戦う理由
★5月17日(火)
今日も今日とて、いつもと何ら変わり映えのしない日常。
……家に帰る途中までは。
「あ~~……平穏な一日だったにゃあ」
練習を終えた俺は、気だるい肉体的疲労に心地良ささえ覚えながら、ブラブラと家路に着いていた。
今日の練習は、優ちゃんと姫乃ッチの3人だけだった。
TEP同好会正規メンバーだけの練習……
実に久し振りだ。
練習と称して、俺に暴力を振う闘姫達のお姿は無かった。
真咲は自分が出る大会も近いから空手部で修練を積んでいるし、まどかはまどかで、自分の学校のクラブを、そうそう放ったらかしには出来ないのだろう。
うむ、実に平和な一日だったわい。
「さて、取り敢えずいつものスーパーへ寄って、何か晩飯的な物でも調達してくるか……」
そんな事を独りごち、いつもの公園に差し掛かると、
「あ、洸一」
げっ…
闘姫の片割れ、喜連川のアカン娘がそこにはいた。
「なに?もう練習終わったの?……今から様子を見に行こうと思ったのにぃ」
「……空を見ろ。既に夕焼け空に一番星が輝いているじゃねぇーか」
俺は何故か膨れっ面をしているまどかにそう言った。
「ってゆーか、毎度毎度どうして俺様の学校に来るんだか……自分ン所のクラブはどーした?面倒見なくて良いのか?」
「ちゃんと見てるわよぅ。それに私の格闘技倶楽部は、人数も多いもん。私がいなくても、少しぐらいは平気なの」
「あらそう…」
まぁ、優チャンからすれば、まどかが来てくれるのは嬉しいみたいなんだけど……
俺としては、生傷が増えるだけだからなぁ……
真咲姐さん一人で手一杯だぜ。
「ところで洸一。今日、真咲は?」
「へ?さぁ?……ってゆーか、アイツは基本的に空手部なんじゃが……」
「ふ~ん、そっか……。真咲は今日、一緒じゃないんだ。……そっかそっか」
何故か今度は満面の笑みだ。
「で、アンタは今から帰るところなんだ」
「まぁな。その前に晩飯の食材を買いに、スーパーへ寄ろうかと……」
「ふ~ん。私としては、今日はハンバーグみたいな物が良いなぁ」
「俺としては、何故に貴様がそう言う事を言うのか、全く分からん」
よもや食ってく気ではあるまいな?
「それにだ、ハンバーグは作るのが面倒臭ぇ…」
そんな事を喋りながら、まどかと共に公園を横切っていると、遠くから「神代さぁぁぁん」と呼ぶ情けない男の声。
振り返ると商店街の方から、如何にも僕は頭悪いです的風貌をした、昨今ではTVの中でしかお目に掛かれないような前世紀テイスト溢れるビーでバップな不良スタイルの馬鹿が、息を切らしながら駆け寄って来る所だった。
ま、平和なウチの学校と言えども、数匹ぐらいはこう言った連中が屯している。
どんな清潔な家の中でも、ダニが存在しているのと同じ理屈だ。
もっとも、余所の学校とは違い、校内では非常に大人しい。
授業態度も、下手すりゃ俺より良いかも知れん。
何しろ我が校には、表に真咲姐さん、裏にはのどか先輩と言う学園の守護者が控えているから、下手な行動は出来ないのだ。
もちろん、俺様もいるがなッ!!
