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ショクザイの構図~美人シングルマザーの遺言~ 前編

 隣家の美人シングルマザー久保田摩耶の爆殺事件に巻き込まれた鹿島正健は、警察からも嫌疑を掛けられる。そこで、自身の無実の証明と事件の真相を求め、摩耶の婚約者だった吉村と共に、遺された摩耶の一人息子光司のためにも、事件の解明に乗り出すことになった。

 序 章 魔女の囁き


 インドネシア大使館に勤める一等書記官のヤジド・タスリムは、今し方届いた小包を前に、わくわくが止まらなかった。小包には、予想通り、ヤジドが待ちに待ったチップが入っていた。

「俺は、このチップのデータを取り戻すために、この国に来たようなものだ」

 ヤジドは、顎の古傷を優しく撫でながら、チップをパソコンに挿入した。起動の時間ですら、極めて牴牾もどかしく感じる。この瞬間を、いったいどれだけ、待ち望んできたか。

 チップの中身は、求めていた通りのもので、ヤジドは、嬉しさを爆発させた。自らの運気がまだついえていないと確信し、神に感謝の言葉を告げた。これで、故国に胸を張って凱旋できる。破格の報奨や出世だって、夢ではないはずだ。

 それも、あのバーで知り合った客の男のお蔭だ。あの男から勧められた特殊なSNSが、これほどまでの幸運をもたらしてくれようとは、当初は、考えてもみなかった。

「信じるか、信じないかは、君次第だよ。何と言っても、これで私も、成功したんだから」

 それは、匿名性の高い、紹介会員制のSNSサイトだった。男によると、かなりの数の有名人がこのサイトで成功を掴んだらしく、信奉者も多いようだ。鳴かず飛ばずだった青年実業家や落ち目だった政治家が利用して、息を吹き返したとまで、男は豪語する。

 しかし、サイトの名前が《魔女ランダの秘密の館》という、奇妙なネーミングだった。コンセプトが〝魔女のお預かりチャット・サイト〟で、会員同士で趣味などの会話が楽しめるという。訪問回数を重ねれば、課金次第で相談や占いも利用できるらしかった。

 信用のおける会員のコミュニティなので、一見いちげんさんや荒らし(トロール)などとは無縁。会員同士の秘密も保持できるといううたい文句で、人気があるようだ。

「それにしても、〝ランダ〟なんて。何と不吉な……」

〝ランダ〟とは、インドネシアに伝わる魔女のことである。バリ島では、聖獣バロンと対を成す、悪の権化とされる。外見は、目を剥いて舌を出す老婆の姿だ。浮き上がった肋骨あばらぼねしなびた乳房を持ち、子供を食べると伝えられている。

 だから、紹介された時は、何て縁起が悪くて、センスのない名前だと訝しんだ。だが、バーの男は、かなり名が売れて身元もはっきりしていたし、詐欺をするような人間には見えなかった。

 だから、「これで私は成功した」という男の言葉に、賭けてみてもいいかも知れないと思った。故国からの矢のような督促には辟易していたし、期限の六月末も迫っていた。ヤジドとしては、わらにもすがる思いだった。

「まあ、もし、俺をだましたのなら、俺の手で殺してやれば済む話だ。故国の諜報網だって、決して侮れない。どこへ逃れようと、俺をたばかったのなら、その報いは必ず受けてもらう」

 ヤジドは、男に言われるまま、サイトにアクセスした。サイトは、背景がグリーンで、〝ランダ〟らしき仮面の人物が、派手な赤と黄色のカラーリングで佇むイラストに行き当たった。イメージ通りの画面だが、確かにどぎつく、目がチカチカする。

《あなたの願いを、このババ様が叶えて差し上げます》とある。会員は、自分の好きな話題や関心のあるテーマにチャット形式で参加できる。会員同士で個々の問題を解決することもあれば、課金して主催者の〝ランダ〟に相談を持ち掛けることもできるそうだ。

「右下の欄に、この№を打ち込んで。登録に要する時間は、一分くらいかな」

 推薦人の男のアクセス№を打ち込んで、該当の個人情報を入力すると、あっという間に登録が完了した。これで、ヤジドも紹介会員となり、会員同士でのチャットを通して、会話や情報交換もできるようになった。

「会員として常連になれば、主催者の〝ランダ〟と秘密の相談だってできるんだ」

「秘密が漏洩することはないのか?」

 ヤジドの扱う秘密には、漏洩不可の国家級の機密事項もある。秘密の保持が確約されないのなら、意味がない。

「話によれば、〝ランダ〟はAIが担っている。だから、秘密は決して漏れない。秘密の相談に進むには、別のパスワードが付与されるから心配しなくていい。海外の特殊な回線を使うので、誰かから覗かれる不安も無用だ。それに、遣り取りした後は、全てのデータが自動的に消去される。何なら、警察だって辿り着けないさ」

 男は、意味深ににやりと微笑むと、残りのカクテルをぐいっとあおった。

「あんたも、今の地位をこのサイトで得たのか?」

「そうだとも。ちょっと危ない橋を渡らざるを得ない時もあった。しかし、〝ランダ〟の言うことは、結果的には完璧だった。信じて進めば、どんな望みだって叶うと請け合うよ」

 ヤジドだって、初めから全てを信じていたわけではない。何回かチャットに参加して会員と交流を持ち、すぐに常連として認められた。常連になれば、〝ランダ〟への直接アクセスも可能となった。

 その後、試しに課金して、簡単な相談を直接〝ランダ〟に二つ、三つとしてみた。しかし、三日ほど経ってから戻ってきた〝ランダ〟の回答は、考えられる限り、隙のないものだった。

 後日、バーの男に報告すると、「当然の帰結さ」と自信に満ちた笑みが返ってきた。だから、ヤジドは信じた。信じて、全てを任せてみようとした。望む結果を出せないまま故国に戻れば、左遷や過去の地獄の日々が、また繰り返されるだろう。

 ヤジドは、喫緊の課題を、〝ランダ〟に託すことに決めた。当然ながら、課金の多寡は問題ではない。要は、〝ランダ〟が自分の窮地を解決してくれる救世主だと思えばいい。ちょっとした助言を与えてもらうだけで心が安んじられ、成功に導いてくれるのなら結構なことだ、と。

 それからしばらくは、〝ランダ〟との遣り取りが続いた。その間、〝ランダ〟は色々とヤジドに指示をしてきた。ヤバそうな展開や面倒な話もあったが、ヤジドは、根気強く〝ランダ〟の指示に従った。

 それで、今日。〝ランダ〟を信じたお蔭で、ヤジドは、望み通りのモノを手にした。〝ランダ〟がどのような手段でチップを入手してくれたかは、詮索しない。今後も、新たな利用の機会もあるだろうから、〝ランダ〟を怒らせるマネはしたくなかった。

「さて、それでは、仕上げに入りますかな」

 ヤジドは、鼻歌交じりに、二つの最後の仕事に取り掛かった。ヤジドが〝ランダ〟に促されて取得した書類を、指定された宅配業者で〝ランダ〟に送付する作業。それと、故国で準備してきたプランのGOサインを出す連絡だ。

 書類の送付は、恐らく、他の誰かの〝用事〟の肩代わりをするのだろう。だが、それは、お互い様だし、きっと、別の誰かがヤジドの〝用事〟を代行する交換条件なのだろうと、気にも留めなかった。

 故国に依頼して用意してきた作業も、同じような代行の一つだろう。むしろ、誰かの役に立つのだから、気分はすこぶるよかった。

 ヤジドは、宅配便に封をすると、感謝の気持ちを込めてキスをした。

「〝ランダ〟は、俺にとっては、不吉な象徴じゃねえ。この上もない幸せの青い鳥なんだ。今度、あの男にも、酒を好きなだけ奢ってやらねえとな」

 ヤジドは、輝かしい未来を想像して、胸を高鳴らせた。




 第1章 隣人の死


        1

 鹿島かしま正健まさつぐがインターフォンを押してしばらくすると、中から短いいらえが上がった。パタパタとスリッパの音がして、ドアの向こうですっと止まる。

 深夜の訪問にも拘わらず、互いに顔を見知った隣人、久保田麻耶(まや)は、すぐに快くドアを開けてくれた。

 戸口に立った麻耶は、黒髪を後ろに束ねた、すらりとした背の女性だった。大きな目、通った鼻筋、小さな唇が印象的な美人である。

 だが、久し振りに間近で見る麻耶の顔は、日頃の疲れを溜め込んでいるようで、以前よりもやつれて見えた。しかし、一方で、会社での仕事に一区切り付いたのか、ホッと落ち着いた表情にも窺えた。

 鹿島の手には、一抱えほどの段ボールの荷物が一つ、携えられていた。初めは、やや訝しんだ摩耶も、すぐに納得した表情で笑みを見せた。

「遅くに、申し訳ないです。荷物を預かっていたもので」

「わざわざ、すみません。今日は特に、残業が長かったものですから。ご迷惑を掛けちゃいましたね」

 鹿島と摩耶の間では、互いの部屋の前に置かれた宅配の荷物については、気付いたら預かる約束事になっていた。持ち去りや悪戯いたずらの危険も減るし、良好な近所付き合いにも繋がっていた。特に、摩耶の実家では、ずっとそうしていたらしい。

 麻耶は、如何にも恐縮した様子で、鹿島から重そうに、荷物を受け取った。

「何か、至急だといけないと思いまして」

「本当に、ありがとうございました」

 黒髪を揺らしながら丁寧にお辞儀をする麻耶にいとまを告げて、鹿島は隣家を後にした。もしかしたら、待ち望んでいた品物が届いたのかも知れない。遅くても持参してよかったと思いながら、鹿島は部屋に戻った。

 鹿島は、東京の西荻窪で進学塾の講師として働く、三十歳の独身男だ。残念ながら、今は、恋人はいないけれども、自分としては、容姿に問題があるとは思っていなかった。

 癖のない黒髪に、少年のような眼差しを持つ目、高く締まった鼻、口角の上がった艶のよい唇が、細くシュッとした顔に上品に収まっている。体もそれなりに鍛えられており、スポーツもそこそこできる、長身でイケメンの部類だと自負はしていた。

 ただ、曲がったことが大嫌いで、分からないことは徹底的に調べる頑固者の面は否めない。だが、むしろ、仕事が忙しく、恋愛と向き合うだけの余裕がないだけだ、と信じることにしていた。

 鹿島は、中断した仕事の続きに取り掛かるため、大欠伸おおあくびをしながら机に座り直した。時計は既に深夜を過ぎていたが、まだまだ、やるべき作業は残されていた。

 その時、突然の震動が、バーンという強烈な音と共に、鹿島を襲った。初めは地震かと思い、身構えた。だが、地震の特徴的な揺れではなかった。腹にじかに響くような震動で、くぐもった破裂音が伴っていた。しかも、一度だけだ。

 静かな深夜に起こった異常事態だけに、震動と破裂音は、鹿島の心を大きく乱した。いったい何があったのか? 地震でなければガス爆発ではと、鹿島は、直感的に思った。

 すると次に、一つの仮説が、突如、鹿島の脳内を駆け巡り、全身に痺れを齎した。今し方、鹿島自身が麻耶に届けた宅配便の荷物―――。あれが爆発したとしたら?

 戦慄のシナリオに、鹿島は全身がて倒される思いがした。もし、それが原因で麻耶の身に何かあったなら、鹿島にもそれなりの責任がある。急激に胃の腑に痛みが走った。

 麻耶の美しい顔の記憶が粉々に吹き飛ばされたように、鹿島は失望感を得た。不安は不審を巻き込んで、嫌悪と疑問に昇華した。

 反射的に立ち上がった鹿島は、はやる心を制御しつつ、ドアを開けて廊下に飛び出た。

 廊下には、既に男が一人、パジャマ姿で彷徨さまよい出ていた。麻耶の部屋を挟んで、鹿島と反対の部屋に住む男、小谷だった。顔には、やはり不安と不審がこびり付いている。

「いったい何があったんでしょう?」

 小谷の不安が鹿島にぶつけられた。声が半ば裏返っている。

「分かりません。久保田さんの部屋のようですが」

 途方に暮れる小谷を尻目に、鹿島は、爆発の現場であろう麻耶の部屋へ向き直った。なるべく冷静さを掻き集めようと努力する。

「大丈夫ですか? 久保田さん!」

 ドアを激しく叩いても、中からの返事がない。麻耶が致命的な怪我を負っている可能性は高い。ドアの隙間から微かな焦げた臭いが鼻孔にそよいだ。だが、ガス特有の刺激臭ではない。鹿島の不安は、一層濃くなった。

「すいません。すぐ、救急車を呼んで下さい。ガス爆発かも知れません」

 不安が的中したと言わんばかりに、恐怖に目をみはった小谷は、逃げるように、すぐに自分の部屋へと引っ込んだ。

 鹿島もきびすを返して、自分の部屋に戻った。事件性があろうがなかろうが、鹿島は、麻耶の状態が気になった。あれほどの衝撃を、もし至近で受けたなら、確実に命に危険が伴う。

 鹿島は、拍動がMAXになっている自分に気付いた。熱く激しい血流が耳裏を叩き、嫌な汗で全身がべっとりと濡れていた。残されている時間はなかった。

 鹿島は、靴のまま2Kの狭い部屋を突っ切ってベランダへ抜けた。そのまま柵を乗り越えて、隣家のベランダへ、ひょいと降り立った。

 麻耶の部屋の窓は、大きくひびが入り、破損していた。ガラスを打ち破ってクレセント錠を開けた。慎重だが、大胆に部屋へ突入する。

 すると、まず、むっとする臭いが鼻をいた。ただ、ガス臭ではなく、火薬の臭いのようだ。口許を手で覆いながら辺りを窺う。この寝室の中は、火災の気配はない。状況を把握しようと試みた。

 爆心地は、どこだろうか? 麻耶が鹿島から受け取った荷物をどこで解いたのか。鹿島は、寝室から居間へと、ゆっくり移動した。

 爆発は、居間の中央付近で起こっていた。傾いたテーブル上の一点を中心に、焦げたような黒い文様が同心円状に広がって見えた。予期した通り、宅配便に仕掛けられた爆弾による爆発だった。

 爆心地に近い床に、摩耶が倒れているのに、鹿島はすぐ気付いた。かつては、美しい長身の女性で、笑顔と黒髪が魅力的だった。

 だが、今の麻耶は上半身が血塗れで、息をしているのが不思議なほどの状態だった。顔や胸は、もう見る影もなく損なわれ、大小の金属片も突き刺さっている。少し前に見た女性と同一人物なのかと、疑ってしまう。助かる見込みはないと思いつつも、声を掛ける。

「しっかりして下さい。もうすぐ救急車が来ます。気を確かに」

 鹿島が声を掛けても、反応はほとんどなかった。短く細い息が、口腔から漏れてくるだけといった感じだ。力なく垂れた手を、鹿島は、取ろうとした。指先から血が滴って、床の絨毯じゅうたんを朱に染めている。

 彼方から救急車のサイレンが聞こえてきた。気休めにもと、ぬるっとした血みどろの掌を握り、最期の様子を見届けてやろうと思った。

 ベランダに新たな気配がし、誰かが続いてやって来たと告げた。ドアの外でも人のざわめきが激しくなっていた。

 その時、麻耶の眉がぴくっと動いた。鹿島が集中すると、今度は唇が静かに動き始めた。何かを言おうとしているようだ。

「どうしたんですか? 何か言いたいのですか?」

 鹿島の問い掛けに、麻耶は裂けた唇とえぐられた喉に力を込めようとする。その度に、喉から血が溢れ出てくる。鹿島は一層顔を近付けて、最期の言葉を聞き取ろうと、神経を研ぎ澄ませた。

 唇がまず動いたが、漏れるような音しか出ない。だが、続いた音は、どうにか言葉を結んだ。

「……よ、よし、みち……」

 麻耶の喉から声が湧き、鹿島の鼓膜がほんの微かにふるえた。少なくとも、鹿島には、そう聞こえた。

「何ですか? 『よしみち』って?」

 体をぎゅっと寄せると、痛みからなのか、麻耶は再度、僅かに眉間に皺を寄せた。鹿島には〝NO〟の意志に見えた。

 麻耶の指にも力が込められた。麻耶は、明らかに何かを伝えようとしていた。だが、鹿島には、何を指すのか分からない。歯痒はがゆい思いが、苛立いらだちすらいざなう。

 死に逝く人間をまじまじと見た経験はなかった。だが、鹿島は、弱い反応でもみ取ろうと、麻耶の最期の姿を見詰めた。再び、聞き取れるほどの声を発すると信じて。

 だが、そこまでだった。麻耶の体の力が、無念にもふーっと抜けたのを感じ、中途半端な〝ダイイング・メッセージ〟に、鹿島は絶望感を覚えた。

如何いかがですか? ……うわっ、こりゃ、ひどい」

 同時に、背後から声が掛けられた。ベランダから入ってきた小谷だった。鹿島は、黙って俯くだけで、空しく声を返せなかった。救急車の音がマンションの真下に迫っていた。

 一人の命が、腕の中で散華さんげした事実に、鹿島は打ちのめされた。しかも、最期まで何かを告げ切れずに逝った無念を思うと、胸がはち切れそうだった。

 鹿島は、麻耶の屍を床に横たえると、〝よしみち〟の可能性を脳裏で反芻はんすうしながら、小さく黙祷するしかなかった。かくも人の死とは、呆気なくも哀れなのだろうか。

 やがて、開けたドアから救急隊が入ってきた時には、鹿島は、しかしながら、この謎めいた事態に対する意欲を感じ始めていた。それが鹿島自身の責任の取り方だとも思った。

 果たして、この事件の真相が如何なるものか。鹿島は予想すらできなかった。現状からは、これは明白に、爆発物を送り付けての殺害だ。隣人として、麻耶が恨みを買う人間ではないと知っているだけに、鹿島にはショックだった。それとも、麻耶には裏の顔があるのだろうか?

