【短編】桜咲く季節にもう一度。
不条理だ。と呟いてみる。それでなにか変わるわけでもないし、自分の中で渦巻いている、どこか薄気味の悪い感情が消えるわけでもないのだが。
あの時は、こんな僕でも何処にでもいるような普通の高校生だった。しかし、思春期によく起こる『恋』という病にかかってしまっていた。
そんな僕の青春の1ページの話。
昨年、高校2年生が終わりに近づいていた冬のことだった。僕はいつものように部活動を終え夕焼けに染まる空の下、帰路についていた。普段なら真っ直ぐ帰る僕だが、その日は運命とでもいうのだろうか、なにか直感のようなものに導かれて少しだけ、ほんの少しだけ遠回りをして帰った。
帰り道、慣れない道を歩く僕は、周りの光景を見回しながらゆっくりと歩いていた。そこで……その時に、天使を見つけた。
いや、それは見間違えであった。
少しだけ大きな民家の2階から同い年くらいの少女が顔を出していたのだ。僕の目にはそのあまりにも美しい姿から、天使のように見えた。
こちらが見ていることに気づいたのか、少女はこちらに声をかけてきた。
「どうかしましたか?」
不思議そうに尋ねてきた少女はかわいらしく首を傾げた。
「親しみのない道を歩いているから全てが新鮮でね。たまたま目に入った君が気になったのさ」
「この辺りの方ではないのですか?」
「一年ほど前に越してきたばかりなんだ」
「そうなんですか」
ここで会話が途切れた。僕としては会話を続けたかったのだが、切り出す話題も、タイミングも見失っていた。
「明日……」
少女がぽつりと呟く。
「明日?」
僕は問い返す。
「不躾なお願いなのですが、もしよろしければ明日もまた話相手になっていただけないでしょうか?」
この問いに僕は即決だった。
「もちろん、構わないよ。」
そう答えると、少女はパアっと花が咲いたような笑顔を浮かべた。
その笑顔は美しくもどこか儚く見え、まるで桜のようだった。
翌日からは部活が終わる度に足を運んだ。毎日その日あったことや、勉強のことなどを話した。少女は楽しそうに聞いてくれて、話にも力が入った。
もちろん、少女のこともいろいろと聞いた。少女は16歳で、本来であれば同じ学校の後輩にあたる。しかし、心臓に病を抱えているので学校に通うのが難しく、自宅で毎日療養しているのだという。
僕はなにか力になりたいと思ったのだが、所詮一介の高校生にしか過ぎない僕には無理な話だった。
しばらくそんな日々が続き、やがて冬休みになった。
終業式を終えた直後の軽い足取りで少女の家に向かう。少女も楽しみに待っていてくれたと思いたい。
「やあ」
もはやはじめのような初々しさはなく、通い慣れた居酒屋に顔を出すかのような心持ちで声をかける。
「こんにちは。今日はどんな話を聞かせてくれるのですか?」
少女は毎回、十年来の友に会ったかのように目を輝かせこちらを見つめてくる。それを気恥ずかしく思いながらも期待に添えるように話をする。
「今日はね―――」
といつものように日常の報告をさも楽しそうに、時にはしょんぼりとして話した。
少女はその話をいつも一緒に笑ったり、時には悲しんだりして聞いてくれて、話す側としても冥利に尽きた。
そんなある日、僕は少女になにかしたいことはないか?と聞いた。
我ながら無神経な質問だったと思う。
「桜……私、幼い頃に見たきりの桜をまた見てみたいの」
少女はいつか見た儚げな微笑みを浮かべ、そう言った。
「よし、春になったら二人で見に行こうよ!」
僕は、その時の僕は少女を喜ばせようと、笑顔を見ようと必死で、少女の微笑みが悲しみを帯びていることに気づけなかった。いや、あえて気づかないふりをしていただけかもしれない。
幸せな時間とは長く続かないもので、そんな彼女との交流が一月になろうとしている頃であろうか、
今日はどんなことを話そうか、そう足早に心を弾ませ彼女の家に向かった。手には少女へのプレゼントであるペアのキーホルダーを握って。
しかし、彼女の家が見え、異変を感じた。
目に刺さるような赤色灯が僕の心に影を差し込んだ。
まさかとは思いながらも鉄の足枷がついているかのように重い足を引きずるように一歩ずつ歩を進める。
少女の家から、ちょうど担架が運び出されるところであり、担架の上の人物は僕にとって大切な、とても大切なあの少女だった。
それを見た瞬間、僕は重たくて動かない足を動かして白衣の――恐らく救急隊員であろう男に走りより尋ねた。
「あの子は、あの子になにがあったんですか?」
