君が好きだと思うから
私には付き合って半年経つ彼氏がいる。同じクラスの円堂航はサッカー部のエースでクラスの人気者だ。
半年前、偶然重なった帰宅時に下駄箱というイマイチムードのない場所で告白された。私はまさかこんな人気者が私のような平凡ないちクラスメイトに告白するなんて思ってもなかったからしばらく唖然としてしまったけど、彼が無言の私に「やっぱ忘れて!」と叫んで正気に戻った。
忘れるなんてできるわけない。だって私もずっと彼に憧れていたのだから。
友達に誘われて初めてサッカー部の応援に行った時、彼は誰よりもきらきらしていて、一瞬で目を奪われた。魔法を使ったみたいにボールを操り、敵をかく乱して、点を奪うその姿はエースに相応しいと素人ながら思ったものだ。
それ以来ずっと彼を密かに応援していた。恋に変わるのも私の中では自然な流れだった。
しかし当然相手は殿上人。かろうじてクラスが同じだけの私に接点なんてない。彼の周りはきれいな人ばかりとくれば、この恋はきっと憧れのまま終わるんだと思っていた。
大人になった時に同窓会で再会して「実は好きだったんだよね〜」とかいうやつだ。この前、母がそこからラヴストーリーのドラマを見ていた、まあよくある話。
けれど現実は違った。風化していくはずの思いはなんと見事に結ばれたのだ。
これで浮かれないひとはいないと思う。
「私も好きだよ!」
はじめて言った一言に自分で照れながら、円堂くんがヨッシャ!、とガッツポーズして、二人の付き合いが始まった。
付き合い始めはただただ楽しかった。二人で映画や水族館、サッカーの試合なんかを観に行って、お揃いのお土産に一週間にやにやしたりして。
トークアプリや電話で細かくやりとりして。付き合うってこういうことなんだなあ、ってやっぱりにやにやして。
それが変わり始めたのは、いつからだったか。たぶん、三ヶ月記念をすっぽかされたあたりだったような気がする。
急に「ごめん行けなくなった」とトークアプリに表示された。理由もなく、わけを尋ねても既読スルー。電話は返ってこないし挙句に着拒。わけがわからなかった。
謎の拒絶からずっと私は嫌な予感と、最後通知に怯えていた。
きっと円堂くんは私なんかに飽きてしまったんだ。だから構ってくれなくなった。捨てられる。でもまだ言われないのはキープしたいから? いやだ、別れたくない。だけど。
負の思考が延々とループする。そんな悪循環にトドメを刺したのはやはり円堂くんだった。……正確に言えば彼の噂である。
「ねえ見た見た?」
「うん見た!」
「あの二人付き合ってるって本当だったんだね〜!」
きゃいきゃいとはしゃぐ彼女らの目には二人の男女が写っているのだろう。片方は私もよく知っている人。
「円堂くんと風見さんって美男美女でお似合いだわー」
「わかる、眼福って感じ。リアル少女漫画みたいな?」
「確かに」
円堂くんとは言わずもがな、私と付き合っているはずの人。風見さんというのは私の苗字ではない。そして私はさして美人でもない。
ああ、そういうことか。私とは遊びだったんだと。認めざるをえない。きっと本命までの場繋ぎ的なことだったんだろう。もしくは乗り換えか。
私は別れを告げるほどの相手でもなかったということだったんだ。
それでも私は、あのきらきらと輝いていた円堂くんを忘れられなくて。
繋いだ手の温度も、楽しそうな顔も、耳まで真っ赤にして告白された時の表情も、忘れられなくて。
あの瞬間に嘘はなかったと信じたくて。
ここに至る半年の間。円堂くんの相手はコロコロと変わった。学校外の相手までいたらしい。私はもう詳しいことを知りたいとは思えなくて、必死に耳を塞いできたけれど。
もう、限界だ。
部活を終えた生徒たちが各々帰路について行く。そのなかで帰宅部の私は、円堂くんを待っていた。
十分もしないうちに彼が友人と校門をでてくる。彼は一瞬私と目があうがすぐに顔を背けた。しかし私はそれをよしとしなかった。
「話があるの」
そう言って円堂くんの鞄をつかむ。普段接点のない私の登場に驚いている彼の友人たちを置き去りに、人質、いや物質の鞄を持って私は人気のないところへ向かった。
大事なスパイクの入った鞄をほっておけないだろうというのはわかっていた。後ろを振り返れば怪訝な顔の円堂くん。
「……話って何」
早く帰りたいとその顔は言っている。
「私ね、楽しかったよ」
「……何が?」
「円堂くんといろいろ遊んだこと」
「ああ、そのこと。何、今更恨みごとでも言いにきたの」
馬鹿にするような表情に傷つかなかったわけじゃない。でも私ももう無駄な期待をするのはやめた。
「違うよ。……終わりにしたくて」
「え? 俺たちのことならもうとっくに終わってんじゃん」
ああやっぱり。そう思って、ぎゅっとなる胸を握り拳を作って抑えた。
「そうじゃなくてね、」
──君が好きだと思うから。
「辛くなる気持ちを終わらせようと思って」
「は?」
「大事な一言をちゃんと言いたかったの。
……さようなら。
私たち、これでおしまいね」
うまく笑えただろうか。きっと笑ってなんかなかった。でもそれでいい。私なりにけじめをつけられたから。
抱きかかえていた円堂くんの鞄を押し付けるように渡すと私は、溢れてくる涙をそのままに走って帰る。
明日からもうこの恋に怯えて震える必要がないと思うとひどくすっきりとした気分だった。
お読みくださりありがとうございました。