 それにしても、〝よしみち〟が、事件において、どのような役割を果たすのか? また、麻耶は、何故に死なねばならなかったのか? 鹿島は、大きな憤りとない探究心が湧き上がるのを、抑えられなかった。


        2

 鹿島はその後、〝第一発見者〟という立場で、中野北署に連れて行かれた。

 だが、警察から見れば、鹿島が極めて疑わしいと思われ、〝被疑者〟というに、ほぼ等しいかも知れない。

 客観的に見て、鹿島は、麻耶に小包爆弾を手渡しているし、真っ先に現場に踏み込んで、原状を荒らしてもいる。証拠隠滅のための行為と取られてもおかしくない。

「こちらへどうぞ」

 ことほか慇懃いんぎんな態度で接する担当刑事の目が、獲物をロック・オンしているようで、空恐ろしく感じられた。

 もちろん、鹿島としては、自身の潔白を知っているわけで、何にも臆する必要がなかった。堂々と自分の行動に、誇らかに自信を持っていればいいと思った。

 しかし、テレビなどで聞く〝冤罪〟という言葉が、これほど身近で感じられるとは、まさに遺憾だった。警察の悪意が、いつ忍び寄って来るのか、最大限に警戒しなければならなかった。

 案内された部屋には〝聴取室〟とあった。テレビなどでは、犯人が刑事と対峙している、あの場所だ。場の重い雰囲気に、鹿島は飲まれそうだった。こんな状況の中、悪意ある刑事の巧みな誘導が、善良な市民を罠に嵌めてしまうのだろうか。

 鹿島が学生の頃にゴルフで培った体力には、かなりの自信があった。だが、さすがに長時間に及ぶ事情聴取は応えるなと、はらを括った。

 それでも、死んだ麻耶の気持ちを思うと、そんな思いは、些末さまつで取るに足らぬものだ。麻耶の最期の顔を思い出すたび、鹿島の胸は熱くなり、苦しみに打ちひしがれる。突然の人生の終焉と、最期の言葉を伝え切れなかった痛恨という、麻耶の二重の無念を思うと、自ずと目頭も熱くなってくる。

「さて、鹿島さん」

 鹿島が着席するや、四十歳前後と思しき刑事は、警察手帳を掲げ、三河みかわ利久としひさ警部補と名乗った。半白の髪をこってりと後ろに撫で付け、皺の多い狭い額をより強調している感じがした。

 上を向いた鼻、垂れた頬、(めく)れた唇は、全体的に小さなイメージだが、それらを払拭するような鋭い目付きが、この刑事の存在を大きくしていた。意図の有無に拘わらず、対する人への威圧感が物凄い。

「それと、こいつは、笹田警部補。お見知り置きを」

 鹿島がちらと見た笹田は、背が高く、体躯もがっしりとした体育会系で、ややしゃくれた顎が印象的だった。三河の番犬のような印象を受けた。

 笹田ともう一人の記録係が定位置に落ち着くのを見計らって、三河は、机の反対側で鹿島に正対した。まるで、心の中を覗き込むように、れた声を上げる。

「まず、昨晩の状況を、再度、お話し下さいますか?」

 鹿島は、三河の視線の奥に隠れる思考を封じ込めた。心に波を立てぬように、状況を思い付くままに、ゆっくり話そうと決めた。

「私が昨夜、家に戻ったのは、午後十一時を回っていました」

「結構、遅くまで働いているのですな。……ええと、学習塾の先生ですか」

 鹿島の小学生の時と違って、最近は小学生でも遅くまでの塾通いが一般的だ。受験戦争の余波が、鹿島の身辺にも迫ってきていた。

 そういうわけで、特に最近は、難関校受験の子供たちに引き摺られる形で、残業も増えてきている。時期によっては、もっと遅い帰宅もあったので、さほど問題視する帰宅時間ではなかった。

「私が帰宅した時には、例の小包は、もう、久保田さんの玄関先に置いてありました。確か、伝票には、《松室運輸サービス》と書いてありました」

「小包は、あなたの部屋の前でなく、被害者の部屋の前にあったんですね?」

 小包は、確かに、久保田家の前にぽつんとおいてあった。鹿島が伝票を見ると、麻耶宛てだったため、いつもの約束事にならって、麻耶の帰宅まで荷物を預かった。《松室運輸サービス》という聞き慣れない宅配業者名だったが、特段、気にしなかった。

「昨今は、置き配も、珍しくはないでしょう? 普通、そんなものが置かれていても、気にしませんよね? 本当に、久保田さんとそんな取り決めをしていたんですか?」

 三河は、上目遣いに鹿島を見た。疑っているというよりは、信じられないという目付きだった。

 鹿島も、警察が指摘するなら、荷物の預かりの点だと考えていた。確かに、コロナ禍以降、置き配指定という方法が一般化した。持ち去りなどの被害がないわけではないが、便利な方法として、世間に定着した感は否めない。

 もし、置き配指定でなかったら、通常は「不在者カード」を残すだけで、荷物は業者が持ち帰るだろう。宅配業者から見れば、二度手間になるわけだが、マンション下の宅配ロッカーや玄関脇の宅配BOXのない状況では、それも致し方ないか。

 だが、《松室運輸サービス》という、地方の中小業者ならやりそうな処置だと思い、鹿島は、怪しいとは全く思わなかった。そう伝えると、三河は、下唇を突き出して、鹿島から視線を戻した。

「その《松室運輸サービス》という宅配業者を確認したところ、そんな名前の業者は、存在しないと判明しました」

 三河は、更に、物言いたげな面持ちで呟いた。鹿島が《松室運輸サービス》という架空の業者を装って、爆弾入りの小包を製作し、手渡したとでも言いたいのだろう。

 鹿島が犯人でないという物的証拠が出なければ、鹿島が逮捕されてしまいかねない。三河は、じわじわと鹿島を締め上げていく魂胆かも知れない。

「深夜の零時半を回った頃、隣室に久保田さんが帰ってきた気配がしました。そこで、気分転換にもなるかと思って、さっきの荷物を渡しに行ったんです」

 麻耶も、鹿島の就寝時間くらいの帰宅もしばしばだった。そのため、明日の朝ではなく、夜のうちにでも迷惑にならないだろうとの考えからだった。

「その時も、荷物には、不審な点はなかったんですね?」

「はい、全く。中からの音や臭いも、ありませんでした」

 三河は、首を傾げて、冷淡な目を鹿島に向けている。どう切り崩そうか、いつ尻尾を出すのか、と遣り取りを楽しんでいる。口の端がにやりと歪んだように見えた。

「被害者は、久保田麻耶さん。三十五歳で、ご主人と十歳の一人息子、光司君と暮らしていた。何でも、ええーっと、《鳥海ちょうかいシステム》という、品川が本社の電源開発の会社に勤め、そこの〝研究開発主任〟という肩書を持っていた。……間違いないですね?」

「久保田さんは、シングル・マザーでした。……つまり、数年前に離婚しています」

 三河は「そうでしたか」とだけ返すと、眉を歪ませながら、小刻みに首を頷かせた。鹿島の嘘を誘発しようと、わざと言ったのかも知れなかった。

 当時は、あまりにも苛烈な業務のため帰宅時間も遅く、休日出勤も重なっていた。それが離婚の原因の一つにもなったと、かつて麻耶がぼそっと漏らしたのを、鹿島は覚えていた。

 離婚後、麻耶は、一人息子の光司を慈しんで育てた。これ以上の不憫があってはならないと、業務改善を徹底し、できるだけ早い帰宅と、休日の確保を心掛けたそうだ。その甲斐あって、光司は、元気で屈託のない、母親思いの子になった。

「他は、合っているように思いますが、詳しくは知りません」

 確かに、麻耶が《鳥海システム》という会社で働く事実を、鹿島は聞いていた。また、《鳥海システム》が電源開発のトップ企業だとも知っていた。だが、〝研究員〟だとは知っていたが、肩書までは知る由もない。

「荷物を渡した時に、久保田さんについて、何か気付かれた点は?」

 落としていた調書から目を上げて、三河は、冷淡な視線を鹿島に戻した。ぞくりとした悪寒が鹿島の首元を這い上がるのを無視して、平静を装い続ける。

「特にはありません。ただ、少々、お疲れなのかなとは思いました」

 三河は、再び、探るように首をかしげた。刺さるような眼差しに、余計な発言をしたかと、後悔した。

「それは、単なる残業疲れ、ということですか? あるいは、何かに心悩んでいた、とでも?」

 鹿島は、心中で舌打ちした。敵方は、少しの隙間を強引にじ開けようと、狙ってくる。

「そこまでは、分かりません。でも、人ぞれぞれ、悩みの一つや二つは、あるものですけどね」

「それは、鹿島さん、あなたにも、という意味ですか?」

 三河は、鹿島がなぜ、麻耶が深い悩みを抱いていたと知っていたのかと、言わんばかりだった。どうせ「それが原因で麻耶を殺害した」と指弾したいのだろう。もう余計な発言は慎もうと、鹿島は、心に誓った。

「いいえ。あくまでも一般論です。刑事さんも、そうじゃありませんか?」

 言ってから、皮肉の交じった敵愾心と捉えられてはいまいかと、三河の目の色を窺う。 しかし、既に、冷徹なガードが張られたように見え、三河は、椅子の背凭せもたれに身を投げ出した。

「……まあ、そうですかな。特にこうして、厄介な事件が起こると、早く犯人を挙げたくて、苛々(いらいら)しますよ。悩みは尽きない、といったところですな」

 笑みを漏らした三河の口許とは裏腹に、鋭い眼光は、一層、たけっている感じがした。三河の怒りに任せて、このまま逮捕されないよう、鹿島は、心の中で無実を叫んだ。

「被害者の久保田麻耶さんとは、結構、親しかったんですよね? 何か、打ち明けられた経験でも?」

 明らかに勘繰かんぐるような眼差しで、三河は訊ねた。だが、鹿島は、辛抱強く事実を申し立てる他ない。三河は、鹿島が麻耶と親密な関係ではないかと疑っている。

「数年前に、あのマンションに越してきてから、隣室の久保田さんとは、確かに親しくさせてもらいました。といっても、常識の範囲を逸脱するようなものではありません」

 顔を合わせれば、挨拶するのは当然のこと、ちょっとした頼まれ事なら、互いにやってあげるくらいの近所付き合いはあった。荷物を預かったのも、今回が初めてではない。

 だが、それ以上に親密になる時間やきっかけもなかったし、大体、その必要性も感じていなかった。他人の家の深奥に関わり過ぎると、ロクな目に遭わないと、鹿島は、本能的に知っていた。

「ただ、実は、息子の光司とは、直接的な関わりがありまして……」

 三河は、身を乗り出して、鹿島の新たな話の展開に目で応じた。眉が痙攣けいれんするように、ぴくっと反応した。

 光司は昨年まで、鹿島の進学塾に生徒として通っており、かなり優秀な成績を残していた。全国規模の模試でも、常に上位に連なるほどで、塾としても、〝特待生〟レベルで後押ししていた。

 確かに、優秀な生徒が多ければ多いほど、進学塾にとってプラスなのは、自明の理である。麻耶にとっても、自慢のできる息子だったに違いない。

 ところが、昨年の夏、思いも寄らない事態が、久保田家を襲った。突然、光司が学校で倒れ、病院へ緊急搬送された。小児性の心臓病だと宣告され、長期加療が必要となった。光司は、しばらく泣き暮らしたという。

 何よりも愕然とし、意気消沈したのは、麻耶だった。多くの愛情を注いで育ててきた素晴らしい一人息子に降って湧いた不幸に、麻耶は当初、昼夜を分かたず看病・献身した。鹿島も、麻耶の奮闘振りを心配したほどだ。

 その後、光司の容体は安定に向かったが、今も、区内の病院で入院を余儀なくされている。にも拘わらず、光司本人は至って前向きで、早期の病魔退散を信じている。

 そこで、鹿島も、この母子を応援しようと決め、見舞いや勉強の手伝いも、暇あるたびに行っている。鹿島は、こうした近所付き合いも、常識の範疇だと信じているのだが。

「……もちろん、偶然ですよね?」

 意味深な言葉に、鹿島の息が、一瞬、詰まった。「何がですか?」と問う鹿島に、三河の無遠慮な感情が見舞われた。

「いやね。どうせ調べれば分かるんですが、あなたが今のマンションに越してくる前、被害者との接点があったんじゃないかと思ったものでね」

 鹿島は、三河の言に思考が及ぶと、呆れ果てた。麻耶殺害のために、鹿島が隣に引っ越したというのか。わざと親しくして、昨夜の犯行に及んだと。

 鹿島も、これには、反発せざるを得ない。

「どうぞ、勝手に調べて下さいよ。どうせ、こっちから言わなくても、調べてるんでしょう? こっちは、やましい点なんか一切ありませんからね」

 鹿島は、これらが、警察の常套だと分かってはいた。見事に掌中で踊らせる才は、警察のほうがかなり上手うわてだ。三河は、今度は、なだめるような姿勢でゆっくり頷いてみせた。

「もちろん、そうでしょう。鹿島さんも、教育者の端くれですものね」

 鹿島も、こちらに不利になる不注意な言葉には、厳に気を付けねばと感じた。相手は、一挙手一投足に目を凝らし、不審な動きや不用意な発言に神経を割くプロである。冤罪も辞さずの構えで、早く事件を片付けたいとも、思っているだろう。

「とすると、本当に、それ以上の付き合いはないというんですね」

 三河は、仮面の下に感情を押さえ込んで、鹿島が肯定する様を見詰めた。第一段階の作業では、これ以上、追い詰められないと判断したのかも知れない。

「あなたは、なぜ一番に、被害者の部屋に入ろうとしたのですか、鹿島さん?」

「そんなの、分かり切ってるでしょう? ドアを叩いても反応がなかったんですよ。久保田さんの身を案じてですよ。焦げ臭かったんで、類焼しても困りますしね」

 鹿島は、わざと吐き捨てるように言い切った。笹田の頬が、ぴくりと動く。

 三河は、部屋の中に残された物的証拠を隠滅するために、鹿島が真っ先に現場に侵入したと言いたいのだろう。全く愚かしくずべき思考である。

 あのような場合は、危険を顧みずに体が咄嗟とっさに動くものだ。自分の身に危険が及ぶからといって、躊躇ためらうような心的余裕はない。

 それに、鹿島は今も、自分の身よりも、今回の事件で母親という精神的・物理的支えを失った光司の身を、非常に案じていた。

 三河の話では、麻耶の両親から光司へ、事件の次第を話すよう促したそうだが、光司の小さな体と心が、辛い現実を受け入れられるかが、心配だった。

 この先、麻耶の実家に預けられるにしても、光司の行く末が不安だった。最愛の母親を失っての心の傷が、光司に暗い影を落とさねばよいがと、鹿島は思う。

 鹿島の言葉数が減ったからか、三河は、仕切り直しの言葉を吐いた。

「被害者の部屋に入った時に、何か気付いた点はありましたか?」

 麻耶の部屋の惨状を思い浮かべながら、意識をもう一度、三河の傲岸な顔に戻す。

「一つだけ、気になる点がありました」

 三河は、再び、鹿島の口許に視線を移し、先を促した。

「私が久保田さんの最期を看取った時、久保田さんが言い遺した言葉があります」

 鹿島の言葉を信じていないからか、三河は、頷きを返しただけだ。鹿島は続けた。

「ただ一言、〝よしみち〟と言ってました」

 三河は、急に興味深い表情になって、鹿島を見返した。真犯人逮捕の鍵になると考えたのか、鹿島の見え透いた嘘だと感じたのか、〝よしみち〟の言葉の重要性を噛み締めているようだ。

「〝よしみち〟……ねえ。何か、聞き覚えは?」

「私も、何のことなのか、見当も付きません」

 当然ながら、鹿島には、爆殺犯の心当たりなど、全くなかった。もちろん、爆弾の作り方には、興味も造詣もない。

 警察も、これから麻耶の関係者を、一人ずつ慎重に吟味していくだろう。その中で〝よしみち〟という言葉が、犯人に直接的・間接的に繋がるよう祈りたかった。

 実際に〝よしみち〟という言葉は、何を指すのだろう。末期まつごの言葉は、言わば究極の言葉であり、自分がなぜ死ななければならなかったのかの、答を反映しているものだ。

 一つは、麻耶へ爆弾を送り付けた犯人の心当たりと思われる。しかも、〝よしみち〟というのは、苗字ではなく名前だろうから、ある程度、麻耶との知り合い、または、親しい間柄の人間ということか。「なぜこのようなマネをしたのか」と、恨みを込めた言葉だったわけだ。

 二つ目は、親しい者への訴え掛けだ。例えば約束を果たせなかったとか、気に掛けていた友人の名前とも解釈できまいか。心に思っていた恋人の名かも知れない。「先に逝く自分を許せ」という意味である。

 三つ目は、人名ではないという可能性だ。ある言葉の一部分という場合もある。何せ、麻耶は死に掛けていたため、言葉を正確に、全て言い切れなかったのだから。そうすると、解明は極めて難しいと言わざるを得ない。

 時折は相槌を挟みながら、鹿島の意見に耳を傾けていた三河は、静かに呟いた。

「ありがとうございます。〝よしみち〟という文言は、想像以上に、有力な情報になりそうですな」

 鹿島は、これでわずらわしい聴取から解放されると思ったのだが、三河は、一向に重い腰を上げなかった。むしろ、一段と攻勢を強め、鹿島に残されていた疑問の数々―――例えば、今のマンションをなぜ選んだのか、光司とはどこまで私的な関係だったのか、本当に麻耶が〝よしみち〟と言ったのか、鹿島のここ数日間のアイバイは、といった質問―――を、立て続けにぶつけてきた。

 鹿島も、呼応するようにムキになって、かつ冷静に、三河の呆れ果てた、いつ終わるとも知れぬ攻撃に耐えねばならなかった。鹿島の意地と誇り、それに麻耶の名誉を懸けて。


        3

 若い麻耶の、突然で不幸な爆死事件から八日。鹿島が訪れた郊外の斎場は、言い得ようもない奇妙な空気に包まれていた。

 司法解剖などで、通常より時間が経っていたが、参列者全体には深い悲しみが漂っていた。微かに流れる静かな音曲が、悲しみを一層掻き立てる。

 参列者の足取りは、否応なく重く、互いが交わす会話も、自ずと低く短くなった。伏し目がちな視線は、視界を極端に狭め、誰もが陰鬱な表情を晒していた。気のせいか、鹿島の見知った顔もいるような錯覚を与える。

 啾々としたすすり泣きがあちこちから聞こえ、負の連鎖のようにじわじわと幾重にも拡がっていく。

 慣れない喪服姿の鹿島も、すっきりとしない思考のまま、線香の漂う会場に足を踏み入れた。告別式までは、まだ若干の時間があり、遺族や知人などが、重苦しい雰囲気の中、小声で何かを話している。

 会場の一面を大きく飾る祭壇は、麻耶の納まる白木の棺を中心に、関係者の献花で埋められていた。《鳥海システム》という名も見える。麻耶の人望が垣間見えるほど、豪華な祭壇だった。

 祭壇中央に大きく掲げられた美しい麻耶の遺影が、悲しみを増幅させる。職場旅行の時のものか、背筋を伸ばして澄ました表情の麻耶が、にこやかな笑みを向けている。その瞳の奥にはいったい何を湛え、何を訴え掛けようとしているのだろうか。

 慌ただしく苦痛な警察での聴取は、鹿島を久遠くおんの時の果てに追い遣った気さえした。それは、三河による不快な事情聴取で、神経を擦り減らしたからだけではなかった。

 罪科や後ろめたさはないとはいえ、麻耶の死に鹿島が大きく関わった事実は、変えようもない。鹿島は、一端の責任を感じずにはいられなかった。

 もし、麻耶宛の例の荷物を無視していたら、これほど思い悩まなかっただろう。若い隣人が死んだ現実を、大いに悲しむだけでよかったはずだ。

 だが、望むと望まざるとに拘わらず、鹿島は積極的に関わった。しかも、麻耶の最期を見届け、不可思議なダイイング・メッセージを受け取った。これはもう、若くして死んだ麻耶を憐れんだ神の、「事件の真実を追求し、汝の責任を果たせ」という思し召しとも思えた。

 それでは、具体的にどうやったら、麻耶への責任を果たせるだろうか?