混乱する頭を無理矢理に整理しながら救急隊員に尋ねた。救急隊員は僕の取り乱しようを見て、関係者だと察してくれたのだろう。丁寧に答えてくれた。
なんでも、元からじわじわと少女を蝕んでいた心臓の病は早くとも、春過ぎまでは持つだろうという診断がされていたのだが、冬の寒さが原因で病の進行が早まり、今日の朝意識を失ったのだという。
それを聞いた僕は息が詰まるような思いがし、思考が止まった。
僕のせいだ――――
次に思考が動き出した時、目の前の景色はいつもと変わらないものになっていた。
――――少女がいないことを除いては。
その日は思考を働かせることができず、とぼとぼと家へ戻った。
翌日、少女の見舞いに行った。
少女は辛そうにしながら、真っ白なベッドの上で儚く微笑んだ。
その微笑みには力がなく、蒼白な面持ちからは少女が辛く苦しいことは用意に察せた。
「今日も来てくれたんですね」
少女はいつものように話を切り出す。
「ごめん、僕のせいで君を苦しめてしまった。」
僕は懺悔のつもりだったのだろうか少女に許してもらおうと思ったのだろうか。なぜこの言葉を紡いだのかは自分でもわからないが、こう言わなければいけないような、耐えられないような気がした。
「いいえ、病状の悪化には気づいていたけれど、あなたと話しているのが楽しくて、黙っていた私のせい。」
少女は、僕の混濁した感情を知ってか知らずか、いつものように優しくそう言った。
「でも!でも僕は――」
自分自身に追い討ちをかけようとした僕を少女は遮った。
「それで、今日はどんなお話を聞かせてくれるのです?」
僕は少女の容態が心配であったが、こんなときでも自分に気を使ってくれている少女に甘えて、甘えてしまっていつものように話をした。
面会時間が終わり夜道を歩く僕は、自分の頬を一筋の水滴が流れるのを感じた。
――翌日、やはり、というべきか少女の部屋は面会謝絶の札がかかっており、少女と話すことは出来なかった。
翌日も、翌々日も病室へ足を運んだが、会うことはかなわなかった。
やがて年が明け、見舞いの花が水仙からチューリップに変わろうとしていた頃に自体は加速度的に変わった。
少女の手術が決まったらしいのだが、成功率は半分以下とのこと。
それでも半分、と自分に言い聞かせる。そして、成功したあとはどんなことをしようかと考えると、暗い心中に少しだけ光が指した気がした。
だが、失敗した場合は――と考えると、底のない穴を見ているような気分にさせられた。
どうか、どうか助けてくださいと普段は祈らないような神に祈る。それにすがりついてでも助けて欲しいのだ。
その日からは手術日まで病院へ行かず、近くの神社へ足繁く通った。毎日祈り、財布の中身なら全て賽銭箱に投げ入れた。
そんな毎日必死の思いで通い、ついに手術日となった。
病院へ向かった僕は、手術室の前でじっと待った。
手術中のランプが光を灯した。おそらく始まったのであろう。
あぁ神様仏様、どうかあの純真な少女を救ってください。どうか、どうか。そう祈り続けた。
――――そうして数時間経った。僕にとっては永遠とも感じられるような長い時間だった。
手術中のランプが光を失い、手術が終わったことを告げた。
手術室の中から先生が顔を出した。マスクをつけていたため表情はわからないが、どこか沈んだ面持ちであるような気がする。
僕は一刻も早く安心したかったので、そのパンドラの箱のような、手術の結果を尋ねた。
「先生、結果は、あの子はどうなりましたか!? 」
焦りのあまり、上手く話せないのを無理矢理言葉にした。
先生は沈痛な面持ちで、首を横に振った。
――――刹那、僕は走り出していた。
どこに向かうでもなく走った。少女がいなくなって陰鬱としていた病院内にいることが嫌だった。
走り続けて、病院の外にある街並みが見渡せる駐車場の端まで来た。とにかく一人になりたかった。
見渡せる街の全てが僕を嘲笑っているように思えた。
その日はそのまま家に帰った。冬休みだったのも幸いして一週間程度引きこもりのようなこともし、頭を整理することができた。
そして、導かれるように病院に足を運んだ。
少女の病室だったところは既に別の人の病室になっていた。
そりゃそうだよな、帰ろう。自嘲気味になりながら帰路に着こうとした。
すると、看護婦さんが、一人の看護婦さんが声をかけてきた。
「何か用ですか?」
ぶっきらぼうにそう答えると、看護婦は気を悪くするでもなく、僕に手紙を渡してきた。
「これは……?」
あの少女が手術前に渡してきたものらしい。
「わざわざありがとうございます。」
