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逆転世界はもうどうしようもない  作者: あああああ
34/36

普通の変態って何?

 


 俺は俺が正しいなんて思ったことはない。


 人間の行動原理は情動だ。

 信頼の羈絆に縛られ、安心へと身を委ねては、嫌悪を避け、悲哀から悔やみ、恐怖に学ぶ。

 どれだけ理性を高めようと原理は変わらない。

 受け取り方の差はあれど、誰しもが快と不快を指針とする存在だ。


 『信頼』は正のベクトルを。

 『嫌悪』は負のベクトルを持つ。


 負のベクトルが間違いではないように、正のベクトルも正しきではない。

 俺は――いや、俺たちは正解を知らない。


「だからって、流されたくないんだ」


 正しき行いなどどこを探しても見つからないとして、それなら俺たちはどう生きるべきなのか。


 周りに従うばかりでいいはずがない。

 定められたままに生きるだけでは道具と変わらない。


 正しき選択などないと知って、足を止めて、それでも再び歩き出せる人でありたい。

 たとえ、かつての俺に委ねる形であったとしても。


「……妥協、か」


 昔の俺なら拒んでいただろう。

 だから俺は三人の手を取らないでいる。


 きっとそれだけだ。

 俺が意地を張っている理由はたったそれだけ。


 馬鹿らしいことだろうか。

 ファトゥスが以前言ったように、未来永劫俺がこのままだとしたら、かつての俺などもはやいないのかもしれない。

 俺が行使する魔法は、そしてその源泉である感情すら、かつての俺と地続きではないのだろう。


 俺が過去を切り捨てたとして、それはきっと順応と呼べる反応だ。

 拒む理由はない。


 この欲望を俺の一部だと認識しなければならない。


 黄昏時から思索に耽っていたというのに、いつのまにやら空一面が藍色に染まっていた。

 住宅区のどこかから元気な女の子の声が聞こえて、俺の家の中から誰かの騒がしい声が聞こえて、近くに足音が聞こえて。

 壁にもたれかかったまま、俺は足音の主に視線を送った。


「信徒よ、学徒よ。懊悩に捧ぐのであれば、その時間。私に捧げてみてはいかがでしょう?」

「……司教様」

「勿論時間だけでなくとも喜んで受け取りますが」

「その手の冗談はやめてください」

「そう照れずともよいのですよ、ギルバート」

「空気を読め」


 シリアスなモノローグの直後なんだよ。


「勿論読みましたとも。だからこそ悩ましく思うあなたの心を揉みしだき、緊張をほぐして差し上げようかと」

「なんで一々表現が……分かりましたよ、もういいです。諦めます」

「それでは失礼して」

「俺の心が股間にあると思ってるんですか?」


 何を丁寧に膝折って屈んでるんだ。

 貞淑に振る舞うならもっとちゃんとやれ。


「こうしていると、初夜が思い出されますね」

「軌道修正が強引すぎますが、まあでも確かに、初対面の時もこうして俺が悩んで――おい待て夜じゃなかったぞ、思い出を改変するな」

「ふふっ。私との出会いを思い出に数え、覚えていただけているのですね」


 自虐的な言葉と共に微笑む司教様。

 そう扱われることをまるで気にしていない様子に、俺は少しやるせなさを感じた。


「……そりゃ、覚えてますよ。恩師ですから」

「六千七百点」

「何がですか?」

「それほど興奮したということです」

「数値化できるほど基準が定まっていることにぞわっとしました」

「そう恐れることはありませんが、どうしてもと言うのであれば私とベッドに飛び込んで――んんっ、私の胸の中に飛び込んできてもよいのですよ?」

「あんた止まんねえな」


 シリアス回なの分かってる?


