姿をくらます女神-2
強い西風が俺の背中から突きつける。迷うな進めといっているかのごとく。俺は振り返らずに進む。JR線の沿線沿いに並ぶマンション群の一室が志州の家だ。
「立派だな。おい」
と思わず口に出てしまう。
あたりを見渡せば高いマンションに囲まれている。この街でこれだけ高い建物が密集しているのはここだけだ。高いといっても10何階建てのマンションだ。都会の30階もあるような建物などこの町には存在しない。しかし、高さのあるマンションに住んでいるとなるとどうしても金持ちなんじゃねって思ってしまう。と言っても志州は12階建てのマンションの2階に住んでいるからびっくりするほどのお金持ちではないだろう。とは言うもののマンションのロビーはオートロック式でカギがないとマンションの中にも入れないようだ。志州の部屋の番号は206と聞いている。おばちゃんパーマの大家さんに睨まれながらも閉ざされた扉の脇にあるテンキーボックスで志州の部屋番を打ち込むとインターホンの音がした。カメラとマイクがついているからそれで志州または志州の両親と話すことができる。一応、身なりをきれいに磨かれたガラスに映る姿を見ながら整えると、ブツンと繋がる音がした。
「あ。自分は志州の・・・・・」
えっと、確か志州の下の名前は・・・・・・。
「か、佳織さんのクラスメイトの」
ぎりぎりのところで思い出して自分の名前を名乗ろうとすると。
「犬山?」
マイク越しでもわかった。
「志州か?」
「うん」
ノイズに混ざって聞こえる志州の声は弱々しい。
波羅くんの首を吊った遺体を見つけたとき、志州は震えながら俺に飛び付いた。怯えていた。初めて見る志州の姿だった。俺たちはすぐに職員室に向かって先生を呼びに行った。井東先生とともに戻ってきて、井東先生とふたりで力なくぶら下がっている波羅くんをおろしたり警察から事情を訊かれたりしていた。その間、志州は姿を眩まして戻ってくるどころか次の日から学校に来ることすらなかった。
あれだけ毎日のようにストーカーしてて3日ぶりとなるとすごく久々な感じがして少しうれしかった。
「この3日間でたまったプリントを届けに来た」
「なら、206のポストに入れといて」
「いや、ちょ。まだ」
切られてしまった。
おいおい、話は俺のまだ序章だぞ。桃太郎で言うとおじいさんとおばあさんいたくらいしか話してないぞ。それだけだと何の話かわからないだろ。ということでもう一度志州を呼び出す。すると今度はご機嫌斜めな雰囲気で出た。
「何よ?」
「あのな、プリントを届けにきたのは建前で」
「ストーカーめ。うざい」
「いや!ちょい待て!」
再び切られた。
管理人質からの大家さんの目線が痛い。さっきのストーカーって単語が聞こえていないことを祈って3度目の正直で志州を呼ぶ。作戦を変えよう。前置きをすっ飛ばして話をしよう。桃太郎で言うと桃太郎が犬にキビ団子をあげているところだ。
インターホンの音がするとプツンという音がして志州が出てくれた。本当に根っこは良い奴なんだ。
「佳織の父だ。なんだね!君はストーカーか!!」
「父親の声真似するんじゃねーよ」
声を低くしてるがバレバレだわ!さっきから大家さんの視線がグサグサ刺さって痛いんだよ!
「私には関わらないで、帰って」
「待て!志州!」
今度、切られなかった。俺の真剣な面持ちが画面越しにわかってくれたのか知らないが、このチャンスは逃さない。
「志州。学校で波羅くんを殺したのが志州だっていう噂が流れてる」
いつもよりも真剣なトーンと眼差しでそうマイクとカメラの向こう側の志州に訴えた。今度はマイクからノイズが絶えず聞こえた。まだ、切られずに繋がっている。
「俺は志州と波羅くんの遺体を見つけたし、その前から校門前で志州が待っていた。波羅くんを殺すころはできない。志州のアリバイは俺が証明できるし、俺があの時間に志州とあっていたことは校門前の監視カメラでもいくらでも証明できる。でも、今のままじゃダメだ」
涼元さんがそれだけの証拠で納得するとは思えない。あの口論でわかったことだ。
一度深呼吸をして息を整える。
「志州のことが嫌いな涼元さんは知ってるだろ。彼女は波羅くんと付き合っていた。突然、自殺した彼氏が自殺するわけないと言っていた。俺も実際にそうだと思う。問題は涼元さんが波羅くんは殺されて殺したのは志州だといっていることだ。・・・・・俺は志州を助けたいだから」
すると玄関の自動ドアが不意に開いた。俺の意思ではあけることのできない扉だ。誰が開けたのか。それはマイク越しにすぐわかった。
「入って」
それだけを残してマイクが切れた。
大家さんに睨まれながら玄関をくぐり中へ。階段で二階に上がるとすぐ右に206の部屋があった。ロビーにも鍵があったが、玄関にも鍵があってインターホンがある。押す前に表札を確認するとゴシック体で志州と書かれていた。一息置いてから押す。一応、女の子が住んでいる部屋だ。それなりの緊張というものがあり、勇気もいる。しかし、後者の勇気は必要なかった。
