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「行きたくない……」
俺は登校中にも関わらず、ぼそりと呟く。
まだ入学してから一週間しか経っていないのだが、もう学校には行きたくない気分だった。
登校拒否やいじめなどではないし、五月病というわけでもない。
時期的にもまだ四月だし、新しい環境も始まったばかりで、適応できずに鬱になるわけがないのだ。
じゃあ、なぜ行きたくないか。
それは言うまでもなく、あの女のせいだ。
学校に着いてから二階にある教室へ、中へと入っていき、クラスメートたちに「おはよ」と挨拶をしながら、自分の席へと向かう。
できれば、このままたどり着きたくないという気持ちが足にも伝わり、ゆっくりとした動作でしか動いてくれない。
そんな鬱な気分をぶち壊すかのような、無駄にでかい声が教室に響き渡った。
「亜希ちゃん早く来いよ! こっちで話そうぜ!」
「……亜希ちゃんって呼ぶなつってんだろ」
できるだけ低く、殺気を放つように言ったのだが、俺を呼んだ馬鹿――長嶺隆之介には届かなかったようで、ブンブンと手招きしていた。
この無駄にかっこよさげな名前の男はこの巴高校に入ってからの知り合いで、入学式には俺の肩に頭を置いて居眠りをし、次の日のLHRでは馬鹿な発言をして、クラス中に引かれるような男だった。
そんな馬鹿そうなやつなのだが、容姿は決して悪くはない。
むしろ、モテる部類の顔立ちをしており、髪はうざくない程度の長さで、ワックスを使い、無造作な感じにまとめあげていた。
身長は俺よりも高く、大体頭ひとつ分ぐらい違うので、百八十センチぐらいはありそうだ。
性格、というより頭に難がなければさぞかしモテていたことだろう。
「早くこっち来いよー!」
急かすように長嶺が言ってきた。
仕方なく、俺は重い足を動かして、そいつの元へ向かう……わけがなく、無視して長嶺の前にある自分の席に座り、教科書の入っていない軽い鞄を放り投げるように机に置いた。
このまま、鞄を枕にして寝ようとしたのだが、長嶺が机に身を乗り出して、しなだれかかるように俺の背中にまとわりつく。
「亜希ちゃん機嫌悪いの?」
「うざい。キモい。離れろ」
「やっぱり機嫌が悪いじゃん。どうしたの? なんかあるなら俺が聞くよ?」
誰のせいだと思ってるんだ。
身をよじって長嶺を振り解こうとした時、右隣にいた可愛らしい女の子――奥本と目があった。
俺は、うっと言葉に詰まる。
ブサイクだからってわけじゃない。
どちらかと言えば、見た目だけ優等生っぽく好みだ。
ただし、胸以外。
そんな可愛らしい見た目なのだが、騙されてはいけない。
この女こそ、俺を登校拒否に追い込もうとする犯人なのだ。
「おはよう」
「お、おはよ……」
いきなり挨拶され、言葉に詰まりながらも、なんとか挨拶を返す。
今は大人しく、机に向かってぼーっとしているだけなのだが、何かあるたびに、胸ポケットに収まりそうなほど小さいメモ帳を取り出して、一心不乱になにかを書き込んでいるのだ。
俺の予想では呪いか、それに類するなにかだと思っている。
「そういえば亜紀ちゃん知ってるか?」
奥本を観察していた俺に、背中にまとわりついた長嶺が唐突に切り出してきた。
主語もないのに、どう答えればいいんだ。
数瞬ほど心当たりを考えてみるが、答えらしきものは出てこない。
「なにを?」
「あれだよあれ……えーっと、超能力診断だっけ? あれが今日あるらしいんだよ」
「ああ、あれって今日だっけ?」
長嶺が言っている超能力診断とは言葉の通り、どんな能力があるのか調べるテストのようなものだ。
といっても、俺も今まで能力が封じられていたので、どんな診断をして、どんな結果が出るかなんて知らない。
自分がどんな能力を持っているか楽しみでないわけがない。
どんな能力なのかと考えを巡らすだけで、次第に気分が向上してきた。
だが、それも次の瞬間、一気に萎えた。
カリカリカリカリカリ――
ああ……この音だ。
いつ聞いても途切れることを知らない精神を蝕むような音。
ちらりと、音の発信源である奥本を窺う。
呆れてしまうほどのスピードで、メモ帳に何かを書き綴っていた。
長嶺もその異様な光景に気づいたのか、俺にのしかかったまま、奥本に話しかけた。
「なに書いてんの?」
命知らずにもほどがある。
あれは触れてはならないもので、そっとしておくのが一番だというのに。
案の定、奥本は文字を書く手を止めると、頭だけこちらを向き、俺の背にいる長嶺を睨みつけた……と、思う。
俺と長嶺の距離が近すぎて、俺を睨んでいるようにも見えるのだ。
どちらを睨んでいるのかわからないが、怒っているのは確かだろう。
そんな奥本が呟くように言った。
「……あるの?」
「え? なんだって?」
某ラブコメの主人公のように俺と長嶺が同時に聞き返す。
別に俺と長嶺が難聴というわけではなく、奥本の声が小さすぎたのだ。
それこそ、メモ帳になにかを書き綴っていた音のほうが大きかったと思うほどだった。
奥本は頭だけではなく、ない胸を、もとい、身体をこちらに向ける。
「いつあるの?」
今度は先ほどよりも大きい声で言ってきたのだが、それがメモ帳との繋がりが理解できない。
はぐらかされたのだろうか。
長嶺も同じ気持ちらしく、「どういうこと?」と小声で聞いてくる始末だった。
そんな俺達の態度に業を煮やし、奥本がもう一度、はっきりとした声で聞いてきた。
「だから、その超能力診断っていつあるの?」
「え、ああ。あれね。確か六限目だったよ。亜紀ちゃん、あってるよね?」
「多分……そうだったと思う」
「そう……」
それだけ言って、机に向き直ると、一心不乱に文字を書き連ねる。
一体なんだというんだ。
そう思っているのは俺だけではなく、「なあ、もう一回聞いたほうがいいか?」とか「でも、俺は嫌だから亜紀ちゃんが聞いてくれ」なんて言ってくる長嶺も、同じ気持ちなのだろう。
「あいつ、なんなんだ?」
「さあ……?」
俺のほうが聞きたい。
いや、聞いてもろくなことになりそうにないので、やっぱり聞きたくない。
二人して、文字を書き続ける奥本を見ていると、ガラガラと音を立てて、担任の先生が入っ
てきた。
それと、同時にチャイムが鳴る。
「おーい。それじゃSHR始めるから、そこでいちゃついてる二人は離れなさい。それじゃ日直、号令」
先生違うんです、と言い訳を言う間もなく、日直がやる気のない声で言った。
「起立、気を付け、礼」
「じゃあ、まずは連絡事項から――」
長嶺がのしかかっていたせいで、生ぬるい背中をさすりながら、釈然としない気持ちで連絡事項を聞く。
その間にも、隣からは文字を書き綴る音が絶え間なく、聞こえていた。