第1話 【湯ノ花の里、日常の芽吹き】
見て頂きありがとうございます。励みになりますので、良かったらブックマーク、評価、コメントよろしくお願いします。
バルドン商会との戦いから、三ヶ月の時が流れた。
あの夜、ミサトの情熱と叫びに包まれた湯ノ花の里は、、今、すっかり表情を変えている。
新しく整備された広場には、丸太で組まれた屋台が並び、村人たちが野菜や干し肉を持ち寄って小さな市を開いていた。かつては細々と温泉と自給自足に頼っていた里が、今では湯ノ花の里は近隣の農村や旅人をも呼び込み、商いを営む場へと変わりつつある。
広場を駆け回る子どもたちの声は、戦いの記憶を少しずつ癒やしてくれていた。
「はい、ここは“あ”の字だぞ。あとは丸を二つ重ねて……そう、上手い上手い!」
広場の片隅では、ゴブ次郎が小さな黒板を抱え、子どもたちに読み書きを教えていた。鉛筆を握る手が震えている子に、屈みこんで優しく手を添える姿は、かつての恐れられたゴブリンの影もない。
「ゴブ先生!」と呼ぶ子どもたちの声に、彼は耳を赤くして照れ笑いを浮かべていた。
また別の広場の片隅では、ゴブリンたちが木の桶を並べて水を汲んでいた。
「ほらほら、ちゃんと列にならんとだめだぞ!」
子どもたちが競うように桶を運び、転んでは笑い、また立ち上がる。恐れられていた魔物が、今では子どもたちの「優しいお兄ちゃん」になっているのだから、不思議なものだ。
「ほんと、平和っていいね〜。ミサトさんがこの村に最初来た時はこんな事になるなんて思いもしなかったよ〜」
エルナが縁側で湯呑を傾けながらつぶやく。
ミサトは頷きながら、胸の奥に小さなざわめきを覚えていた。
、、ここまで来られたのは仲間がいたから。でも、この平穏がいつまで続くんだろう?
その時、リリィが小声で告げる。
『はい。ミサト。先ほどから港町方面からの伝令が複数、妙な足取りでこの里を観察している模様です。単なる旅人ではありませんね』
ミサトは茶碗を握る手に力をこめた。
「へぇ〜……やっぱり、もう次の波が来てるんだね」
穏やかな笑い声に満ちた広場と、静かに忍び寄る影。
その落差を感じながら、ミサトは背伸びをして空を仰いだ。
「うぅーーん!守りたいな、この幸せな時間を。だから……絶対に負けられない!」
リリィが耳元で囁く。
『はい。ミサト。だからこそ、私がいるのです。ミサト、まだまだあなたには私が必要ですものね』
◇◇◇
温泉宿の前で、エルナが腰に白い前掛けを結び、元気いっぱいに客を迎えている。
「いらっしゃいませ〜!本日は湯ノ花の源泉へようこそ! 効能は肩こりからはたまた恋の悩み、夫婦喧嘩にも効くとの噂ですよ〜!!」
半ば冗談じみた売り口上に、客たちがどっと笑う。
だがその笑顔に安心して財布の紐を緩める客も多く、温泉宿は日ごとに繁盛していた。エルナ自身も、すっかり「里の顔役」として自信をつけているようだった。
一方で、帳簿の山と格闘しているのはカイルだった。
「ぐぬぅぅぅ、、仕入れはこれで足りるとして……次は馬車の輪替えか。くそ、算盤の珠が足りん!」
商人らしい悪態をつきつつも、彼の筆は迷いがない。かつてはトーレル商会の一員にすぎなかった彼も、今や湯ノ花の里《商務主任》として里の経済を一手に担っている。
「ふふっ!この忙しさも、まぁ悪くない。ここなら数字を動かすたびに、仲間の笑顔が見えるんだからな」
独りごちる表情には、以前の擦れた雰囲気はもうない。
◇◇◇
「……本当に、変わったよねぇ〜。最初来た時は小さな村だったのにね……」
丘の上から里を見下ろしながら、ミサトは呟いた。
彼女は正式に“里長”と呼ばれる立場になっていたが、本人は肩書きをまだ持て余している。
「あはは、、元社畜が気付いたら村のトップに……ブラック企業社員からホワイト村長って、どういうキャリアプランなのよ」
自嘲めいたつぶやきに、リリィの声が返ってきた。
『はい。ミサト。それでも、あなたがいるから皆は安心して働ける。肩書きではなく、信頼が人を動かしているのです』
「ははは……そんな立派なもんじゃないよ。ただ必死で逃げないって決めただけ…あと“やることあるとやらなきゃダメ”って洗脳されてるからね〜あははっ!」
『はい。ミサト。その“必死”を続けられる人こそ、指導者の器なのです』
少し照れ臭くなって、ミサトは頬をかいた。
そんな彼女の耳に、里から響く笑い声が届く。
ゴブ次郎の声、エルナの明るさ、カイルの不器用な叱咤。
、、この穏やかな日常を守りたい。その思いが、ミサトの胸を熱くしていた。
◇◇◇
夜。
焚き火の赤い光の中、リリィが不意に声を落とした。
『はい。……ミサト。外の情報網から報せがあります』
「ん、なになに??嫌な知らせ?」
『はい。ミサト。嫌な知らせです。商業連合の一部商人が、港の補給に不自然な制限をかけ始めた模様です。表向きは物資不足ですが、意図的に流通を妨げている可能性が高いです』
ミサトの胸がざわついた。
「それって……つまり、湯ノ花の成長を快く思ってない連中がまたいるってこと?」
『はい。ミサト。連合内の一派なのか、またバルドンなのか、あるいは別の勢力か。まだ断定はできません。ただ、この幸せな日常に浸りすぎると足元をすくわれますよ』
焚き火の火の粉が夜空に舞い上がる。
、、平和の裏で、確かに嵐は近づいていた。
ミサトは火を見つめながら、静かに拳を握った。
「……分かった。守るよ。この里を、みんなをね!」
夜風に揺れる木々が、彼女の決意を後押しするかのようにざわめいていた。
続