デザイナーベビー
■ イレギュラー発生史およびWMDM設立経緯
― 人類進化介入計画から“太平洋前線”に至るまで ―
世界魔物討伐機構――WMDM(World Monster Defeat Mechanism)。
この名称が公式に用いられる以前、同組織は複数の国際機関および非公開研究ネットワークの集合体として存在していた。表向きには生物災害対策機関、あるいは未知病原体の封じ込め組織として説明されていたが、その実態は、人類の進化に関わる“逸脱現象”の監視および制御を目的とした、極めて高度に秘匿された統合管理機構である。
彼らが対処対象として定義した存在――それが「イレギュラー」であった。
イレギュラーの出現が世界的に確認され始めたのは、「Xデー」と呼ばれる特定の時期以降である。この時期を境に、従来の生物学的・物理学的枠組みでは説明不可能な能力を行使する人間が各地で確認されるようになり、WMDMはこれを“局所的な進化逸脱事象”として分類した。
現在、その総数は数千から数万規模に達すると推定されているが、正確な統計は存在しない。意図的な隠蔽、国家間の利害、そして何より、当事者たちの自発的な潜伏によって、その実態は常に流動的である。
この現象の起点は、20世紀末に遡る。
1980年代初頭、ゲノム編集技術の基礎理論が確立され、人類は遺伝子そのものに対する直接的な介入手段を手に入れた。当初は遺伝性疾患の治療を目的とした医療応用として進められていたこの技術は、やがて「最適化された人間」を設計するという方向へと逸脱していく。
この段階で誕生したのが、「ファーストステージ・チルドレン」と呼ばれる最初期のデザイナーベビー群である。
その最初の個体――リリア。
彼女は単なる“成功例”ではなかった。むしろ、後のすべての研究の基準となる「観測対象」として位置づけられた存在であり、その生涯は一つの実験記録として扱われ続けた。彼女に対して実施された『23andMeプロジェクト』は、個体レベルでのゲノム解析、表現型の変動、環境適応性、精神発達の全過程を長期的に追跡するものであり、同時に人類が“どこまで人間を設計できるのか”という問いそのものでもあった。
この時代、デザイナーベビーは「未来の人類」として扱われた。
選択された遺伝子。排除されたリスク。最適化された身体。だがそれらは、あくまで既存の人間という枠組みの内部での調整に過ぎなかった。彼らは強化されてはいたが、“逸脱”はしていなかった。
状況が変化するのは、特異菌――ゾーイの発見以降である。
ゾーイは従来の真菌とは異なり、個体境界を持たない集合的有機体として振る舞い、自己増幅およびネットワーク的情報伝達を可能とする存在であった。この性質に着目した一部の研究機関は、クローン人間の生成過程にゾーイ由来の細胞構造を組み込む試みを開始する。
その目的は明確だった。
“個体”という制約を超えた生命の設計。
すなわち、単一の肉体に依存しない、生物的ネットワークの創出である。
この実験系から誕生したのが、「セカンドステージ・チルドレン」である。
2030年。
この世代の中から、予期されていなかった現象が観測される。
DS細胞――Design Shift Cell、あるいはDivergent System Cellと呼称される遺伝子変異である。
これは単なる遺伝子改変の結果ではなかった。ゾーイの持つ“集合的構造”が、個体内において不完全に定着したことによって生じた、極めて不安定な状態であり、従来の生物学的定義では説明不可能な機能を発現させた。
局所的な物理法則の逸脱。異常な運動性能。認知領域の拡張。エネルギー変換効率の異常上昇。
それらは一様に“能力”として観測され、後に「スキル」と総称されるようになる。
この段階で、研究は制御不能領域へと突入する。
各国政府および関連機関は、これを「人類進化の飛躍」として扱うか、「存在的脅威」として排除するかの判断を迫られた。結果として選択されたのは後者である。
約2000名のデザイナーベビーを収容していた統合研究施設――通称「センター・ハウス」。
ここは単なる研究所ではなかった。長期的な観測、教育、隔離を兼ねた管理施設であり、事実上の閉鎖社会として機能していた。この施設に対し、政府主導による封鎖および抹消作戦が実行される。
記録の消去。
研究の隠蔽。
存在そのものの否定。
それらすべてを一度に実行するための強制介入であった。
しかし結果は、想定とは異なる形で終結する。
デザイナーベビーたちは抵抗した。
それは単なる反抗ではない。自己防衛のための、生存本能に基づく反応であり、同時に“個として存在するための闘争”であった。投入された部隊は壊滅的な損害を受け、施設は機能を失い、制御は完全に崩壊する。
この一連の事象は、後に「太平洋前線」と呼ばれる。
地理的な意味を持たないこの名称は、むしろ概念的な境界線を示している。すなわち、人類が「設計された存在」と「逸脱した存在」を明確に分離できなくなった瞬間を指し示す言葉である。
生き残った者たちは、世界各地へと拡散した。
彼らは自らを「スキルメーカー」と名乗る。
それは能力の創出者という意味ではない。自らの存在そのものが“変化の媒介”であるという、自覚に近い呼称であった。
彼らは国家に属さない。
法に守られない。
同時に、既存の人類の枠組みにも収まらない。
そのために彼らは、地下へ潜り、あるいは特定の自治圏へと集まり、独自のコミュニティを形成していく。その一部は、後に学園都市バラムへと流入することになる。
WMDMは、この時点で正式に組織化される。
目的は単純でありながら、定義が極めて困難なものだった。
——スキルメーカーの管理、監視、必要に応じた排除。
彼らが“人類”である限り保護対象であり、同時に“人類を逸脱する存在”である限り脅威対象でもある。この矛盾を内包したまま、WMDMは現在に至るまで活動を続けている。
そして世界は、いまだその結論に到達していない。
スキルメーカーとは、人類の進化なのか。
それとも、人類という概念の終焉なのか。
その答えは、いまだ観測されていない。




