第9話 【小さな勝利】
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港町ガルマの空は、いつにも増して潮風が強かった。夜明け前に吹く風は塩を含み、軒並みに吊された魚を揺らし、波止場に並ぶ木樽をきしませる。朝の市場が始まる前、町は独特の緊張感に包まれていた。
ミサトたちはその空気を胸に吸い込みながら、商館通りを歩いていた。
彼女の視線の先には、港の書記官ルディアが待っている。昨日の暗殺未遂事件を受け、彼女が「ある場所で話を聞いてほしい」と声をかけてきたのだ。
「ミサト…その女、本当に信用して大丈夫なのか?」
カイルが辺りを警戒しながら剣の柄に手を置いたまま問う。
「刺客がまた出てもおかしくねぇぞ」
「うん……分かってるよ。でも、これを逃したら、このチャンスを逃したら……先に進めないし、里も救えない」
ミサトは答え、足を止めなかった。
心臓は早鐘を打っている。それでも彼女は歩を進める。怖さよりも、湯ノ花の未来の方が重いのだ。
ゴブ次郎が大きく鼻を鳴らした。
「ふふんっっ!ボスは相変わらず肝が据わってるな。大丈夫!オレらがついてる。ぜってぇ守るから安心しな!ゴブリンパワー見せてやるぜっ!!」
その豪快な言葉に、エルナも小さく笑みを浮かべる。
「ふふふ、ゴブさん。……そうですよ。みんなで来たんです。私たちは、もう一人じゃありません」
そう、昨日の夜。命を狙われ、血を流しながらも、仲間と心を確かめ合った。
あの瞬間を超えたからこそ、今のミサトの足取りは確かだった。
◇◇◇
待ち合わせの倉庫街。夜明けの光が木板の隙間から差し込み、埃を照らしている。
ルディアはそこで待っていた。整った黒髪を束ね、目の下には寝不足の影。だが瞳は鋭く光を帯びていた。
「来てくれてありがとう、ミサトさん…」
彼女は周囲を警戒しながら声を潜める。
「時間がないわ。急いで伝えます。今、バルドン商会は“港の補給契約”を一手に握ろうと必死になっている。けど……そのせいで不満も溜まっているの」
「不満?」
「ええ。港の小商人たちは、バルドンに倉庫の使用料を釣り上げられ、半ば搾取されてる状態。彼らも密かに新しい取引相手を探してる」
ルディアは一枚の羊皮紙を取り出した。そこには小さな商人たちの署名が並んでいる。
「これは、彼らが“湯ノ花の里に限定的な補給を任せたい”と望んでいる証文よ」
その瞬間、ミサトの胸が熱くなる。
ここに来て、ついに手がかりが掴めたのだ。
「でも……」ルディアは眉をひそめ続けた。
「彼らも恐れている。バルドンの報復が怖い。だから契約は“正式”にはできない。ただ、港の裏路地での小規模な物資供給なら、黙認するつもりだって」
それは、確かに小さな契約に過ぎない。
だが、ゼロから始めたミサトたちにとっては大きな一歩だった。
「……分かりました」
ミサトは証文を受け取り、深く頭を下げる。
「この信頼、絶対に裏切りません。必ず物資をきちんと届け、港にとっても利益になるようにしてみせます。ありがとうございます」
ルディアは小さく微笑んだ。
「なら、私も出来る限り協力する。書記官としては表立っては動けないけど……記録の一部を書き換えて、あなた方の補給を“見逃す”ことはできるわ。バルドンに一泡吹かせて!苦渋を舐めさせられた仲間の敵を討って…」
「うん。ルディアさん……!分かりました。ありがとうございます!」
その勇気に、ミサトは心から礼を言った。
、、仲間がまた一人、増えた。
◇◇◇
その日の午後、港の裏通り。
目立たない小さな倉庫に、湯ノ花の荷馬車がそっと横付けされた。
積まれているのは温泉まんじゅう、干し野菜、保存肉、そして薬草。どれも山里ならではの物資だ。
商人たちがそれを受け取り、代わりに塩や干魚、油などを積み込んでいく。
