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 数日後。

 セイレーン隊はスクランブル待機任務に当たっていた。緊急発進に備えて、パイロットと整備員が待機所に缶詰となるのだ。

 食事も取れるし、テレビを見たり雑誌を読んだりと比較的自由に動けるとはいえ、それほど広くない部屋に閉じこもっているのはやはり気が滅入る。


 先日レインとあんなことがあったせいか、梨緒は尚更息苦しかった。時間が経って言い過ぎだったと反省もしたが、自分の言ったことは何一つ間違ってないと自負している。

 レインが全く気にする素振りを見せないのもまた、梨緒の不機嫌の一因だった。いつもの調子で基地の女性を口説いているし、相変わらず大口開けて笑っている。心配するだけ損なのかもしれない。梨緒が一人気負ったところでどうにもならないのだ。

 ポーカーに興じるレインたちの輪から離れた場所で、梨緒は深い深いため息を吐いていた。


「……お前、まだ怒ってんのか?」

「怒ってません」

「そんな顔で『怒ってません』って言われてもなぁ。眉間に皺寄って老けて見えるぞ」


 笑うレインに更なる怒りがこみ上げるが、梨緒はグッと我慢した。今ここで怒りを爆発させても、より一層部屋の空気が悪くなるだけだ。


「本土に帰りたいな……」

 手にしたコーヒーを一口飲んで、梨緒は呟いた。

 確かにレインには色々と教えてもらったが、セイレーン隊の一員として戦果を上げたことでその義理は十分果たしたはずだ。これ以上は彼がどうなろうと知ったことではない。

 決めた。異動を願い出てみよう。


「隊長──」

 梨緒が言いかけた、その時だった。


 甲高く鳴るサイレン──待機所にいた全員が立ち上がり、それぞれの顔に緊張が走る。誰よりも先にレインが走り出していた。梨緒も後を追い、部屋を飛び出した。

 全員が格納庫へ全力疾走する。既に暖機中の愛機に駆け上がり、すぐさまヘルメットと酸素マスクを装着した。


『オラクルより入電! ヴァルチャー隊と思われるテージス軍機がわが国の防空識別圏を突破、このガミュー島を目指しているとの事』

 司令所からの情報が入った。


 まさか──この平和なガミュー島が戦場になるというのか。

 テージスもいよいよ末期らしい。精鋭とはいえ数機にまで減ってしまったヴァルチャー隊を使って、このガミューを攻撃するという無謀な作戦に出るとは。


 整備員によって機体についていた様々なコードが外され、キャノピーが閉められる。誘導にしたがって滑走路へと機体を滑らせた。前を行くレインの機体が炎を吹きながら空へと上がっていく。

 滑走路の上で揺らめく陽炎が、見知らぬ女性の姿を作り出したかのように見えた。あれは幻だ──わかっていても胸がざわつく。梨緒もまたスロットルを全開にし、幻をかき消すように離陸を開始した。

 たった数十秒で上空五千メートルにまで急上昇する。世界がその色をガラリと変え、ついさっきまで地上にいたことを忘れてしまいそうだ。


『……そろそろ終わりにしようか。ヤツらと決着つけないことにはこの戦争も終わりそうにないしな』

 レインの言葉に、皆思いは同じだった。

『負けることも、撤退することも許されない。オレたちの基地を、ガミュー島を守るぞ』

 隊は進路をヴァルチャー隊に向けて取り、迎撃態勢に入った。

 雲のない澄んだ空、どこまでも続く青い海。この景色をこれ以上汚したくはない。


「セイレーン2よりセイレーン1」

 ヴァルチャー隊の機影がレーダーに映り出したところで、梨緒はレインに呼びかけた。

「私がヴァルチャー1の囮になります。今日こそ決着つけてください」


 異動を願い出るのなら、せめてきちんと終わらせたい。梨緒はそう思って自ら囮を買って出た。

『……本当に大丈夫か?』

「私じゃ歯が立たないことはわかってますからね。せいぜい頑張って引っ張って見せますよ」

『了解。ヴァルチャー1が食いつくよう、魅力的にケツ振ってくれよ』


 梨緒は前に出た。ヴァルチャー1を誘うように、巧妙な罠を仕掛けていく。

 他のヴァルチャー隊機を追う素振りを見せると、案の定ヴァルチャー1はこちらを追ってきた。意識をこちらに引きつけつつ、その射程には決して入らないよう気を配らなければならない。そして後方上空からヤツを捕捉するレインの気配を感じ取られてもいけない。

