エピソード12 「子猫のお願い」
何だか大切な事を有耶無耶にした侭の様な気がするのだけれど、…
私達は、もう、その事には触れないままに、荷解きをして、夜のイアの街を散歩する。
ホテルのコテージから其の侭続く遊園地の迷路の様な小道を、登ったり降りたりしながら、漸く少し明るい、お土産屋さん街へと辿りつく。
栞:「あっ、おじさん、見て! 犬が寝てる。」
正:「喧嘩しちゃ駄目だぞ。」
栞:「しないわよ、失礼ね、…ねえ、凄く良い子よ、ほら、」
道端に寝そべった犬達は、揉みくしゃに撫でられても、されるが侭に大人しくしている。
安全な街なのだろうか、…夜も更けてきたと言うのに、小さな子供を連れた家族連れが、楽しそうに散歩していた。
しおりは、女の子の手を引く、父親の姿を、何時の間にか目で追っていた。
優しそうに娘を見つめる父親の眼差しに、何時の間にか、彼女は、息をするのも忘れてしまったかの様に、釘付けになる。
正:「飯でも、食うか。」
私は、しおりの傍に寄り添って、頭を揉みくちゃに撫ぜてやり、
彼女は、されるがままに、私に頭を預けて来る、
栞:「うん、」
目を閉じたまま、ただ、それだけ一言だけ、呟いた。
私達は、暗くて何も見えないアドリア海に面したレストランのオープンテラスにテーブルを取り、私はカラマリ(烏賊)を、彼女はオクトパス(蛸)を注文する。
当然、飲み物はサントリーニ島の赤ワイン。 何しろ此処は、ワイン発祥の地、…らしい。
彼女は、スペインでの出来事を事細かに報告し、
私は、彼女の言葉に耳を傾けながら、何時もよりも明らかに、ワインのペースを速めていく。
栞:「一寸、寒いね。」
正:「帰るか。」
栞:「うん、」
私達はチェックを済ませて、席を立ち、
何時の間にか、当たり前の様に手を繋いで、暗い小道を、二人だけのコテージへ帰る。
漸く落ち着いたのは、もう真夜中近くだった。
栞:「おじさん、もう、眠い?」
正:「イギリスから時差二時間だからな、まだ、眠くないな。」
二人は、夫々ベッドの、端っこに寝転がる。
栞:「あのね、おじさん、私、おじさんに聞いてもらいたい事があるの、…聞いてくれる。」
正:「ああ、何だい?」
しおりは、少し、考えをまとめる様に黙り込んで、それから、一息大きく深呼吸して、…
栞:「私、スペインの彼と、…彼に求められて、その、身体を、…重ねる事になって、…」
私は、動揺を悟られない様に、歯を食いしばって平静を装い、…
栞:「一度は、これで良いんだって、…覚悟を決めたの、でも、…それで、…」
しおりは、言葉を詰まらせて、…
正:「無理に、嫌な事は言わなくて良いんだぞ。」
栞:「ううん、おじさんには聞いてもらいたいの、友達でしょ、…助けて欲しいのよ。」
私は、丸い洞窟の天井を見つめたまま、…覚悟を決める。
正:「判った、聞いてやる。」
栞:「私、私の全部、彼に、…」
私は、起き上がって、ベッドの上に腰かけ、…
しおりは、両手で恥ずかしそうに顔を隠した侭、…
栞:「見せちゃったの。 その、…おま、たの中も、…全部よ、」
それから、とうとうしおり、は起き上がって、真っ赤な顔で、ても、…
私は、どう、反応すれば良い?