「じ、神代さん!!」
その身長的にちんまりとした、頭がまっ茶ッ茶なパープリンは、息を切らしながら俺を見つめる。
「ンだよぅ…」
俺は面倒臭げに答えた。
普段は俺様を避けようとしているのに、こう言った態度を取る時は、何かロクでもない時なのだ。
「実は……」
と、その小さなお馬鹿チャンは何か言おうとするが、俺様の隣で好奇心一杯な感じで瞳をキラキラとさせているまどかに気付くと、目を大きく見開いた。
まぁ、まどかは見た感じ、ごっつ美人だからなぁ……
中身は悪魔将軍だけど。
俺は心の中で苦笑を零しながら、
「ほれ、早く話せよ」
「あ……はい。実は神代さん、助けて下さい」
「……断る」
以上、話は終わりだ。
さて、早くαコープへ行って、本日の特売品を買わなくては……
「じ、神代さんッ!!」
と、その馬鹿は俺の制服を掴んできた。
「だから何だよぅ。女の子ならともかく、男にそーゆー事をされると、正義の鉄拳がビュンビュンと唸るぞよ」
「す、すんません。でも、菊田さんが大変なんです」
「菊田?……あぁ、頭が鶏の鶏冠みたいになってるあの菊リンか。んで、あの馬鹿がどうした?ヤクザの女にでも手を出して、事務所へ連れて行かれたか?だとしたら、俺様の出番はないのぅ」
「ち、違いますよ。その……変な男に絡まれて……」
「……嘘を吐くな」
俺はやれやれと肩を竦めた。
「どうせお前達のことだ。因縁つけてたら、逆にやられたんだろ?」
「……はい」
茶髪のちっちゃい不良君は、コクンと頷き、そのまま項垂れた。
実に正直だ。
「で、でもでも、そいつ無茶苦茶するんですよっ!!こっちが謝ってるのに問答無用で……」
謝るのは不良として、かなりヘタレだと思うが……
「ふ~ん…」
「た、頼みますよぅ神代さん。菊田さん達をどうか助けて下さいよぅ」
むぅ……
どうしようかのぅ?
★
うぅ~む……
俺は暫し考えた挙句、
「頑張れ」
そう言って、小さな茶髪君の肩を叩いた。
「そ、そんなぁ」
彼は既に半泣きだ。
とても不良には見えない。
ただのヘタレだ。
「た、頼みますよぅ神代さん。神代さん、いつもこの街は俺様が守るとか何とか言ってるじゃないですかぁ」
「だって面倒臭い」
と言うか、部活の後で既に体がクタクタのクタだ。
もしも本当に強い奴だったら、俺様が危険じゃないか……なぁ?
俺は君子だから、危うきに近寄らないで、ここはさっさとスーパーへ行って晩飯を調達するのが利口なのだ。
「神代さぁん……」
「す、縋り付くような目は止めろ。……ったく、貴様は捨て犬か?」
俺はしかめっ面で頭を掻く。
と、まどかがそんな俺の制服の裾を引っ張りながら、
「ねぇねぇ洸一。助けてあげたら?」
「ぬぅ、でもなぁ……」
「た、頼みます神代さんッ!!」
ガバッと頭を下げる茶髪くん。
ちなみにこやつの名前は、確か奥崎堅三だ。
神軍カーを操るちょっとアレな人と同姓同名だが、性格はチキンである。
「うむぅぅぅぅぅぅ……分かった」
俺は暫しの黙考の後、溜息を吐き出しながら応じる。
「この辺りは俺様のテリトリーだし、お前は一応、同窓生だからな」
「あ、ありがとう御座います」
「うむ。ちなみに報酬は学食ランチ3回分な」
「……へ?」
「……セコイ男ねぇ」
と、まどか。
「何を言うかッ。たかが900円、愛読している美少女ゲーム専門雑誌すら買えない金額で俺様が出張ってやると言ってるんだぞ?破格のプライスじゃわい」
我ながら、出血大サービスだと思うね。
「ま、そーゆーわけだ、まどか。悪いが、お前と遊んでいる暇はねぇ。今日のところは帰って…」
「え~~っ」
まどかはブーブーと不満の声を上げた。
そして、
「私も付いて行く」
と、何故か胸を張る。
「お、おいおい……」
「なによぅ」
「あのなぁ……喧嘩だぞ?出入りなんだぞ?男の世界だ……女の出る幕じゃねぇ」
「へぇ~~……そーゆーこと言って、良いんだ?」
まどかの目が細まった。
「もしも相手が本当に強いヤツだったらどーすんのよぅ?ただでさえ洸一は弱っちいんだし……」
「ぐっ、何たる暴言か」
ってゆーか、単に貴様が規格外なだけだろうに……
背中の筋肉が鬼の顏とかになってるんじゃねぇーのか?