 失敗すれば、死ぬかもしれない。恐怖がぞわりと梨緒の背中を這う。


 今、ここで自分が死んだら──レインは何を想うのだろう。

 少しは特別な想いを抱いてくれるのだろうか。

 自分もあのヒヨクノトリと同じ、この島に迷い込み、レインに助けてもらった存在だ。だが所詮小鳥は小鳥、それ以上の存在にはなれないのかもしれない。


『梨緒! 近づいてるぞ!』

 レインの叫び声で、梨緒は我に返った。気がつけばアラートが鳴っている。

『潮時だな。梨緒、そのまま離脱しろ』


 指示に従い、梨緒は旋回した。ヴァルチャー1はこちらを追いかけてくるが、その後ろにレインが急速に迫っていることにまだ気付いていない。今日のヴァルチャー1はどうもらしくない。度重なる戦闘で疲れているようにも見える。

『お前には期待してたんだがな、ここまでか』

 レインはヴァルチャー1の後ろにピタリと張り付く。重なるシーカーにシュートキューが出ているのが手に取るようにわかる。

 だが──いくら待てども動きがない。


『クソッ、接触不良だ!』


 故障だ。電気系統の接触不良なのか、ミサイルが発射されないのだ。

 焦るレインをよそに、ヴァルチャー1は素早く狡猾に彼の後ろに回りこむ。調子が悪いように見えたのは気のせいだったのだ。

 そしてミサイルは放たれた。矢のように飛ぶミサイルは逃げ惑うレインの機体をしぶとく追いかける。右へ左へ、まるで獲物を狙う猟犬だ。

 ついには──その右翼に被弾した。黒煙を噴く機体がバランスを保とうと翼を上下に大きく揺らす。梨緒は蒼白となった。


「隊長!」

『オレもとうとうツケが回ってきたな。いや、ずっと待ち望んでいた瞬間が来たというべきか』

 レインの口調はどこまでも鷹揚だった。機体はみるみるうちに高度を下げ、今にも海に突っ込みそうだ。いや、即爆発しないだけ奇跡なのかもしれない。

『これで……やっとあの海に還れるんだな……』

「早くベイルアウトしてください!」

 梨緒は叫んでいた。


「あなたが死んだら、この海をあの島を誰が守るんですか! それでもあなたは何かを守れたって胸を張れるんですか!」

『……お前なんで泣いてるんだ?』


 そう言われて初めて、梨緒は自分が涙声になっていることに気付いた。

「そんなことどうでもいいでしょう! 早く脱出を!」

『……オレのために泣いてるのか?』


 梨緒はもう答えなかった。歯を食いしばり、操縦桿を引いて旋回し、ただヴァルチャー1だけを見つめた。

 レインが守りたかったもの、そしてレイン自身を守るため、自分がヴァルチャー1を倒すのだ。空戦技術に大きな差があるのはわかっている。だがやらねばならない。

 一撃必殺──梨緒はたった一つのチャンスにかけることにした。


 ヴァルチャー1の前に出て、スピードを落とす。燃料切れが近いと見せかけ、ゆらゆらと機体を揺らした。ヤツがこの餌に食らいついてくるよう、色っぽく、誘うように。

 じっと時を待つ。我慢比べだ。慎重に、慎重に……食らいついた!

 背後から忍び寄るヴァルチャー1の機影。梨緒はつばを飲み込んだ。

 引くにはまだ早い。ロックオンアラートがうるさいが、ギリギリまで引き寄せる──ミサイルアラート。梨緒はスロットルを全開にし、操縦桿を思い切り前に倒した。急降下だ。高度計の数値がものすごい勢いで減っていく。海面がどんどん目の前に迫ってくる、墜落の恐怖との戦いだ。ミサイルが上を掠めていくのがわかった。