 司教様は泰然と柔和な笑みを浮かべていた。

 この人と話していると、どうにもペースが乱れてしまう。


 一つ、深呼吸して、言った。


「懺悔したいことがあります」

「伺いましょう」

「俺はえっちな魔法をかけられました」

「……私、誘われてますか?」

「いや、嘘ではなく」


 ナンパポニーテール女の言い回しを使ったら誤解されてしまった。

 次会ったら責任取ってもらうか。


「ファトゥスの魔法で、俺はかつて男が持っていたとされる性欲を植え付けられたんです」

「なんと都合のいい――ごほん。それは難儀なことでしょう、ギルバート」

「ええ、難儀ですよ。話進まないのでもう反応しませんからね」

「透明人間や認識改変で好き勝手されるのが趣味なのですか?」

「癖の話はしてない」


 明日から無視を決め込んでやろうか。

 泣かれても無反応貫いてやるぞ。


「とにかく、難儀なことになったんです」

「ふむ。つまりその懺悔とは、知り合いの聖職者が誘惑してきて興奮してしまうというものでしょうか?」

「……勘違い処女」

「ギルバート。人を傷つけてしまうような言葉を言ってはなりませんよ」


 司教様の手が震えている。

 初めてダメージを与えられた気がする。


「それで、まあ、誰かに相手してもらう必要があるんですが。俺はそれが嫌なんです。こんなに馬鹿馬鹿しい理由で、人間関係を歪ませたくない。でも――」

「馬鹿馬鹿しい、でしょうか?」


 司教様が言った。


「たとえ一夜限りの関係であろうとも、強姦であろうとも。周りに流されようとも、植え付けられた性欲であろうとも、不貞であろうとも、性交には一切の貴賎がありません」

「……しかし」

「強く結ばれた男女の和姦が自然に思えるのなら、一方のみが強い情意を持った関係では強姦が自然でしょう。ギルバート、今のあなたに適しているのは心を通わせた相手と愛を囁き合う夜ではありません」


 諭すように、言葉を重ねて。


「えっちな魔法で発情し無自覚に誘惑してしまうことで起こる、半ば強姦じみた誘い受けの構図。いえ、ただの誘い受けも、一転してあなたが行う逆強姦も非常に良きもので――」

「ただの癖じゃねえか」

「バレましたか」


 わからいでか。

 司教様は性的嗜好を語る時だけ妙に熱くなるからな。


「つまり。そうした性交が成立する以上は、どこにも不自然なことなどありません。この世は情交のみで成立するにあらず、恋情と肉欲は似て非なるものであるのですから」

「……愛していなくとも関係を結ぶことは、自然ですか」

「勿論です」


 それが愛しあう二人だけに許された儀式ならば、何故その欲求は魅力的な相手すべてに向けられてしまうのか。


 性欲とは、初めから歪んでいるのだろう。


 生じてしまう歪みは言わば自然な歪みであると、司教様はそう言っているらしい。

 少し考える時間が欲しかった。

 俺はそれを簡単には受け入れられないし、かと言って完全に退けるほどの気力は既に失われている。


「念のため言っておきますが」

「何ですか?」

「私は誘い受けより逆強姦の方が好みです」

「何を言ってるんですか?」

「遮られてしまったので補足をと」

「うるせえ」


 何故その内容で神妙な顔ができるのか。

 見てわかるほどに興奮していればもっと普通の変態になるのだが。


 普通の変態って何?


