Vendetta
初投稿です。
黒い黒い靄が、辺りを漂う。
するりと薙ぐように手を振ると、靄は腕にまとわりついた。
そして胸中に湧き上がる憎悪が、心地よく感じられた。
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世界が変わる、その言葉を比喩でもなんでもなく己の身をもってして知る事になるとは、華は思いもしなかった。
視覚的情報は入ってくるのに、頭に入ってこない。
華は、呆然とするほかなかった。
豪華絢爛と呼ぶに相応しい部屋に、幾人もの見目麗しい青年たちが、目の前にいる。
しかしそれらは華の頭の中に入ることは一切なかった。
「あ、あの・・・!!ここはどこですか・・・?!」
ふいに、隣から聞こえた若い女の子の声に、華はゆうるりと顔を向ける。
自分から少し離れたところに、慣れた服装を着ている少女が映る。
華はそこで思い至った。
そう、慣れた服装。
今、この場にいる人で自分たちのような服装をした人はいない。
一昔前の欧州の貴族が着るような服や、アニメにでもありそうな騎士の格好をした人、そしてテレビでしか見たことのないローブを着ている人たちだらけだ。
少しずつ回り始めた頭で、華は考え始める。
正直、考えても答えはでない。
いや、出したくない。
カタカタと震え始める体を余所に、貴族風の男がもう一人の少女に声を掛けた。
「君の名前は?」
「え、あ、あたしは美紀、佐々木美紀って、言います・・・」
佐々木と名乗った彼女は、頬を紅潮させながら男に言った。
そして男は嬉しそうに微笑むと彼女の手を取って立たせた。
「ミキ、我らが聖女。君を待っていたよ」
「え、せい、じょ・・・?」
目を丸くする彼女は、戸惑いながらも男に身を任せている。
そうして部屋を出ようとする男に、ローブの一人が声を掛けた。
「殿下、この者は・・・?」
殿下と呼ばれた男は、ちらりと華に目を向けると冷たく言い放った。
「いらん」
そう言って、男は彼女と幾人かの男を連れだって部屋を出て行った。
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そこからの華の生活は、劣悪を極めた。
ローブの男に無理やり立たされたかと思うと、そのまま外に連れていかれた。
何を聞いても答えてくれない男に苛立ちながらも、華は絶望と共に理解した。
そこは、華の知る世界ではなかった。
明らかに生活水準の劣った世界、車など一台もなく馬車が人を運んでいる。
いっそのこと、夢であれば笑える。
しかし、掴まれた腕は痛い。
そうして華は、自身の身に何が起きているのか何一つ知らされぬまま、物見小屋に売られた。
どれくらいの日々が過ぎたのか、分からないが華は少しずつ何が起きているのか予測がついてきていた。
ここは、自分の生まれた世界ではない。
そうでなければならない。
魔法やら、王族、魔族なんて、自分の世界にはいなかった。
そしてそのために日夜戦闘が行われているなんて、あってはならない。
そんな中、王子が聖女の召喚を行った。
魔族に勝つため。
魔族を根絶やすために。
そうして召喚されたのが自分と佐々木美紀。
そして、一目で篩に掛けられたのだ。
若く、かわいらしい佐々木が聖女で、くたびれた華は違う、と。
華の胸中に、憎悪が沸き上がった。
言葉に出来ない憎しみというものを、初めて知った。
――――パキリ
物見小屋での生活は、信じられないくらいに酷いものであった。
黒目黒髪は珍しいらしく、常に檻に入れられた。
無遠慮に投げつけられる視線に言葉。
屈辱と惨めさが、胸の内を焦がした。
――――パキリ
碌な食事を与えられず、八つ当たりで殴られることもあった。
華は、自分の心が死んでいくような気がした。
そして、不意に思い出すのだ。
佐々木という少女を。
殿下と呼ばれた男を。
――――パキリ
何の為に生きているか分からないまま、華はその日を過ごしていた。
そして、物見小屋の店主がにたにたと下卑た笑いを浮かべながら、華の檻にやってきた。
でっぷりとした腹が、体を揺らすたびに揺れている。
そして男は言った。
喜べ、お前を買いたいという奇特な御仁が現れたぞ、と。
華は、良く回らない頭で何とか理解しようとした。
買う。
自分を。
何の為に。
「お前のような奴は、貴族様の慰み者にでもなって剥製にされるのがオチだろうがな」
――――パキリ
「もしかしたら実験台かもなぁ、まぁ、買ってくれる変人がいるならありがたく思え」
―――パキリ
―――パキリ
華は、なんてこの世界は理不尽なのだろうと思った。
自分は、何もしていないのに。
むしろ被害者なのに。
何が、いけない。
誰が、いけない。
何が、私から、あの世界を奪った。
誰が、私から、私を奪った。
「――――そうか、ニンゲンか」
その瞬間、華の内側から激しいまでの憎悪が迸った。
ニンゲンだけだ。
華にこんなことをするのは。
魔族はこんなことしない。
ニンゲンだけだ。
なら、いっそのこと。
―――パキン
何かが、壊れたような音が、した。
華は、本物の聖女の一人であった。
聖属性の力を持っており、浄化に特化した聖女だった。