 個人的な調査に限界があるのも分かる。これ以上しつこく関わると、警察からも、より深い嫌疑を懸けられよう。せっかく解放された身を、自ら怪しくするのも如何だろう。

 三河の執拗な事情聴取が終わったのは、既にとっぷりとその日が暮れてからだった。鹿島のアリバイがある時間帯に、マンション一階の防犯カメラに、怪しげな宅配業者の映像が映り込んでおり、鹿島ではあり得ない、という裏が取れたからだ、と三河は呟いた。

 もちろん、三河の不快な目を見れば、鹿島のトリックを見破ってやろうという意気込みは、まだまだ失われていなかった。一旦、鹿島を泳がせようという魂胆かも知れない。

「また、ご足労頂くかも知れません。ですが、今回は、ここまでということで」

 拭い切れない疑念を無理矢理どうにか拭ったような三河の声が、あっさりと告げられた。三河の微妙な表情が、腹立たしくも痛快で、真実は尊いのだと改めて思わされた。

 とはいえ、麻耶の遺影を前にすると、鹿島の心に、どんな難題が降り掛かろうとも、事件を解決に導いてやろうという気持ちが溢れてくるから、不思議だった。残された光司の心を推察すると、なおさらだ。

 頭を垂れて、遺影から遺族に目を向けた。祭壇右側の一画を占めている椅子の並びだ。その中に、麻耶の両親と思しき老人二人が、肩を落として互いに慰め合っていた。

 痛ましい光景に、鹿島は、唇を噛み締め、静かに低頭して近付いていった。麻耶の最期の様子を伝えるためというよりは、鹿島の中の、まだ隔靴掻痒かっかそうようの思いが、何かを求めて動き出したかったのだろう。

 麻耶の三十五という享年からすると、両親は、六十歳代だと思われる。それが、悲しみのため、今にも朽ち果てんばかりに見えた。

 母親は小柄で、泣き腫らした目と落とした肩が哀れを誘った。父親は、悲しみを背負っても毅然としていたが、目の下の隈やけた頬が、今にも倒れそうな精神状態を示していた。 

 自己紹介と弔意を申し述べると、麻耶の両親は、深々と頭を垂れた。悲しみで、二度と頭を上げないのかと思うほど、長い叩頭だった。娘を看取った者への感謝の表れか、娘が迷惑を懸けた謝罪の気持ちなのか、それとも別の意志が働いていたのかは、鹿島には分からなかったが。

「話には伺っておりました。平素からお世話になっていたとか。孫の光司も、気に懸けて頂いて、ありがとうございます」

 父親は、乾いて荒れた唇を酷使して、どうにか声を上げた。

「一人娘の最期まで看取って頂きまして……。本当に、返す言葉もございません」

 母親は、また涙にむせいだ。父親が肩に腕を回し、労わるように耳元で囁く姿に、鹿島も胸の奥が、きゅーっと締め付けられた。

「それで、娘の最期は、どのようだったんでしょう?」

 父親が意を決したように、鹿島に告げた。聞きたくはないが、親として聞き遂げねばならぬ思いで溢れていた。

 鹿島が躊躇して声を詰まらせたのに、母親は、嗚咽を堪えながら、恨めしくも凛とした眼差しを上げた。この視線に、鹿島は、自責の念に押し潰されそうだった。

「……久保田さんは、最期まで懸命に生きようとされました。弱い息の中でも、強く応じてくれました。まだ生きていたいと、訴えているようでした」

 鹿島の話が終わらないうちにも、老母の目からまた涙がつーっとこぼれ、そのまま顔を父親の胸にうずめた。もう嗚咽が止まりそうもなかった。鹿島も、凝視しかねて俯いた。

 父親は潤みの眼差しを拭って、伴侶から目を上げた。

「ありがとうございます。……娘は、麻耶は、何か最期に言いましたでしょうか?」

 娘が人生の最期に何を言ったのか、人生を凝縮した言葉を、父親は、知りたかったのかも知れない。

 三河の歪んだ顔が脳裏を掠めたが、鹿島は、話す責任を意識して、できるだけ穏やかに答えた。

「一言だけ……。〝よしみち〟と仰いました」

「〝よしみち〟、……ですか」

「何か、心当たりでも? ただ、何かの言葉の一部かも知れませんが」

 父親は、刹那、悲しみ以外の表情を覗かせたような気もした。だが、すぐにその表情は、悲しみの淵に飲み込まれた。

「……いいえ。私には、何も」

 父親は、脱力したような面差しで、残念そうに下を向いた。だが、すぐに失望を打ち払って、目を見開いた。

「娘の突然の死に戸惑ってもおりますが、私たちには、病床の光司の今後が、気になっております。片親でしたからね。私たちが引き取るでしょうが、これ以上あの子に辛い思いは、させたくありません」

 鹿島には、戸惑いの中にも、一つの信念が見えた。明らかな愛情に裏打ちされた言葉だった。こうした愛情があれば、賢明な光司のことだ、どうにか長い人生を全うに送っていけるだろう。

 ところで、光司はどうしているのだろう。この一週間ほどは、鹿島は、精神的にも体力的にもダメージを受けていたため、病院へも行けていなかった。

 母親の死を受け入れられずに、ショックを受けて病状が悪化していないだろうか? 鹿島は、無性に不安に駆られた。

「私も、できる限りのお手伝いができればと、思っています。何かお力になれればいいのですが。それで、光司……」

「あの娘は、私たちをびっくりさせてばかりでした」

 継ぐ語を探す鹿島の隙を縫って、独り言のように、ぼそりと母親が囁いた。心の乱れが収まってきたのか、嗚咽は影を潜めている。

「……そうだな。近所のガキ大将を泣かして帰ってきたり、急に家出しては戻ってきたり……」

「就職や転勤も、突然だったわ」

 悲しみを堪え、懐かしむように話す老夫婦に、鹿島は一歩引いた。僅かだが、目の色に幸せそうな光が灯ったようだった。それだけでも救いと言えようか。

「配属先の福岡からハガキ一枚で、『実は、結婚していた相手との間に、男の子が産まれた』とか、いきなりだったな」

「離婚も、引っ越しも。まるで私たちを驚かせるのが楽しみのように、ねえ」

 鹿島の知る麻耶とは、別の一面が語られるようで、鹿島は不思議な感覚を得た。

 麻耶は、礼儀正しく、思い遣りのある、美しい母親だった。離婚後に態度を改めたのか、両親に対する甘えの表れなのだろう。だが、いずれにせよ、しっかりとした芯の通った心の強い女性だった。

 ところが、幸せな思い出を掻き集めようとする老夫婦の会話は、新たに近付いてきた男によって中断された。

「お話し中、失礼します」

 鹿島が目を遣ると、痩せた浅黒い顔のスーツ姿の男が、深々と頭を下げた。日本人とは違う目鼻立ち。目は丸く大きく、鼻筋は細く通っているが、顔の彫りも深い。肌の色が目や歯の白さを強調して余りある。

 明らかに、南方アジア系だ。だが、その所作や言葉は、日本人とさほど変わらない。むしろ、丁寧なくらいである。

「私は、インドネシア人のルクマン・アマロといいます。久保田サンの会社の上司デス」

 最近のインドネシアは、とみに成長著しい。数年前から豊富な資源開発を背景に経済発展を遂げ、急激に成長率を伸ばしてきた。日本も、先年の経済協力協定を皮切りに、提携や開発などに傾注する方向で動き始めている。

 麻耶の勤務先《鳥海システム》は、電源開発の大手だが、国際的に積極果敢に進出していると聞く。麻耶の仕事相手が、インドネシアの商社だったとも考えられよう。

「この度は、大変、残念なコトになりまして、何とお悔みすればよいのか、ワカリマセン」

 老夫婦は、唐突な珍客に面喰ったようだが、改めて弔意を受け止めたようだった。恐縮した謝辞を丁寧に返す。

 しかしながら、鹿島には、このルクマン・アマロという麻耶の上司が、人として人の死を悲しんでいるというよりは、むしろ、優秀な部下を失った業務的損失を嘆いているように見えた。割り切っている感じか。

 ルクマンは、鹿島が麻耶の最期を看取ったと知ると、大きい目を一層ぎらっと輝かせて、鹿島に対した。

「久保田サンは、何か、言い遺しませんでしたか?」

 鹿島は、急激に、ルクマンに違和感を覚えた。両親が最期の言葉を聞きたい気持ちは充分に判る。だが、果たして、上司が、なぜそのような事柄を聞きたがるのだろう?

 ルクマンは麻耶の何を期待していたのか。もしや、事件の鍵を、このインドネシア人が握っているとでもいうのか?

 鹿島が〝よしみち〟について話すと、ルクマンは物足らなそうに肩を竦めた。

「〝よしみち〟デスカ……。何なのか、意味不明デスネ」

「ルクマンさんは、何か、犯人の心当たりがありますか?」

 鹿島が違和感の原因を探るように、ルクマンに訊ねた。

「私が、犯人の何を知っているというのデスカ? 久保田サンは、私共にとって、大きな希望デシタ。……彼女を失うということは、とても大きなマイナスデス」

 ルクマンが続けて、何かを口にしようとした時、会場に突然、激しい泣き声が上がった。鹿島も麻耶の両親も意識をらされ、いったい何が起こったのかと、声の方角を見た。

 新たな参列者が、悲しみを我慢できずに泣き出したらしかった。床に身を投げ出して、他人目ひとめはばからずに号泣している。

 結構な年齢の男性にしては、度を越しているようにも思えた。周囲の人たちも圧倒され、遠慮がちに声を掛けるしかできない。

 ルクマンが再び、肩を竦めて、大きく嫌味なように溜息をいた。

「どなたか、ご存じなんですか?」

 鹿島が、異常な感覚で泣く小太りの男に目を走らせながら問う。

「あの人は、久保田サンと婚約していた男性で、吉村充伸みちのぶサンといいます。我が社の一員デスヨ」

 麻耶の両親も、吉村の奇態な姿を見て、一段と重く、鹿島に頷きを返した。麻耶の婚約者の悲痛な思いに、哀れさを重ねたのだろう。父親はやれやれと、ゆっくりと立ち上がり、吉村を宥めに向かった。

 鹿島は、麻耶が婚約していたとは、つゆほども知らなかった。光司の口からも、一切、その名が出たことはなかったので、驚きを隠せない。いつ、摩耶は婚約したのだろうか?

 もちろん、プライベートを知らなかったからではなく、母親としての麻耶にとって意外に感じたからだ。光司を懸命に育てている母親のイメージが余りにも大きく、一人の女性としての再婚にまで思いが至らなかったためだ。

 吉村は、麻耶の父親に促されて、ようやく号泣を収めた。まだ嗚咽をほとばしらせながら、聞き取れない言葉を父親にぶつけている。

「どうして麻耶さんが」という言葉が漏れ聞こえた。見る者は、吉村が強いショックにより異常をきたしたと思ったかも知れない。

 ところが、吉村の涙でぐしゃぐしゃに濡れた顔を見ていた鹿島の脳裏に、全ての思いを吹き飛ばす考えが、急に湧き出した。

 この男、吉村充伸が、まさに〝よしみち〟なのでは? つまり、麻耶の最期の言葉として発せられたのは、この男(吉村充伸)についてなのか。婚約者である吉村に対して、麻耶は「先に逝く不幸を許してくれ」と訴えたかったのか。

 だが、普段から婚約者として、吉村を〝よし・みち〟と呼んでいたのだろうか? 愛称として習慣化されていれば、この説は、有効であるけれども……。

 吉村の一騒動を収束させるように、葬儀が始まる旨が、会場にアナウンスされた。周囲に散開していた参列者は、一様に会場内の椅子へと、移動を始めた。鹿島も、麻耶の母親とルクマンに会釈して、手近の椅子へと着席した。

 吉村は、麻耶の父親と共に、母親の待つ遺族席へ誘われていく。まだ肩で息をしていたが、どうにか、落ち着きを取り戻しつつあるようだった。

 やがて導師の僧侶が登場し、場は一層、おごそかで悲しみに満ちた雰囲気に包まれた。鹿島は、もう一度、麻耶の遺影に視線を戻して、心中で一人呟いた。

「あなたは、本当に、何を伝えようとしたんですか、久保田さん?」




 第2章 不幸な婚約者


        1

 鹿島は、重苦しい葬儀一切から解放されたその足で、一番気に掛かっている光司の許へ行こうとした。

 区立の小児病院は、自宅から車ですぐの場所にある。取って返して、まず、光司の精神的な状態を見極めようと思った。

 病院への道すがら、途上の勤務先である進学塾へ立ち寄った。取り敢えず、事件から今までは、年休扱いにしてもらっていた。ただ、勤務先にも警察の手が及んでいるのは明白で、どんな顔をして行けばいいのか、戸惑った。同僚は同情して温かく迎えてくれるのか、生徒や父兄は白い目で忌避するか。

 ところが、鹿島を待っていたのは、意外な展開だった。

 同僚の教師や生徒・父兄に対しては箝口令が敷かれ、鹿島が事件に巻き込まれた事情を知る人間は、塾長など一部の者だけだった。どうやら、最悪の事態だけは免れているように思えた。進学塾への風評被害予防を最優先とした措置だろう。

「お前も色々とあるだろうから、しばらく休みを取っていいぞ」

 ただし、鹿島には、この八日間看病していた親戚に不幸があったことにしろと、嘘を強要された。塾長の引きった笑顔が、苦肉の策であると物語っている。

 何はともあれ、鹿島としても〝渡りに船〟で、更なる一週間の休みを得た。これで、どう対応するにしても、少々の心のゆとりが生じたといってよかった。塾を出た鹿島は、そのまま心置きなく、光司の待つ小児病院を目指せた。

 車を走らせながら、鹿島は、麻耶の周囲を彩る人物たちに、深い思いを寄せた。この後の調査で、必ず触れなければならないメンバーである。

 ――老いた麻耶の両親。恐らく麻耶を一番知る者で、麻耶の様々な一面を語った。麻耶が独立心の強い気丈な女性で、何でも思い立ったら即実行するタイプだったと、懐かしそうに漏らしてくれた。話によると、麻耶は一人娘で、甘やかして育てられたようにも見える。今後、麻耶の知られざる一面を探る折には、両親の協力が必要となるはずだ。

 ――インドネシア人の上司ルクマン・アマロ。研究者としての摩耶の手腕を高く買っていたと思われ、麻耶を失った現状を、相当な痛手として捉えている。研究者の上司という立場上、時間的に最も麻耶と一緒にいた人物であろう。それ故、麻耶の最期の言葉を気にしていたという事実には、注目せざるを得ない。仕事上のトラブルが潜んでいなかったか、このインドネシア人の言葉が、ヒントとなる可能性は高い。

 ――麻耶の婚約者の、吉村充伸。麻耶の非業の死を最も嘆いた。麻耶と最も近いところにいた人物であるから、麻耶から何か重大な事象を聞き及んでいた可能性は高い。警察もその点に着目していたようで、鹿島と同様の執拗な聴取を受けたと聞いた。吉村に親しく接近できれば、大いなる進展が期待されると信じたい。

 夜の小児病院の駐車場に車を置いて、近代的な白亜の建物に向かって真っ直ぐ進んだ。清潔感のある建物に入り、エレベーターへ向かう。

 内部は天井も高く、通路も広かった。待合室は大きく窓が取ってあり、開放的な環境の中、午後八時過ぎにも拘らず、多くの外来患者が順番を待っている。激しく泣く赤子や愚図ぐずる幼児もいて、中々賑やかな感じがする。

 各所に設けられたテレビ・モニターには、子供番組やアニメが映し出されており、ここが小児専用の病院であると窺わせる。

 鹿島は、光司の病室へ向かうたびにここを通る。だが、その都度、本来は元気で弾けるように遊ぶ子供たちが、こうした場所で苦しみや煩わしさに耐えている光景は、鹿島の気持ちをふさがせる。一人でも多くの子供たちが、一刻も早く元気になって欲しいと、切に願う瞬間でもある。

 エレベーターに乗って五階で降りた。ナース・センターで顔見知りのナースに挨拶してから、光司の病室へと進んだ。

 麻耶は、光司に少しでも負担を掛けまいと、個室を用意していた。そんな麻耶の優しい気遣いを受けて、光司は、発病当初からは考えられないほど回復している。

 光司にとって、唯一無二の存在であった麻耶の死が、光司の心身に、どのような影響を及ぼしているのか。また、光司は、麻耶の死を直視できているのだろうか。

 く心とは裏腹に、慎重な足取りを取る。光司が打ちのめされ、ショックを受けている様子を見るのは、鹿島にとって非常に忍びない。鹿島にも、病室をおとなう覚悟が要った。

 病室の中からは、会話の音が漏れてきていた。診察のために医師が来ているのかと、入室を一瞬、躊躇った。だが、どうやら医師の診察ではないらしい。それでは麻耶の両親かと思い、ゆっくりと扉を引き開けた。

 鹿島が目にした光景は、何とも意外なものだった。いつものように光司が寝ているベッドの脇に、一人の男性が椅子に腰掛けていた。しかも、光司の祖父ではなく、鹿島も先刻見掛けた別の男性―――吉村充伸だった。

 光司も、大変リラックスした様子で、吉村の話に相槌を打っている。想像するに、光司も〝新しい父親〟として、吉村を認めたという表れなのだろう。一種の微笑ましい遣り取りと言えた。

 改めて見る吉村は、五十を超えた年齢だろうが、よく言えば体格がよくエネルギッシュだった。額がやや広く、目が細い。鼻は上を向いて、顎下にも肉が目立つ。どちらかというと、申し訳ないが、醜男ぶおとこの類と言えた。

 麻耶とは反対の顔立ちだが、舌先は滑らかそうで、知的にも見える。吉村は、まだ喪服を着たままだった。葬儀が終わると、居ても立ってもいられなくなって、ここへ直行してきたようだ。マメな性格が功を奏したとも、寂しい麻耶の心の隙間に入り込んだとも言えるだろう。