 ヴァルチャー1は驚いているようだ。ワンテンポ遅れて、急降下を始める。梨緒が狙っていたのはこの瞬間だった。

 今度は操縦桿を思いっきり引っ張る。急上昇だ。猛烈なGがかかり、視界がかすむ。ブラックアウト寸前、だが梨緒は血が滲むほど唇をかみ締め、それに耐えた。

 未だ急降下中のヴァルチャー1はその動きについていけない。急上昇を始めるが時既に遅し、梨緒の描く鋭角なカーブをなぞることはできず、気がつけばこちらを見失っていた。

 梨緒は息つくより早くループし反転する。それが終わる頃には──ヴァルチャー1の焦ったような背中にミサイルシーカーが重なっていた。

 もうためらうことはない。発射スイッチに指をかける。


「さよなら、エルコンドルパサー」


 押し込んだスイッチから伝わる衝撃。

 ヴァルチャー1は目の前で爆発した。

 そこに本当にヤツが存在していたのだろうか、今はもう空間に黒い煙と燃え尽きた機体の破片だけを残すのみだ。

 その煙を切り裂いて飛ぶ梨緒の瞳には、青い空のみが映っていた。







 基地の医務室のドアを開けると、薬品の匂いがつんと鼻を突いた。

 軍医に許可をもらい、ベッドを仕切るカーテンを開ける。そこに寝ていた男は梨緒を見て笑顔を見せた。


「よお、パーティの主役がこんなとこ来てていいのか?」


 レインだった。彼はあの後すぐベイルアウトし救助されていたのだ。軽い打撲だけですんだのだが、大事を取って今夜はここで一夜を明かすことになるらしい。

「……お祝いなんてする気分じゃないんです」


 基地に帰還した梨緒は一躍英雄となっていた。何せランティア軍全体が苦しめられてきたあの難敵ヴァルチャー1を倒したのだ。梨緒を称えて基地ではささやかなパーティが開かれていたのだが、その主役はそっと抜け出してきていた。

「偉業を達成したわりには、あんまりうれしくなさそうだな」

「誰のせいだと思ってるんですか」

 ベッド脇の椅子に腰掛けた梨緒はむくれ顔でそっぽを向いている。レインは苦笑しながらも身体を起こした。


「……本当に死んでもいいって思ってた。でも……お前がヤツに真っ向勝負挑んでるのが見えてな、何だかこのまま死んじゃいけないような気がしたんだ」

「……もう二度と『死ぬ』なんて、『死にたい』なんて言わないでください」

 梨緒は絞り出すような声で言った。


「ヒヨクノトリの片方の翼をなくして飛べないっていうのなら、私がその翼になります。そりゃ今はまだ未熟かもしれないけど、いつか隊長に追いつけるよう努力しますから……」

「もう十分追いついてるよ。ヴァルチャー1にはそれだけの価値があったんだ。ヤツと戦えたことを、そしてヤツに勝ったことを誇りに思え」

 ようやく梨緒はレインの顔を真っ直ぐに見た。お世辞でも甘言でもない、真摯な瞳がこちらを見つめている。


「よくやったな、梨緒。お前はもう『エースパイロット』だ」

 レインは梨緒の頭を乱暴になでた。髪の毛をぐしゃぐしゃにされ、イヤそうな顔をして見せたが、きっと泣きそうな顔になっているに違いない。 

「生き続けなきゃならない理由ができちまったな。お前に助けられた命と翼、半分お前に預けるよ」

 レインは呟いた。

 窓から流れ込む夜風がカーテンを揺らす。医務室に訪れた静けさが心地よかった。








 数日後、レインは戦列に復帰したが、その日のうちにメルヴィナス戦争は終結した。ヴァルチャー隊を失ったテージス軍は士気を失い、ランティア軍がメルヴィナス島を完全に制圧。テージスの軍事政権は崩壊した。

 ガミュー島の澄み渡った青い空を、今日もセイレーン隊の戦闘機が飛んでいく。戦争は終わったとはいえ、この島を守るため彼らはずっとこの空を飛び続けるのだ。


 隊長室の鳥かごに、あの小鳥はもういない。

 残された一枚の赤い羽根を震わせるように、どこからか甲高い鳴き声が響いている。


トンデモ展開……orz

これが私の限界だったようです。


こういうナナメ上な恋愛モノを書くのが好きな作者です。


ここまでお読みいただき、真にありがとうございました。

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