取り引きは静かに、だが確かに成立していた。
「……これで、やっと……ちゃんと…湯ノ花の里に物資が届く」
エルナが感慨深げに呟く。
「子供たちが冬を越せる……!」
カイルも腕を組みながら笑った。
「小さいが確かな勝利だな。だがバルドンに気づかれりゃ一発で潰される。油断はできねぇ」
「分かってる!次の手を考えないとね…」
ミサトは頷きながら、荷馬車に視線を送る。
、、ここまで来るのに、どれだけの困難があっただろう。
失敗、妨害、裏切り、そして暗殺。
そのすべてを越えて、今こうして小さな勝利を掴んでいる。
リリィの声が、脳裏に優しく響いた。
『はい。ミサト。あなたは今、“帝王学”における最も重要な要素を実行しています』
「……最も重要な要素??」
『はい。ミサト。権力とは、一気に大帝国を築くものではなく、小さな信頼を積み重ねるもの。今の契約は取るに足らない規模かもしれません。ですが、これが次の大きな勝利への礎になるのです』
ミサトはその言葉に胸を打たれた。
確かにそうだ。大きな一歩よりも、小さな積み重ねが未来をつくる。
それは社畜時代の仕事にも通じていた。
地道な改善、取引先との信頼の積み重ね、、。
あの頃は報われないと思っていた努力が、今ここで生きているのだ。
「ありがとう、リリィ」
ミサトは小さく笑った。
「……私、やっと報われてる気がするよ!」
『はい。ミサト。ですが、まだ始まったばかりです』
リリィの声はどこか楽しげだった。
『ミサト。あなたの歩みは必ず“物語”になる。だからどうか、自分を誇って前に進みましょう』
◇◇◇
荷の積み替えが終わる頃、ルディアが倉庫に姿を現した。
「上手く行きましたね。これで湯ノ花は冬を越せるでしょう」
ルディアはそう言って、そっと契約の控えを差し出す。
「ありがとう、ルディアさん。本当に、ありがとう」
ミサトは両手でその紙を受け取った。
小さな契約書、、けれどその重みは計り知れない。
仲間の命がけの努力が、確かに形になった証だった。
だがその直後、ルディアの表情が曇る。
「けれど……安心するのはまだ早い。バルドン商会は必ず動く。あの男は、町を一つ二つ潰すことも厭わない。次に狙われるのは、きっとあなたたちの里よ」
ミサトの背筋に冷たいものが走る。
、、そうだ。これはあくまで小さな勝利に過ぎない。
次には、必ず大きな試練が待っている。
だが彼女は顔を上げ、仲間を見渡した。
カイルは剣を腰に構え、ゴブ次郎は棍棒を肩に担ぎ、エルナは血の滲む肩を押さえながらも微笑んでいた。
そしてルディアもまた、勇気を胸に立っている。
「……それでも」
ミサトは力強く言った。
「私たちは絶対に止まらない。この契約を足がかりに、必ずバルドンに立ち向かってみせる!さぁ!みんな!こっから反撃開始だよっ!!」
その言葉に、皆の瞳が輝いた。
仲間の心が一つに重なり、港の裏倉庫に静かな熱が満ちていった。
◇◇◇
夕刻。港の遠く、石造りの館の窓辺から、一人の男が倉庫街を見下ろしていた。
太い指に嵌められた黄金の指輪。油断なく光る眼差し。
、、バルドン商会の頭領、バルドンその人だった。
「んぁっ?!あの小娘が……。小さな契約を結んだだと?どことだ??」
従者が頷く。
「はっ。どうやら港の下層商人どもを抱き込んだ様子です」
バルドンの口元に、冷たい笑みが浮かんだ。
「ぶっはっはっ!!愚か者ども。小さな火種がやがて大火になることを知らぬとはな……。よかろう!」
彼はゆっくりと立ち上がる。
「次は俺自らが出る。小娘も、その里も、一つ残らず俺の手にしてくれるっ!ぶわっはっはっ!!」
その低い笑い声は、夜の港を震わせるほどの凄みを帯びていた。
ミサトの小さな勝利の影で、嵐が動き出そうとしていた。
続