 一方、おかっぱに切り揃えた前髪と、キャラクターのパジャマが、光司をまだまだ幼く見せていた。だが、実際は、光司はかなり大人びた面を持っていた。目は大きく鼻は通り、聡明な相貌を印象付ける。見舞い客にも、気遣いや気配りがきちんとでき、ねぎらいの言葉や社交辞令の類も、大人と同様にこなせられる。

 父親と別れた寂しい母親のために〝いい子〟を演じてきた節もあり、特に病を得てからは、その傾向が強くなったようだった。

 鹿島が戸口に現れたのに気付くと、吉村は、椅子から腰を浮かせて遠慮がちに会釈を返した。吉村は、恐らく鹿島が何者かは知らないはずだ。今まで吉村と病室で遭遇しなかったのが、不思議に思われる。

「先生、いらっしゃい」

 鹿島の姿を認めた光司が、快活に応じた。もしや、まだ麻耶の死を知らないのかと思うほど、いつもと変わらぬ反応だった。麻耶の死を、まだ客観的にしか捉えられていないのだろうか? それとも、無理に明るくするよう徹しているのかも知れない。

 母親の死を聞いて心が乱れぬ者はいない。にも拘らず、健気に快活に振る舞う光司の姿は、鹿島に哀憐の情を抱かせた。

 込み上げる涙をどうにか堪える。吉村も顔を背けてはなすすった。

「でも今日は、授業の日じゃありませんよね」

「あ、ああ。ちょっと近くに来たんで、寄ってみたんだ。邪魔だったかな?」

「ううん。大丈夫。あっ、吉村さんです。こちらは、鹿島先生」

 光司の紹介で互いに挨拶を交わす。〝吉村さん〟という言葉遣いに、光司の遠慮と謙遜の意味を見て取った。

「先ほど、お見掛けしました。もう大丈夫ですか?」

 鹿島の言った言葉が何を指すのかを理解したようで、吉村の顔が一気に赤くなった。

「……いやはや、お恥ずかしい。とんだ失態をお見せしまして」

 吉村は、恐縮仕切りで、気まずそうに頭を掻いた。

 鹿島は、まだ吉村に心を許したわけではない。麻耶の遺した言葉〝よしみち〟が、この男を指しているかも知れない。もしそうなら、なぜ麻耶がそう言い遺したのかがはっきりするまでは、この男が犯人だという可能性もある。

 初めは、天気や芸能界とか、見舞いに来た友達の様子など、当たり障りのない話題に触れていたが、やがて間ができた。ぽっかりとした穴が開いたように感じ、その穴がどうしても、禁忌を呼び寄せた。

「母さん……死んじゃったんでしょ」

 ぽつりと光司が呟いた。表情は寂しそうだったが、どこか遠くで起こった出来事を言っているようにも聞こえた。

 鹿島は、吉村と目を交わして、いつまでも避けているわけにはいかないと、決断を下した。むしろ、今までの逃げていた卑怯な自分を恥じた。

「でも、光司は、強い子だろ?」

「分かりません。母さんがいてくれたから、僕がいるんです。母さんがいなくなったら、どうなるか、心配です」

 光司の本音だろう。本当は不安で不安で恐ろしいはずだ。最愛の肉親を失った現実は、幼い光司にとって、残酷で無慈悲な仕打ちだ。少なくとも、自分が陥った不幸を我慢せずに叫び、素直に心情を吐露できれば、どれだけ落ち着けるか。それすら、光司は拒否しているようだ。

 光司の涙が徐々に目の縁を浸し始める。それでも、涙を零さないように、目をみはって抵抗している。本当に光司は強い子だ、と鹿島は感じた。

「大丈夫さ。これからは僕もいるだろ?」

 吉村は、光司の手を強く握り、大きく微笑んだ。細い目が一層、細められる。吉村の優しさと愛情が、掌から光司へと伝わっていくようだ。

 本当に、麻耶と光司を愛し、受け入れていたんだと、鹿島は感じた。吉村が犯人ではないと、鹿島は断じた。

「君は一人じゃない。もっと、頼っていいんだ。それはカッコ悪いことじゃないぜ」

 鹿島も、光司の目を見詰めて大きく頷いた。光司の瞳に、すーっと違う色が広がった。

「……うん。でも、でも……」

 そこまで言うと光司は、突っ伏して泣き始めた。肩をうち顫えさせてはいたが、それでもさめざめとした泣き方だった。静かな嗚咽の狭間から漏れる「母さん」という嗟嘆(さたん)の声が、鹿島を打ちのめす。

 確かに、〝一人ではない〟という認識は、心強く感じたろう。素直に心のうちと向き合って、偽らざる心情が爆発したようだ。

 しばらく無言のまま、光司を見守っていたが、鹿島は、どうしても耐えられなくなって病室から出た。かといって、立ち去りかねて、病室前の椅子に腰を下ろした。

 涙を拭い、自分の感情が落ち着くのを待った。ナースや見舞客が何度か鹿島の前を、神妙な面持ちで通り過ぎたが、中々昂じた気持ちは鎮まらなかった。

 しばらくして、鹿島が洗面所から戻ると、ちょうど目を赤くした吉村も、病室から出てきたところだった。憔悴し切った顔だったが、どこかに安堵感があった。

 鹿島は、吉村を椅子に促し、二人で並んで座った。

「光司君、そのまま寝ちゃいました」

「しばらくは辛いでしょうが、もう大丈夫でしょうね」

「そう信じたいですね。あの子は、本当に強いから」

「私も微力ながら、光司のお手伝いをしていくつもりです」

 鹿島は、何よりも光司に必要なのは、愛情だと感じていた。吉村の愛情には敵わないが、今まで以上の思いを、注いで上げられればと思った。

「これから、どうされるおつもりですか?」

 吉村は、不意に自分に向けられた質問に、驚いたようだった。我が身よりも光司が気に掛かっていた証左だ。

「そうですね……。まだ何も。本当は、僕なんか、……バツイチですが、あの子よりも弱いのかも知れません」

 唐突に突き付けられた幸福の断絶に、自分の感情を棚上げにしなければならないほど、動転していたのだろう。人間、誰しも、心が強いわけではない。

「取り敢えずは、光司君の手術を、見守ろうと思っています」

「手術、ですか?」

 鹿島は、光司の手術の件は知らなかった。結構な費用が掛かるために難儀していると、麻耶が愚痴っていたのは知っていたが。資金の融通が着いたのだろう。

「いつ決まったのですか?」

「今から半月ちょっと前ですね。麻耶さん、とっても喜んでました。これで光司君も安心だってね」

 吉村がまた俯いて涙を見せた。麻耶が自分の命と引き替えに、光司を助けた形になってしまった。

「見届けたかったでしょうにね。光司が元気になった姿を」

「摩耶さんの話によれば、何でも、ご両親が融通してくれたそうですよ。二千万という大金を。やっぱり、幾つになってもありがたいですよ、親というものは」

 鹿島は、高額な手術代に驚いた。

 確かに、親のありがたさは痛いほど感じる時がある。だが、光司が二度と、そのありがたさを甘受できないのも、また事実だ。鹿島は、目頭が熱くなるのを感じた。

「手術は、いつですか?」

「光司君の体調がよければ、七月二十五日に行われるそうです」

「七月二十五日……。二週間後ですか」

「そうなんですよ。実は、麻耶さんの誕生日なんです。何か運命的なものを感じますね」

 吉村は、寂しげだが、懐かしい表情を見せた。数少ない麻耶との思い出を大切にしたいと思っているように。

「それなら、きっとうまくいきますよ。久保田さんが見守っていてくれるし」

「そうですね。光司君は、特に目が似てるんですよ、麻耶さんに」

 婚約者の生きた証としても、光司を慈しみたいと思っている。鹿島は、心が温かくなると同時に、遣る瀬無い気分に苦しくなった。

「それでは、私はこれで失礼します。まだ、残るようでしたら、光司にもよろしくお伝え下さい。くれぐれも、あなたも気を落とされないように」

「ありがとうございます。鹿島さん、あなたとは、またお会いできるでしょうね」

 吉村と連絡先を交換し終えた鹿島は、後ろ髪を引かれる思いで立ち上がった。だが、すぐに、肝心な一件を思い出し、返す足を留めた。

「あっ、そうそう。一つ確認したいのですが」

「何でしょうか?」

 吉村は、口の端をぺろりと一舐めして応じた。

「久保田さんは、あなたのことを何と呼んでいましたか? ニックネームというか、愛称というか」

「ああ、〝よしみち〟の件ですね。でも、残念ながら、違います。警察からも何度も追及されましたけど、麻耶さんは僕を〝充伸さん〟と名前で呼んでくれていましたから」

 吉村が肩を落として返すのに、鹿島は悪いことをしたと悔いた。〝よしみち〟という呼び方は、確かに自分の愛する人を呼ぶのに、適しているとは思えない。麻耶は、別の何かを言い遺したのだ。

「申し訳ありません。わざわざお訊ねするまでもなかったですね」

 叩頭して立ち去ろうとした鹿島へ、今度は、吉村が慎重に声を掛けた。

「もしかして、鹿島さん。あなた、麻耶さんの事件を、別個に調査するつもりじゃ……」

 ずばりと言い当てられて、鹿島は言い淀んだ。

 葬儀場や病院での多くの出来事は、鹿島の心を、一つの方向に傾けさせるのに充分だった。麻耶への責任と相俟あいまって、鹿島の心の軸は、実は、ブレずに固まっていた。

 これほど人々の心を傷付け、悲しませる行為は、許されない。それでも、犯人は、どこかから北叟笑ほくそえんでいるに違いない。今も、鹿島の探究心が、怒りに燃えて激しく動き出そうとしている。

 だが、このことは、今はまだ、鹿島の胸裡むなうちに秘しておくべきだろうと判断した。

「いえいえ。そんな大胆な。警察にあらぬ疑いを懸けられちゃいますよ」

「そうですよね。まだ犯人の素性すら分からないんですよ。命を狙われちゃ、麻耶さんも報われませんから」

 確かに、事件の真相を探る作業は、犯人の不興を買い、新たなターゲットになる可能性が高い。警察からも距離を置かざるを得ない調査は、犯人の思う壺でもあろう。犯人は、どこかで残忍な牙を研いでいるとも限らない。迂闊うかつなマネはできないぞ、と鹿島は、手綱を引き締め直した。

 忠告を謝した鹿島に、吉村は言葉を重ねた。

「……そうだ、鹿島さん。今度一緒に、麻耶さんのご実家へ、お線香でも手向たむけに行きませんか?」

 突然の申し出に、鹿島は戸惑った。しかしながら、調査の都合上、吉村とはある程度は親しくしておきたかったし、麻耶の両親に、もう少し話を聞いておく必要もあろうと、吉村に快諾した。

「分かりました。私も、家にある遺品をお持ちしたいですし。お願いします」

 吉村の力強い微笑みに送られる形で、鹿島は小児病院を後にした。


        2

 吉村の手筈で、麻耶の実家を訪れたのは、告別式の翌々日だった。

 まだ諸事で忙しいのではないかと、鹿島は抵抗したが、吉村は、麻耶の両親から「是非にと勧められた」と気に留めてもいない様子だった。ただ、鹿島としても、自身の休みが無尽蔵ではない事実もあって、吉村に同意せざるを得なかったのだが。

 麻耶の実家は、都心近郊の新瀬にいせ市の住宅街にあった。木造モルタルの二階建て。焦茶色の屋根のせいか、家までもがひっそりと、寂しそうに建っていた。

「よくおいで下さいました。麻耶も喜んでますよ、きっと」

 出迎えた麻耶の母親は、葬儀場で見た時よりも、落ち着いて見えた。喪服の印象しかなかったためか、グレーの服装の姿は、また違ったイメージを与えた。

 娘が死んだという事実を受け入れるには、まだ早かろう。けれども、過去に拘泥して生きるより、未来に目を向けようと努めている感じがした。恐らく、手術を控えた光司を、心の拠り所としている。

 通された居間の一画に、急拵きゅうごしらえでしつらえられた麻耶の祭壇は、小振りで綺麗な花々で飾られていた。多くの供え物の前に、仮の位牌や骨壺、小さな遺影や線香台がちょこんと置かれている。麻耶との最期の別れを惜しむように、両親が丁寧に飾っている。

「どうぞ、お祈りしてやって下さい、麻耶に」

 麻耶に寄り添うように、居間にひっそりと座っていた父親が、二人を招き入れた。先日会った時よりも、一回り小さく感じられる。悲しみと苦しみで、心を消耗させてしまったと分かる。

 応じる形で、吉村がまず祭壇前の座布団に進んだ。響く清澄で闃寂ばくじゃく御鈴おりんの音が、世の無常を心の中に直接訴え掛けてくるようだ。

 背を屈めて一心不乱に祈る吉村や、そんな吉村の、一種哀れな姿を申し訳なさそうに窺う麻耶の母親に、鹿島は、悲しみと怒りがぶり返して湧き上がった。

 吉村の後を受けて、鹿島もしっかりと祈りを捧げた。爆殺犯への憎しみを露わにして、掌を強く重ねた。白布で覆われた麻耶の骨壺を見下ろして、改めて事件解決をも誓う。

「未だに、あの娘が死んだなんて、信じられません」

 母親は、祭壇を見下ろしながら呟いた。憔悴した気持ちが虚ろな声を絞り出させ、無念の慟哭どうこくを飲み込んだ。

「僕だって同じです……。この間まで、あんなに元気だったのに」

 吉村の拳が膝の上で、固く握り締められた。これから迎えようとした幸せな生活が、一つの爆弾で、共に粉々に吹き飛ばされたのだ。

「本当に、吉村さんには、申し訳ないと思ってます。こんなことになって、どうしたらいいのか……」

 当然ながら、婚約は解消になっただろう。問答無用で破壊された吉村の心の傷は、生涯、癒えはしないと思われる。吉村は、今後をどうするつもりなのか?

「ただ、私たちの希望は、光司だけです」

 父親は、麻耶の遺影を真っ直ぐに見詰め、麻耶に決意を申し述べているようだった。唯一、遺された光司を、きちんと育て上げるという誓いだ。それは取りも直さず、麻耶が生きていた証にも繋がる。

「二十五日に、手術だそうですね、光司は」

 ベッドでさめざめと泣く光司の姿を思い起こしながら、鹿島が訊ねた。

「麻耶が、どうにか工面したそうなんですよ。まさに、自分の命と引き替えに、光司を救ったようなものですね」

 笑みさえ浮かべた父親は、麻耶が二千万円もの大金を用立てたと、はっきり言った。つまり、麻耶の両親は、手術代の二千万円を融通していない話になる。吉村によれば、確かに麻耶が、両親が融通してくれたと言ったのに。

 吉村をちらと見たが、吉村も、納得いかない表情を僅かに覗かせて、父親の話に相槌を打っている。

 この場での言及には遠慮したが、では、いったい誰が、そんな大金を拠出したのだろう。鹿島は、腑に落ちぬ感覚のまま、しばし、思いを巡らせた。

 もちろん、まだ麻耶の生命保険が払われる時宜ではない。吉村の話が誤っていて、退職金の前借などで、生前の麻耶が自ら捻出したのか?

 だとしたら、本人が死亡してしまった今となっては、退職金の一部返金も発生しようし、弔慰金とて、微々たるものだろう。

「麻耶の部屋も見て行ってやって下さいな」

 母親の声に、鹿島は我に返った。

 母親は、父親と同様に、麻耶の生前の生活を見せて、娘の生きた証を一つでも多く認めたいと思っている。

 鹿島は、調査上、麻耶の過去に触れておく経験もいいかと思った。しかしながら、吉村は、麻耶の実家の部屋を訪れるのは初めてと見え、禁断の聖域に踏み入れる一歩を、明らかに躊躇っていた。

 麻耶の部屋は、南に面した二階の八畳の洋室だった。麻耶が学生で一人暮らしを始めて、家を離れた当時の状態に保たれているという。

 白と紺の市松模様柄のベッド、黒い木目調のチェスト、パソコンのある机、本棚には保育と教育の本が混ざって並んでいる。窓辺には小さなサボテンの植木鉢がぽつりと置かれ、壁には南国風の街並みの写真が大きく引き伸ばされて貼られていた。

 例えば、アイドルのポスターやぬいぐるみ、漫画雑誌や料理の本すら見当たらない。麻耶の性格が、よく反映されている。小奇麗に整理整頓されて、飾り気がない、すっきりとした印象だ。

 部屋の隅の真新しいダンボールには、警察から返還されたばかりの、会社や友人などから貰った麻耶の遺品が収まっていた。実家に置き忘れていたものも入っているという。

「昔は、保育士になるのが夢だったんです」

 福岡の学生時代にバイトをした、保育士の写真も写真立てに収まっていた。先輩保育士と園児の横でVサインを出すまだ若い麻耶の姿だ。《みみと幼稚園》とある。

 部屋中央のテーブルを囲んで座ると、父親が、麻耶のアルバムを引っ張り出してきた。赤ん坊の時や幼稚園の時のエピソードが、懐かしそうに語り続けられた。風呂で溺れ掛けたとか、幼稚園初日から男の子を泣かしたとか、微笑ましい話題だった。

 母親も、忘れていた当時の記憶に触れて大笑いをしたり、中学の時にボーイ・フレンドを連れてきて焦った話とか、まるで麻耶を目の前にした話し振りだった。

「麻耶は結婚式を挙げていないんです。だから、ウエディング・ドレス姿の写真もなくて……」

 吉村が微妙な表情で、鹿島を見た。元婚約者の吉村を前に、前の結婚の話を切り出した両親への不満からだろう。だが、ここは、両親の思い出を邪魔しないほうが賢明だと判断したらしく、取って付けたような笑みで応じた。

「お恥ずかしい話ですが、相手の方とは、結局、一度しかお会いできなかったんですよ」

 何でも、牧瀬まきせたもつという名前の外資の商社マンだった。だが、麻耶が福岡勤務の間に、両親にも知らせぬまま、結婚をした。二〇一四年の二月だった。結婚式はしなかったので、どんな人か一目だけでも会ってみたいと、光司が生まれて半年後のタイミングで、強引に会いに行ったという。

「五歳ほど年上の、体育会系の礼儀正しい若者でしたよ」

 両親の話によると、二人の結婚生活は、二年ちょっとだった。結婚十ヶ月後に光司が生まれたが、互いに忙しい生活で行き違いが発生し、どうしても結婚生活を続けられなくなったそうだ。

「そうそう。東京に戻って来た時も、光司と二人、いきなり現れた感じでした。全くあの娘らしい……」

 麻耶の常らしく、二歳の光司を連れて唐突に姿を見せて、「別れた」と告げた。特に揉めることもなく、幸いにもスムーズな離婚だったようだ。その後も、両親の勧めを断って、光司と二人で暮らす選択をしたという。

