乗り越えなければいけない
「祝福の魔法を使う方法の考察は終わりました。私が魔法で先手を打ちますが、不首尾に終わりましたら、そのときはお願いいたします」
「承りましたわ。あたしとルナで何とか抑えてみせますから、その間に――リア。聖女を頼んだわよ」
「任せて」
夜闇が聖都を覆っている。
ギルを攫われたのは夕方だった。
それから一時間ほど眠っていたみたいで、起きてみれば随分と暗かった。
教会区への道を歩いて向かう。
ギルの家から中央区まではそう遠くないから、体力の消費を抑えようということになった。
「攫われてから初めての夜、つまり初夜ですね」
「ルナ、そんな冗談を言っていいのかしら。あたしが平静を失うわよ」
「ティアの作戦が上手くいかなかったら現実になるかもしれないけどね」
「ふん。それはリアも同じことでしょう」
科白の威勢は良いけど、声震えてるよ。
「ギル、待ってなさいよ……!」
「気合入れて行きましょう!」
司教様と顔を見合わせる。
ああ、不安だと顔に書いてあった。
「……祝福は神性の奥、感情のベールを剝がした先にあると言われています。祝福の魔法は他の魔法と違い、むしろ反対に、感情を希薄にすることで手繰り寄せられるものと、以前ある聖女の方にお聞きしました」
「でも希薄な感情が必要なら、『絶望の魔法』を使える状態のギルベリタが使えるのはおかしいよね」
「他の魔法でしたらその通りです。ですが『絶望の魔法』は少し異なるのです」
ふむふむ。
「『絶望の魔法』は対象が抱く負の感情を……正しくは、負のベクトルを含む『嫌悪』『悲哀』『驚愕』『恐怖』を身体の損傷に置き換える魔法です。通常、攻撃に用いられるものですが、ギルベリタの目的は感情を消費することにあるのでしょう」
「負の感情を一度使い切ることで祝福の魔法を使う下地にする、ということですか」
「けれど、それでは正の感情が残ってしまいますわよ?」
「はい。ですから更にもう一つ」
『自否の魔法』、と司教様が呟いた。
「『嫌悪』の聖女――キサラ様ならば、正の感情を制限する『自否の魔法』を容易く使えます」
「正の感情を制限して、負の感情を置き換えて、祝福の魔法、ですか」
「先に申し上げておきますが、このようなことは普通ありえません。相反する『安心』と『悲哀』が求められる上、全ての感情の中で二番目に希少な適性である『恐怖』が二人に要求されるのですから」
確かに、そう言われると奇跡的かも。
ギルが『悲哀』を簡単に使ってるから忘れがちだけど、それも希少な適性だったはずだし。
「それで、ギルベリタが四つの適性を持ってるって可能性は……ないか。それなら『絶望の魔法』を使う必要ないし」
「う、うぅ、全然頭に入って来ません……あ、そういえば祝福の魔法で傷が治ってましたけど、あれはどういうことなんですか?」
「『絶望の魔法』が心の状態を体に反映するように、祝福で平坦になった心が体に反映されるようになります。元通りになる力が常に働いている、という認識で相違ありません」
つまり、えっと、もしかして。
「祝福の魔法がかかっている間は死なない限りすべて治ります」
「……ティア」
「関係ないわ。元より殺せるなんて思ってないもの」
知れば知るほど無理なんだけど。
まあ、ティアが思いついた作戦ならきっと上手くいく。
信じよう。
「さあ、教会区だ」
門をくぐる。
門番が司教様の顔を見て腰を抜かしそうなほど驚くというアクシデントこそあったけど、僕たちは無事教会区に立ち入ることができた。
それから『嫌悪』の聖女がいるという一つの聖堂まで、何も起こらなかった。
これはきっと自信の表れだ。
聖女の権力なら阻めるものを敢えて手加減してる。
剣の鞘に手を添え、睨みつける。
聖堂の門の先、聖堂の敷地には見覚えのある姿と、多くの兵士が並んでいた。
「へえ、正面から来たんだ。遠回しな降伏? それとも、私が殴った後遺症でまともに物を考えられなくなったとか?」
「勝算があって、真正面から君たちを叩き潰しに来た」
ああ、そう。
ギルベリタはつまらなさそうに言った。
「これはデモンストレーション。お兄ちゃんに安全を示すための訓練。二級冒険者が本気で来てくれないと意味ないんだけどな」
「だったら本気を出すだけの敵を用意してくれなきゃ。ギルベリタ、君じゃ足りない」
「足りない? 私が?」
まるで感情の見えない反応だった。
『憤怒』はほんの僅かに正のベクトルを含む。
司教様の仮説が補強される。
「足りない、か。お兄ちゃんのためにこんなに魔法を頑張って、祝福の魔法すら使えるようになって。何もせずのうのうと幸運を享受してた人たちが、私のことを、そう言うんだ」
今度はハッキリと感情がこもっていた。
