こんな花が咲くとは
教皇とは創造神メアに作り出された神族である。
言わば『情動』の神族。
人間種すべての頂点に立ち、世界で最も尊き血を持つ存在。
貴族の始まりは教皇の血を最も濃く継いだ家系による統治の代行であり、今なお貴族の体には教皇の血が薄く流れている。
平民の薄き血を取り入れてしまえば家格が落ちるという考えもその逸話に基づくものである。
ところで、貴族の男子とはパワーゲームに用いられる最も安定した駒であると同時に、最も不安定な手段だ。
原則として貴族の男子は父方の姓を継ぐ。
婚姻もまた嫁入りが主流である。
つまり、十人に一人程度の数しか生まれない男子をコストなく家に入れる手段はほとんどない。
ある程度の権力や資源を引き換えに初めて得られる存在であり、そう多くの財産を持たない弱小貴族や孤立した大貴族などもまた、貴族の男子を手に入れることができない。
息子が生まれることで貴族は血を薄めることなく存続できる確証を得て、更には恵まれなかった他の貴族に通用する駒を獲得できる。
どのような醜男であろうと尊き血を継ぐ以上は強力な手札であり、男子のすべてが安定した駒となる。
その一方でどれだけ多くの子供を産ませようと男が生まれない確率は存在する。
二世代前には多くの男を抱えて威張っていた大貴族が、確率の妙に翻弄され、一人の男子も確保できなかったなら、その立場を維持することは不可能だ。
その意味で、男子とは成り上がるための、もしくは地位を有し続けるための最も不安定な手段である。
デミット家は成り上がりの新興貴族だ。
西部の紛争地で武功を上げた初代当主が厚顔にも爵位を要求し、教皇より認められてしまったが故に成立した元平民の不遜な地位。
それ故にデミット家は古きから続く蛇家や忠誠家などと違い、姓に古語の意味を持たない。
そして、元平民による烏滸がましき嘆願の代償は二代目当主であるキサラの母が払うこととなった。
権力闘争に明け暮れる貴族の中を、割って入った元平民が上手くやるなど夢物語だ。
いわんや、貴族の常識など教えられず、初代当主のような力も持たないキサラの母ならどうだろうか。
答えは分かり切っていた。
そして、何の力も持たず苦労だけが人生だったキサラの母が、初代当主と同じ魔法の才能を備える娘を持ったのなら、何を思うだろう。
これも分かり切ったことだ。
つまり何が言いたいかと言うと――。
キサラ・デミットは、親の愛を知らずに育った聖女である。
「おはよう、ギーくん!」
起きるとスクリータの顔が間近にあった。
緑の瞳が穏やかに俺を見つめている。
「なんだ、全部夢か」
「ボクのこと夢に見てくれたの?」
「見てるよ、今な」
「ギーくん寝惚けてるんだね。水持ってくる?」
「……これが白昼夢だったら良かったのに」
「なにそれ。ボクとお話できて嬉しいでしょ? 夢じゃなくてよかったよね、ギーくん?」
夢だったらいいのにと思う最大の理由が目の前にある、とは流石に言えない。
いつかリアがルナにしているのを見て、少しだけ興味があった膝枕。至近距離で光のない目に見つめられやすいという一点だけでもう俺は苦手になった。
スクリータが飲み物を取りに行き、一人取り残される。
どうしてこうなった。
もう二年前の話だろう。
将来の結婚相手として、そして幼馴染として浅からぬ仲だっただけだ。
毎日のように学校が終わってすぐ会いに行っていたくらいで、休日にはギルベリタとスクリータとで出かけたり魔法の試しに付き合ってもらったり、祭日の夜はダンスの相手に――。
「あれ、俺が蒔いた種か?」
「何言ってんのさ、ギーくん。はいこれ」
「ありがとう」
攫われておいて礼を言うのも変な気分だったが、スクリータの態度が自然すぎてつい口から出た。
部屋をぐるりと見渡す。
いつか、宮廷試験を受けに来たとき眺めた内装の雰囲気とよく似ている。
品性のある華美過ぎない調度品と雪のように真っ白な壁。
柔らかいソファとアンティークなテーブル、窓の外には庭園が見えている。
「中央、教会区か」
「うん。ここはキサラちゃんの仕事場で、ボクとギルベリタが働いてる場所でもあるんだよ」
「『嫌悪』の聖女の、ね」
「あ、そうだ。キサラちゃんに協力してもらってさ、ボク、ギーくんにプレゼントを用意してたの。受け取ってくれる?」
悪い予感しかしない。
曖昧に頷くと、手のひらサイズの箱を持ってきた。
催促されて中を見る。
「……なんだよ、これ」
そこに入っていたのは骨だった。
歪な形をした、小指の先ほどの骨が入っていた。
「それは、ギーくんを襲った人」
「――は?」
「ボクからこんなに長い間ギーくんを奪った人。キサラちゃんから、ギルベリタから、ギーくんとの時間を奪った人」
「それ、なんで、スクリータが?」
「えへへ、そんなに驚いてくれるなんて。ボクも頑張ってよかった」
