5 婚約破棄イベント2
エリーヌが高らかに宣言すると、リリアナは蒼白になった。
まさかここで自分の名前が出されるとは思わなかったのだろう。
野次馬たちもびっくりした。
公爵令嬢を面罵したのは婚約者である王子。だが王族は貴族同士の争いには不介入。
仮にルゼッタ公爵令嬢が王子に決闘を申し出ていたら、彼女は反逆者として捕縛されていたかもしれない。
だが彼女を男爵令嬢が陥れようとしているというなら、話は別だ。王子は男爵令嬢に騙された被害者として、矢面から外される。
だがしかし。騎士候補生や貴族令息同士の決闘ならよく聞くが、令嬢同士の決闘なんて聞いたこともない。
「そんな…」
男爵令嬢は蒼白になり、助けを求めてきょろきょろと周囲を見回した。彼女と目が合いそうになると、誰もが目を逸らした。
「…殿下」
やがて彼女は隣に立つ男を縋るように見上げた。
「無体な事をするな。お前の性根の悪さには吐き気がする。衛兵! この女を捕らえろ!!」
王子が命じると、壁際に控えていた数人の衛兵が公爵令嬢を取り囲もうとした。
「おや。殿下は貴族の決闘を汚すおつもりですか。見逃せませんね。皆の者。この場を制圧しなさい」
公爵令嬢の一声で、入り口や隠し扉から数十人の私兵がバラバラと現れ、衛兵を取り抑えた。
王子は悔しそうに顔を顰めた。
「さあ、殿下。アムスン男爵令嬢を渡してください。その女は殿下に仇なす毒虫です。わたくしが駆除してさしあげますわ」
「こんな事をして、許されると思っているのか。学園に兵を忍ばせるなど…!」
「自衛の為には仕方のないことですわ。それに彼らはこの学園の生徒です。忍ばせるなど、人聞きが悪いことを仰らないで下さい」
扇で口元を隠し、艶やかに笑う公爵令嬢を、王子は憎々しげに睨みつけた。
「さぁ殿下。王族の方が貴族同士の争いに口を出すなどと無粋な事はなさらないで。それとも、領主として、わたくしと同じ土俵に立って、リリアナ様の代理をなさいますか」
公爵令嬢が意味ありげに笑う。
ルゼッタ公爵令嬢は、王子が先日フォートラン領を拝領し、貴族と同じ土俵で喧嘩が出来るようになったことを知っているようだった。
抜け目のない彼女に歯がみしたくなる。味方にすれば頼もしいが、敵にすればこれほど嫌な相手もいないだろう。
片腕に抱いたリリアナは、いまにも倒れそうだった。とてもエリーヌと決闘など出来そうにない。
それにこれは元々クラウスが撒いた種だ。クラウスの喧嘩だ。
女を相手にするのは気が進まないが、売られた喧嘩を買わないわけにはいかない。
「助けて」
涙に濡れ、弱々しく縋ってくるリリアナの身体を抱きしめて、クラウスは決断した。
「リリアナの代理として、私が決闘を受けよう」
その瞬間、エリーヌがひっそりと嘲笑ったのが見えた。クラウスの頭に血がのぼる。
女だからと、もう容赦するつもりはない。例えエリーヌが誰かを代理に立てたとしても、クラウスも腕に覚えはある。必ず勝つと決めた。いや、徹底的に勝つと決めた。
「よろしいでしょう。ではお相手はわたくしがさせていただきますわ」
代理を立てないとは意外だ。エリーヌなら子飼いの騎士候補生を代理に立てると思ったのに。
女を相手にするのはやはり気が引けるが、この際だ。徹底的にエリーヌに思い知って貰おう。自分が何をしたのかを。
「但し! 私が勝ったらこれまでの非礼を詫び、リリアナにも謝罪して貰うぞ」
「あら、そんな事でよろしいのですか。わたくしが勝った暁には、謝罪の証としてフォートラン領をいただきますわ」
クラウスは蒼白になった。
フォートラン領は陛下から拝領した大切な土地だ。決闘の対価になど出来るはずがない。
それ以前に、この決闘はエリーヌとリリアナの間に起こったものなのだから、クラウスが対価を支払う必要はないのだが、頭に血がのぼったままのクラウスは気づかずに叫んだ。
「そんな事、許される訳がない!!」
「誰が、お許しにならないの」
「それは…」
自分のやり方で収めると言ったのだ。父王が協力してくれるとは思えない。
それに王が出てきては、それこそルゼッタ公爵が黙っていないだろう。
「決闘の対価がそれでは釣り合わない」
苦し紛れにそう言うと、エリーヌは婉然と微笑んだ。
「それもそうですわね。それではわたくしが勝った暁には、リリアナ様に正式に『いわれない罪をなすりつけルゼッタ公爵令嬢を陥れようとしたこと』を謝罪していただきましょう」
もしそうなれば、貴族としてのリリアナの人生は終わったといえる。
中央社交界からは追い出され、クラウスとも二度と会えないだろう。
これが狙いだったのか。
まったく同じことをエリーヌに仕掛けたくせに、クラウスは怒髪天をつくほど憤った。
元々負ける気はなかったが、完膚なきまでにエリーヌに勝利してやる。
恐怖に震えて縋りつくリリアナをなだめ、クラウスは勝利を請け負った。
「心配するな。勝って君を婚約者にしてみせる」
「殿下…」
リリアナはしばらく言葉に迷ってから、「ご武運をお祈りいたします」と呟いた。