「死ねよ」
強い『嫌悪』が顔に浮かび、ギルベリタが『絶望の魔法』を口に――。
「己が嫌悪に咽び泣け」
司教様から紫紺の波が伝ってゆく。
それに触れた兵士が剣を取り落し、膝をつく。
激しい自己嫌悪が広がっていく。
ギルベリタもまた体を揺らし、その目が迷いに染まる。
「我らは恥に罰されり」
深い緑と紫が混ざり、黒を生み出す。
飲み込まれた者はその自己嫌悪をいっそう激しくさせ、対象の神性を削り取る。
ギルから司教様がよく使う魔法のことは聞いていた。
『自責の魔法』と『羞愧の魔法』の二つ。
容赦なく放たれるそれらは相手が人らしくあればあるほどに強力な性質を持つらしい。
逸話としては、西方の紛争地域で敵対集団を全員自殺させ、伝播する感情で都市一つ分の人民を降伏すら許さず殲滅したとか。
自軍の司令官さえをも震え上がらせた極悪非道の魔法使いとして、または真っ白な清い手で果物ナイフを相手にプレゼントする卑怯者として、軍内部だけでなく教会からも疎まれた危険人物。
「自殺しないでくださいね。もう始末書を書くのは飽き飽きなんです」
雑兵は正に雑兵然として戦闘能力を失くしていく。
ただこの戦法の欠点として。
『自責の魔法』も『羞愧の魔法』も規模が大きくなりすぎる。
「ハイミシア、ハイミシアだ! 皆殺しのハイミシアが出たぞ――っ!」
聖堂内部に留まらず、外から衛兵が集まってくる。
気合を入れた司教様の魔法で片端から無力化されていくものの、終わりがないからどうしようもない。
教会区は警備が厚い。
聖女に次ぐ戦力として見做される司教様でも、何千もの衛兵が相手では時間がかかる。
「はぁ。何したか分かってるの? 死刑になっても知らないよ?」
「それを心配するのはあなたでしょう」
「追い返されるだけじゃ分からないか。殴られたって、蹴られたって、分からないか。悲しいな。私はこれでも、お兄ちゃんの元仲間だからって甘くしてあげてるんだけど」
「ギルさんを取り返されると少しも思っていない、その驕りに足下を掬われますよ」
「……ほんと、どうして。どうして、こうするしかなくなっちゃったのかなぁ」
ギルベリタが星空を載く。
僕たちは黙ってそれを見ていた。
「絶望は心身の害である」
負の感情が反映され、腕が腐り落ち、顔から首を伝って胴まで切り裂かれ、瀕死の重体に追い込まれるギルベリタ。
支えを失った人形のように、体が崩れ落ちる。
まるでインクの瓶でも零したみたいに、紅い液体を零し、広げる。
「か、か……神はそれを望まれる」
気合を入れた。
取り返すために乗り越えなければいけない。
自身の無力を嘆き、兄を守れるだけの力を求め、体中に這う痛みすら許容してしまえた妹を。
絶望に染まらざるを得なかった、当時十二の少女を。
「ごめん。死んでね」
ギルベリタの蹴りは今までで一番速く、強く、重かった。
でもそれは錯覚に過ぎない。
僕たちは動かしにくいものを重いと言う。
確かに普通の物体ならそうらしい。
静止摩擦力は垂直抗力で、とか。
慣性は質量が高いほど、とか。
ティアは何やらよく分からないことを言ってたけど、最終的な結論だけは僕やルナにも分かりやすく言い換えてくれた。
「打ち上げなさい!」
一度目の戦闘で、ギルベリタはルナの攻撃で吹き飛ばされていた。
吹き飛ばされすぎていた。
少しの違和感から、ティアは答えを得た。
ギルベリタはすべての干渉を減衰させていて、それは星の引力さえも例外ではない、と。
祝福の魔法が持つ弱点は本来固定してくれる力でさえも小さくしてしまうことで、今のギルベリタは見かけよりずっと、手応えよりずっと――軽い。
「何、言って……」
剣の腹で押し上げるように、斬りつけるのではなく押し出すように。
存在力の楔はあっても多少は動く。
ふわり、ギルベリタが数瞬の間浮かぶ。
「ここです!」
ルナが潜り込むようにして戦鎚を構える。
足が地面から離れていてはまともに避けることも敵わない。
「足下掬われるって、言いましたよね!」
「まさか、やめ――」
ギルベリタの腹を戦鎚が捉え、勢いよく直上に打ち上げた。
あれなら十秒くらいは帰ってこないはず。
「リアさん。ギルさんのことは任せました」
「あたしとルナで追わせないようにするわ。だから、絶対勝ちなさいよ」
「分かってるよ」
ギルのことが大好きな二人に苦笑する。
でも、僕もそうだ。
「ギルを取り返して、みんなでまた冒険しよう」
「はい!」
「ええ、そのために――やるべきことをやりましょう」
ティアは信頼に応えてくれた。
ルナは役割を完璧にこなしてくれた。
あとは、僕だけだ。
聖堂の中に足を踏み入れる。
覚悟と共に剣の柄を握り締めた。




