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短編集

茜色の恋心

作者: 尹茅


「汚いよ」


 私はそう言ったのに、秀はちっとも聞く耳を持たずにそれを拾い上げてしまった。

 お互いの家へ帰る途中の寂れた公園。そこは私たちのお気に入りの場所で、帰る前には必ず立ち寄って並んでブランコを漕ぐのが習慣だった。

 軋んだ音を立てて揺れるブランコを残して飛び降りた秀は、拾ったそれを頭上に掲げて物珍しげにしげしげと眺めている。

 全てが茜色に染まり始めた景色の中で、好奇心に輝く強い瞳が私を捉えた。


「来いよ、ミー! これきっと洗ったらキレイになるぞ!」


 あんまり楽しそうに笑うものだから仕方なく、ゆらゆらと揺らしていたブランコを止めて秀の側へ歩み寄る。


「なにを拾ったの、秀?」

 それを大切そうに両手で持っているので思わずそう尋ねると、大真面目な顔をして分かんないと答えた秀は手に持つそれをずいと私に近づけた。それは小さくて、歪にゆがんで、ごつごつしてて黒ずんでーーとにかく汚かった。

 すぐに見るんじゃなかったと後悔して目を逸らすと、秀の右手が私の手首を取った。


「行こ! 水道ってまだ使えたよね?」


 その汚い手で触るなと言いたかったけれど、走り出した秀に引っ張られてそれどころじゃない。一目散に水道へ駆けてそれを洗い出した秀の隣で、私も無言で汚された手を洗った。

 秀はそんな私を横目で見て、喉の奥で低く笑う。くく、という押し殺した声が私の鼓膜を震わせた。

 さっさと手を洗い終えてやることもなく、熱心にそれを洗う秀の後ろ姿を眺める。私より少しだけ高い身長。華奢な体つき。さっき触れた、少しだけ骨ばってきた手。見慣れた秀の姿。

 その姿をぼんやりと眺めていると、満面の笑みの秀が振り返った。


「見て、やっぱりキレイだった!」


 ほら、と突き出される濡れた拳の下に、恐る恐る両手を差し出す。ころん、と手のひらに落とされたそれはひんやりしていて、確かにとても綺麗だった。表面はごつごつしているものの、先程までの汚れは微塵も残っていない。

 どれだけ頑張ったのか、洗い抜かれたそれは落としてしまったら見つけることが出来なさそうなほど透明で、歪なかたちはなんだか心地よく手に馴染んだ。


「「きれー……」」


 秀がしていたのと同じように夕陽に翳して覗き込むと、それはそのまま夕陽の色を吸い込んで茜色に染まった。

 なんだか目が離せなくて、2人でそれに見惚れる。

 

 気がつくともう、日が沈んでいた。 


「……日、沈んだね」


 夢の時間はもう終わり。闇に染まった公園が、その事実を残酷に突きつける。私の言葉に僅かに身じろぎした秀が何かを言おうとしたけれど、それより先に口を開いて遮った。


「秀、これ、もらってもいい?」


 無言で頷く秀に笑みを返して、ぎゅう、とそれを握りしめた。大丈夫、言える。言わなくちゃ。


「……英語、ペラペラになれるね。新しいお母さんが美人だなんて羨ましいな」


 弾かれた様に上げた顔は明らかに傷ついていて。分かっていたけれど、その表情に胸が締め付けられる。

 そのまま視線を彷徨わせた秀は、少し躊躇った後に口を開いた。


「ミー、俺……っ!」


 それはきっと、ずっと聞きたいと願い続けてきた言葉。でも今の私たちにとっては足枷にしかならないであろう言葉。


 言わせちゃいけない。


「もう、時間だね。飛行機、間に合わなくなっちゃう」

 そう言った私は、きっと泣きそうな顔をしていたんだろう。


「……おう。もう行かなきゃな。アメリカ暮らしなんて、うらやましー、だろ」


 ぎこちなく返事をした秀も、まるで泣いてるようにくしゃりと顔を歪ませた。

 またな。そう言って走り去った秀の目尻には、確かに涙が光っていて。

 小さくなっていく背中がどうしようもなく愛しくて。


 でもやっぱり、今の私たちはまだ幼くて無力で、ちっぽけな存在でしかない。 


「……待ってて、秀。追いかけるから」


 強く握りしめたそれに、茜色の炎がともる。


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