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聖夜のコンサート

作者: 淡野 浅葱

 今日はなぜか、随分と図書館に人がいない。なぜだろうか。重松彰は首を傾げた。司書はいるから学校があることは確かだ。いつもの図書委員達もいるし。けれど、一般生徒の数がいつもの半分くらいしかいない。


 日めくりカレンダーを見た。彰くらいしかめくる人間がいなかったから、日付はだいぶ前から変わっていなかった。仕方がないので司書の使っているパソコンを見に行く。定位置の誰も来ない本棚の陰に読みさした本を置いて、そっと貸し出しカウンターに近づいた。


(……あ)


 そこで、初めて気付く。パソコンの隅に白く表示されている日付は十二月二十五日、つまりクリスマス。


(終業式とイベントが重なる忌々しい日か)


 久々に浮き世の空気に触れた気がして、彰の頬がふっと緩んだ。事故に遭った後、読みかけの本が気になって学校図書館に舞い戻ってきた身だから、曜日や月日の感覚など忘れ去っていたのだ。


「ってか、死んでからもう一ヶ月も経ったのか」


 日めくりカレンダーの日付は十一月二十五日。いくら彰が忘れっぽくたって、自分の死んだ日を忘れるほどボケてはいない。


「早いなぁ……」


 幽霊になったとはいえ、ほとんど不便を感じていないためか、今の彰は死んだと実感できなかった。


 初めこそ、ものをうまく掴めなかったり、逆にすり抜けられずドアにぶつかったりしていたが、今ではもう慣れたものだ。彰にとって、本を好きなだけ読めるのは幸せでしかない。だから引きこもってばかりいて、日付の感覚すら忘れるほどだったのだが。


「ま、でもクリスマスだし。ヒデのとこにでも行くかぁ」


 独り言を呟きながら、定位置に戻り、本を正しい位置に立てる。自動ドアは反応してくれない代わりに、すり抜けられるから構わない。


[newpage]


 今日がクリスマスだと、階段を登ってみて改めて実感する。まだ1時だというのに、校内にはほとんど人影がない。


 見かける教師達は一様に安堵した表情を見せていて、きっと成績表をつけ終わった完全燃焼による気の緩みが出ているのだろう。緩みすぎて帰り道に事故なぞに遭わねば良いが、と思いかけ、自分のことを棚に上げていることに気付く。


「何、ニヤニヤ笑ってんの」


「あ」


 口元を袖で覆いながら小さく笑っていたら、友人が音楽室から顔を覗かせていた。白く塗られた金属製のドアから、上半身を突き出して、坂本秀行は呆れたように首を振る。


「聖なるクリスマスにニヤニヤ笑って遊びに来るのは構わないけど、はたからみるとただの変人だからな」


「どうせ見えないしいいじゃん。入っていい?」


「どーぞ」


 すり抜けて消えた秀行の後を追って中に入ると、やはり中には誰もいない。蓋のあいたピアノの鍵盤からは布が外され、ついさっきまで使用されていた形跡があった。


「何弾いてたの」


「アヴェ・マリア」


「聴かせてよ」


「ダルい」


「とか言いながら弾く気満々じゃん」


「チッ」


「ねえ一緒に死んだ親友に向かって舌打ちってどうなの」


「黙れ」


 素直じゃないんだから、とおちょくる彰を無視して、秀行は椅子に座って鍵盤に十指を乗せた。目を軽く閉じ、すっと小さく息を吸って小指を動かす。


(相変わらず、惚れ惚れしちゃうな)


 床に座り込んで聴きながら、彰はふっと息を吐いた。


 生きていた時も、死んだ後も、秀行は音楽が大好きだ。クラッシックもポップスも洋楽も、とにかく音楽と名のつくものは網羅していたが、とりわけ宗教音楽が好きだという。彼の育った環境も影響しているのかもしれない。


 そんな彼の夢はプロの音楽家になることだった。いつか名を上げて、育ててくれた孤児院に恩返しをしたい、といつだったか言っていた。自分を捨てた両親に、自分の存在を思い出させてやりたい、とも。


 その夢は一ヶ月前に潰えた。学校の帰りに、彰と一緒に乗っていたバスに大型トラックが突っ込んできたのだ。避けるだなんて考える暇もなく、二人は大勢の客とともに死んだ。


 しかし、それでも。


(人のことは言えないけど)


 秀行の育った孤児院には、学校にあるような立派なピアノはない。賛美歌の伴奏に使う、オンボロオルガンがあるだけだ。それだけに、黒光りする学校のグランドピアノは秀行の憧れで、宝物だった。だからこそ、事故で死んでも彼はここに戻ってきたのだ。


(執念って恐ろしいねえ)


 そんなことを考えているうちに、美しい三連符の海が凪いだ。しばしの静けさが音楽室を包む。


[newpage]


「どうだった?」


「んーっと」


 感想にもならない感想を告げようと彰が秀行を見上げかけた瞬間、音楽室の扉が開いた。


「……あ」


「……え」


「……やべえ」


 ドアノブに手を掛けた少年と、膝の上に手を揃えて置いた秀行が目を合わせたまま静止する。彰は頭を抱えた。


「……えーっと、秀行……?」


「……あー、えっと、忍……?」


「え、ああ、うん……座ってるのは彰だよ、な……」


「う、うん……」


 城ヶ崎忍は混乱していた。彰と秀行が一ヶ月前、交通事故で死んだと聞いていたからだ。全校集会で話を聞いて、かなりショックを受けた覚えがある。


 だというのに、秀行は一ヶ月前と変わらず音楽室でピアノを弾いていた。彰も生きていた時と変わらず、薄い黒縁眼鏡の奥からこちらを驚いたようにみている。これは一体、何だというのだろう。


