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エピソード07 「子猫の放蕩」

しおりが去って1週間が過ぎようとしていた。 思えば、何だか不思議な女の子だったな。


シンプルに可愛い女の子だった。 無鉄砲で少し子供にしては冷めたモノの見方をする処が危なっかしいが、後、一寸変な取引を持ちかけてくるのも心配の種だったりするが、居なくなって見ると妙に寂しい。 たった一週間しか居なかったのに、私は何故だかずっと昔からの友達と離れ離れになってしまった様な、不思議な錯覚に捕らわれていた。


しおりが使っていた部屋のベッドの上には、最期の晩にしおりが作った押絵の人形マスコットと、忘れていった片方の靴下が置きっぱなしになっている。



私の生活は、緩やかに、以前の状態へと戻りつつあった。

朝起きて、シャワーを浴びて、一人でカフェイン飲料を飲み、地下鉄で仕事に出かけて、目まぐるしく移り変わるイギリスの天候と同じ様にとっ散らかった一日を過ごし、帰りにスーパーマーケットでレディミールとビールを買って、とぼとぼと疲れた足取りでフラットに帰り着き、そそくさと一人で無言の食事を済ませて、ぼんやりと物思いその他に耽る。 気が付くと又夜が明けていて、同じ様な一日をループする。


比較的安易で、平穏で、無感動な毎日の繰り返し、



「おじさんは人生の半分は無駄に過ごしてるわ」、しおりはそんな風に言ってたっけ、言われてみればその通りかも知れない。


だからこそ、自分でも気付かない内に私は、彼女の様なラジカルな存在を、渇望していたのかも知れない。





そんな金曜日の夕方、しおりから一通のメッセージが届いた。



栞:「イギリスでは色々お世話になりました。元気でやってるから、心配しないでね。」


一緒に添付されていた写真には、一寸澄まし顔の可愛らしい少女が、何処かで見覚えのある様な宮殿の遠景と共に写っていた。



正:「そうか、上手くやってるんだな。」


手を伸ばせば触れられる程傍に居た彼女が、今はもう手の届かない所で暮らしている。 それは、きっと良かった事の筈で、本当なら出会う筈の無かった彼女と、友達になれただけでも上出来とするべきなのだろう。





それなのに、写真に写った彼女の顔を見る内に、…

私は、いつの間にか、ネットでスペイン行きのチケットを手に入れていた。


勿論、彼女に会える当てなど有りはしない、…

一寸、久しぶりにイベリコ豚の生ハムを食べてみたくなった、…ただ、それだけの事である。





土曜日の午後、私はマガダ空港の到着ロビーに居た。


しおりは「フラメンコを見てみたい」、そう言っていた。 写真に写っていた建物は、十中八九アルハンブラ宮殿だろう。 彼女はグラナダに居るのに、違いなかった。



マガダからグラナダ行きのバスに乗り、1時間半の小旅行。 窓から見える南スペインの風景は、人々も太陽も明るくて、イギリスとはまるっきり空気が違って見える。



私は、遅目の午後にグラナダの街に到着し、取りあえずアルハンブラ宮殿の麓のホテルを訪ねた。



今しがた到着したばかりだろうか、日本人観光客の団体が狭いロビーを占領して、大小カラフルなスーツケースを携えながら、大きな声で雑談にいそしんでいる。


私は、自分の分のチェックインを済ませてから、暫くして観光客達が銘銘の部屋へ向かい出した後、おそらく旅行ガイドだと思われる、眼鏡とスーツ姿の小柄な女性に声をかけた



正:「すみません、ツアーの者ではないのですが、宜しければ、ちょっと教えてもらいたい事が、…」


ガイド:「はい、何でしょうか?」


面倒臭がる様子も無く、親切そうに耳を傾けてくれるガイドさんに、少しほっとしながら、私はしおりから送られてきた写真を見せた。



正:「この写真に写っている場所、何処だか分かりませんか?」


ガイド:「後ろに写っているのは、アルハンブラ宮殿ですね、この位置で見える場所とすれば、…」


ガイド:「あっ、白井さん!」


ロビーのテーブルで、書類を片付けていた青年が、顔を上げた。


白いシャツを着た、不精髭の長身で、頭髪を金髪に染めているが、そこそこ整った容姿の、日本人の青年らしい。



ガイド:「彼は、この町でお土産やさんを経営しているんです、…彼なら判るかも、」


近づいてきた青年に、ガイドさんが、携帯の写真を見せる。


青年は、じっと、写真を睨んでから、ちらちらと、私の顔と、見比べる。



白井:「多分、サンニコラス展望台じゃないかな。」





私は、ガイドさんと青年にお礼を言って、荷解きもそこそこに、タクシーを拾うと、丘の上の展望台へと向かった。


未だ明るい内に、兎に角一度、しおりが立ち寄っただろう場所に、辿りつきたかったのだ。



道端のあちこちにはオレンジの木が植わっていて、さわやかな柑橘系の匂いを振りまいている。


広場の片隅で、アーモンドの砂糖漬けローストが売っている屋台から、香ばしい匂いが漂って来た。



正:「そういえば、朝から、何も食べていなかったな。」


2ユーロでプラスチックのコップに入った焼き菓子を買って、ぽりぽりと口に放り込む。



携帯のナビを片手に、狭い路地を進んで、私は、おそらく彼女が立っていただろう、少し開けた広場に足を踏み入れた。


崖っぷちの塀の向こう、一寸彼方?に、アルハンブラ宮殿が見える。



彼女は、此処に居たんだ。


かすかに、ありもしない残り香を求めて、私は、深呼吸する。


もう少しで、手が届きそうだった彼女が、この町の何処かに居る。





栞:「どうして、おじさんは、此処に居るの?」


振り返ると、…其処に、しおりが立っていた。



迷子の子猫を探しに来たんだ。…そんな台詞をはける訳が無い。


私は、自分が一体どんな顔をしているのか、…きっと、もしかすると、半泣きだったかも知れない。



正:「仕事のついでに、週末のスペイン観光だよ。…こんな処で合えるとは、思わなかったな。」


栞:「そう? 私が居なくなって、寂しかった?」


彼女は、悪戯そうに、私の照れた顔を覗き込み、



正:「別に、元に戻っただけだからね、」


私は、途端に目を逸らして、急激に高まっていく胸の鼓動を気取られない様に、体を翻す。





それから程なく、白いシャツを着た、長身で髭の青年が、しおりの傍らに近づいて来た。


先程、ホテルのロビーで見かけた、…あの青年だ。



栞:「紹介するわ、彼は白井さん。 彼が教えてくれたの、私の写真を持った日本人の男の人がいるって。」


栞:「彼ったら、おじさんの事、私のパパだと勘違いしてたみたい。」


青年は、照れくさそうに、それでも、少し警戒するように、私に挨拶する。



正:「今は、彼と一緒に暮らしてるのか?」


栞:「ええ、彼は、とても紳士的で、楽しい人よ、今のところわね、」


青年は、苦笑いしながら、…頭を掻いた。

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