「と、ゆーワケで、行くわよ洸一。心配しなくても、私が付いてるから大丈夫よ」
「な、なぜに主導権を……」
「いいこと、敵が弱そうだと思ったら『ガンガン行こうぜ』で攻めて、強そうだと思ったら『命を大事に』で防御よ」
「しかも俺様をAI扱いか?」
「文句を言わない」
まどかはそう言って俺の肩をポンポンと叩くと、ジロリと不良の奥崎クンを睨み付け、
「ほら、そこの身長が垂直方向にチャレンジしているアンタッ!!さっさと案内するッ!!」
「りょ、了解でありますッ!!」
小動物である奥崎は一瞬にしてまどかの強さを本能的に察知したのか、ビシッと恭しく敬礼した。
「いやぁ~……なんだか楽しみだね、洸一♪」
「楽しんでるのは貴様だけだ」
俺はガックリと項垂れた。
★
ちょこまかと、まるで子ネズミのように商店街を駆けて行く小さな奥崎の後ろを、俺とまどかは殆ど散歩気分で、のんびりと付いて行く。
やれやれ……
何が悲しゅうて、馬鹿どもの喧嘩に巻き込まれなきゃいけないのか……
普段なら、今頃はお家に帰って風呂にでも入っているのにねぇ。
「……おい、まどか」
俺は隣を歩いている、腕白お嬢様に声を掛ける。
「いいか、下手な手出しは無用だぞ?全て俺様に任せておけ」
「え~~……なんでよぅ?」
くっ…
こいつ……やる気マンマンだ。
何故にこうも血の気が多いのだ?
「ふんっ、いくら貴様が強いとは言え、一応は、仮にも、悲しいけど、女の子だ。この最後の男おいどんと呼ばれた俺様の前で、女の子を戦いに巻き込むことなどは出来もうさん」
「なによぅ。私より弱いくせに」
「くっ……それはあくまでも格闘技の話だ。本当の喧嘩になれば……」
「喧嘩になれば、どーなんのよぅ?」
「……ぬぅ」
どーなるんだろう?
・・・
本気で相手を殺ってしまうかもしれんな、コイツは。
「と、ともかくだ。お前は黙って見てるだけにしろ」
「……分かったわよぅ」
まどかは唇を少しだけ突き出しながら不満げにそう答えるが、
「でも……洸一が私のことを心配してくれてるんだから、少しは言うことを聞いてあげるか」
ニッコリと微笑んだ。
「お、おいおい……冗談は腕力だけにしろ。俺が心配してるのは、まかり間違ってお前が相手をぶち殺した挙句に検察に逆送されないかどうかだ」
「……」
「くっ、そんな怖い顔で睨まれても……」
俺は慌てて目を逸らす。
と、前を走っていた、腕白だけど逞しく無く元気でも無い小さな不良の奥崎が、
「じ、神代さん。あそこの公園です」
「犬の楽園か……」
それは商店街のちょいと裏道にある、錆びたブランコと同じく錆びた滑り台のみと言う、既に行政からも見放された小さな公園だ。
何故かいつも犬のウンチョスが大量に落ちているので、犬の楽園と地元の人間は呼んでいるのだが……
「んっ?」
公園に着くや、俺は立ち止まり、顔を顰めた。
街中にある小さなその公園の中には、男が一人、向こうを向いて佇んでいた。
男は白を基調とした、まるで軍服か何かのコスプレか、と言う制服を着ている。
あの特殊な制服……あれは隣町にある、文武両道の名門、白凰大学付属鶴端学園のものだ。
その男の足元には、俺様の学園の頭のちと悪い生徒が数人、倒れている。
むぅぅ……あの野郎が一人でやったのか?
