悪魔の本④~佳奈~
誤字脱字報告、矛盾点の指摘や感想等は不要です。
宿屋から出て数日。夕方の森の中で地図とにらめっこしている私は今、王都サリダースを目指していた。その途中の森の中で一泊することに。魔法使い用のテントは魔物避けの結界が張られていて、気温も快適な温度に保たれているからすごい。
ちなみに、私がお世話になった宿屋がある街はイングスっていうみたい。おばさんはもう少し泊まっていけって言ってくれたけど、やっぱり私は早く帰りたかったから。そう言うと、親御さんも心配してるだろうしねえって送り出してくれた。
ああ、そうだ。私って薄情? すっかり親のこと忘れてたよ。だって、あの親達、私が居なくなっても数日は気づかなそうだしなあ。不思議な出来事ばかりでわくわくのほうが強いからってのもあるけど、まだまだホームシックにはならなそう。
そう思いながら、私は固形の簡易携帯食料をぼそぼそと齧る。ドライフルーツ入りのスコーンだ。魔法で一ヵ月はもつように作られているらしい。ラズベリーのような味で美味しい。
「そういえば、あの魔物もう帰ったかな」
私がここに野営する前。
「グルルル」
「犬、にしてはなんか精悍な顔つき。シベリアンハスキーをもっと凶暴にして真っ黒にして、でもって目が黄土色……というか、金色かなあこれ。にしたらこんな感じになりましたっていう……犬?」
雪に埋もれた森の中の街道をひたすら突き進む私。その途中で一匹の犬。本当なら撫でたいところだけど、あきらかにこちらを威嚇していて、とてもじゃないけれど触ることなんてできない。しかも、やっぱり犬にしてはおかしい。体格だってセントバーナードよりも大きいし、二倍はあるよねこれ。
「あ、あれ。なんか、もしかしておかしい?」
これ、犬じゃない。少し遅めに気づいた私は少しずつ後ずさりをするけれど、それに合わせて目の前の犬もじりじりと、まるで私にいつ飛び掛ろうかと考えているようににじり寄ってくる。これ、危機的状況ってやつ、だよね。
涎を滴らせて低く唸り声を上げている、見かけは大きい犬は、私のことをもしかして獲物と捉えているのだろうか。い、いやいや。でも。やっぱり楽観するのはよくないよね。いかにもこれから襲って食べます! って雰囲気かもし出してるし。逃げたほうがいいんだよね。でも、犬の方が足速いだろうし、どうしよう。
そんなことを考えている間に気づけば背中に木の感触。
「ガルルル!」
「ぎゃあ!」
とっさにしゃがみこむ、というかずるっと滑って転んだといったほうが正しいけど、私の胴体があった場所に犬の頭。ぎゃうんと木にぶつけて鳴き声を発している。い、今がチャンスだよ。
やだ。やだやだ。早くどこかへ逃げないと殺される! そう思っても体は自由に動かない。恐い。そう思って身を縮こまらせていると、あ! 胸元に入れていた本! なにか魔法はないの、魔法は。
「は、はやくはやくっ」
焦るからなかなかページをおくれない。急がないといけないのに! 激突した衝撃から立ち直った犬がこちらに再び構えだした。やばいって!
「ない、どこにもない、なんで!」
けれど、どんなに捲っても白紙のままで本にはなにも書かれていなかった。
「どうしよう、どうしよう」
もう絶望しかないって目を瞑った時。
なにかが目の前に迫ってくる犬の頭に直撃した。そのおかげか、犬はなにかが飛んできた方向を見たのか、急に警戒する素振りをみせて森の中へとさっと消えていく。もしかして、助かった?
しゃがみこんだままだったけれど、目の前の脅威が去ったことを知った私は、へなへなと力が抜けてお尻までぺたんと座り込む。よかった。犬、いなくなった。よかった。
と、テントの中でそんなことを思い出した。あの時飛んできたなにかのおかげで命拾いをしたけれど、一体なんだったのだろう。心置きなく休めるこの中でようやく余裕が出てきたのか、大分詳しく思い出せたけど。
今思えばあれ、絶対犬じゃない。ファンタジーでいう魔物……でもまさか。ううん。だって、ここは魔法が使えて、私は魔法使いみたいだし魔物だっていてもおかしくなはず。だとすると、イングスから一人で出たのは間違い?
