お菓子を食べられない子供のハロウィン
十月も下旬に差し掛かり、秋が深まる季節。
世はハロウィンなんて耳慣れないお祭りに浮かれていた。
ハロウィンは、子供が魔女や化け物の仮装をして、
家や商店などを巡り、お菓子をねだるお祭りだ。
トリック・オア・トリート!お菓子をくれなきゃいたずらするぞ!
ハロウィンの子供たちは、この言葉の通り、
いたずらをしない代わりにお菓子を貰うことができる。
子供にとっては楽しいお祭のはずだった。
都会からやや外れた郊外に、ある病院が存在する。
そこは、通常の病院では治療できないような、
難病を患った人たちが多数、入院している。
四肢を失おうとしている人。
内臓を失おうとしている人。
患者は老若男女様々だが、特に中年以降の患者が多い。
しかし一人だけ、まだ幼いと言える歳の患者がいた。
その子の名前は佐藤義。
病院の医者や看護婦、他の患者たちからは、
ただしくんと呼ばれて可愛がられていた。
ただしくんは、生まれつき、全身に悪性の腫瘍を患っていて、
もう何度も手術などの治療を繰り返している。
しかし容態は一向に改善せず、このままでは命に関わる状態。
当然、ハロウィンなどのお祭り事には参加したこともない。
ただしくんが入院している病院自体、
毎日いつ亡くなる患者が出てもおかしくないので、
ハロウィンの飾りなどもってのほか。いつも白い壁に囲まれていた。
ただしくんは、名前の通り、清く正しく、義理堅い子だった。
ほとんど寝たきりの状態なのに、医者や看護婦には礼儀正しく、
それどころか、少しでも動ける時は、
隣近所の患者などへの挨拶も欠かさなかった。
「おはよう!僕、ただしです。」
「こんにちは!僕、ただしです。」
ただしくんのかける明るい言葉が、
他の患者にとってどれほどの救いになったのかわからない。
ただ、ただしくん本人はそんなことも知らず、明るく振る舞っていた。
病院に入院し続けているただしくんだったが、
たまに見せてもらうテレビや本などで、ハロウィンの事は知っていた。
「ハロウィンのお祭り、楽しそうだな。
でも、僕の体じゃ、病院の外を巡るなんて無理だろうな。」
そう言って寂しそうにするただしくんに、
周囲の大人たちは、テレビや本を見せて、精一杯励まそうとした。
それから数日の間、ただしくんはまた手術を受けた。
悪性の腫瘍を取り除くための、もう何度目かもわからない手術。
もしかしたら、手術のための麻酔で眠ったまま、
もう二度と目が覚めることは無いかも知れない。
大人でもそんな恐怖を抱くほどで、
幼いただしくんにとっても、手術は何度経験しても恐ろしいものだった。
それでもただしくんは、病気を治すため、黙って手術を受け、
麻酔から目を覚ますと、大人たちを安心させるために笑顔を見せるのだった。
ハロウィンが近付くにつれ、ただしくんの容態は悪化していった。
ただしくんは何度も何度も、手術やその他の治療の苦痛に晒された。
今や治療は延命措置に過ぎない状態に陥りつつあった。
「せめて、今年のハロウィンくらいは見てみたいな・・・」
ただしくんはベッドに横になり、いくつもの管や配線をつけられて、
それでも子供らしく生きたいと、言葉だけは元気だった。
もう間もなくハロウィンという頃になって。
ただしくんの容態はますます悪化していった。
ハロウィンが見たい。
そんなただしくんの願いは、叶いそうもなかった。
そんなことは告げることもできず、
医者や看護婦は励ますことしかできなかった。
「何か欲しいものはない?」
ある時、看護婦の一人がただしくんに尋ねた。
もちろん、外に出たいとか、健康な体、などと言われても、
そんな願いは叶えることはできない。
でもせめて、亡くなる前に一つくらい願いを聞いてあげたい、
そう思ってのことだった。
子供の欲しいものといえば、おもちゃやお菓子などだろう。
確かにただしくんも子供だったが、
ただしくんの答えは、大人たちの想像とは違った。