もう一人の聖女、美紀も本物の聖女だ。
しかし彼女は治癒に特化した聖女だった。
二人でなければ、本来ならなかった。
片方だけでは、意味はないのだ。
そのことは、古い古い文献にも載っていた。
知らない事は、罪だという事を、この世界の人間は知ろうとしなかった。
華が意識を戻したとき、辺りはしんとしていた。
いや、それどころではない。
なにも、なかったのだ。
先ほどまで自分を閉じ込めていた檻も。
下卑た笑いを浮かべる男も。
周囲に張られていたテントも。
一切合切なくなっていた。
そのかわりに、黒い靄が辺りを漂っていた。
「、?」
華は不思議に思いながらもその靄に触れてみると、なぜか心が満たされるような心地がした。
(これは、私を、傷つけない・・・)
そして華は初めて。
この世界に来て初めて安心を得た。
どのくらい、ぼんやりとしていたのか。
華は動く気にもなれず同じ場所で座り込んでいた。
そうしていると、目の前に大きな影が降り立った。
そう、空から降りてきたのだ。
それは、大きな翼を持った人の様に見えた。
華は興味がないままにも、ゆっくりとその影を見上げる様に顔を上げた。
そこにはいたのは、羽を生やした男がいた。
とりあえずニンゲンでないことに安心した華は、また視線を下に向ける。
そうすると男は、跪いて華に話しかけた。
「魔王様」
華は、マオウサマとはなんだろうとぼんやりと考えた。
「魔王様、我らが魔王様。あなた様をお待ちしておりました」
その言葉に、華は目を見開く。
その言葉に似たような言葉を、かつて送られていた少女がいた。
「・・・私を、魔王と・・・?」
そうして華は初めて男をはっきりと見た。
黒い髪に、深紅に輝く瞳の中には、縦長の瞳孔が見える。
「はい、私たちの魔王様、どうかお名前を伺っても」
「・・・華、私は、華」
その言葉を聞いた男は、とろけるように微笑み名前を口にした。
「ハナ様、お迎えが遅くなりました、どうぞ我らの領地に帰りましょう」
そう言って、男は華を大切に大切に抱き上げると、空に向かってその羽を羽ばたかせた。
***********
「ギル」
「はい、ハナ様」
美しくも黒い塔のバルコニーに、二つの物影が揺らめく。
「私は、皆の望む魔王にはなれない」
「いいえ、いいえ、ハナ様。あなた様こそが、私たちの魔王様です」
ギルと呼ばれた、魔族の男は華に向かって嬉しそうに微笑んだ。
「知っているのでしょう、私が、聖女であったことを」
「もちろんです、ハナ様。しかしニンゲン共は知らなかったのですね」
その言葉に、華は先を促すようにギルに視線を向ける。
「聖女は確かに聖属性です。しかし、その一方闇属性に染まりやすくもあるのですよ」
今までの魔王様も聖属性持ちから闇属性へとなったのですと、ギルは続ける。
ギルは、華が知らなかったことをたくさん教えてくれた。
世界の成り立ちから、常識まで。
そして、聖女と魔王のことも。
聖女はいつの時代も二人召喚される。
浄化と治癒。
浄化を持つものは比較的に闇属性に落ちにくいが、ひとたび魔王となってしまえば簡単に最強となれること。
治癒のものは闇属性の落ちやすいが魔王としての力は一般的であること。
今まで治癒のものが魔王となっており、力が拮抗して戦争に決着がつかなかったこと。
召喚されたものは心が移ろいやすく、魔王になっても最終的に優しさを見せてしまう事など。
それらの知識は、華を楽しませた。
そして華は思う。
自分は、無理だと。
正直、華は諦めている。
元の世界に帰る事を。
もし戻れたとしても、華はニンゲンが嫌いになってしまった。
あの世界に戻ったとして、かつてのように愛することは難しいだろう。
だから。
「ギル」
「はい。ハナ様」
「きっと、皆、望んでいるのでしょう」
「いいえ、あなた様の望むことが、皆の望むことにございます」
「ギル」
言葉を重ねることに、ギルはとろけるような美しい笑顔を華に向ける。
「私は、あなたたちが好きよ」
「だから、皆の安全を脅かすものが嫌い」
「私から、私を奪ったやつも嫌い」
「なら、なくしてしまえばいいと思うの」
華の瞳の奥に、憎悪の炎がちらちらと燃える。
「ハナ様、あなた様は魔王です、誰にも縛られることなく、存在してよろしいのです」
その言葉に、華はこの世界に来て初めて口角が上がった。
その表情を見たギルは、あぁ、とうっとりとため息をつく。
絶望に満ちた華の笑顔は、ギルにとって、いや、魔族にとっては壮絶なまでの美しさだ。
「だったら、私たちが生きやすいようにしてもいいんだよね」
華の言う私たちは、魔族しか入っていない、当然の様に。
「もちろんです、ハナ様。何人たりともあなた様の邪魔はさせません」
ギルは恭しく華の足元に片膝をつく。
「ギル、あなたはどうするの」
「魔王様、私はあなた様のものです、どうぞ連れて行ってください」
「私の、ギル」
うろりと、華がギルを見下ろす。
「はい、我らが魔王様、私の、愛しき方」
「さぁ、はじめようか」
お読みいただきましてありがとうございます。
たくさんの方にお読みいただき、本当に嬉しいです!
出来れば連載で書きたいと思います