中々どうして、白凰は不良なんかいない、お坊ちゃん学校だと思っていたんじゃが……
「き、菊田さんっ!?」
と、いきなり奥崎が叫んで駆け出した。
「こ、この野郎ーーーーーーーッ!!」
ほほぅ……
ちと感心だ。
身長も肝っ玉も小さいとは言え、そこは俺様の学園の生徒だ。
仲間がやられているのを見て、黙っていることは出来ないのだろう。
うむ、頑張れよ奥崎……
が、俺様の心の応援も空しく、
「ギャフンッ!?」
奥崎は瞬殺された。
――むっ!?強い……
白凰の生徒は振り返りもせず、背後から迫ってくる奥崎に蹴りを一閃。
その速いこと速いこと……
俺様の目でも、追い付かなかったほどだ。
ぬぅ……
空手か?
真咲姐さんの蹴りに似ているが……
さて、どうしよう?
俺の本能に装備されているスカウターは、こりゃアカン……と言うような数値を弾き出している。
この俺様、未だかつて本気の喧嘩で負けたことがない。
それは何故か?
答えは、強い相手とは喧嘩をしないように生きてきたからだ。
えっへんッ!!
と、言うわけで、ここは大人しく退散しよう。
うん、ボクは何も見なかった……
「――って、考えてる間に走ってるし」
俺は心の中で苦笑しつつ、そ奴に向かって走り出していた。
心よりも先に体が反応したのだ。
ここは俺様の地元だし、何より目の前で、それほど親しい訳でもないが同じ学園の生徒が倒されたのだ……
その現場を目の当たりにし、尻尾を巻いて逃げ出すほど俺は根性無しではない。
全く、我ながら男一匹ど根性な性格が煩わしいぜ……
まどかの『ダメよ洸一ッ!!』と言う声が耳に響くが、今更遅いッ!!
「うぉりゃーーーーーーッ!!」
舐めているのか、未だ向こうを向いている彼奴の背中に、ガンジーだって本気で怒り出しそうな洸一ダイナマイツキックをお見舞いしてやる。
いや、するつもりだった。
――ッ!?
男は振り向き、そして俺様のスンゴイ蹴りを、余裕綽々ですたい、と言う笑みでいとも簡単に躱すと、お返しと言わんばかりの物凄い廻し蹴り。
――ンヒィィィッ!!?
90%ぐらい運、と言うような感じで、俺はその蹴りを屈み込んで躱すが、今度は真下から、顔面目掛けて月まで吹っ飛びそうな勢いのアッパーが迫って来る。
――ぬぉうッ!!?
辛うじて、これも躱す事が出来た。
顎から頬に掛けて、彼奴のパンチが僅かに掠りながら飛んで行く。
俺はバックステップで間合いを取った。
あ、危なかった……
貰っていたら、確実に昇天しちまうところだった……
だが……
何とかなるかもしれんッ!!
今のパンチだって……
まどかや真咲に比べたら、全然遅いッ!!
悪魔将軍のまどかに比べたら、こ奴なんぞはカレ○ック並だッ!!
「野郎……」
俺は構えを取る。
彼奴は……チッ、笑ってやがるッ!!
ムキーーーーーーーーーッ!!
ムカついたぜッ!!
今日から犬の楽園と呼ばれたこの公園を、デス・パークと改名してやるッ!!
だが、そんな闘志満々の俺に対して、俺様より劣るがそれでも普通よりはややハンサームな感じのその男は構えも取らず、フフーンと厭味ったらしく前髪を掻き上げながら、
「無駄だよ、君……」
「な、なんだとぅッ!!」
叫んだ瞬間、俺は腰から下が砕けた。
足腰が言うことを聞かない。
この非常時に謀反を起こしやがった。
「ち、ちくしょぅ……」
くっ、あの時か?
あのアッパーを避けた時、僅かに掠って脳を揺すられたのか?