「僕、お菓子が欲しいんだ。」
「どんなお菓子?」
「あのね、ハロウィンで配るためのお菓子。」
「えっ、自分で食べるお菓子じゃないの?」
驚いた看護婦に、ただしくんは弱々しい笑顔で答えた。
「今の僕の体じゃ、お菓子を貰っても食べられないし、
食べても味がよくわからないもの。
それに、おもちゃで遊ぶ手も動かない。
だから僕、ハロウィンのお菓子が欲しいんだ。
ハロウィンに誰かがお菓子を求めてやってきたら、
その子にお菓子をあげられるように。
そのためのお菓子が欲しいんだ。」
ただしくんは、どんなに衰弱していてもなお、清く正しい心の持ち主だった。
ただしくんの体では、ハロウィンのお菓子を貰いに行くことはできない。
お菓子を貰っても食べることすらできない。
しかし、動けない体でも、お菓子を貰いに来た子にお菓子をあげる事はできる。
だからただしくんは、病んだ体でもハロウィンに参加できるよう、
他人にあげるためのお菓子をねだったのだ。
それを理解した看護婦は、涙ながらに言った。
「そう・・そうなの・・。そうよね。
ただしくんはお菓子を貰いには行けないけど、
誰かがお菓子を貰いに来るかも知れないものね。
じゃあハロウィンのお菓子をたくさん用意しておこうね。」
「うん!」
そうして、ただしくんのもとに、いくつかのお菓子が届けられた。
自分では味わうことのできない、他人に渡すためのお菓子が。
それからも、ただしくんの容態は悪化の一途を辿った。
何度も意識を失い、両親や親戚が病院に呼び出された。
その度に、ただしくんは辛うじて意識を取り戻し、こう問うのだった。
「ハロウィン・・・。ハロウィンのお菓子を貰いに来た子はいた?」
掠れて聞き取りにくいその声に、誰も答えられない。
こんな重篤な患者ばかりの病院に、ハロウィンの子供たちが来るわけがない。
だからハロウィンのお菓子を用意していても無駄だ。
誰もがそう思ったが、しかしそんなことをただしくんには言えない。
この世から去ろうとするただしくんを悲しませる必要はないのだから。
だから、こう答えるしかなかった。
「ううん。まだ誰もハロウィンのお祭りには来てないよ。
だから、ただしくんもまだ待ってないとね。」
「・・・うん。」
ただしくんは微かに頷いて、そのまま眠りについた。
ここは夢の中?それとも現実?
微睡みの時に見るぼやけた世界に、病院の光景が重なる。
医者や看護婦たちが慌ただしく、何かをしている。
その中心に、ただしくんは横たわっている。
その光景を、どこか離れた場所から見ている気がする。
「ここはどこ?夢の中?」
「違うよ。」
誰かがただしくんの言葉に答えた。
ただしくんが振り返ると、そこには一人の子供が立っていた。
子供だと判断したのは、その子供特有の甲高い声から。
姿は真っ黒なクレヨンで塗り潰した影のようで、よく見ることができない。
ただしくんは問うた。
「君は誰?ここはどこ?」
すると真っ黒な子供は、それには答えず、ある言葉を口にした。
それは誰もが知っている、あの言葉だった。
「トリック・オア・トリート。お菓子をくれなきゃ、いたずらするぞ。」
どうやら真っ黒な影のような子供は、ハロウィンのお祭りに来たようだ。
それはただしくんにとって、はじめてのお祭りだった。
最初、ただしくんは戸惑い、それから喜んで返事をした。
「ト、トリック・オア・トリート!お菓子なら用意してあるよ!
僕の病室のベッドの横にあるから、好きなだけ持っていって!」
すると影のような子供は、口をニタリと開いたように見えた。
「お菓子をくれるの・・・?ありがとう。
僕にお菓子をくれる人に出会ったのは久しぶりだ。
それじゃあ、いたずらはできないね。」
影のような子供の手に、ハロウィンのお菓子が現れた。
綿飴、クッキー、チョコレート。
それらは看護婦に頼んでただしくんが用意したものだった。
ただしくんはお菓子を貰った子供よりも喜んだ。
「やった!お菓子を貰ってくれた!