扉がひとりでに開いた。瞬間、不意を疲れるようにヘドロ色の臭いが俺を押し出す。
ヘドロ色の臭いを発する暗い部屋の中にはピンクのパジャマ姿の志州の姿があった。普段はかけていない赤渕のめがねと整っていないぼさぼさな黒髪を見ると誰にも見せないような姿に少しドキッとする。トロンと眠そうな目からいつも不機嫌そうな眼差しで俺を中に招き入れる。
「お邪魔します」
中は真っ暗だった。薄気味悪く志州の強烈な悪異臭で部屋中が満たされていた。入れば、絶対に吐く。先にトイレの位置を確認しておこう。ここで逃げ出すわけには行かない。ことは一刻を争うべきところだと俺は思っている。
「志州。トレイはどこだ?」
振り返った志州はまるでゴミでも見下すような目になった。
「女の子の家に来ていきなりトイレに行くとか・・・・・・キモイんだけど」
うるせー。こっちは死活問題なんだよ。
トイレは玄関すぐの扉のようだ。よし、いざとなればここに駆け込めばいいのか。つか、すでに駆け込みたいレベルなんだが。体がこの空気はやばい早く出ろと告げている。頭痛がすでに発生していて、胃袋がきりきりとなっている。だが、ここで立ち止まらない。
志州の案内で玄関からまっすぐ伸びる廊下を進んでぶつかる扉を開けるとそこはダイニングキッチンのリビングだった。食卓机があってテレビとソファーがある。大きなガラス戸があるが、カーテンで塞がれている。それよりも謎なことがある。
「・・・・・・ひとりか?」
キッチンで飲み物を用意している志州は首を横に振って暗いトーンで答える。
「お母さんとお姉ちゃんがいる。今はいないけど」
「・・・・・そうか」
本当にそうか?
志州以外の人の気配が、志州以外の人が住んでいる気配がまるでない。もしかすると志州の死体の声が聞こえることを家族ですらも信じてもらえていないのか?志州の異常な行動に家族すらも離れてしまっているのか?志州の家庭の事情は後でいい。今は今の状況をどうにかしなければらない。
食卓机に座ると向かうに志州が麦茶を置いて座る。
とりあえず麦茶を飲む。若干、塩素の臭いがする。水道水から作ったな。これ以上飲むと塩素の臭いで体が拒否反応を起こして麦茶を吐き出しかねないので飲むふりをしてコップを置く。志州は気付いたようだったが何も言わないので俺が先に本題を切り出す。
「志州。今、お前に波羅くんを殺したという噂が流れてる」
志州は無言で麦茶を飲みながらうなずく。
「でも、所詮噂だ。さっき言ったように俺は志州の潔白を証明できるが、それで周りが納得するとは考えにくい。志州の普段の言動を見ていたら誰だってお前を疑ってしまう」
「・・・・・・・・」
「志州の身の潔白を証明するには、みんなに志州が波羅くんを殺していないことを信じてもらうためには誰もが納得する確証が必要だ。そのために俺はここに来た」
息を呑むというよりかは胃袋から逆流してきたものを飲み込んだ。
まだ、ダメだ。耐えろ。
「死んでしまった波羅くんはもう話すことはできない。もしも、涼元さんが言うように殺されたというなら、自殺だったらどうして自分を死まで追い込んだのか・・・・・・志州。お前は訊いたんじゃないのか?聞こえたんじゃないのか?」
しばらくの沈黙が暗いリビングを支配する。
志州は何も言わなかった。
臭いで吐きそうだ。限界が近い。なら、吐き直前まで俺は俺の言いたいことを吐く。
「志州は俺たちの中で唯一死者と対話できるんだ。それがどれだけすごいのか俺は知っている。死者の人生も無念も後悔も志州は受け止めるだけの優しさを持っている。それは普通の人だったら無理だ。少なくとも俺は無理だった。この鼻なんてなくなればいいのに毎日のように思う。そうすれば、人を嫌いないならないで済んだ。こんな孤独にならずに済んだ。普通なら拒否してもおかしくない。でも、志州は違う。聞こえるからどうにかしてあげたい。助けてあげたいって動いてあげられる。それはすごいことだ。だから、いつまででも閉じこもっていたらダメだ」
鼻に触れたことで間際らしていた意識が鼻にいってしまう。瞬間、強烈な悪異臭が俺の鼻を攻撃する。突き刺すような潰すような重い臭いが俺の体を蝕む。ヘドロ色をした臭いがまるで手が生えたように俺の鼻の穴に手が突っ込んで体の中を掻き回す。胃袋が吸ってしまった異物を、悪異臭を早く吐き出せとばかりに暴れる。それを根性で押さえ込んで伝える。最後のことを。
「死んでしまった孤独な波羅くんを救えるのも死の声が聞こえる志州だけだ!前を向け立ち上がれ!前に進まなければ何も起きはしない!今こそ、その死体の声が聞こえる志州が活躍するときだ!みんな信じてもらえるときだ!もう、孤独はたくさんだろに!」
言いたいことを言い放つ。
「犬山?」
顔を上げた志州。しかし、もう限界だった。
「悪い!」
飛ぶように立ち上がってトイレに駆け込んですべてを吐き出した。言いたいことも胃袋の中身も。