男は俺の表情から考えを読み取ったのか、苦笑を溢しながら、
「その通りだ」
と、呟く。
そして止めを刺すつもりなのか、ゆっくりと近づき……
「洸一ッ!!」
目の前に、戦を司る女神が舞い降りた。
まどかが俺と彼奴の間に立ち塞がる。
ふっ、白凰の糞野郎め……
今、貴様の目の前にいる女こそ、史上最強と呼ばれた狂戦士の片割れだ。
さぁ、心行くまでぶっ飛ばされるが良いッ!!
が、白凰のその生徒は驚いた顔で、
「き、喜連川さんッ!?」
――にゃにッ!!?
俺はマジマジと彼奴を見つめる。
知ってるのか?
いや、まどかと知り合いなのか?
「これはとんだ所でお会いしましたねぇ…」
男はにやけた笑みを浮かべる。
俺様の嫌いな、媚びた笑みだ。
そして一方のまどかと言えば……
「そーね」
と、実に素っ気無く言ってそっぽを向くや、
「だ、大丈夫、洸一?」
「……まぁな」
俺は彼奴を睨み付けたまま答えた。
「こ、これは……もしかして、そこの彼は喜連川さんのお知り合いですか?」
「……そーよ」
と、まどか。
男は慌てて俺に近づき、
「君……すまなかった」
と、手を差し伸べてきた。
――馬鹿めッ!!
その腕を掴み、そして空いているもう片方の手で彼奴の顔面にスンゲェ洸一パンチを……
「ギャフンッ!?」
俺はクルリと華麗に宙を舞い、強かに背中を地面に打ち付けた。
「お…おおぅ……」
呼吸が少しだけ止まる。
や、野郎……投げ技も使えるのか……
「み、御子柴くんっ!!」
まどかが怒りの声をあげる。
御子柴?
はて?どこかで聞いたような……
「い、いや……彼がいきなり仕掛けてきたから……」
御子柴と呼ばれたその男は、バツが悪そうに頭を掻いた。
どうでもいいが、気に食わねぇ……
その取って付けたような演技臭い立ち振る舞い……
ムカつく野郎だぜッ!!
「やれやれ、ここは大人しく退散しましょう」
まどかに睨まれているその白凰の野郎は、チラリと大の字に倒れている俺を一瞥し、軽く肩を竦めて去って行った。
チッ、意味ありげな目で見下ろしやがって……
「こ、洸一……立てる?」
「……あぁ」
俺はゆっくりと起き上がった。
足腰はまともに動くが……背中がかなり痛い。
そして口の中も、いつの間にか切れていたのか、鉄の味がする。
俺はペッと唾を吐いた。
微かに赤い物が混じっている。
「野郎……何者だ?知り合いか?」
「……少しね。顔と名前を知ってるぐらいよ」
まどかはそう言って肩を竦めた。
「全く洸一は、私が止めたのに無謀なんだから……彼、御子柴君って言って、去年のTEP新人王で全国大会3位なのよ」
「ほぅ……」
全国3位か。
なるほど、強ぇ筈だ。
「御子柴君、格闘一家の真ん中でね。姉と妹がいるんだけど……二人とも、かなりの遣い手なのよ。確か洸一の学校に、姉が通っていると思ったんだけど……」
姉?
と言うことは女で、御子柴と言う姓は……って、思い出した。
「あぁ、確か女子空手部のキャプテンが、そんな苗字だったな」
「へぇ…真咲の先輩なのかぁ」
「そうだな」
俺は軽く頷き、気絶している奥崎やその他の連中に目をやる。
「……チッ」
軽い舌打ちが自然と漏れた。
あの野郎……あれだけの実力がありながら、まるで甚振るように菊田達をボコボコにしていやがる……
「……洸一?」
「……悪ぃがまどか。今日はもう帰ってくれ」
「へ?で、でも……」
「一人にさせろ」
「……うん、分かった」
まどかは小さく頷いた。
★
「あのクソ野郎……」
奥崎や菊田達を介抱してやり、家に帰った俺は、壁に向かって拳を力一杯打ち付けた。
「絶対に、許さねぇ……」
俺様の地元で、俺様を虚仮にしたこと……
馬鹿とは言え、俺様の学園の生徒をあそこまでボコボコにしたこと……
何より、まどかの前で俺様に恥を掻かせやがって……
絶対に許さんッ!!
