蛇足
蛇足の意味は「余計な付け足し」「無用な物」と言った事らしいです。ならばこそ、この物語のタイトルは蛇足しかありません。だってこの物語は前世の話であって、この話がリベル達テクトリアの住人に影響を与える事は無いのですから。
「おじさん、何か思っている事があるなら話してよ。いくらでも話聞くからさ」
私は今、今日初めて会った青年に自分の人生の恥部を聞かせようとしている。
この青年との出会いは少し前に遡る。今日、ある目的の為に訪れた場所で偶然出会ったのだ。
青年にとって私は有象無象の知らない大人の一人だっただろうが、私はこの青年について一つ思う所があった。なので尋ねてみたら私の想像通りだったと言う訳だ。
完全な初対面で年齢も違う為共通の話題など無いと思われそうだが、私とこの青年には一人の人物についての共通項があった。その事について少しの間話をしていたのだが、私の顔を少し凝視してから少年が冒頭の台詞を口にしたのだ。
さて話を戻すが、私はこの今日初めて会った青年に自分の人生の恥部を聞かせようとしている。
勿論だがこの青年は初めて会っただけの他人である。本来なら私は人受けの良い笑顔で適当な事を言ってはぐらかしただろう。
しかし私は暫く少年の顔を見つめた後、話をする事を決めたのだ。
この少年は彼に似ている。悪意の全くない純粋な瞳が彼を彷彿させた。
私がこれから話すのは恩を仇で返した私の人生最大の生き恥。
「君は後悔ってした事あるかい?」
木陰のベンチに座ると、少し長い昔話を話し始めた。
後悔の無い人生を歩める者は幸せだ。私は心からそう思う。
殆どの人間には大なり小なり後悔が生まれる物だろう。それはしょうもない事から、人生を左右する大きな出来事まで様々だ。
朝傘を持って出ればよかった。もう少し慎重に作業をしてたら。あの時彼女と分かれていなければ。もっと頻繁に見舞いに行くんだった。
例を挙げるとキリが無い。
後悔とは石だ。人生と言う道に幾つも転がる障害物だ。
小さければ蹴飛ばせばいい。時には躓く事もあるだろう。そんな物は悪態をついたり、無視して先に進めばいい。
しかし大きい後悔は駄目だ。それは巨岩となり道を塞ぐ。それどころか自身の身に圧し掛かる事だってある。
ただでさえ避けるだけでも大変なのに、圧し掛かったが最後、そのあまりの重みに圧し潰される事だろう。
大人になってから初めて大きな後悔が生まれる者は幸せだ。私は心からそう思う。
だってそれまで大きな後悔は無かったんだろう。それまでは真っ直ぐに歩いて来たんだろう。それがどれだけ幸せな事なのか、私は心の底から理解している。
何故なら私は高校生と言う、大人と言うにはまだ若過ぎる時分に大きな後悔と言う大岩に圧し潰されたのだから。
私の人生と言う道は、荒れた野山の様に大小様々な石が転がる道だった。
幼少の頃から陰気な性格で、友達が出来た試しは無かった。
そんな調子だからだろう。私は昔から虐められっ子でクラスから浮いた存在だった。
こんな自分と仲良くしてくれる酔狂な者等現れる筈もなく、更に孤独を加速させた。
私に出来る処世術はただ空気の様に影を潜めて、嵐が過ぎ去るのを待つだけだった。
高校生になろうがそんな生活は変わらない。むしろ質の悪い奴らに目を付けられてより過激な虐めを受けていた。
高校生になったって今までと変わらない、同じ様な日常が続くだけだ。そう思っていたある日の事だった。
「おいやめろよ。虐めなんてみっともない」
クラスメイトの男子がそう声を掛けて来た。
私は初めての出来事に頭が真っ白になっていた。
「大丈夫か? ちゃんと先生に相談した方が良いぞ」
「あ、ありがとう」
初めての事だらけに困惑する頭では、そう返すのが精いっぱいだった。