これで僕もハロウィンのお祭りに参加できたってことだよね?」
短い人生ではじめてお祭り事に参加できて、ただしくんは大はしゃぎ。
影のような子供はそれを静かに見ていた。
するとただしくんの動きが突然、止まった。
胸を抑えてうずくまっている。
「か、体が・・・!僕、動けないんだった。
苦しい・・・!体中が痛い・・・」
それからはもう、言葉にならなかった。
何も無い地面に横になって、ただしくんは動けなくなった。
目の前が歪んで見えていく。暗くなっていく。
「僕、このまま死ぬのかな・・・」
最期にただしくんがそう口にした時、
影のような子供は、無表情にただしくんの事を見下ろしていた。
ぼやけた風景がはっきりとしてくる。
それと同時に、音や光が洪水のように押し寄せてくる。
「心臓マッサージだ!早く!」
「もうやってます!」
「至急、手術の準備を!」
「しかし、この状態ではただしくんの体力がもう・・・」
「では黙って見ていろと言うのか!」
気がつくと、周囲で医者や看護婦たちが大騒ぎしている。
ベッドの横では、両親が立ち尽くしている。
それから意識がはっきりしてきて、ただしくんはハッと目を見開いた。
「・・・僕、生きてる。生きてるよ!」
急にただしくんが目覚めて、医者や看護婦、両親は唖然としていた。
体につけられた線に繋がった機械が、大騒ぎを止め、
規則正しい音を奏で始める。
医者が、看護婦が、目を丸くして言った。
「まさか、蘇生したのか!?」
「信じられない・・・!」
「ただしくん、体はどうだ?」
医者に問われて、ただしくんは気が付いた。体が動くことに。
衰弱する一方だった体が、今、僅かだが動かすことができる。
「動く・・・!僕、体を動かせるよ!」
それから、ただしくんの病室は大騒ぎとなった。
精密検査の結果、信じられないことに、容態は改善していた。
体中に転移していたはずの悪性の腫瘍が、きれいに姿を消していた。
まだ健康体とは言えないが、命の危機は去った。
「まったく、どうしてこんな事が起こったんだ?」
医者は理由がわからず混乱している。
しかしベッドに横たわるただしくんにだけは、
何が起こったのかわかった気がした。
「何故かって?見てみてよ。ハロウィンだよ。」
ただしくんが指さした先。
時計は日付を越えてハロウィンになった事を示していて。
ただしくんの希望で用意してあったハロウィンのお菓子、
それらがいつの間にか全て失くなっていたのだ。
トリック・オア・トリート。
ただしくんはあの影のような子供にお菓子をあげたので、
代わりにいたずらではなく、もてなしをしてくれたのだろう。
その結果が、今のただしくんの体というわけだ。
「ありがとう。僕をハロウィンのお祭りに参加させてくれて。」
どこからかそんな声が聞こえたような気がした。
だからただしくんもこう返した。
「ううん、こちらこそありがとう。
僕がハロウィンのお祭りに参加できたのは、君が来てくれたおかげだから。」
涙を流して手を取る両親の向こうで、手を振る影を見たような気がして、
ただしくんは最後のお礼を言った。
ハッピーハロウィン。
終わり。
ハロウィンは、お菓子を貰える子供には楽しいお祭ですが、
お菓子を食べられない子供にとってはどうなのだろう。
そう考えて、お菓子を食べられない子供の場合を考えてみました。
お菓子を食べられなくても、お菓子を用意することはできる。
作中のただしくんは、他人のためにお菓子を用意することで、
ハロウィンのお祭りに参加しようとしました。
本来なら、そんな重篤な患者の多い病院でハロウィンなど、
難しいだろうと思います。
でも、本物の人外の存在にはそんな都合は関係ありませんでした。
結果、ただしくんは、トリック・オア・トリートの、
トリートをしてもらい、病気が良くなりました。
こんな奇跡は空想の世界でしか起こらないかもしれませんが、
せめて世の不遇な子供たちも、ハロウィンを楽しめますように。
お読み頂きありがとうございました。