でももう、一〇キロメートルは歩いたと思うし、今から戻るとあの犬が居た場所もまた通らなくてはならないし、それは嫌だ。なら、やっぱりこのまま進み続けるしかない、よね。
「あの時、なんで白紙だったんだろう。必要だったのに」
これまで二回、私が知りたいって思ったときに文字が書いてあった本。命の危険があったら書いてあって然るべきなはずなのに、それこそ現状の打破に必要だったのに、どんなに縋ってもなにもなくて。
「逃げる魔法とか、攻撃魔法とか期待したのに」
次またなにかの魔物に出会ったら。ぶるりと体が震える。でも、この安全なテントの中で考えておかないと。そうだ。あの第一章のでなんとかできないな。
がさがさ。
「え」
がさがさがさ、ざざ。
なにか、いる。一気に緊張が走る。全身に鳥肌が立った私は、どきどきしながらもなんとかテントの入り口のカバーを少しだけ開けることができた。そうしたら。
「う、うそ、なんで。犬、たくさんいる」
私は恐怖に慄いた。だって、一匹だったのに。なんで。テントの後ろ側からも息づかいが聞こえる。もしかして、囲まれた? 死ぬの。どうしたらいいの。
ああ、そうか。そもそも犬って基本は群れで行動するんだった。迂闊すぎる。なんで、こんなまだ森の中で休んでいたの。ばかだ、私。あくまでも魔物避けの結界は、テントの中だけだったんだ。ここからでたら襲われることになる。
でも、少しだけ。あんなにたくさんいるのに、少しだけ一匹のときよりも気持ちがマシ。……だって、一応使える魔法もっているもの私。現状の打破。これでいくしかないもの。でないと死ぬ。恐いけど、やりたくないけどやるしかないんだ。
「い、犬たちを殺す。犬たちを殺すイメージ!」
そう叫んでテントを飛び出す私に、待ってましたと言わんばかりに群がる犬たち。けれど、私に飛び掛る寸前で、竜巻が起こり犬たちを吹き飛ばした。そう、私は洗濯機の魔法を使ったのだ。打ち上げられ急降下し、地面に叩きつけられた犬たちから悲鳴が上がり声が止んだ。可哀想、なんて思い浮かんだけど、でも、躊躇なんてしたら。
「――いやだあ!」
まだ立ち上がれた犬がよろけていたが、体勢を立て直して再び私に飛び掛ってきた。もちろん、そんな機敏に避けきれるはずもなく。
私の二の腕に爪で引き裂いた。
痛い痛い痛い。声にならない痛みって、こういうことなんだ。なんて考えている余裕もなく、私は蹲ってただひたすら、血塗れた二の腕をぎゅうっとこれでもかと押さえ痛みに耐えようとした。でも、そんな私を痛みが治まるまで待ってくれるわけもなく。三度、犬が飛び掛ってくる。
「しっ死んで!」
この時私は、初めて心から懇願し叫んだ。
そうすると、死んだのだ。犬が。鋭い刃で幾度も体中、一気に切りつけたかのように血が噴出して。その血は私にも当然、雨のようにかかる。
でもこれで。私を殺そうと、食べようとした犬が死んだ。私が殺した。他の打ちつけた犬も私が。これで安心できる――。
ぴくりとも動かなくなった犬を見て、その場で私は気を失った。
気がついたらベッドの上、なんてことはなく。未だ私は死んだ犬たちと共にその場にいた。私は血だらけなのに、テントは綺麗なままだった。なんて最悪、いや、これはまだ助かっているほうなのかも。
「とにかく、止血しないと」
どのくらい気を失っていたのかは知らないけれど、そんなに時間は経っていないような気がする。私はテントの中へと入ってバックパックから包帯になりそうな布を取り出した。さらしだ。女と分かるままでは何かと不都合があるかもしれない。だから、男装しようと思って服飾屋で購入したものだ。
一応、人間対策までは出来ていたと思いたい。魔物は駄目だったけど。そもそも、旅とは火をたいて見張りを立てないと駄目なんではないか。テントの前で。一人旅の場合はどうすればいいのだろうか。次の街に着いたらその辺りも探してみないと。
あとは水。革の水筒を二の腕にかけて血を洗い落とす。ものすごく痛くて滲みるけど我慢、したくないけどしないといけない。さらしをナイフで切って包帯を作り、きつく二の腕を縛る。こんなので大丈夫なのかな。 歯と右手を駆使してなんとか二の腕を縛れた。幸いなのが、その二の腕は左腕だったということか。私の利き手は右だから。まだぎゅうぎゅうに縛っても少し血が滲んでくるけど、でも今のところはまだ大丈夫。ズボンはいたほうがいいかもしれない。この際だから、男装ここでしてしまおう。髪は……ポニーテールの男性もいたし、同じでいいかな。
「疲れた……休みたい」
着替え終えたけど口に出したとおり休むわけにはいかない。この血の匂いで新たに魔物がこないうちに森を抜けないといけないし。本当は頭から浴びた犬の血も落としたかったけど。着替えられただけでもいいと思わないと。
私は学校の制服を残りのさらしで包んでバックパックにしまうと、テントを回収してなるべく急いでこの場から立ち去ることに。
でも急いでと頭では思ってはいてもそうはなかなかいかない。ようするに貧血。頭がくらくらするし、からだもだるいし、ふらふらするような気がする。だけど急がないと。
そうして、森の道端のわきに転がっていた手ごろな木の枝を杖代わりにして、なんとか倒れずに次の街へ着くことが出来た。
ここまで読んでくださった方、本当に有難うございました。