「見て下さいよ、この写真を。幸せそうじゃありませんか」

 おもむろに母親が差し出した写真を見た。

 家近くの公園で撮られたと思しき、夫婦と赤ん坊のスリー・ショットだった。赤ん坊を抱く若い頃の麻耶の脇に写るのは、体格のいい好青年だ。如何にも微笑ましい、若い親子のナイス・ショットである。

「夫婦の写真は何枚かあったそうですが、離婚した時にほとんど棄てたようで……。今では、親子三人で納まっている写真は、私の撮ったこれ一枚。全体的にも、写真が少なくて」

 そこで、鹿島が家から持参した、塾での母子や病室の光司の写真といった品に、両親は感謝し、何度も礼を繰り返した。一度、麻耶の代わりに鹿島が行った、父兄参観の時の写真は、貴重と言えた。

 掛かってきた電話に両親が中座すると、麻耶の部屋に、鹿島と吉村が残った。なぜか、ぽつんと取り残された感じがした。そこで、適当な話題を吉村に投げ掛けた。

「久保田さん、前の檀那さんとも破綻するほど、仕事が忙しかったんですね」

 典型的な離婚原因の一つだろうが、光司が生まれた手前、どうにかならなかったのだろうかと、他人事ながら思う。

「そうですね。僕も、去年の七月に婚約したのですが、今年に入ってからは、結構、予定を合わせるのが大変でしたよ」

 吉村も、麻耶の〝事情〟を知っていただけに、その辺りは慎重だったに違いない。

「最近は特に、デートの予定があっても、直前でキャンセルされたり……。すっぽかされたこともありました」

 吉村は、同情してくれと言わんばかりに、肩を大袈裟に竦めてみせた。

 鹿島の思考が深く入り込み、言葉が途切れたのを見て取って、吉村は、部屋の隅の遺品の段ボールを手繰たぐり寄せた。その中の一つを手に取り、遠慮なくペラペラとめくり出す。日記のようだった。

 鹿島も、それらの遺品の一つに手を伸ばした。如何にも麻耶らしい、分厚い黒革の、装飾のない手帳だった。何か、手掛かりはないか、というのが、正直なところだ。

 それでも、日記ほどではないにせよ、麻耶のプライベートが記入されているおそれもあったので、さっと目を通す程度に留めた。

 簡単に予定表を流し読みしても、空欄がないほど、結構な予定で埋まっている感じだ。 やはり、仕事がきつかったのだろう。それでも、麻耶は、光司のために、深夜まで必死で働いていた。

 その時、鹿島は、麻耶の手帳の一部、しかも先月辺りのページに、何度も同じ名前が出てくる事実に気付いた。しかも、どこか聞き覚えのある名前に、神経を集中させた。

 ――葛海くずみ悠介ゆうすけ。ここ二、三年、テレビ等でよく見掛ける男だった。博多弁で歯に衣着せぬ辛口批評をする弁護士だ。休みの日に、ワイド・ショウやクイズ番組で、准レギュラーのような活躍をしているのを見た記憶がある。朝の情報番組のコメンテーターとしても、知名度を上げているらしい。

 五十歳前後の年齢だが、体格がよく、頭髪を金に染め、オールバックにしている風貌から、およそ弁護士には見えない。だが、緻密な法律の知識や対策を、ずばっといい放ち、人に媚びたり、遠慮したりといった言動を良しとしない。

 硬派で包容力を持ち、人に安心感を与え、不思議な魅力を示す。頭脳明晰で激辛な評論をする。政治家や学者連中にも臆せずに、ストレートな物言いに徹する。その辺りが新奇に見え、見るものをスカッとさせるのだろう。

 麻耶も、耳に馴染んだ博多弁から、葛海の不思議な魅力にハマった一人なのだろうか? しかし、鹿島には葛海が、麻耶が好きになりそうにない類の人間のような直感がした。失礼とは知りつつも、鹿島は、麻耶の手帳をじっくりと見た。

 六月二十八日から七月一日までの四日間に集中して、東京近郊だけでなく、ローカル番組の出演や地方の講演も含めて、マネージャーの行動記録票のように、葛海の名前が時間と共に書き込まれている。まるで、葛海の出演番組や講演日を、全て調べ上げたかのような、チェック振りである。

「吉村さんは、葛海悠介って人、ご存知ですか?」

 吉村は、日記から顔を上げて、渋い表情を見せた。

「近頃、流行はやりの、九州生まれの有名な弁護士でしょう? それが何か?」

「久保田さんが、葛海弁護士のファンだったって、聞いたことあります?」

 吉村が怪訝けげんな顔で手帳を覗き込むのに、鹿島は、説明を加えてやった。麻耶には、葛海に対する関心があったのは明らかだ。

「講演会にテレビの公開録画ですか……。麻耶さんが葛海弁護士にハマっているなんて、初耳ですよ。会社の欠勤とも関係あるのかな?」

 麻耶の家に爆弾を送り付けたのは、葛海なのかという考えが、鹿島を襲った。無論、この手帳を見た警察も、葛海に対して任意で事情を聞いているだろう。

 しかし、麻耶にしつこく付き纏われたために、葛海が爆弾を仕掛けたとは考えられない。そんな愚挙で、今まで築き上げた地位を失いたくはないはずだ。

 二人の福岡時代に、互いに認識があった可能性を、鹿島は疑った。けれども、この件については、吉村は、完全に否定した。

「摩耶さんからは、葛海弁護士の名前なんて、一度も聞いたことありませんよ」

 テレビを見ていて葛海が出演していても、葛海の話題にも上ったことはない、と太鼓判を押した。

 確かに、手帳の記載を見る限り、ある時突然、葛海の存在を教えられ、葛海に初めて注目したような書き方のようにさえ見える。福岡時代に知り合いだったという仮定は、考えないほうがいいのかも知れない。

 鹿島は、麻耶と葛海の関係を、当面、追っていこうとした。二人の関わりが明白になれば、事件の進展は期待できる。

 しかしながら、調査の過程で、麻耶の裏の顔が明らかになってくるかも知れない。辛い事実が浮かび上がる可能性だってある。吉村や光司に隠していた、知られたくない辛い事実が。

 鹿島は、吉村を促して、麻耶の実家を辞去した。嫌な予感に苛まれながら。


        3

 麻耶の実家からの帰り道、吉村は、日記を見た感想を、滔々(とうとう)と鹿島に語って聞かせた。

 光司に対する麻耶の思い、業務姿勢から人生観まで、麻耶を絶賛する言葉が連なった。麻耶の真摯でストイックな考え方は、最近のだらけた人間が手本にすべきだとも訴える。

「だから、麻耶さんが殺される理由もないですし、日記にも一切、殺されるべき不可解な点は、見当たらなかったですね」

 吉村は、麻耶の潔白を信じて疑わない。麻耶には全く非はない、憎むべきは全て犯人なのだ、とジェスチャーを加えて熱く語る。

 だが、鹿島の頭脳は、幾つかの疑問と苛立ちで、渦を巻いていた。

 一つは、光司の手術代の二千万円の出所の謎だ。あの口調から推測して、麻耶の両親は、自ら費用を捻出したわけではない。とすると、麻耶が揃えたと解釈するのが自然であろう。

 では、その方法とは、如何なるものか。先ほども考えたが、退職金の前借という方法がある。だが、これでは、諸所に問題が発生するにも拘らず、誰も言及していない点に、疑問符が付く。麻耶の両親も会社サイドもである。事態が落ち着いたら、というほど少額ではない。

 金融機関からの借金という線も、可能性はない。二千万円もの大金を、目ぼしい担保もなく、一括で貸してくれる金融業者など、いないだろう。

 もう一つの疑問は、葛海悠介の存在だ。手帳に書かれていた、ある種の異常なまでの記述は、麻耶の執念まで感じられる。

 穿うがった見方をすれば、時代の寵児的な葛海から金銭を借りられないかと考えた麻耶が、思い切った行動に出た可能性はないだろうか。それでも、なぜ葛海からだったのか、という疑問が残る。

 吉村に確認すると、日記には一切、葛海に関する表示がなかった。例えば、手帳に記載のあった講演日にも、日記の同じ日付には、会社での出来事と光司の病状が書かれているに過ぎなかった。特に講演を聞きに行ったという明記がないのだ。

 これではまるで、葛海と接触した上で、葛海との関係を否定したようなものだ。この不整合は、今後の展開に大きく影響を与えるだろう。

 そうこうするうちに、鹿島の車は、大田区の住宅街にある吉村のマンションに到着した。

「ありがとうございます。もし、よろしければ、上がっていって下さいな」

 鹿島は、遠慮なく、吉村の家へ上がることにした。今後、《鳥海システム》内へ調査範囲が及べば、吉村に内部調査を託せよう。吉村と連携を図る意味でも、懇意になっておくほうがいい。吉村の麻耶との記憶の中の何気ない一言が、事件を解決に導く糸口にならないとは言えないのだから。

 吉村の部屋は、十五階建てのマンションの最上階だった。吉村がこのマンションのオーナーだと聞いて、鹿島は驚いた。

「別れた妻との協議で、このマンションを譲り受けたんです。まあ、元妻からといっても、なかなか愛着がありますしね」

「結構、優雅なお暮しなんですね」

「いえいえ。家賃収入だけでも、ある程度やっていけますが、会社との両立は中々大変です」

 五十過ぎの独身男の部屋にしては、比較的片付いて落ち着きがあった。決して贅沢ではないが、シックなトーンで纏められた、北欧ブランドのインテリアには渋い趣があり、センスの良さと、ゆとり感が溢れている。吉村の意外な一面と言えるだろう。麻耶も、そんな大人な魅力に惹かれたのかも知れない。

 鹿島がふかふかのソファに腰を落とすと、吉村は、「テレビでも見て、ちょっと待っていて下さい」と言い残し、奥に引っ込んだ。

 窓辺の棚の上に、麻耶とのツー・ショット写真の入った写真立てが置かれていた。吉村が麻耶の頬にキスをしており、麻耶は恥ずかしそうに首を竦めて微笑んでいる。

 まだ片付けられない写真から見て、吉村の無念で哀しい気持ちが嫌でも伝わってくる。麻耶の死が信じられず、心の整理も付かないまま、空しく日々だけが過ぎていく。吉村の想いが報われる日は来るのだろうか。

 鹿島は、潰されそうになる心を鼓舞して窓辺から目を離し、テレビのリモコンに手を伸ばした。

 ぱっと点いた大型テレビに、突然、唸るような映像が映し出された。カメラのフラッシュが一斉に焚かれる中、何者かが物々しく言葉を発している場面だ。

 初め、映画かドラマのワン・シーンかと思ったが、どうやら、ニュース番組のようだった。慌ただしく交わされる言葉にも、緊迫感がある。いったい、何が起こったのだろう?

〝速報〟と打たれたテロップには、全く信じられない文字が踊っていた。

《葛海弁護士の遺体発見! 早過ぎた突然の死に、業界騒然》

 鹿島は、喉が詰まり、息が続けられなかった。身を乗り出して画面を凝視しても、何が起こったのかを理解できない。思考が空回りを続けるばかりだ。

「私共も、全く、何がどうなったのか、未だ信じられないんです」

 所属プロダクションと弁護士事務所との共同会見のようだった。壇上に居並ぶ男たちの一言一言が、重く胸苦しい。

 コメントを求められたプロダクションの社長らしき老年の男が、顔を上げられぬまま、言葉を返した。眉間の皺が沈痛な思いを語っている。

「前日の六月二十九日までは、普段と何も変わりませんでした。むしろ、二十九日は、いつもよりにこやかだったように感じたくらいです。休みだった三十日は、早朝から釣りに行くと言って出たきり、翌日の収録にも姿を現さなかったんですよ。すぐに警察に捜索を依頼しました。まさか、こんな結末になるなんて……」

 報道によれば、葛海の遺体は、失踪から六日後の七月六日に、青梅市の多摩川河岸で発見された。ひどく川底などに打ち付けられたようで、損傷が激しく、初めは、相貌から犠牲者を特定できなかったという。死亡推定時刻は、失踪当日の三十日の七時頃らしい。

 葛海はこのところ、渓流釣りにハマっていたらしいから、恐らく、青梅上流のスポットに出掛けたのだろう。過去に何度か行った経験のある場所を隈なく捜したところ、多摩川支流の崖上に人が滑落した形跡が残り、崖下の岩場の先端部に血痕も見付かった。間もなく、血痕が葛海のものだと判明したため、この会見となったようだ。

 葛海の車が、登山口近くの路肩に駐められていた。だが、付近の人は、よくある違法駐車だと思って気にも留めなかったというし、釣り人による不審な目撃情報も皆無だった。

 警察による捜索にも拘らず、現場付近にも物的証拠が上がらなかったため、葛海の死は、〝事故死らしい〟とされたようだ。

「吉村さん! ちょっと来て下さい」

 鹿島の焦りを含んだ尋常でない声に、何事かと、吉村が居間に現れた。どうやら、客人を持て成すためのコーヒーの準備をしていたようだ。手にマグカップが握られている。

「どうしたんですか、そんな声を出して?」

 だが、吉村の目も、画面からすぐに離れられなくなった。鹿島と同じ感情に陥ったらしく、細い目を大きく瞠って、口を尖らせた。

「こ、これ、麻耶さんの手帳に書かれていた人でしょ? まさか、事件性はないんですよね?」

「この報道によれば、登山道の端から足を滑らせたような形跡もあるそうです。今のところ、事故死らしいっていう話ですよ」

「まさかとは思いますけど、この人も、麻耶さんと同じく、殺されたんじゃ……」

 鹿島は、吉村の言葉に口籠った。気味の悪い顫えが、全身を駆け上っていく。

 これから、調査に当たろうと思っていた当人が、このような形で死んでしまうとは、事件性を考えないわけにはいかない。否、麻耶と葛海の死は、決して偶然ではあるまい。

 警察も明らかに、麻耶の手帳を元に捜査を進めている。その結果、葛海に事情を聞こうとしたが行方が知れなくなっており、捜索願も出された。そこで行きそうな箇所を虱潰しらみつぶしに捜していたところ、遺体が上がったというわけか。故に、警察も、〝事故死〟と断定まではしていない。

 これだけは確かなのだが、葛海が死亡したのは麻耶爆殺の三日前なので、基本的に麻耶の部屋の前に小包を置いていけない。よって、葛海は麻耶爆殺の犯人ではないと言えよう。

 とするなら、まだ別に、麻耶の爆殺犯(と葛海の死に関わる人間も)がいるはずである。同一犯の可能性も強い。

 鹿島も、葛海が本当に〝事故死〟だという確率は、極めて低いと考えた。葛海の死は、社会的に甚だ大きな影響を及ぼすため、今も、科学捜査や人海戦術を駆使して、犯人の痕跡を捜しているはずだ。葛海殺害の件で、鹿島に再度の出頭要請が入る可能性もあるだろう。

 テレビ画面は、所属プロダクションの後輩のお笑いコンビ「ミッツ・カッツ」のジョー・三橋みつはしという芸人が、俯き加減にインタビューを受ける場面に変わっていた。

「どうしてあの人が、こんなことに……」

 三橋は、口を引き結び、身の置き所もないほど恐縮している。顔がとても白く、芸人とは思えないほど鬱塞うっそくした表情だ。

 テレビの解説によれば、この三橋に限らず、葛海を敬慕・私淑する芸能人は多かったという。男気のある性格からか、弁護士という立場上か、知識溢れる文化人的魅力からか、最近の懐具合故かは分からないが、とにかく、葛海を取り巻く人間は多かった。そんな人間関係がこじれての犯行という見方も捨て切れない。

 ともかく、鹿島は、次の一手に踏み切れなくなった。これから、麻耶の、他の人間関係を追うべきなのだろうか?

 司会の沈重な言葉が発せられると、葛海の話題は、ここで一区切りとなった。

 鹿島は、脳髄が痺れ、すぐには喋れなかった。吉村も、次に告げる言葉を模索しているようだった。ショックに力が抜けて、だらりと腕を下したままだ。

「……事故死というなら、事件性はないんですよね」

 重大な事件の渦中に引き摺り込まれたような感覚を得たのだろう。吉村は、〝単なる葛海事故死説〟を支持し、現実逃避を図っている。

 鹿島の無言を尻目に、テレビでは、画面を埋めていた重苦しい色は一掃され、女性アナウンサーの明るい声に変わった。

「今日の特集は、昨今、大きな注目を集めている、新しくクリーンなエネルギーについてです」

 画面が変わったとはいえ、鹿島の思考は、滞って動かない。葛海への調査の代わりに、不審と警戒を惹起させるのを承知で、麻耶の両親に、二千万円の出所を聞き質したほうがいいのだろうか。

 それとも、吉村を介して、あのインドネシア人のルクマンに、麻耶が本来であれば言い遺すべきだった言葉について、問い詰めてみなければならないのだろうか。

 その時、鹿島の琴線に触れる言葉が、降って湧いたように、どこからか聞こえ、心の中で踊り始めた。

 吉村の台詞せりふがぼやけて耳から離れ、次第に大きく遠退とおのいた。藁にも縋り付きたい鹿島の思いが、発せられた画面にぐんと集中された。

「……この度、そんな画期的なシステムが完成した、とインドネシア政府が発表致しました」

 インドネシアがわざわざ世界に向けて発表したという、画期的なシステムとは、何だろう?

