そしてお前は尻を噛まれて男前台無し。
あまつさえ、穂波はそんなお前に蹴りを入れた。
以上3点の事柄を踏まえて行列の出来る法律相談所へ持ち込めば、お前は確実に勝てると言うのに……
「でも、折角のデートが台無しになって、榊さんには申し訳ないと思ってるよ…」
「そ、そっか…」
そもそもデートじゃないのに……なに言ってるんだコイツ?
尻以外に頭も噛まれたんじゃねぇーのか?
「あ、あのなぁ多嶋」
俺は大きく溜息を吐いた。
「前からずーっと言ってるけど、穂波は止めとけって」
「ふっ、馬鹿な事を…」
――馬鹿は貴様だッ!!
と怒鳴りたい気持ちを抑えながら、俺はヤレヤレと首を振り、
「正直な話、お前みたいなオーディナリィピープルには、あの女は荷が重過ぎる。積載量オーバーだぞ」
「そんな事は無い。今日の事だって……これはこれで、榊さんとの仲がグッと深まった気がする」
多嶋の妄想は、トップギア全開だった。
もう誰にも止められない。
「俺はよぅ、神代。もう……彼女の事しか考えられないんだ」
……それは想いではなく、既に怨んでるんじゃねぇーのか?
「多嶋……これが最後の忠告だ。お前では、穂波を御しれない。このまま付き纏っていたら、その内うっかり死んじゃう事もあるんだぞ?それでも良いのか?」
「神代は大袈裟だなぁ。ハハ…」
「クマに尻を噛まれたお前がそんなこやかに笑うな。何だか俺、猛烈に悲しくなって来たぞ…」
★
懐石チックな豪華絢爛晩御飯を食した後、俺は腹ごなしの散歩がてら、ブラブラと1階ロビーのお土産物売り場を歩いていた。
売り場は、我が校の生徒や他の観光客で、結構な賑わいを見せている。
3泊4日の修学旅行も、残すところ明日一日だ。
長かったような短かったような……そんな旅行も、実質的には今日で終了。
明日にはこの北の大地を離れ、故郷へ帰るのだ。
「ラスト・ナイトか…」
俺は呟いた。
修学旅行、最後の夜。
なんだかこう、ちょっとドキドキする。
他の奴らはどうかは知らないが、俺には予感めいた確信があった。
――何かが起こる。
そう、この最後の夜に、何か記憶に残るような思い出の為のイベントが起こる。
そんな気がするのだ。
「まぁ……ピュアな思い出になるか、永遠のトラウマになるか……俺次第か」
俺は苦笑を溢しつつも、
もしも部屋に戻ったら真咲さんとかミカチンが待っていたらどうしうよう?
そして散歩でもと誘われたらどうしよう?
でもまさか、穂波がいたらどうしよう?
本気パンチを出しても正当防衛になるじゃろうか?
等と妄想を膨らませながら歩いていると、いきなり『リーンッ!!』と心を脅かす旧時代的な電話のベルの音が鳴り響いた。
見ると御土産物売り場の脇にある、N○Tも既に忘れていると言った古いピンク電話が、けたたましく自己主張を繰り返していた。
おいおい、公衆電話が鳴ってるぜ……珍しいなぁ……
だが更に珍しいのは、誰もその電話を取ろうとしない、と言うことだった。
これだけ耳に劈く音で鳴っているのに、店員は誰一人受話器を取ろうとしない。
一体、どーゆー事だ?
「やれやれ…」
俺はこの喧しいベルの音を止める為に、受話器を取った。
「もしもし、現在この電話は使われておりませんです」
『……こんばんは、洸一さん』
思わず受話器を落としそうになってしまった。
こ、この聞き取り難い小さな声は……
「の、のどか先輩?」
『はい、そうです』
目の前が一瞬、真っ暗になった。
俺の予感は見事に的中だ。
確実に、記憶に残る何かが起こる。
それも多分、悪夢に近い何かが……