必ず泣かすッ!!
全国3位だか何だか知らんが、彼奴は俺が倒すッ!!
だから俺は……
受話器を取り、メモを見ながらダイヤルを廻す。
「……あ、俺だ。神代の洸一様だ。実は頼みがある。俺を……俺を鍛えてくれッ!!」
★5月18日(水)
いつも通りに目覚め、そしていつも通りに学校へ行き、いつも通りに爆睡。
だけど今日の俺はちと違う。
テロリストみたいに、心の中に沸沸と激情が沸き起こっているのだ。
御子柴……
昨日、俺様をボコにしやがったクソ野郎……
俺は彼奴を倒す。
新人王だか全国3位だか知らんが、俺は洸一様だ。
いつか公衆の面前で、ギタンギタンのとっちめちんにしてやるぞッ!!
さて、そんなこんなであっという間に放課後。
俺はオカルト研究会へも行かず、裏山の社へも向かわず、学校の裏手へ来ていた。
「さぁ……俺を鍛えてくれッ!!」
その男、のどかさんの警護役であるロッテンマイヤーこと二階堂三郎時継が、そこには佇んでいた。馬鹿でかい黒塗りのリムジンの前で、俺を見つめている。
「小僧。昨日いきなり電話があった時は訝しんだが……どうやら本気のようだな」
「当たり前だ。本気も本気、俺は頂上を目指すッ!!」
「良かろうッ!!」
ロッテンマイヤーは吼えた。
「貴様を強くしてやるッ!!」
「頼むぜ爺さんッ!!」
「うむ、では先ずはこれを背中に……」
言って、ロッテンの爺ィが車のトランクから取り出したのは、大きな亀の甲羅だった。
「ドアホゥッ!?パクリじゃねぇーかッ!!お次は名前を書いた石でも探せってかッ!?」
ちょっと眩暈がした。
「そーじゃねぇーだろ、爺さんッ!!」
「ん?何がだ?」
「俺はなぁ、悠長に体を鍛えている暇はねぇーんだよ。手取り早くブブイーンと強くなりてぇーんだよッ!!なぁ……爺さんぐらいだったら、手軽な必殺技の一つや二つ、知ってるだろ?それをサクッと軽やかに教えてくれぃ」
「……笑止ッ!!」
爺ィはいきなり吼えた。
春先になると、こーゆー輩が増えてちと困る。
「な、なんだよ……」
「小僧ッ!!貴様は武を舐めておるッ!!」
「あ~~はいはい、そーゆーのは良いから、早く教えてくれよぅ」
「馬鹿者ッ!!あるかそんなものッ!!」
「ンだよぅ……使えねぇ爺ですなッ!!」
やれやれ、当てが外れてしまったわい。
これだから頭の硬い爺さんは……
「小僧!!強くなりたければ、地道に鍛錬を積めぃッ!!」
「だからそんな時間はねぇーッ!!俺は明日にでも強くなりてぇーんだよッ!!」
「そんな事は出来んッ!!」
「……出来ます」
ボソッと響く小さな声に、俺とロッテンの爺ぃは慌てて振り返る。
「簡単に、強くなれます」
いつの間に来たのか、偉大な魔女様が相変わらず、ちょいとヤバイです、的ボォーッとしたお顔で佇んでいた。
「強くなることは、お茶の子さいさいなんです」
「そ、そうなんですか?」
俺は爺さんと顔を見合わせた。
「はい」
のどかさんは頷き、そしてスカートのポッケから、チェーンの付いた小さな水晶らしきアイテムを取り出した。
「催眠暗示を掛けます」
「催眠暗示?」
「はい。それによって、洸一さんの潜在能力を全て解放させるのです」
「ほぅ…」
なるほど。
確かに、人間は生きてる間に潜在能力の全てを出す事は無いからなぁ……
もしそれを全部解放したら……うむ、俺様は史上最強になるかも知れんのぅ。
「分かりました、のどか先輩。是非、やって下さいッ!!」
「はい」
のどかさんはコクンと頷くが……
はて?気のせいだろうか?
