私はボケと呼ばれて育ってきた。
私は、ボケと呼ばれ育ってきた。
それも、幼い頃からボケと呼ばれてきた為、生まれる前からボケという名であったのではないかと思うほどである。
あんまり、ボケって呼ばれるほどボケたエピソードは持ち合わせていないし、自分でもボケと呼ばれる覚えはないんだけどなぁ。
しかし、こういったことは自分では気づかないのもまたしかりなので甘んじて受け入れている。
私は、生粋のおじいさんっ子で幼い頃からおじいさんのところに住んでいる。
おじいさんは私にいつもボケって呼んでくるけれど、私が大きくなって部屋が小さくなるといそいそと大きな部屋を用意してくれたりと、とても優しい。
それに、みんなはいつも私に
「低身長!」
「平凡だなぁ」
と悪口を言って来るけどおじいさんは
「お前は、背が低くくても腰が弱ってくる儂にとっては世話しやすくて良い子じゃ」
とか、
「お前は全然平凡じゃないぞ。おまえが笑った姿は真っ赤で艶やかな林檎が裂けたような美しさをしておる」
と言ってくれる。
まぁ、「林檎が裂けたような美しさ」とはあまり、想像できず、むしろ裂けているのだからあんまり綺麗では無いのではなかろうかと思ったりする。
けれど、おじいさんの声色やニュアンス的に褒めてくれているのであろう。
私はそんなおじいさんが大好きだ。
おじいさんは寒い季節になると私に毎日同じ言葉をかけてくる。
「今年の冬もしっかりとボケてくれよ」
私はユーモアのセンスが一片たりとも持ち得ないので、絶対にボケませんと無言の抗議を毎日続けた。
けれど、ある程度日数が経つとおじいさんは、
「こんなに寒いのにお前は本当にボケだなぁ」
と満面の笑みで言うのである。
私自身はボケてるつもりは無いので心外である。
けれど、あまりにもおじいさんが嬉しそうに笑うので私も顔に満開の花をひらかせた。
こんな、心地のよい冬を過ごすと春がやって来る。
春がやってくるとおじいさんは色んな子に目移りしてしまうので嫌いである。
「この子も綺麗だ。あの子も綺麗だ」
とあちこちに行ってしまうので私は不貞腐れてしまう。
春が来るたび私は、おじいさんを独占できる冬がまた来ないかなぁ。と思いを馳せるのである。
それから、何年もおじいさんと暮らしているとある日を境におじいさんと会えなくなった。
はじめは旅行にでも行っているのかな?
と思ったが冬になっても帰ってこず、おじいさんのいない冬はただただ寒かった。
どうして帰って来ないのだろう?
寂しい。
募る思いを馳せていると、ある日、女の人が私の前にあらわれた。
おじいさんが私に毎日同じ言葉をかける時期の前に毎年おじいさんの家に来る4人家族の中の大人の女の人だった。
「おじいさんは貴方のようになってしまったわ」
女の人は苦笑しながら私に話しかけた。
私はどういう事かさっぱりわからなかったが余り良いことではないと感じた。
「ここにいると貴方はもう一生、おじいさんに会えないの」
そんなの絶対に嫌だ!
「だからね、おじいさんを元気付ける為に引っ越ししましょうか」
うん!おじいさんに今年もボケって可愛がってもらわなきゃ!
数日後、私は新しく広いところに引っ越してきた。
引っ越しには、色んな人に手伝ってもらい少し大げさなくらい大掛かりな引っ越しであった。
引っ越してきた所には、おじいさん以外のたくさんのおじいさん、おばあさんがいた。
みんな似た服を着ており、おじいさんもこの服を着ているのだろうか、そしてこの服は似合っているのだろうかと期待に胸を躍らせた。
けれど、私はおじいさんに出会うことができなかった。
おじいさんはどこにいるんだろう。
早く会いたいよ。
寂しいよ。
また私は凝りもせず想いを募らせていく。
するとといつの間にかまた寒い冬が来た。
冬が来はじめてから、私を連れて来てくれた女の人が私によく話しかけてくるようになった。
「おじいさんはね。もう長くないんだって」
「もう、私の名前も忘れちゃったみたい」
「ごめんね。貴方にあわせてあげたいんだけど外出許可が降りないの」
「もう、何にも喋らなくなっちゃった。ご飯もほとんど食べないんだって」
女の人は来るたび来るたび私に話しかけた。
けれど、私は黙りこくることしか出来なかった。
そんな冬のある日、女の人が私に晴れやかな顔でこう告げた。
「ふふ、外出許可がおりたわ!これで貴方にあわせてあげられる」
告げるやいなや女の人は玄関に入っていった。
すると、車椅子に乗ったというより乗せられた老人が俯きながら女の人に車椅子を押され、玄関からでてきた。
おじいさんだ!
ずっと俯いたまんまのおじいさんは車椅子にのせられたまま私の目の前まで来た。
久しぶりに会った、おじいさんは酷く憔悴してるように見えた。
しかし、おじいさんは面をあげ、私を見ると目に涙を溜め、目を細め、口元を緩めて
「本当にお前はボケだなぁ」
と言った。
すると私を連れて来てくれた女の人も溢れ出そうになる涙を必死に塞き止め堪えていた。
私は久しぶりに会ったおじいさんに色々思うところはあったが、そんな二人を見てこの寒空の下で満開の花を咲かせるのだった。
それから毎年、冬になると老人が真っ赤な林檎のような満開の木瓜の花をこんなに寒いのに花を開かせるなんてボケているなぁと笑う暖かな老人ホームが噂になった。