「……危険性もない、素晴らしい新たな電力……潮汐発電です」

 潮汐発電は、潮の干満の差を利用して、生ずる潮流で発電する仕組みである。二十世紀から研究開発は行われてきたが、発電所が大規模になり、コストとの折り合いが付かずに、実用化は中々進捗していない。

 麻耶のいた《鳥海システム》も、電源開発の会社だ。言うに及ばず、インドネシア人のルクマンも《鳥海システム》の電源開発には大きく関わっている。鹿島の心から、何かがじんじんと、熱く迸り始めた。

「……今までも潮汐発電は、研究されてきましたが、今回の発表によれば、新しい特殊スクリューを多角的に連動させ、新開発のタービンに繋げる技術などによって、今までの研究成果を凌駕する、飛躍的な効率性を獲得したといいます。もちろん、自然を活かした原料費は掛かりません。若干の建設費は掛かりますが、適切な場所を確保できれば、将来的に原子力に代わり得る、主力電源になる可能性も秘めているでしょう」

 画期的潮汐発電が実質的な主力電源になれば、爆発的なビジネス・チャンスとなり、莫大な富を生む結果となる。しかも、現今の世界では、救世主的存在として、全世界から受け入れられるはずだ。開発者は、歴史に名を残すだろう。

「……石化燃料や原子力に頼らない、効率的でクリーンな電力として、期待が大です。多くの先進国も、インドネシアの国家プロジェクトであるこの電源開発には注目しており、次世代の未来型発電として脱原発の急先鋒になるのでは、とインドネシアの動向を見極めようとしています」

 吉村と目が合った。何となく気まずい表情だ。

「……麻耶さんが携わって開発していたのも、まさに潮汐発電です。何と申し上げたらいいか、〝先を越された〟と言いましょうか。我が社の今後の研究開発にも、少なからず、影響が出るでしょうね」

 吉村は、言い難そうに、ぼそりと囁いた。思い至った結論を、オブラートに包んで言ったような感じだった。

 麻耶のインドネシア人上司のルクマン。インドネシアと《鳥海システム》での潮汐発電開発。麻耶が研究開発主任として潮汐発電開発に従事していた事実。前後して起こった、麻耶と葛海の死。鹿島は、何かがあると直感した。

 鹿島は、心を突き動かす衝動に負けた。そのまま吉村に向き直り、次のステップをどう進めるかを、強い決意を込めて宣言した。

「吉村さん、ちょっと調べて頂きたい事案が発生しました。それも、すぐにです」




 第3章 暗闇に蠢く影


        1

 吉村が鹿島の部屋を訪れたのは、翌日の夜だった。吉村は、会社から急いで直行してきたようで、大汗を拭きながら、戸口で息を切らせて立っていた。吉村を狭い部屋に招き入れ、まずは、吉村の息が落ち着くのを待つ。

 あの爆発以来、照明を初め、部屋の多くの箇所が、何となく調子悪くなった。反対側の部屋の小谷も、不便さだけでなく、隣家の死亡事件を薄気味悪く思い、昨日、引っ越していった。だが、鹿島は、生活には支障ないと、気にも留めていなかった。むしろ、このまま退去すれば、尻尾を丸めて逃げるような気さえした。

 麻耶の爆殺から十一日目。むしろ、時間ばかりが無為に過ぎ、中々、真実に近付けない現状が苛立たしかった。鹿島の休日も残りがないだけに、吉村の報告に、劇的な進展を期待してしまう。

「鹿島さんの言われた通り、調べて来ました」

 鹿島は、吉村に対し、麻耶の上司ルクマン・アマロについて調べてくれるよう、昨日吉村の部屋で依頼していた。できれば、性格や出自まで知りたいと申し付けておいたのだが、果たして、満足できるような回答は得られるのか。

 昨日発表されたインドネシアの画期的な潮汐発電は、《鳥海システム》がメインで進める電源開発と軌を同じくするものだ。十一日前に爆殺された麻耶は、研究開発主任者として辣腕らつわんを揮っており、麻耶の上司ルクマンがインドネシア人という事実がある。

 一方で、麻耶が執拗に行動を追っていた葛海弁護士が、麻耶の死の三日前に、不可解な転落で死亡している。

 この何日かの間に起こった出来事を繋ぎ紡ぐ関係性が隠されている、と鹿島は見ていた。葛海への調査が、取り敢えず頓挫している現状では、潮汐発電開発で重なる〝インドネシア人のルクマン〟という存在を、確認したくなったわけだ。

「人事部にいる友人に、さり気なく、聞いてはみました」

 鹿島の依頼で、好むと好まざるとに拘わらず、興信所のような働きをせざるを得なくなった吉村には、戸惑いの表情がまだ残されていた。同僚の素性を調べ上げるという行為が、信条にもとると感じたのかも知れない。

「それでどうです? あのインドネシア人のルクマンという人。何か、分かりましたか?」

 鹿島は、吉村の都合を傍に置いて、ずいと前に乗り出した。満面の笑みを添え、期待感を込めて吉村を見詰める。

「……それが、大ありでしてね。しかも、まさに時期的に、どんぴしゃですね。実は、あのルクマンて課長、一昨年、我が国に亡命してきてたんです。しかも、その年の出納帳を引っ張り出したところ、我が社が相当な額を注ぎ込んでいると分かりました。結構な高い買い物だったようですよ」

 一度言葉が発せられると、吉村の舌は、滑らかに動き始めた。むしろ、堰を切ったように迸り出て、留まるところを知らないといった感じだ。鹿島は、吉村を制して話を戻した。

「一昨年、亡命してきた? インドネシアから、ですか」

「奥さんと息子さんも一緒にね。しかも、向こうでは、〝国立の科学技術開発院〟の開発チーフっていう肩書だったそうですよ。それなりの地位だったわけです」

 日本語も流暢だったため、ルクマンがよもや亡命してきたとまでは思わなかった。《鳥海システム》の〝高い買い物〟の意味と、〝開発チーフ〟の肩書が、鹿島の脳内に、更なる憶測を生んだ。

「つまり、先日発表のあの開発にも、充分、関わっていた?」

「充分も、充分。むしろ、中心人物じゃないかって、友人は言ってましたよ。我が社における肩書は、今のところ〝課長〟の地位ですが、今度の開発がうまくいった暁には、破格の〝特別重役〟待遇に抜擢する予定だったらしいです」

 それほど、ルクマンの携えてきた特殊技術は、《鳥海システム》の浮沈を大きく左右するものだった。実際、ルクマンを受け入れてからの《鳥海システム》の一年間は、潮汐開発に飛躍的な進捗が認められたという。

 ヘッド・ハンティングが国際化の時代を迎えたと言うほど、単純ではない背後関係が見え隠れしている。

「そんな国家の重要人物が、なぜ亡命なんかを? 保障も万全だったでしょうに」

「正確には掴めませんでしたが、うちの提示したカネが、よほど魅力的だったんでしょう」

 派閥競争に敗れたのか、何か都合の悪い事情から逃れるためか、吉村の言うように、単にカネに目がくらんだのか……。

 総合すると、ルクマンは、インドネシアで開発していた最新の特殊技術を持って、日本に亡命してきた。受け皿として《鳥海システム》が破格の待遇で迎え入れた。ルクマンが持ち込んだ最新技術で、《鳥海システム》の研究は未曽有の進捗を遂げ、画期的な潮汐発電の実現の運びとなるはずだった。

 しかし、インドネシアのプロジェクト・チームが開発に先んじた。結果として、《鳥海システム》は、二番手に甘んじる形となった。これは、ルクマンにとっても、《鳥海システム》にとっても大誤算だった。

 ここまで考えると、ルクマンが麻耶に期待していた言葉の推測も、できないだろうか。大金で雇われたルクマンが、光司の手術費用の二千万円を麻耶に貸し付けたため、返済に纏わる言葉だったとは、考えられまいか。この説は、麻耶とルクマンの間の、特別な関係を想起させないでもない。

「これは何ですか?」

 吉村は、机の上に広げられた何枚かのコピー用紙を拾い上げた。鹿島は、思考を寸断されて、吉村の問いに答えざるを得なかった。

「昨日から、私も色々と調べてみたんです。インドネシアのことを」

 インドネシアの国勢や歴史、最近の動向を探れば、何らかのヒントになる記述が見出せると考えたからだった。ほぼ半日掛けて、パソコンと睨めっこして出した情報だった。

 かつてのインドネシアはインドの影響を受け、主にヒンドゥー教を取り入れて諸王国を形成、インドと中国を繋ぐ中継貿易の拠点として栄えた。十二世紀以降は、ムスリム商人の台頭を受けて、人々のイスラム化が進んだ。

 十六世紀になって、香辛料を求めたポルトガル・イギリス・オランダが相次いで襲来し、十七世紀にはバタヴィアを本拠地としたオランダによる支配がほぼ確立された。

 二十世紀になると独立運動が頻発し、日本占領後の独立戦争を経た一九四九年に、ようやく独立を獲得する。初代大統領スカルノの許では憲法制定や総選挙も行われ、国としての大勢が整えられつつあった。

 ところが、インドネシアは多民族・多宗教国家であったため、早くも混乱を招き、地方反乱まで勃発。独立から十年を待たずして国家分裂の危機に直面する。この危機にスカルノは強権を発動したが失敗、六十五年に失脚してしまう。

 スカルノの後を受けて大統領になったスハルトは、独裁体制を強めて、強引に国家建設を推進した。西側への接近や主要産業の国有化などによって工業化を促進、経済発展の基礎を築くのに成功した一方で、地方での独立運動には、徹底的に厳しい弾圧を加えた。

 インドネシアの経済は、基本的に農業と鉱物資源によって支えられている。農産品としては、ココナッツやサツマイモ、米やカカオなど、鉱物資源としては、石油や天然ガス、ニッケルやスズの採掘量が多い。その他としては、パルプや窒素肥料、変わったところでは、馬の輸出なんていうのもある。

 それらの産品の多くは、日本を初め世界に輸出されて国の経済成長を成す基幹産業となった。九十七年の通貨危機で一時期混乱状態に陥ったものの、経済改革を断行した結果、GDPも急激に拡大の一途を辿っている。

 二十一世紀になった今、インドネシアは経済の発展が著しい。だが、急激な社会環境の変化は、国民を戸惑わせ、急激な発展から生み出される貧富の差の拡大や失業者の増大といった、新たな問題が引き起こされているのも事実である。

 更に鹿島は、何点かの気になる記事を、ピック・アップしていた。

 一つ目は、インドネシア東部の島嶼地方にある、反政府武装勢力のゲリラ活動の拠点を、政府軍が急襲したという、国際通信社の数年前の記事だ。

        *

『インドネシア政府軍 武装勢力一掃へ』

 インドネシアの軍事消息筋によれば、政府軍が中~東部島嶼地方の反政府武装勢力の最後の軍事拠点への一斉攻撃を開始したと発表した。国際テロリストとの連携を示唆する武装勢力は、この三ヶ月で、十八ヶ所に及ぶ国内施設を無差別攻撃によって破壊してきた。この中には、政府系のビルや研究機関、主要道路や橋、病院や工場なども含まれており、インドネシア政府も、これ以上の暴挙を許すわけにはいかないと、重い腰を上げた。

 南アジア圏経済財務省会議の開催を計画している政府としては、対外的なアピールとして効果的だと、犯行分子一掃に踏み切った。多くの専門家は、この軍事的攻勢が功を奏するだろうと、一定の評価を与えている。

 これほどまでに、武装勢力が伸長できた背景は、この国の社会構造にある。昨今のインドネシアの急激な発展は、大きな社会的歪ひずみを生み出した。一部の富める者が大多数の貧しい者を支配するという構図は、富の一極集中や貧富の拡大をより鮮明化した。

 貧困は生きる希望を失わせ、悪の道へと誘う。やがて過激化した若者などのグループが、反政府武装勢力へと変貌していった。

 反政府武装勢力側は、万民受けの良い、富の分散や環境の保全、人権の尊重や外資の排除といった、もっともらしいスローガンを掲げた。貧困層からは、一種のヒーロー的存在として迎え入れられた武装勢力は、益々勢力を拡大していく。そのうち、国際的なテロリストとの連携を模索するようになり、政府との対立は、一層、高まっていた。

        *

 新興国という仮面の下には、大きく複雑な事情が埋もれている場合が多い。国の利益を優先した結果、一部の国民に犠牲をい、それに目をつぶっている現状や、急激な開発によって自然の破壊や環境の悪化を黙認せざるを得ない事実は、政府の自己矛盾への兆戦でもあろうか。

 ただ、この掃討作戦によって、反政府武装勢力は、壊滅的打撃を受けた。海外に逃れた一部の残党の脅威を除き、インドネシア国内のゲリラ攻撃による混乱は一応、収拾されたといってよかった。

 二つ目は、新聞の一隅に載っていただけの、インドネシア関連の記事だ。慶弔の事務的な連絡が載っている一画に、インドネシア大使館主催の葬儀の日程が載っていた。

 故人は、ヤジド・タスリム。三十九歳のインドネシア大使館一等書記官で、病死とある。葬儀の日取りや弔電先などの文字面の中には、特に怪しむべき箇所はない。

 ただ、鹿島の興味を引いたのが、麻耶の死亡日とヤジドの葬儀の日が同じだった点だ。普段なら見向きもしないだろうが、今の鹿島には、大いに関連性があると勘繰った。

 無論、単なる偶然だという見方もある。しかしながら、葛海、ヤジド並びに麻耶の三人が、日を追って命を落としているのは、果たして、本当に偶然だろうか。

 鹿島にとっては、インドネシアの潮汐発電の発表、ルクマンの亡命、ヤジドという一等書記官の死が、全て一連のレールの上に乗っているようにしか見えない。

 発表と異なり、葛海もヤジドも偽装殺人だったとは、考えられないだろうか。麻耶の爆殺と同じように、卑劣な犯人の影が見え隠れするのは、気のせいと一笑に付すには、まだ早い。

 しかも、このインドネシアという特殊なフィルターを通してみると、《鳥海システム》での麻耶の立場が大きくクローズ・アップされてくる。麻耶を巡る人間関係が、インドネシアを軸に動いている気さえする。葛海やヤジドと、麻耶の繋がりをもっと調べ上げていけば、より明確な像が浮かび上がってくる可能性は高い。

 吉村は記事に目を通し終わると、腕組みをしてうーんとうなった。鹿島が遠慮がちに声を掛けるまで、しばらく何も話せなくなった。

「やっぱり、この事件を徹底的に調べ上げるつもりなんですね、鹿島さん?」

 吉村は、迷惑そうに訴え掛ける眼差しで鹿島を見た。やはり、危険を承知で首を突っ込むのかと、賛成しかねるような表情だ。今回のような調査依頼がまだ続くのかと、いぶかしんでいるのが分かる。

「もう、こうなったら、できる所まで調べ尽くしてやりますよ。それが、久保田さんの鎮魂にもなるのなら、吉村さん、あなたも賛成してくれると信じてますけど」

 鹿島には、もう迷いはなかった。爆殺犯に命を狙われる恐怖や警察に犯人だと疑われる危険については、考えても詮無いと思った。思うと、すーっと気持ちが楽になり、心が軽くなって、何でもできそうな思いに駆られた。

「……ちょっと考えさせて下さい。幾ら麻耶さんの鎮魂のためとはいえ、否、それが復讐のためだとしても、姿の見えない爆殺魔と対するには、相当の覚悟が要りますからね」

 吉村は、複雑な表情のまま、鹿島から目を逸らした。それでも、自分の命が惜しいからというわけではなさそうだった。恐らく、光司の笑顔が脳裏をよぎったからだろう。つまり、麻耶がそれを本当に望むかどうかを測っているのだ。

「大丈夫ですよ。幾ら私でも、自ら死を望むような行動は、取りませんから」


        2

 鹿島は、吉村からの明快な協力を得られないまま、思い悩んだ挙句、単独行動を取ろうと決めた。

 確かに、危険に晒されると分かっていながら、これ以上しつこく吉村への無理強いもできない。調査上のマイナスや心細さは否めないが、吉村自身の決断を待つ他あるまい。

 それと、鹿島の休日が尽きてしまうまで、あと三日。それ以降は、簡単には動けなくなる。もう、二、三日の休みでもあれば、事件解決を進展させられる予感もある。単独調査を決めた今は、じっくりと事件に向き合うゆとりが必要だ。

 そこで、鹿島は、あと三日程度の追加休暇の融通を得るべく、塾長の許へ相談しに出掛けた。新たな休みの追加取得に、塾長も渋るだろうが、是非とも説得させるしかない。

 ところが、休みの算段を相談しようと、職場を訪れた鹿島を待っていたのは、先日以上に、予期せぬ展開だった。

「お前には悪いが、もうこれ以上、父兄を誤魔化し切れなくなった」

 鹿島の休講の間に〝鹿島犯人説〟のデマが蔓延していた。塾サイドが幾ら否定しようが尾鰭(おひれ)が付いて、あることないことが誇張されて伝わった。もう手の付けようのない領域にまで、デマが高められ、事実が歪められていた。

 隣家の愛人とのいさかいから爆弾を仕掛けるような人間のいる塾などに、我が子を任せられない……。もしかすると、敵対的な他の進学塾が、機に乗じて悪質な噂を流したためかも知れない。

「どうして、そんな結果に? 私は被害者でこそあれ、犯人じゃないんですよ」

「俺も、お前が人を殺したとは思っていない。恐らく父兄も、本気にはしていないだろう。……だが、分かってくれ。お前と共倒れは、できないんだよ」

 塾長は、ただただ、頭を下げて許しを乞うだけだ。評判や人気が左右する職業なだけに、不穏な動静に敏感だとは判る。鹿島が塾長と同じ立場であれば、同じ判断を下しただろう。

 だが、あまりにも一方的な宣告に、鹿島もすぐには納得しかねた。今まで懸命に生きてきた人生そのものが否定されたような感覚だった。降って湧いた不幸に、鹿島は、人目をはばからずに泣きたかった。

 一方で、鹿島の講師生命にとどめを刺したのは、三河刑事の生徒や父兄への聞き込みだったとも分かった。「あくまでも参考までに」という常套句をかざして、執拗に、塾始めや塾帰りの生徒や父兄に声を掛けているという。

 裏を返せば、進捗せぬ事件に警察も苛立ちを見せ、鹿島を犯人に仕立てて落着しようとしているのだろう。

 まさかこんな形で、風評被害の犠牲者になるとは思っても見なかった。沸々(ふつふつ)と込み上がるぶつけようのない憤りを、鹿島は、どうにもできなかった。唇をきつく噛み締め、拳を怒りに任せて握り締めようが、最大の問題点は別にあり、どうにも好転するはずもない。明日からの無職の生活を受け入れざるを得なくなったわけだが、気落ちする暇もない。

 しかしながら、妙な形でではあったが、取り敢えず、事件に割く時間がほぼ無限にできた。確かに、相当なショックは受けたが、若干の蓄えがないわけではない。調査に専念できれば、自分の無実を晴らすためにもなると、考えを改めようとした。

 動揺をできる限り抑えて部屋に戻った鹿島は、腰を落ち着けて熟考を始めた。今後の方針を定めておくためにも、冷静な判断を取り戻すためにも、これまでの出来事を纏めておく必然性に駆られた。

 七月三日の深夜に突然隣家の麻耶が爆殺された。鹿島にとって、この日が事件に巻き込まれた初日である。不幸の始まりと言えようか。

 だが、鹿島にとって始まりのこの日も、麻耶にとっては最期の日となったわけで、何かの帰結によって、爆殺という死を迎えたと言える。つまり、麻耶にとっては、それまでにも、色々とあったが故に、死ななければならなくなった。今回のような爆殺は、無差別殺人や愉快犯とは、確実に一線を画する。

 それでは、麻耶が〝殺されなければならなくなった理由〟とは、いったい何だろう。

 麻耶の存在が何者かにとって、不都合になった、麻耶が生きていてはいけない状況になったからと考えてみよう。

 現時点で有力な情報は、麻耶が光司の二千万円という手術代を用立てた、という点だ。麻耶個人の環境から考えると、麻耶が一人で用立てたと考えるのは不可能だ。別の人間の介在が必要不可欠となる。

 麻耶に関する情報では、麻耶が葛海の身辺を探っていた形跡がある。今のところ、なぜ、麻耶が葛海を調べなければならなかったのかは、不明のままだ。二千万円との関連性があると考えたほうが、すっきりする。

 もし、何らかの理由で、葛海が麻耶の二千万円を用意しなければならなくなったと仮定しよう。

 葛海の最近の経済状況からいって、二千万円もの捻出は、さほど難しい作業ではなかったはずだ。麻耶と葛海の接点を調べる必要性があるが、両者の亡き後、これ以上この点を、掘り進められるのだろうか。

 大金を用立てるという観点から、可能だったもう一人の人物がいる。麻耶の上司、インドネシア人のルクマンだ。

 吉村の話からすれば、《鳥海システム》は相当な金額で、ルクマン(厳密に言えばルクマンの持つ潮汐発電の技術)を〝買い取った〟という。会社の浮沈を左右する技術の導入を考えれば、ルクマンには、数億円規模の移籍の取引があったと想像はつく。

 麻耶なら、上司への援助を申し出し易かっただろうし、また、ルクマンなら、麻耶への〝貸出〟の可能性は充分に考えられたろう。だからこそ、ルクマンが麻耶から、二千万円の〝行く末〟を聞き質したかったのか……。

 ところで、二千万円もの大金を貸した人物が、本当に麻耶を爆殺した犯人だろうか?