悍ましい。
一切良心に咎められることなく殺人を誇る幼馴染が悍ましく感じて堪らなかった。
俺が蒔いた種にしても、こんな花が咲くとは。
「……他の、骨は?」
どうしてこんなことを聞いてしまったのだろう。
きっとその答えが怖くて、間違っていてほしいと思っていて、悪い予感の通りだと半ば察していても求めてしまった。
「欲しかったの? これだけあれば足りると思って全部捨てちゃったよ」
葬ってさえいないのだろう。
スクリータはやけに普通な顔でそう言った。
「うっ、おぇ……」
「ギーくん!? あ、ご、ごめん! トラウマだった!? そうだよ、キサラちゃんからも言われてたんだ、もう平気だって分かるまでは見せないようにって! ボクのバカ!」
狂ってる。イカれてる。破綻している。
リアなんかとは比べ物にならないくらい狂って、人の道に背いている。
そのすべてが俺のせいだった。
あのとき振り返らずに逃げてしまった責任だった。
「ごめん、ごめんね、ギーくん。そんなつもりじゃなかったの。ボクは喜んでほしくて、ギーくんに安心してほしくて。……言い訳にもなってないよね、ごめん」
最低な人だったのかもしれない。
俺以外にだって被害者がいただろう。
地位は分からないが、聖職者の恰好でもないのに中央区にいたということは、相当に高かったはずだ。
その権力で犯罪を繰り返していたとしよう。
最低最悪の大罪人だったとしよう。
それでも、人だろうが。
感情のままに怒鳴りつけてやりたかったが、きっとそれは正しくない。
どうにか深呼吸して心を落ち着かせる。
「そ、そうだ。ギーくん、キサラちゃんに会ってあげてよ。ボクもギルベリタとあの子にならギーくんを渡してもいいって、そう思えるような子なんだ」
「……分かった。いつ会える?」
「すぐにでも! キサラちゃんにはまだ起きたって伝えてないし、びっくりするだろうなぁ」
連れられて部屋を出る。
この状況の主犯は確実に『嫌悪』の聖女だ。
ただの一士官であるギルベリタが聖女に話しかけられるはずはなく、市民でしかないスクリータなら猶更だ。
『嫌悪』の聖女がスクリータやギルベリタを唆したとしか考えられない。
それならそいつを責めるしかない。
「聖女様はどんな人なんだ?」
「喋り方が変な人。あといつもすっごくヤな感じがするの。もう慣れたけど、最初は近付くのも嫌だったよ」
「……俺と魔法学校の同級生だったりする?」
「うん。ギーくんのこと、キサラちゃんはたくさん話してくれたよ。ギーくんのおかげで聖女になれたって嬉しそうにさ」
そんな記憶はどこにもない。
確かに俺が覚えている『嫌悪の魔法』が得意な女生徒は三つの適性を持っていて聖女に一番近かったが、俺が知る間に聖女まで上り詰めたとは聞かなかった。
それに俺が彼女と話をしたのはたった一回だ。
『嫌悪の魔法』について話しただけで、他の適性については一切話していない。
本当に同一人物か?
「覚えてないの? ギーくんさ、そういうのどうかと思うよ」
「いや、俺が悪いのかぁ……?」
「何考えてるのか知らないけど、許嫁を破棄しようとしたり、覚えてないって言ったり、デリカシーが足りてないんじゃない?」
人を殺したスクリータにデリカシーを説かれても。
「もう一度言っておくが、スクリータと結婚なんてしないからな」
「え、ボク二年も待ったよ? 二年も、ずっと、ギーくんのこと考えてたんだよ? なんでそんな酷いこと言うの、ギーくん」
確かに申し訳ないとは思う。
ただ、それとこれとは話が別だ。
「スクリータが二年前から変わっていなくたって、俺はこの二年で変わったんだ。俺にはもう別の居場所がある」
「分かんない。やっぱりギーくんが言うことは難しくて分かんないよ。ねえ、ボクやキサラちゃんといることが、ギーくんにとって一番安全なんだよ? なんで選んでくれないの?」
もう一度否を突き付けてやるのは罪悪感があった。
スクリータが俺のためにしてくれたのなら、多少なりその気持ちに向き合ってやりたいとは思っていて。
「……うん、そういうのは全部頭が良いキサラちゃんに任せる。ほら、このドアの先にいるよ。……ギーくん、ボクはずっと、待ってるから」
悲しそうにしながらも一歩引いたスクリータ。
少しの躊躇いを振り払い、俺は部屋に入る。
次の瞬間、脳髄まで侵されるような負の感情が体を巡り、思わず部屋を飛び出してしまいそうになった。
『嫌悪』が充満していて不純物がない。
負のベクトルに支配されてしまいそうだ。
ああ、思い出した。
ハッキリと思い出した。
異性が苦手だった俺がどうして自分から話しかけたのか、その理由も、会話の内容も、すべて思い出した。
「――相変わらず、綺麗な魔法だ」
白い髪の少女が振り返る。
『嫌悪』の中に、僅かな『安心』が混ざった。




