今明かされる衝撃の事実
「無理しなくていいからな、キサラ」
「うん」
「額に皺寄ってるぞ」
「そんなこと、ない」
「……引っかからなかったか」
相も変わらずの無表情を浮かべ、キサラは古語と睨めっこしている。
翻訳の筆は遅々として進まず、広げられた辞書が退屈に揺れる。
対する司教様はすらすらと書き写していた。
頭の中に古語辞典でもあるんだろう、横に積み上げられた翻訳済み古文書の塔は堂々と聳えている。
「教会によく委託されますから、慣れざるを得なかったと言いますか……聖職者がメア様の雑事にまで詳しい理由の一端と言っても過言ではありません」
「講義中、たまに司教様が話してくれるメア様のやらかしは結構人気でしたよ。まあそれより頻繁にセクハラしていたせいで大不人気でしたが」
ふいにキサラが顔を上げた。
「思い、出した。情痴の、ハイミシア」
「私そんな呼び方をされていたのですか!?」
「うん」
へー、そうなのか。
俺は孤立していたから分からなかった。
「そう、言えば。ハイミシアと、話してる、男子生徒……ギル?」
「恐らくは」
「ええ、ギルバート以外に話しかけていただくことは多くありませんでしたね」
「ハンカチ貸します?」
「ありがとうございます」
背筋をぴんと張って涙を流す司教様の肩を叩いた。
尊敬してたの俺だけだったんだな。
「有能な、変人。ピンク教師。人手不足の、証拠」
「それ全部司教様の呼び名か」
「うん。ちょっと、引くくらい、言われてた」
魔法学校の男女比率は男子一人当たり女子が三人程度と比較的高い。
そんな中であの言動をしていれば蛇蝎の如く嫌われても仕方ないだろう。
「自分を曲げない司教様は魅力的だと思いますよ」
「適当なことを言って慰めてはいけません、ギルバート。その方がつらい時だってあるのです」
「……ごめんなさい」
「…………適当に仰っていたんですね」
あっ。
司教様が部屋の隅で体を丸める。
その周りだけ『悲哀』が侵食しているような気さえする。
「でも、ほら、その。司教様は魔法なら非常に優れていると思いますよ。俺は『自責の魔法』をそう上手く扱えないので尊敬します」
「本当、でしょうか?」
「コツとかあったら聞きたいくらいです」
「……生徒の隣を通ろうとして大げさに避けられた時を思い出すと、非常に魔法のかかりがいい気がします」
司教様がいっそう顔を膝に埋めた。
ここまで来ると不思議になる。
この人、なんで下ネタをやめなかったんだ。
それさえなければ人気は間違いなかっただろうに。
「西方遠征から帰ってきたら、婚約者が私を恐れて逃げていた時のことを重ねて思い出すと、より強く『自責の魔法』が使えますよ」
「司教様、もうやめましょう」
「東方領の街に到着して初めて教会を訪れた所、私に怯えたシスターたちが他の町に移っていたことを知った時も……」
「司教様!」
だからあの教会はいつ行っても司教様しかいなかったのか。
今明かされる衝撃の事実に涙が出そうだ。
「私、みなさんを守るために、そして素敵な殿方と結婚して欲望を満たすために、魔法を誰よりも学び、戦果を出したのですよ。情痴と呼ばれるためではありません、況してや皆殺しなどと……」
「半分は不純な動機なんですね」
「――いいえ! 私は誰よりも純粋に思っています! そう、私はいつの日も欲しているのです! この肉欲が満たされることを星に願わぬ夜はありません!」
「星に迷惑をかけないでください」
全然ロマンチックじゃないぞ。
「そして、ギルバート! 何故あなたは魔法学校生の時、私の放課後特別授業を毎度断ったのですか!」
「スクリータとの予定があったのと、目がギラギラしていて危機を感じたからです」
「教師と生徒の関係はいつまでも続くものではありません、あの特殊な環境は二度と帰らないのです! 何故私に委ねてくださらなかったのか……!」
「異性としては好きでもなかったので」
「それなら、思わせぶりなことをしてはなりません! あなたが私を好いていると思って妹が縁談を組んでくれるという話も断ったのですよ!」
「そんなこと俺に言われても」
そもそも思わせぶりなことをした覚えはない。
「責任を……責任を取っていただけませんか!」
「何の責任だよ」