 麻耶を殺して二千万円が戻る保証があるのかを考えれば、解答はすぐ出る。正式なカネの遣り取りでなければ、なおさらだ。二千万円もの大金を棒に振る行為を、わざわざ自分からしてまで、麻耶を殺そうとするだろうか。

 仮に、葛海とルクマンにとって、二千万円が〝はした金〟だとしても、貸出先の麻耶を殺してしまうほどの理由は、今のところ、考えられない。

 未だ解けていない謎の状況も、考慮せねばならない。一見したところ些末さまつのようにも見えるが、事件の解決に何らかのヒントを与えてくれるだろう。

 まずは、麻耶が葛海の身辺を調べていた理由だ。これは、麻耶が葛海と確実に接触するための証左かもしれない。ということは、用事があったのは、麻耶のほうで、葛海ではないと考えられる。

 そこから、麻耶が葛海を殺すために呼び出したという仮説は、立てられるだろうか。麻耶が葛海に借りた二千万円を踏み倒すために呼び出した、と。

 そうすると、葛海以外に、麻耶を爆殺するべく小包を仕込んだ人間が必要だ。葛海を殺された復讐に、麻耶を爆殺しようとした人間がいることになる。それは、例えば、ジョー・三橋のような、葛海を慕う人間だろうか。

 だが、その仮説では、葛海との関わりを、麻耶が手帳に残し、日記に残さなかった理由が見えてこない。よって、まだ〝麻耶が葛海を呼び出して殺した説〟は、決め手に欠ける。

 第一、麻耶が殺される理由など、鹿島は考えたくもなかった。光司を育てながら、懸命に生きる麻耶の姿は、〝殺人者〟とは正反対の存在であった。爆殺が麻耶にとって、全く理不尽で正反対な末期まつごだと、鹿島は、信じて止まない。

 他の要素はないだろうか? 例えば、ルクマンは、なぜ故国の栄誉をなげうってまで、日本に亡命しなければならなかったのか。言わば、一国の中枢に、技術者として君臨できたはずなのに。吉村の指摘通り、《鳥海システム》からの提示額が桁違いに大きかったからなのだろうか。

 それでも、自国の生活を捨てるだけの理由がないように思われた。亡命には、余程の状況と覚悟が必要だろう。それほど、ルクマンは追い詰められていたのか。

 それと、もう一つ、麻耶が爆殺された日と同じ日に、インドネシアの一等書記官、ヤジド・タスリムの葬儀が行われたという点が挙げられる。ルクマンの亡命は、吉村によれば、一昨年の四月頃だというから、ヤジドの死が、ルクマンの亡命と直接的な関係があるとは思えない。

 ただ、潮汐発電(もしくは《鳥海システム》)というキーワードを通して見ると、ヤジドと麻耶の死は、非常に意味を持ってくると、鹿島は感じていた。

 まずは、手始めに、〝インドネシア〟というキーワードを元に動こうと、鹿島は思った。技術者としてインドネシアのトップであったルクマンが、日本に亡命せざるを得なかった理由が、大きなヒントになるかも知れない。

 ただ、相手にしようとしているのは、恐れ多くも、独立主権国家である。インドネシア本国への渡航はせずとも、大使館相手にどう切り崩せるのだろう。鹿島の迂闊な行動が、国際間の緊張を生まないとは限らない。

 ここは、慎重を期す意味でも、まずは、東京・東五反田にあるインドネシア大使館を監視しようとした。怪しい動きがあっても尾行するだけに留め、決して直接的な行動は行わないと心に誓った。とにかく、この中途半端な状況から、一刻も早く脱したかった。

 次の行動指針が決まると、鹿島の動きは早かった。じっとしているのは、性に合わない。車で東五反田のインドネシア大使館へ急いだ。

 インドネシア大使館は、交通量の多い首都高速の側道に面していた。大使館の建物は、近代的な八階建てのビルで、辺りの高級マンションと何ら遜色ない。背の高いグレーの塀と厳めしい黒の鋲付きの門によって外界から閉ざされている点を除けば。

 門の脇の守衛所には、武装した警官らしき者が一名、無言のまま立ち尽くす。国旗の翻るポール脇の入口には監視カメラが二台、外の様子を窺っているのが見て取れる。物々しく構えられた難攻不落の要塞のようだ。

 手許の地図によると、大使館のビルの裏手には大使公邸が控え、敷地面積はそこそこあるようだ。どの窓にもレースのカーテンが掛かり、当然ながら、内部は窺い知れない。全く不気味としか言いようがない。

 鹿島は、大通りに連なるパーキング・メーター付きの駐車スペースの一つに車を置いて、大使館周りの調査に出た。

 大通りの反対側は首都高速によって遮られ、駐車も待機もできない。ただ、大使館と同じ側に、ガソリン・スタンドとコンビニエンス・ストアが、大使館を挟み込む位置で一軒ずつある。少し南の、道がカーブする辺りには深夜営業のファミリー・レストラン、その隣には細長い児童公園があった。

 大通りは一方通行の側道で、大使館から出た車は、必ず目の前の大通りで南下し、コンビニやファミレスの前を通る。自身の車を駐車スペースに駐めておけるので、特徴的な大使館の公用車を、コンビニかファミレスの中から充分に捉えられよう。

 また、公園の陰に車を駐められれば、生垣やちょっとした樹木が、こちらの姿を大使館側から隠す絶好のポイントとなる。時間帯で駐車位置を変えれば、周囲の住民や警察からも怪しまれずに、大使館からの移動を終始監視できるはずだ。

 鹿島は、児童公園のベンチに腰を下ろして、立ち塞がるように建つ大使館を見上げた。大通りの喧騒がすぐ横で聞こえるにも拘わらず、鹿島の耳は大使館の内に向かい、微細な負のエネルギーを感じ取ろうとした。カーテンの奥から発せられる視線を懼れつつも、ぽつりと呟く。

「さて。長い持久戦になるぞ」


        3

 鹿島は、その後しばらく、粘り強くインドネシア大使館周辺での張り込みを続けた。コンビニやファミレス、児童公園の木陰から、夜間には大胆にも、大使館の門前近くの駐車スペースの車の中から、トイレや仮眠、買い出し以外は、ほぼぴったり張り付いて、監視を行った。

 鹿島は、昼夜を問わず、とにかく大使館からの人の出入りに注目した。近隣へランチに出掛ける下級職員の移動から、公務を含めた外交官用の専用車での外出、業者の搬出・搬入まで目を光らせた。どのような人間がどれくらい大使館を訪れ、その中に不審な者が含まれるのかも、できる限り見極めようとした。

 それから、昼間に公務で動く公用車よりも、夜間に動く公用車を、より厳重にチェックした。一台一台のナンバー・プレートを確認し、どれくらいの時間で戻って来るかを、手許に書き留めた。

 やっている行為が無駄に帰すのでは、と感じるくらいの時間が経っていった。雨の日は憂鬱になるし、深夜には睡魔と闘い続けなければならなかった。特にしばらくは、進展が望めずに、諦めて何度となく方向転換しようかと思った。

 そんな感情に克服できたのは、謎への探求心と、三河や塾長に対する対抗心だった。鹿島の生活を一変させた爆殺犯は言うに及ばず、鹿島を犯人だと付け狙う陰湿な三河や、自己の利益のために他者を切り捨てる塾長の態度がゆるせなかった。

 自らを奮い立たせた結果、少なくとも五台の公用車が頻繁に使われると判明した。夕刻や夜間の公務以外にも、職員の送迎や大使が交流のためにディナーに招待される場合も含め、公用車が使われているようだった。

 だが、それら公用車のほとんどは、午後九時までには帰還し、通常の公務の延長線上の域は出ていない模様だ。

 また、中には、深夜や明け方まで戻ってこなかった公用車もあったが、ナンバーもバラバラであったため、特に不信感を抱くには及ばなかった。

 しかし、鹿島は、その中で、深夜にのみ動く一台の同じ公用車に着目した。きっかり午後十時になると、ほぼ毎日、出掛け、深夜の三時頃に戻るという、同じ行動を繰り返す一台だ。運転者も同一人物に見えたので、鹿島には、どうしても気に掛かった。

 なぜ、深夜の同時刻に出掛けなければならないのか。もし、極秘のミッションが展開中であれば、もっと緊張感を伴っているだろう。

 鹿島には、どちらかというと、どこかへ遊びに出掛けるような雰囲気に見えた。門衛に話し掛ける運転者の態度は、極めて嬉しそうだったし、一度は鼻歌交じりだと思われた。

 しかも、運転者の詳細は判別しかねたが、細身の、おかっぱの男だ。浅黒くエラの張った感じが、いかにも南方系の風情である。

 つまり、同じ人間が、毎日同時刻の深夜に移動し、真夜中に帰ってくるという行動を続けている。酒でも飲みに行くのか、恋人の家に通っているのか? それにしては、毎日というのが腑に落ちない。

 監視を始めてから六日目、七月二十一日の夜、鹿島は、思い切ってこの車を尾行してみようと決意した。監視すればするほど、この同じ一台の公用車に乗る同一の男が、極めて胡散臭く思えてきた。死んだヤジドとは元同僚だし、亡命者のルクマンとも何らかの繋がりがないとも言い切れない。

 午後十時に、準備万端にして、鹿島がコンビニの駐車場で待機していると、いつものように、同じナンバーの黒い大型の公用車が、夜のヘッド・ライトの流れの中を滑るように走ってくるのが分かった。

 鹿島の血流が一気に加速し、急激に脳内が冴え渡った。この黒い公用車の男が、一連の事件と関わりがあるかは、まだ分からない。だが、一つの突破口にはなると、鹿島は信じていた。

 鹿島も、ぐいとアクセルを踏み、二台の車を間に挟んで同じ流れの中に躍り出る。離されないように、気付かれないように、それでもしっかりと、特異な黒い影を追い続けた。

 公用車は、怪しげな動きを一切せずに、あっという間に五反田の駅まで出た。鹿島は、闇に紛れて逃すまいと、大きく目を瞠って公用車の追尾に全神経を使った。

 五反田駅前のロータリーで、公用車は反転するように左折し、桜田通さくらだどおりを北上し始めた。

 途中、寺院のいらかや大学の校舎を左右に見て更に進んだ公用車は、白金一丁目の交差点で桜田通と別れた。このまま真っ直ぐ進むと一の橋から六本木地区に出るルートだ。公用車はどこへ向かっているのだろうか。

 こちらの方角は、多くの大使館が建つ区画でもある。単なる表敬訪問として、他国の駐日大使の許を訪れ、情報交換を行うだけという顛末てんまつで、この尾行が無駄に終わってしまわないよう、祈るのみだ。

 ところが、三の橋の交叉点を過ぎた所で、鹿島の追跡劇に異変が起こった。突然、右側後方から加速してきた白いRV車が、鹿島の車の前に、ずいっと急激に割り込んだ。もう少しで接触しそうなほどの、強引な運転だった。

 初めは、マナー違反者の乱暴な運転だなと、苦々しく思っただけだった。ところが、割り込んだと思ったら、RV車がいきなり急ブレーキを掛けた。テール・ランプの赤が目にみる。所謂〝あおり運転〟だ。しかし、あおられるようなことをした覚えはない。

 鹿島は、寸での所でRV車をかわし、隣のレーンに逃れた。と思ったら、すぐにRV車も再び進路を変え、鹿島の車の前に入り込んだ。

 自分が狙われている感覚を得て、全身に脂汗が滲み出てきた。この車は、わざと鹿島を襲った。恐らく、公用車の目的地を知られたくないが故の行動だろう。実際に、公用車の影は、都会の闇の中に消え、もう見えなくなっていた。

 歯噛みをし、RV車の運転席を睨み付ける。だが、窓にはスモークが貼られ、車内の様子は窺えない。ただ、あからさまな敵意、否、殺意が、びんびんと伝わってくる。

 鹿島も、このまま終わらせるわけにはいかなかった。強引に白いRV車を追い越そうと試みる。アクセルを目いっぱいに踏み込んで加速させるが、抜け切らないうちに、左側に強い衝撃が走った。相手は、あろうことか、体当たりしてきた。これは、もう、あおり運転の域を超えている。

 鹿島の車は、反動で右に大きく弾かれた。そのまま車体が回転し、持っていかれそうになる。ハンドルとブレーキ操作で、どうにか走行を立て直した。恐怖から逃れようと更にスピードを上げる。RV車は真後ろに付いて離れない。嫌な悪寒が鹿島の全身を舐め上げていく。

 ルーム・ミラーから目を離した瞬間に、また衝撃があった。今度は背後からの追突だ。しかも、そのまま後ろから押し出すように、一層の力を加えてくる。RV車の利点を最大限に活用して、攻撃が加えられる。

 すぐ前に、大きな交叉点が迫ってきた。車も人も結構な量の一の橋の交叉点だ。しかも、信号は赤。このまま、交通量の多い交叉点に進入させて、鹿島の車を破壊しようという魂胆か。あらがえぬほどの馬力が、押し付けられる。真っ直ぐ交叉点に進入すれば、間違いなく大惨事となろう。

 鹿島は、急ブレーキを掛けて抵抗した。左右に目を配って、左折できる道を探した。車と歩行者がいないのを見計らって、交差点の一本手前の小道で急ハンドルを切る。

 腕に尋常でない負荷が掛かり、体が投げ出されそうになる。消魂(けたたま)しい不快な摩擦音と共に、外の景色が光の帯となって眼前で渦巻いた。OLらしき人たちの耳を塞ぐ姿が、目の端に映り込んだ。

 路肩に駐車中の一台に車体を擦り付けて、どうにか左折に成功した。まさに危機一髪だった。

 白いRV車は、そのまま直進し続け、クラクションの嵐の中を、一の橋の交叉点を上手に擦り抜けていった。

 鹿島は、全身が弛緩するのを感じ、すぐ路肩に停車した。これは明確に、鹿島に対する警告だと悟った。事件に関わるなという爆殺犯からのメッセージだと解釈した。次はないぞ、という恫喝だ。

 鹿島は、ハンドルを強く拳で叩き付けた。予想できた事態とはいえ、無性に悔しかった。今後の調査をどうするか、考えざるを得なくなった。体の顫えが止まらない。

 吉村は無事かと、ふと不安に苛まれた。吉村は、協力を渋ったとはいえ、鹿島の唯一の協力者であった。鹿島が襲われたように、擦れ違いざまに刺されたり、おびき出されて高所から突き落とされたりしてはいないだろうか。

 鹿島は、スマホで吉村を呼び出した。だが、「ただ今、電話に出られません」と虚しいアナウンスが返るのみだった。

 不安感が強迫観念を生み、不吉な予感が全身を浸していく。まさか、とは思ったが、どこか胸の奥で、ちくちくとした胸騒ぎが大きくなっていった。

 陰険で卑怯な爆殺犯の不気味な笑みを思い描いて、鹿島は、居ても立ってもいられなくなった。そこで、鹿島は、吉村の家に向かおうとした。凶報を案じて、そのままラジオのスイッチに手を伸ばす。

 だが、鹿島の耳に届いた声は、吉村の名ではなかったが、別の、驚くべき名前を告げていた。

「……繰り返します。本日午後二時頃、若手お笑いコンビ「ミッツ・カッツ」のジョー・三橋さんの溺死体が、東京・青海の埠頭で漂流しているのが発見されました。昨夜、三橋さんは、相方の勝沼さんや知人ら数人と酒を大量に飲み、一人で帰宅したということですので、誤って海に転落した可能性もあると見られます。なお、三橋さんは、先日死亡した葛海弁護士と近しい間柄だったことから、警察は念のため事故と事件の両面から、捜査に臨んでいるようです……」

 鹿島は、すぐに車を駐め、ラジオの周波数を変えてみた。どこも同じニュースで満ちており、アナウンサーの上擦った声が、緊迫感をいやが上にも煽っている。

 鹿島は、胃の中に鉛を落とされたような絶望感を受け入れざるを得なかった。何日か前にテレビで見た三橋の蒼白な顔色が、全てを物語っているような気がして、鹿島は、三橋の死亡も、一連の事件と強い関わりがあるに違いないと確信を持った。

 三橋も、鹿島のように、恩人の葛海の死を調査して深入りしたために、爆殺犯から命を狙われたのではなかろうかと、ふと思った。先ほどの攻撃で、鹿島の名が、明日の新聞の死亡者リストに、決して載らないと誰が言えただろうか。今夜の攻撃で死ななかったのは、鹿島の身体能力や警戒心以上に、まさに幸運によるものだったと言う他あるまい。

 爆殺犯の魔の手が、鹿島の上にも及んできた現状を考慮すれば、最大級の警戒を発動しなければならないだろう。常に全神経を総動員して周囲に厳しい目を配り、怪しい危険を事前にキャッチできるよう、心掛けなければならない。

 それでも、鹿島は感じていた。ここで身を引くことはできないと。危険は百も承知のはずだ。この先へ更に調査を進めるのも、ここで恐れをなして身を引くのも、結果、同じ危険を伴うのに変わりはない。ここまで状況が進んだ今となっては、むしろ、爆殺犯を逮捕しなければ、もはや自分の命もないと思っていい。

 だが、そもそも、今回のカー・チェイスが、インドネシア大使館内の人間の差し金で引き起こされたとは限らないではないか。麻耶を殺した爆殺犯が、鹿島を真相から遠ざけるために命を狙ったのだとすれば、例の公用車の目的地を探り当てられれば、自ずと爆殺犯の許へ辿り着ける計算にならないだろうか。

 鹿島は、今夜の追跡によって、必ずしも、インドネシア大使館前で監視・待機する必要はないと分かった。少なくとも、あの公用車が同じルートを通る限り、五反田駅前や一の橋交叉点での待機が可能となったと言える。黒い公用車の特殊なシルエットは、夜目にも間違いなく判別できよう。

 鹿島は、繰り返される三橋のニュースを切った。耳に残る残響を堪えて、この一連の事件が大きく根の深いものだと、改めて感じた。

 未だ爆殺犯の影も形も、闇の中から浮かび上がってはいない。しかし、犯人は、人を殺し過ぎる。そこが、足の着くチャンスでもある。

「面白くなってきたぜ、この野郎」

 鹿島は、呼吸を整えてから、大きく広がる夢幻の闇の中へ、車を走り出させた。


        4

 鹿島は死との隣り合わせを意識しながら、カー・チェイスの翌日も活動的に歩き回った。むしろ、死への恐怖を忘れるために懸命に動いただけなのかも知れないが。

 昨夜のニュースで、お笑い芸人のジョー・三橋が死んだ事態は、鹿島に大きなショックを与えた。少なくとも、三橋という男が葛海と親しかった事実は、一連の事件との繋がりを表していると考えて、差し障りない。三橋が葛海の秘密――それは麻耶の死とも大きく関わっているはずだ――を知っていたが故に殺されたと考えるのは、考え過ぎだろうか?