そう告げて、手紙を受け取り病室を後にした。
家に帰る気にもなれなかったので、寒空の下、公園に立ち寄った。
ブランコに腰掛け、受け取った手紙を、可愛らしい封筒から出し、中に入っていた便箋に目を通した。
『拝啓 私の大好きな君へ』
一行目に綴られていた文字を見て溢れ出る感情の渦に飲まれそうになってしまった。
少女はどんな思いでこの手紙を書いたのだろうか。
この一文を見ただけで相当辛い状態から無理を押して書いたであろうことが容易に見て取れる。
そんな思いに報いるためにも、自分はこの手紙と向き合わなければならない、と思い直した。
『君がこの手紙を読んでいるってことは私は君と会えない状態なのかな? 本当にごめんね。気づいていたかもしれないけれど私の病はずっと私の体を蝕んでいたの。それで、人とまともに関わることも出来なかった。人と関わらずひっそりと暮らしているとね、やっぱり寂しかった。その寂しさをエサに病が進行してくる気さえしたの。』
ここまで目を通して僕はこの手紙が遺言書のような何かであると理解した。
『そんな暗闇の中にいた私だけどね。ある日、光というか天使のような人が現れてね。退屈な日常を吹き飛ばしてくれたの。
それが、あなた。』
そうか、天使が舞い降りたと思っていたのはお互い様だったのか、と少し懐古気味の自嘲を口にする。
『初めて話した時は久しぶりに人と話すものだから失礼のないように、でもこの退屈を吹き飛ばして欲しい。そう思って声をかけたの。自分勝手なことばかりで本当にごめんなさい。』
そんなことない、と呟く。
『こんな私をもし神様が哀れんでくれているとすれば――――願わくばあなたと一緒に桜を見てみたかったな。』
彼女の切実な思いがこの一文に込められているようで、胸が痛くなる。
『なんてね、冗談だよ。私は満足。この世に未練はないから心配しないで。あなたがこの先元気で楽しく生きられることを祈っています。 敬具』
文章はここで締めくくられている。僕は目から溢れる水滴を止めることが出来ずに、手紙を握りしめて泣いた。
手紙の隅の方に、小さく、とても小さく一つ英文が書かれていた。
『to be to be ten made to be』
これは彼女の口癖だった言葉だ。
彼女はこの英文に意味は無い、と言った。でも僕は本当の意味を知っている。彼女の寂しい心が紡がせたこの文章の意味を。
単純に英文をローマ字読みすると『飛べ飛べ天まで飛べ』
つまり家の中から出られなかった彼女は空高く舞い上がる鳥に思いを馳せてこの言葉を紡いだのだろう。
私は家から出ることは出来ないけれど、私の分まで鳥たちは高く舞い上がっておくれ、と。
結局、彼女は最後まで飛ぶことができなかった籠の中の鳥であった。
手紙を読み終わった僕は、終わりのない喪失感に襲われてその場から動けなかった。
さまざまな感情が脳内で渦巻き、思考が止めどなく溢れ出して、わけがわからなかった。
「あなたが……この先元気で?だと……?」
笑わせてくれる。僕にとっての幸せは少女の存在だったというのに。いっそのこと後追い自殺でもしてやろうかと思ったが、彼女の思いを踏みにじるわけにもいかない。
そう思い直してその場を後にした。
そしてそのまま時は流れ、現在は大学生となった。。
暖かな春の日差しの差し込む部屋の掃除をしていた僕は、少女から貰った手紙を、高校の頃の宝箱から久々に取り出した。
「桜……」
ポツリと思い出したようにそう呟く。
そうだ、彼女は桜を見たがっていた。
そう考えた僕は、なにか目に見えない力に弾かれるようにして、部屋から飛び出した。
昔、通いなれた通学路を走る。懐かしい母校を目の端に移しながら帰りの道からひとつ外れた道を行く。
足繁く通った場所だ。忘れるわけがない。と自慢気な思考を頭の隅に片付けていると――――
目的地の前に一人の女性が立っていた。
その横顔はどこか懐かしく思えた。
「どうかしましたか?」
僕が歩いていることに気づいた女性はそう言ってこちらを見た。
バッグにはひとつのストラップが揺れていた。
作品に目を通していただき本当にありがとうございます。
この作品は長編ものにしようと思い書き始めたのですが、作者の飽きクセのせいで短編にまとめてしまいました。
ちなみに作者は恋愛経験はほとんどなく、ほぼ妄想で書き上げたようなものなので、「こんなことはありえない」とかいうことも多々あると思いますが、目をつぶってやってください。
ご意見ご感想などございましたら御手数ですが
作者Twitter(@raine_haru)までお願い致します。