「一度でいいのです、一度で……! このままでは誰よりも純粋に祈っておきながら、全く望みが叶わなかった哀れな女として歴史に名が刻まれてしまいます……!」
「知ったことじゃねえ!」
掴みかかってくる、と言うより縋りついてくる司教様の手を振りほどく。
「私にはもはやあなたしかいません。皆殺しだの、情痴だの、私はもはや恐怖と愛欲の象徴……私には、あなたしか……!」
「因果応報じゃないかなぁ!」
「ギルバート、あなたには責任があるはずなのです……!」
なんだこの幽鬼は。
振り乱された薄桃色の髪越しに情欲塗れの目が覗いている。
――あの夜のファトゥスと、司教様が重なる。
スイッチが入ったように頭の中で妄想が滑り出す。
ちょっとマズいかもしれない。
司教様に気付かれたら色々と終わってしまう確信がある。
対処して落ち着くのを待っているだけでは手遅れになるかもしれないと判断し、じっとこちらを見て様子を窺っている彼女に視線で合図した。
「どうかお願い――きゃんっ!? いたっ、痛いです!」
「衛兵、呼ばれたい? ギルから、離れて」
指示を受けたキサラが古文書の角で何度も司教様の頭を叩く。
常に『嫌悪の魔法』が垂れ流しになっているキサラの力は俺よりも弱いが、分厚い古文書を両手で振り回せばダメージが通るようだった。
司教様は情けない声を上げて部屋の隅へと戻っていく。
「ギル、怖かった? わたし、慰めて、あげる」
「それは要らない」
「じゃあ、わたし、を、慰めて。怖かった」
「はいはいあとでな」
謎の理論で抱きしめられに来るキサラを押しやりつつ、司教様を見る。
「うぅ、私の人生とは……」
悩みが重い。
力になってやりたいとは思うが、犠牲になるとは言ってない。
司教様を貰ってくれそうな男を見つけたらそれとなく勧めてみるか。
「失礼、見苦しい姿をお見せしました」
「本当ですよ」
「しかし見苦しい体をしてはいないつもりです」
「何の話ですか?」
「……お一ついかがでしょう?」
こいつ反省してないな。
少し反応した性欲を押さえつけ、机の横に置かれた本の山を見やる。
「まだ翻訳していないものが残ってますから」
「確かに、汚れてしまってはいけませんね。別室で致しましょう」
「今なら、牢屋、空いてる」
「作業に戻りましょうか」
キサラがいてくれて本当に良かった。
権力は剣よりも強し。
「司教様。ギルが、いいの?」
「はい」
「そう。なら、いいけど」
何を話してるんだ?
「うん。ギルは、いい。とても」
「ふふ、そうですね。私などは、ギルバートの手に何度興奮したことでしょう」
「手?」
「フェティシズムというものです」
「ギル。手、見せて」
「なんか嫌だな、その会話の後だと」
渋々見せてやる。
「これが、ギルの、手……分からない。ギルなら、手も、足も、顔も、全部好き」
「それは何も好きではないのと同じでしょう!」
「なんでちょっとキレてるんですか」
「性的嗜好には人生のすべてが詰まっているのです。差も付けられぬならば、そこに人生はありません」
「それなら、簡単。わたし、の、人生は、ギル」
「……なるほど。認めましょう。私が間違っていました」
「なんでそこ素直なんですか」
情緒不安定かよ。
「わたし、の、人生は、ギル」
「聞こえてるから繰り返さなくていい」
「ギルの、人生が、欲しい」
「聞こえない」
「わたし、司教様を、止める、けど。わたし、わたし、は……」
言い淀む。
「ギルが、いいなら、わたし、は」
普段物をさっぱり言い切るキサラらしくない。
くるくると髪を手でいじり、決心したように口を開いた。
「[自主規制]も、[自主規制]も、[自主規制]だって、ギルと、したい」
「なんて!?」
「……なるほど。キサラ様は中々な嗜好をお持ちのようですね」
言葉の意味はわからなかったが、どうやらロクな言葉じゃないらしい。
「ギル。わたし、と。来て?」
「行かない」
「来て」
「行かない」
この流れで行けるやつはいない。
流石の性欲も何されるか分からない恐怖で全く反応してない。
「残念」
ジリジリ距離を詰められているような。
真綿で首を絞められていて、しかしそれに気付けていないような、漠然とした危機感があった。
「ほら、翻訳に戻るぞ」
どう対応すればよいものか。
このまま任せてしまえと言うピンク色の欲求に、俺は溜息を吐くことしかできなかった。