 一方で、三橋は《ミッツ・カッツ》というお笑いコンビのメンバーだった。とすれば、同じ理由で、三橋の相方である勝沼晋一という男が何かを知っている可能性がないとは言えまい。生き残っている勝沼が、葛海と三橋、更には麻耶との関連のヒントを知っていないと、断言はできない。

 鹿島は、勝沼晋一という男にターゲットを絞った。所属プロダクションの所在地を調べ上げ、勝沼の相貌や《ミッツ・カッツ》というコンビのプロフィールを頭に叩き込んだ。

 コンビ結成は二年前だが、今一つ売れない日々が続いている。三橋は葛海の庇護を得て生活にも余裕があったが、勝沼は性格的に頑固で、本業での勝負にこだわるあまり、生活にゆとりがないという話だ。上野の居酒屋でバイトをしていると、ブログに告白していた。

 鹿島は、午後四時過ぎに、プロダクションのある巣鴨に到着、事務所の裏口に張り付いた。しばらくは、騒ぎ立てるマスコミや心配するファンの垣ができていたが、午後七時を回る頃には、誰もいなくなった。それでも鹿島は、辛抱して、勝沼が出てくるのをひたすら待った。

 内外からの出入りに目を凝らし続けたが、勝沼らしき影を捕捉できないまま、午後八時になった。

 更に時を重ねて八時十五分を過ぎた頃、明らかに挙動不審な男が二人並んで、遠慮がちに裏口から顔を出したのを、鹿島は捉えた。

 一人は痩せ型で長身、猫背気味の風貌。目をぎょろりとさせ、辺りを気にしている。青いTシャツにジーンズといった出立いでたちの若者だ。深々と野球帽を被り、黒縁の眼鏡を掛けているが、プロフィール掲載の勝沼に相違ない。もう一人は、恐らくマネージャーだ。

 日中は、警察からの事情聴取やプロダクション事務所での会見や質問で時間を取られ、勝沼は、憔悴し切っていた。刑事や記者の質問攻めからようやく解放された表情というよりも、今後の生活や将来を心配し、憂いているように見えた。

 勝沼は、マネージャーに弱々しく会釈をしてから、待たせてあったタクシーに、こっそりと乗り込んだ。タクシーはゆっくりと進発し、鹿島の立つビルの前を通過した。

 鹿島は、左のウインカーを出したタクシーが信号待ちをしている間に大通りに走り出て、駐車してある自分の車に乗り込んだ。昨晩のカー・チェイスで傷を負った愛車である。

 そのまま、問題なく、勝沼の乗るタクシーの真後ろに密着し、追跡を始めた。素直に帰宅するかは分からなかったが、途中のどこかで二人きりで接触したかった。

 タクシーは、巣鴨から東を目指した。明治通などを経由して、国道六号線で夜の荒川を渡る。すぐに右折して京成立石駅方面に進路を取った。ここまでは渋滞などはなく、スムーズだ。

 立石の商店街の入口で、勝沼はタクシーを降りた。鹿島もまた車を路肩に駐め、すぐ尾行態勢に入った。半ばふらつくように勝沼は、すぐに寂しげな商店街への道を折れた。如何にも肩から提げたカバンが重く見える。

 商店街の飲み屋に入るのかと思ったが、勝沼は横丁の前を素通りして歩き続けた。幸いなことに、勝沼は自宅に直行するようだ。自宅に到着する前に声を掛けて、何がしかの重要な情報を得たかった。自ずと、鹿島の一歩一歩にも力が込められる。

 商店街を抜けると、すぐにマンションやアパートが並ぶ一角へと出た。心細い街灯が弱く行く手を照らしているだけで、周囲には、人の気配はなかった。頃合いだと感じた鹿島は、頼りなげな足取りを追って、つーっと勝沼の横に並んだ。

 勝沼は人の気配を感じて、顔を鹿島へ向けた。「こんな所にまで張っていたのか」と失望した面持ちではあったが、どうやら、逃げる気も失せているといった感じだった。

「勝沼晋一さんですよね」

 足取りはなおも重く、警戒心を幾重にも張り巡らせているのが、薄暗い街灯の下でも分かる。

「記者さんでしょ? 相方の件なら、もう話さないよ」

 突き放すように言うと、無視を決め込んで、黙々と歩き続ける。これ以上、余計なことを言うなと、警察や事務所に釘を刺されているのだろう。

 それでも鹿島は追いすがり、記者を装う風に、俯き加減の勝沼の顔を、同情を見せつつ覗き込んだ。

「今回は、大変でしたね」

 勝沼は、眉間に皺を折り込んで、無視しつつ歩き続けた。鬱陶うっとうしさが滲み出ている。

「これ、少ないんですけど、何かの足しにでも……」

 鹿島が用意した封筒には、弔慰金と取材費の意味で十万円が入っていた。散在ではあるが、致し方ない出費だ。

 反射的に勝沼は手を出し、いったい何なんだとばかり、封筒の中身をチラと見た。その瞬間、明らかに、僅かではあるが、警戒を弱めたようだった。

「……何ですか。もう話すことはないと思いますけど」

 勝沼は、封筒をポケットにじ込むと、本当に困ったように口を尖らせた。

「今回、三橋さんがお亡くなりになった件は、本当に残念なんですが……」

「もうやめてくれませんかね。さっきの会見で、全部、喋ったんですから」

 勝沼の動揺を尻目に、鹿島は、一歩踏み込んで言葉を続けた。

「いえね、これは私の個人的な見解なんですが、三橋さんは殺されたんじゃないかと思ってるんです」

 勝沼は、鹿島の顔を逆に見返して、足を止めた。不安と不審の感情が突き上がってきたのが、細かに揺れる目の動きで分かる。

「……ど、どうして、そんな物騒な話を。……確かに、死ぬところを誰も見たわけではないですけど」

「もしそうだとすれば、何か命を狙われるような噂とか、きっかけがあったはずです。何か、気になった点はありませんかね? もちろん、あなたが話したなんて、誰にも言いませんよ」

「……いえ、そう言われても。困ったな」

 明らかに動揺がこうじていたが、心の中で、思い浮かぶ節を探している。目が泳いで焦点が定まっていない。鹿島は、更に、あおるように追い打ちを掛けた。

「些細なことでも結構ですよ。葛海さんが死んでから、三橋さんが頻繁に誰かと会っていたとか、何かにハマっていたとか、そんなことでいいんですけどね」

 勝沼は、ポケットからタバコを取り出すと、断ってから火を点けた。鹿島に心を許した証だった。旨そうに紫煙を吐き出すと、懐かしそうに呟いた。

「……あいつは最近、本当に、葛海さん一辺倒でしたよ。仕事が終わると、反省も打ち合わせもせずに、すぐ葛海さんの家へ行くんです。よっぽど可愛がられていたんですね」

「ということは、三橋さんはプライベートでは、ほとんど葛海さんと一緒だったんですね」

「まあ、そういうことですね。本業を疎かにして、全くお恥ずかしい限りです」

 勝沼は、やや大袈裟に肩を竦めた。その報いで死んだとでも言っているように聞こえた。

「そんなにいつも一緒だったんですから、何か、漏れ聞いた話とか、ありますかね? 葛海さんについてでも、いいんですが」

 どうやら緊張も消え失せたようで、勝沼は更に旨そうに、二口、三口と煙を吐き出した。

「そういえば、葛海さんは最近、馬にハマっていると聞いたことがあります。渓流釣りもしていたようですが、それ以上に馬に夢中だったようですよ」

「競馬ですか?」

 葛海が死んだ時には、好きな渓流釣りに行っていたと確認されている。だが、競馬にもかなりの興味があったとは、鹿島には初耳だった。同時に、ギャンブルにまつわるトラブルが、鹿島の頭を(よぎ)った。だが、そうではなかった。

「競馬も大好きなんですけど、それが高じてしまったようで……。一月半ほど前、三橋が北海道の不動産屋に連絡していたんです。訊ねたら、今度、珍しい馬が手に入るから、どこか牧場でも探さないと、って言うもんで。もちろん、あいつのじゃなくて、葛海さんの馬だって分かりましたけどね」

 葛海は、馬主として、いい馬でも入手したのだろう。芸能界でも、たまに、演歌の大御所とかベテラン俳優の持ち馬が、勝った負けたと話題になった記憶がある。競走馬の購入は、芸能界での成功の一つの象徴と言えるようだ。

 葛海のために、まめに仲介の労を取る三橋は、葛海を慕ってから、よほどいい目にあっていると、想像には難くない。本業だけでは得られぬ、高額な小遣いを貰っていたのだろう。

「その後、その馬の話は、どのように?」

「いやあ、分かりませんね。葛海さん本人が死んじゃいましたし。俺も興味がなかったんで、今の今まで忘れてましたよ」

 葛海の死が、競走馬に関係する結果なのだろうか。もしそうなら、麻耶がどう絡んでくるのだろうか。

「……まあ、確かに、そんな葛海さんが死んでから、あいつもちょっと神経が参っていたようです。何せ、自分のパトロンがいなくなっちゃったわけですから」

「複雑な心境のまま、酔った勢いで自棄やけを起こしたとは考えられませんか?」

「警察からも聞かれましたが、あいつは、そんなタマじゃありませんよ。むしろ、節操なく、次のパトロンを探していくような、タフな奴です」

 となると、三橋の死は、自殺というより、やはり、殺されたと考えるべきなのか?

「そもそも葛海さんと三橋さんは、どうして親しくなったんですか?」

 大人気の弁護士と売れない若手芸人の最初の接点は、確かに、謎といえる。

「テレビのバラエティー番組での共演がきっかけです。あいつ、俺と違って、どんどん積極的に自分をアピールしていきますからね」

 勝沼は吸殻を足許に落として踏み付けてから、鹿島に答えた。

「他にも、そうやって、葛海さんの人気にあやかろう、仲良くなって売れるきっかけにしようって人は多かったですよ」

 葛海は時代の寵児として、飛ぶ鳥を落とす勢いだった。〝視聴率を稼ぐ男〟としてテレビ局にも重宝されたために「テレビに出ない日はない」と言われたほどだ。本業の弁護士の仕事は、できていたのだろうか。

「勝沼さんは、葛海さんと一緒にいなかったんですか?」

「俺も何度か、三橋と一緒に酒をご馳走になったことはありますよ。すごい高級な酒で、ひやひやしながら飲んだ記憶があります。どちらかというと、一緒にいても、肩身が狭いって感じでしたよ。俺とは合わないなって」

 勝沼は、恥ずかしそうに肩を竦め、ちょっと声を落として続けた。

「葛海さんって、面倒見がいいんでしょうけど、ちょっと恐いところがありましたね。詳しくは知りませんが、昔はその筋の人で、トラブルを起こして地元にいられなくなったんじゃないかって、変な噂もあったくらいです」

「その筋、ですか……」

 急激に伸びてきた人間に対して、誰もが抱く警戒心や嫉妬心には、妙な噂が付きものだ。しかし、男気があり、金髪オールバックの葛海の相貌からいって、あり得ない噂ではないと、鹿島は思った。看過できぬ情報なのは、間違いない。

 もし本当に、かつて暴力団関係者と強い結び付きがあったのなら、葛海は、その過去を全力で消去しようとしただろう。芸能人と暴力団の黒い繋がりは、特に昨今、大いに忌避される。

 腕時計を見ると、もう午後九時になろうとしていた。鹿島は取り敢えず、この辺りで切り上げようと思った。このまま、一の橋の交叉点へ向かえば、十時には、余裕で着ける。

「ありがとうございました。大変、参考になりました」

 帰り際に、鹿島のスマホの番号を書いた紙と二万円を、勝沼に手渡して、タバコでも買ってくれと伝えた。すると、勝沼は、更に相好を崩して「また何かあったら連絡しますよ」と手を振った。

「葛海と競走馬と暴力団か……」

 鹿島は、運転もそぞろに、葛海の新たなキーワード〝競走馬〟と〝暴力団〟に思いを寄せた。

 麻耶との接点が、どんどん遠くなっていくような気さえした。なぜ麻耶が葛海を徹底的に調べ上げていたのか、それに、どう関わってくるのか。

 こうなったら、三橋が探していたという、北海道の不動産屋を探し当てるべきか、本気で考えねばなるまい。骨の折れる仕事を想像して、鹿島は憂鬱になった。

 一の橋の交差点近くに着いたのは、午後九時五十分だった。周囲に目を配るものの、特に怪しい殺気は感じられない。犯人は、今日一日、インドネシア大使館に鹿島が現れなかったために、もう鹿島が事件解決を諦めたと思っているのかも知れない。

 奇妙な緊張を維持したまま、路肩に待機すること十五分少々。一の橋交叉点の信号で、見覚えのある、黒い同じナンバーの公用車が止まった。昨日のRV車は近くに見当たらないので、恐らく、公用車の単独だろう。

 鹿島はエンジンを掛け、信号が変わるのを待って、公用車の三台後ろに無事に割り込めた。尾行の再開である。自ずと慎重にならざるを得なかったが、興奮で胸の鼓動が高鳴っていくのが分かる。

 飯倉片町の交叉点を左折した公用車は、東京ミッドタウンの前を通過し、乃木坂陸橋を越えた所で、今度は流れの中から脱し、右へ折れた。

 大通りから二、三本ほど入ると、人通りの絶えた赤坂の高級住宅街になった。上品なマンション群が目立ち、高い塀に囲まれた大きな邸宅が幾つも見える。やはり、大使館への表敬訪問かと、内心かなり弱気になってくる。

 公用車は鹿島の心中など知る由もなく、勝手知ったる通い道とばかり、くねった坂道を昇っていく。ヘッド・ライトの光が迷宮に誘う導線のようだ。

 やがて、坂を上り切った公用車は、更に減速し、急に右折した。途端に、ふっと物陰に吸い込まれるように、見えなくなった。

 鹿島は、ゆっくりと車を走らせ、公用車が見えなくなった辺りに、意識を集中させた。

 一角は、マンションの裏手に繋がり、公用車が、その先の地下駐車場へ入っていったのは明白だった。赤いテール・ランプが、駐車場の入口まで届いているのが、その証左だ。

 鹿島はマンションを過ぎ、しばらくして左方に車を駐めた。それから、走ってマンションへ取って返した。一階のCDショップと美容室の間の通路を通って、ホールへ急ぐ。

 もし、あのおかっぱの男が、このマンションの誰かの部屋を訪ねてきたのなら、その部屋の特定をしなければならない。

 上層階の部屋へは、セキュリティーが万全なので、部屋の特定には、別の手段を講じる必要がある。だが、エレベーターの動きを読み取れば、少なくとも、男が何階で降りたかは分かるはずだ。

 ただ、一階から三階までの店舗を訪れたのであれば、鹿島も入店が可能で、男と接触するチャンスもあるだろう。

 鹿島は、息を切らせて、ホールのエレベーター前に到着した。ところが、しばらく待っても、エレベーターの到着階のランプは、地下駐車場のあるB1から全く動かない。

 公用車が地下駐車場へ入ってから一分くらいしか経っていなかったので、鹿島が視認する前に、エレベーターが上層階に行って戻ってきたとは考えられない。

 とすると、男は、未だ駐車場で動いていないか、鹿島の尾行に気付いて裏口から逃げおおせたか、さもなくば、地下からエレベーターを使わずに移動したかのいずれかだろう。もし尾行がバレていたなら、強く警戒されて、今後の調査に支障をきたす。

 鹿島は不安に駆られて、音を立てずに地下駐車場へと向かった。防犯カメラに注意して平静を装いながら、暗い階段を下りる。

 地下駐車場は、かなりの広さがあった。住人所有の高級車がずらっと並ぶ様は圧巻で、本来ならば鹿島の来る所ではないと感じた。

 その中で、店舗専用と思われる駐車スペースを見付けた。そこには、しっかりと例の公用車(ナンバーも同じで無人だ)も、駐められていた。鹿島は安堵しつつ、さり気ない風を飾って、公用車から踵を返した。

 では、男は、どこへ行ったのだろうか。このマンションの中にいるのは間違いない。しかも、エレベーターを使ってはいない。

 鹿島は疑念を抱いたまま、階段へと戻った。だが、その疑念も、すぐに解消するに至った。

 階段口の裏手に、一軒のバーの重厚な扉が間口を開けていた。紫色の電光看板が、《リンガ・リンガ》と示されている。男は、この地下のバーへ入ったのだろう。

 念の為、店舗階の店を確認してみたが、CDショップと美容院の他は、高級ブティックとクリーニング店で、あの大使館員には、しっくり来ないように思われた。営業時間を含めて、やはり、バー《リンガ・リンガ》へ毎夜通っていると考えるのが妥当だ。

 鹿島は、この日、マンションの入口を見渡せる場所で待機してみた。だが、男はすぐには現れず、結果的に公用車がマンションを出たのは、予想通り、午前二時半を過ぎた時刻だった。

「《リンガ・リンガ》ねえ……」

 元来た方向へ走り行く、男を乗せた公用車を追いながら、鹿島は、マンションを横目に、恨みを込めて呟いた。

(中編につづく)



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― 新着の感想 ―
他の人の感想を見たけど、結構、面白そうだったので、自分も感想を書きたくなった。ノンストップ感があって、次から次へと現れる謎がたまらなくいい。シングル・マザーの遺言が、これからどうなってくるのか、楽しみ…
知人の評判通りでしたよ。面白かった。
面白かったです。自分の名前(カッツ)が作品中に出てきたのには、びっくりしましたけど。また、暇があったら、続きを読みたいです。
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