 二人は「しまった」と言いたげに顔を見合わせている。


「……えっと」


 長く感じたが、せいぜい十秒にも満たなかっただろう沈黙を、忍が破る。何か言おうということがあったわけではない。だから、口をついて出てきたのは、こんな他愛のない言葉だった。


「寒いし、中に入っていい?」


 こくこくと頷く二人の姿にほっとしながら、忍は音楽室の扉を閉めた。背負ってきたヴィオラケースを机の上に置く。


「……で?」


 ケースを開けて、楽器を用意しながら、忍がボソリと呟いた。


「……もし、狂言失踪だったらぶっ飛ばすんだけど」


「死んでマス死んでマス」


 秀行が言うのに合わせて、慌てて首を横に振りながら、彰はぱくぱくと口を動かす。酸素不足の金魚を見て、忍はクスリと笑った。不覚、とばかりにすぐ表情は戻ったが。


「……じゃあ、なんでいるの?」


「えーっと……ピアノが好きだったから?」


「読みかけのシリーズがまだ終わってないんだよ」


「殴っていい?」


 表情がだんだん笑顔の形に緩んでいく。一瞬安心しかけた彰。しかし、


「ちょ、おい」


「黙れ」


「え、ねえ泣かないでよ」


「うるさい」


「殴らないで! すり抜けるから! すり抜けるから!」


「この、バカ……っ」


 楽器から手を離し、俯いて肩を震わせる。涙がかかってはたまらない、と楽器から目を逸らし、ピアノの足元にしゃがみ込む。幽霊となった友人達が背中をさすってくれるが、その手は氷のように冷たかった。


「俺っ……俺、お前らくらいしか友達いなかったんだから、な! 死んでどれだけビックリして、悲しくて、辛くて、凹んだとおも、思ってんだよ……」


 しゃくりあげる忍。秀行は黙って背中を撫でていた。彰の手は既に力なく垂れ下がっている。


「そんで、死んでよかったとか、相田達が言ってて……いや、フツーに歯向かったぜ? けどさ! けど! お前ら、もっと早く顔出せよ!ほんっと、寂しかったんだからな!」


「あ、うん……とりあえず相田〆ればいいのか?」


「別にいいよ! 死んでまで二人を煩わせないし! ってか! 寂しかったんだってば!」


「お、おう……」


 とりわけ目立つわけでもないが、なぜか昔からいじめられやすかった忍。それは高校に入学しても変わらず、一種絶望に似た諦めを抱いて、日々を過ごしていた。


 相田が何人ものガタイのいい腰巾着を引き連れて忍をリンチしても、物を隠されても、机や椅子に落書きをされても、汚物扱いをされても、誰もが見て見ぬフリをしていた。


 たった二人、彰と秀行を除いて。


「俺さ、友達いなかったの。だから寄ってくる奴なんて全部使い捨ててやろうと思ってた。お前らのことだってそうだ。心配してくれるなら身を守るために使ってやろう、って」


「さりげに酷いな!」


「そうだよ! けど、そのうち大事だと思うようになってたし、死んでから改めて、むちゃくちゃ好きだったって気付いた! ってか俺、今めっちゃ恥ずかしいこと言ってるな!」


「聞いてるこっちも恥ずかしいよ」


「あーもう!」


 泣きべそをかきながらも顔を赤くする忍の頭を撫ぜながら、彰は彼のブレザーについた足跡に気付いた。大方、さっきまでまた相田達に暴力を振るわれていたのだろう。わずかに眉をひそめながらそれを払った。


「楽器しかずっと、拠り所らしい場所がなかった! 女っぽいって言われてたし。けど、秀行はヴィオラに興味を持ってくれた。彰だっていつも、練習してるのを聴いてくれた。受け入れてくれたのは二人だけだった! この一ヶ月間、ヴィオラすら弾けなかったんだぜ? 爺さんが死んだ時すら弾いてたヴィオラをさ」


 ヴィオラ奏者だったという彼の祖父の話は、秀行達もよく聞いている。幼い忍にヴィオラを与え、自分の持てる知識を全て注いでくれたそうだ。


「なんかごめん」


「待って恥ずかしい。忘れて、お願い」


「あんな勢いで告白されたら忘れられねえよ」


「告白って言うなよ! あってるけど!」


「ってか、あんまり騒々しくすると見つかるんじゃね?」


「あ」


 三人しかいない音楽室がシンと静まり返る。


「……ねえ、忍。何弾くつもりでここに来たの?」


「G線上のアリア」


「前に一緒に弾いたやつ?」


「そ。クリスマスらしくないけど、何となく弾きたくなって。まあ、一人の予定だったんだけど」


 椅子に座り直して、秀行はニッコリと笑う。


「じゃ、伴奏者も帰ってきたし、クリスマスコンサート開こうか」


「観客一人だけどな」


「上等」


 赤くなった鼻をこすって、忍も笑った。彰は、ヴィオラを構えた忍と鍵盤に指を載せた秀行の間にしゃがみ込む。


 忍は、二度と視線を合わせられないと思っていた友人に合図を送った。

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