栞:「どうしよう、…私、もう、お嫁にいけないかな?」
彼女は、もう、殆ど、泣き出していた。
正:「そうか、…でも、無理矢理じゃ、無かったんだろ。」
栞:「うん、」
正:「彼の事、好き、だったんだろ、」
栞:「判らない、」
栞:「好きとか、そういう感情は、きっともっと後になってから湧いて来るんだと思ってたから、」
正:「そうか、」
正:「…でも、心配するな、大丈夫、君は、ちゃんとお嫁にいけるよ、」
栞:「本当?」
私は、自分の胸の中の感情を全部殺して、努めて穏やかな呼吸で、…言葉を紡ぐ、
正:「人を好きになる気持ちは、一生で一度きりって訳じゃない。何度だって、繰り返すんだ。」
正:「身体を重ねる事だけが、人生の全てじゃない。それで、全ての価値が決まるわけじゃない。」
正:「他人に抱かれた女だからって、そんな事で愛し合えない様な男なら、きっとそれ迄なんだ。」
正:「本当に、君がこの先寄り添うべき、君の事を愛してくれる男なら、きっと赦してくれるさ、」
正:「だから、大丈夫、…もう、気にスンナ。」
私は、しおりの頭を、何時もみたいにガシガシと、鷲掴みにして、…
栞:「おじさん、一寸、早とちりしすぎ!」
栞:「私、見られたけど、…結局、そう言う事は、しなかったわ。」
正:「へっ?」
しおりは、一寸困った大人を見るようなマセタ目つきで、私の事をジト目する、
栞:「出来なかったの、…怖くなって、…私、泣いちゃって。」
栞:「そしたら、彼は、何だか、…いっぱい謝ってくれて、」
栞:「でも、ありがとう、…ちょっと、安心したわ。」
しおりは、そういって、私のシャツの裾を摘む、
栞:「そうだよね、…良かった。」
それから、彼女は、何故だか、シーツの底に潜り込んで、…顔を隠したまま、
栞:「ねえ、そしたら、さ、…」
栞:「おじさんが、教えてくれない? 私に、…その、…セックス、」
正:「なっ。…?」
私は、もはや、平衡感覚すら、失っていた。
栞:「おじさんだったら、きっと、…怖くない様な、気がする。」
かのじょは、シーツの裾から目だけを出して、…
正:「だって、折角綺麗な侭なんだから、本当に好きな奴が出来るまで、取っときなよ。」
私は、震える声で、大人らしく、気持ちの篭らない正論を吐き、…
栞:「でも、その時また、怖くなったら、私、逃げちゃったりしたら、そのヒトの事、傷つけちゃうかもよ、」
栞:「だから、予行演習。…したいかな、って、」
こんなにも可愛くて堪らない子猫に、…もはや笑う以外、私にできる事は無い。
正:「とても魅力的なお誘いだけど、丁重にお断りするよ。 もう少し大人になったら、考えても良いかな。 今は未だ、そんなに焦らなくても良い。」
栞:「私、魅力無いかな? もしかしてどこか、変?」
正:「いや、君は、とても可愛い、魅力的な女の子だよ。 自信を持って良い。」
栞:「おじさん、あの女の人とは、エッチな事するつもりだったんでしょ。」
あの、って…フラットで鉢合わせしたクラブの女の子の事か?
確かに、そんな気は全く無かった、と言うと、…
正:「しないよ!」
栞:「嘘!」
しおりは、一回、深―――い溜息をついて、…
シーツで顔を、全部隠して、…
栞:「あのね、私、変な気持ちなの、…おじさんを、取られたくない。」
ああ、…
そう言う事なんだ、と、私は、一気に理解する。
彼女の、私に対する奇妙な言動の一部始終は、…
正:「君のその気持ちは、多分、女の子が父親に抱くのと同じ気持ちなんだと思う。」
正:「だから、大丈夫、ちっとも変なんかじゃ無いよ。」
私は、きっと、しおりの「見た事も無い父親」の代わりなのだろう。
正:「心配しなくても、私は何時だって、君の味方になってあげるから、君の事を見捨てたりしないから、」
正:「だから、安心しな。」
しおりは、そーっと、シーツから顔を出し、じーっと、私の事を神妙な眼差しで見つめ続け、
私は、憑物が落ちた様に穏やかな心持で、しおりの事を見つめ返す。
栞:「ねえ、お願いが有るの、…この前みたいに、ぎゅっとしてくれない?」
正:「駄目だな、」
栞:「ええー、見捨てないって言ったじゃないのぉ~!」
その、諸々、私にも、事情があるんだよ…。