ちと口元に悪しき笑みが浮かんでいるような……
「では洸一さん。この水晶の先を見つめて下さい」
そう言って、彼女は俺の目の前で、水晶をブラブラとさせた。
俺は黙ってそれを見つめる。
ユラユラと、左右に揺れる水晶。
段々と、頭がボォーッとしてくるような……
「……催眠状態に入りました」
のどかが小さく呟く。
「も、もうですか?」
と、ロッテンマイヤーは些か驚いた声をあげた。
何故なら、のどかが洸一の前で水晶を揺らし始めて、まだほんの数秒しか経っていないのだ。
のどかはクスッと笑みを零した。
「洸一さんは少々お馬鹿……もとい、かなり単純……いえいえ、非常に素直な御方ですから」
「は、はぁ……それでお嬢様、この後は?」
「洸一さんの精神を解放します」
言って、のどかは洸一を見つめるが、その瞳には微かに戸惑の色があった。
もちろん、のどかを幼少の頃から見守っているロッテンマイヤーが、その困惑を見逃すはずがない。
「どうしました、お嬢様?」
「……失敗しました」
「――な゛ッ!!?」
とロッテンマイヤーが声を上げると同時に、洸一が
「ムキーーーーーーーーッ!!」
と奇声を上げた。
「お、お嬢様ッ!?」
「……先祖返りを起こしてしまいました」
と、まるで猿の如く振舞う洸一を前に、のどかは淡々とした口調で言った。
「どうしてでしょうか?」
「さ、さぁ?某には、ちと分からないですが、早く元に戻さないと……」
「……おサルの洸一さん、可愛いです……」
「……は?」
「飼いたい……」
「お、お嬢様?それは少々、小僧が哀れでは……」
「冗談です」
とても冗談とは思えなかったが……
と、ロッテンマイヤーは心の中でそう思った。
もちろん、思っただけでそれを口にする事はしないが。
「では、そろそろ元に戻しましょう…」
のどかは呟くようにそう言うと、その細く真っ白な指先を、パチンと鳴らした。
「キ…」
猿回し猿のように、その場で妙なダンスを踊っていた洸一の動きが、ピタリと止まる。
「な、治りましたか?」
「はい。もうすぐ目覚めます」
のどかは頷く。
が、ふと何か良からぬ事を思い立ったのか、トテトテッとボーッとしている洸一に近づき、その耳元で何かを囁いた。
「お、お嬢様?……一体、何を?」
「事後暗示を少々…」
「は?」
「目覚めます」
「……ふにゃ?」
目の前に、のどかさんとロッテンの爺さんが立っていた。
まだ頭が少しポヤーンとしているが……
「俺……強くなったんですか?」
「はい」
のどかさんは自信満々な態で持って頷いた。
ロッテンの爺さんがギョッとした顔をしているのが些か気になるが……
そっかぁ……
何だかよく分からないうちに、俺、強くなったのか……
「ですが洸一さん、強くなったからと言って修練を怠ってはダメですよ?」
「はぁ…」
「洸一さんの潜在能力は全て開放しましたが、それは単に身体的能力が上がっただけの話です。体術などの技を習得したわけではありませんから……:
「……なるほど」
確かに、体が強くなったからといって、武道を極めたわけじゃねぇーもんなぁ……
「分かりました、のどか先輩。この強くなったボディに武術を叩き込みますッ!!ではッ!!」
意気揚揚と去って行く洸一の後姿を、少し哀れんだ目で見つめていたロッテンマイヤーは、軽く咳払いをし、
「お嬢様……宜しいのですか?あのような嘘を吐いて……」
「……思い込み」
のどかは呟くように答えた。
「思い込みの力は、時に肉体を凌駕します。洸一さんは頭がかなり緩い……もとい、柔らかい思考をお持ちなので、効果は絶大です」
「な、なるほど。さすがはお嬢様」
「……多分ですが」
「……」