「ギルバート、あなたの嗜好を教えてはいただけませんか?」

「胸は大きくなければ嫌です」

「生まれ変わってまたお会いするとしましょう。|絶望は心《desperationes et animum》――」

「冗談、冗談です! 冗談ですから! よーしよしよし、司教様は本当に綺麗でかわいいなあ!」


 いくらなんでも見切りを付けるのが早すぎる。

 生気のない司教様を必死にあやせば、どうにか瞳にハイライトが戻ってくれた。


「私は、生きていてよいのでしょうか」

「良い悪いは分かりませんが、俺は生きていて欲しいと思ってますよ」

「……お、おぎゃあ! おぎゃあ!」

「うわキモ」

「きゃあ!? し、失礼しました。あまりに高い父性を感じておぎゃらずにはいられなかったのです」

「俺のせいにするのやめてもらえますか?」


 この人の嗜好はどこまで罪深いんだ。


「冗談で流されてしまいましたが、あなたの嗜好が合致する相手と致せば良いのです。それは自然なる行いなのですから」

「自然、ですか」

「それで関係が進んだなら喜ばしいことなのですよ。欲求は快を求める働きですから、その人といることが快になります。達成されたなら、得難き幸福となることでしょう」


 性欲をプラスのものとして解釈すれば確かにそうなるのかもしれない。


「私は常々あなたへの愛欲を詳らかに語っていますが、それだけあなたとの時間を快く思っていると受け取っていただいて構いません」

「……俺だけみたいな風に言ってますが誤魔化されませんよ。司教様の性欲はすべての男に向いていますよね」

「ええ、しかし嗜好は違います」


 照れによるものか、司教様は薄らと頬を赤らめた。


「私を認めて、受け入れて、尊敬して、虐めていただける方はあなただけなのですから」

「最後の一つは必要でした?」

「メインの理由です」

「そうかぁ」


 赤い頬はただの興奮だった。

 本当に残念だなこの人は。


「存分に甘やかしていただきたい思いは勿論あるのですが、可能な限りゴミのように扱われたい思いもあるのです」

「俺以外からゴミのように見られてません?」

「怖がられてしまうと、申し訳なさが勝ってしまって……」


 根っこの部分まで腐り落ちてはいないようでよかった。

 怯えと畏怖を摂取して興奮するようであればいよいよ人間に敵対する妖怪である。


「……このようなことを口にするのは、少々慣れていないのですが」

「何ですか?」


 また興奮に顔を赤くした司教様が、目を逸らしつつ、言った。


「恋情としても、あなたを想う気持ちは――い、いえ、何でもありません」

「えっ、照れてるんですか?」

「照れて、照れてなど、いません」

「俺のこと好きなんですか?」

「好き、ですが、その、好きですよ」


 顔が真っ赤だった。

 興奮していた様子の比ではないほどに。


「話してるうちに少しずつ、好きになってしまって……」

「俺以外で話し相手になってくれる異性はいなかったんですか」

「私の功績に興味を持っていただけても、二、三言話せばすぐどこかへ行ってしまわれるのです」

「まずその情欲を隠せ」


 大前提だろうが。


「私があなたといるだけで快く思えるのは、初めに愛欲があったからなのです。くれぐれも、愛欲がマイナスのものでしかないなどとは思い込んでしまわぬように」

「司教様が結婚できないのはその欲求のせいですよ」

「……マイナスだけでは! 決して、ありません!」


 そんな必死に虚勢を張られても。

 相も変わらず愛欲を肯定して憚らない聖職者に少し笑い、心が軽くなったような気がした。


「分かりました、覚えておきますよ。これもいつかは司教様と作った大切な思い出の一つになりますから。そうでしょう、ハイミシア様」


 照れくさい科白だったため、名前呼びで茶化した。

 司教様はどうしてか頬を染める。


「それは勿論ですが、以前から言っている通り、私を名前で呼ばぬように。少し……いえ、非常に、顔が熱くなってしまいますから」


 恥ずかしそうな司教様を見ていると、気取った言い方をした俺まで恥ずかしくなってくる。


 この話はこれで終わりにしよう。


「そういえば、司教様。どうして俺の家に?」

「ふむ、ギルベリタやスクリータから聞いているものと思っていましたが。みなを交えて話しましょう」

「分かりました」

「ふふっ。これで正式にお呼ばれというわけですね」

「邪なことは考えないで――いや、実行に移さないようお願いします」

「保証はできかねます」

「……してください」

「できかねます」


 オーケー、わかった。


 帰れ。


 

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