いや、そもそも社交性零の私の頭では正常時でも同じ言葉を返すので精一杯だったかも知れない。
この時の馬鹿な私はこの幸運を正しく理解する事が出来ていなかった。
その次の日から私への虐めはぱったりと止んだ。それに伴い少人数ながらも話しかけてくれる友人の様な存在も初めて出来た。
学校に行きつまらない授業を受けクラスメイトと中身の無い会話に興じる。そんな普通の平穏を過ごす。
こんな上辺だけの即物的な事象を最上の幸せだと勘違いしていたのだ。
それはただ彼が犠牲になっただけの偽りの幸せだったと言うのに。
私を助けてくれた彼は次の日から虐めのターゲットにされていた。
不良グループのリーダーも陰気な私よりも、邪魔をした彼の事が気に入らなかったのだろう。
私はそれに見て見ぬふりをした。
自分から首を突っ込んだのだから自業自得だと、恥ずかしくも恩も忘れて最低な事を思い過ごしていた。
そんなある日私は彼に呼び出された。
私は彼に今までの復讐をされるのではないかと怯えながら呼び出された場所に向かう。
その場に着いた時、彼はあの助けてくれた時と比べて幾らか草臥れた様に見えた。
そんな彼は私に懇願する様に頼んだのだ。
「なあ、頼むよ。誰も証言してくれないから先生も具体的に動いてくれない。お前が協力してくれたらきっと先生もちゃんと動いてくれて、アイツらもこんな事しなくなるはずだから。だから頼む、俺に協力してくれ」
私は罵倒される物と思っていたので彼の言葉に安堵した、それと同時に恐怖も感じていた。
やっと手に入れた平穏を彼に壊される気がしたのだ。
それは全て彼が犠牲になって与えてくれた物だと言うのに、厚かましくも私は自分の物であるかの様に勘違いしていたのだ。
「……無理だよ、ごめん」
私は恐怖に背中を押されその場を後にするが、突然彼に腕を掴まれる。
その時の私には彼の手が地獄に引きずり込む幽鬼の手の様に感じられた。
だから咄嗟に言ってしまった。
「やめてよ! 僕を巻き込まないでくれ」
仮にこの場に幽鬼がいるとしたら、それは彼を地獄に巻き込んだ私自身だろう。
そんな私に彼は当然の怒りを露わにする。
ここで踏みとどまれていれば、私の後悔は軽い物で済んだ。彼を裏切りかけたと言う遺恨は残るがただそれだけだ。
「嗚呼そうさ、だけどやっと虐めから解放されたんだ! もう戻りたくない……僕はもう虐められたくないんだ……」
しかしそうならなかった。この時の私は自分の事しか見えていなかったのだ。
私は彼の手を振り解き捕まらない様に走りだした。
この時の選択を私は一生後悔する事になる。
「お前達に悲しいお知らせがある。決して取り乱さずに聞いて欲しい」
担任の雰囲気にクラスが妙にそわそわとしていたのを覚えている。
「え……」
彼が亡くなったと担任は口にした。
その後も担任は何か話していたが、私の耳に入る事は無かった。
彼が、亡くなった? なんで、事故で亡くなった? 意味が分からない。なんで、なんで、なんで、なんで。
━━なんで? そんなの自分が一番知ってるだろう。
その瞬間ずっしりと両肩に重圧が圧し掛かる。
もしかして事故じゃなくて自殺なんじゃ━━
嗚呼、そうか。僕じゃないか。
あの時彼の言葉に耳を傾けていたら。あの時彼の手を振り払わなかったら。そもそも助けてくれたあの日に彼の助けを拒絶していれば。
彼は死ななかったかも知れない。
殺したのは僕じゃないか。
その後暫くの記憶がない。忘れたとかじゃなくてその当時にも記憶が無かったのだ。
気が付いたら数週間程時間が経過していた。後から聞いたらその間の私はまるで魂の抜けた人形の様になっていたそうだ。話しかけても上の空で恐怖を感じたとクラスメイトが言っていた。
初めは時間の経過に驚いたが、それよりも驚いたのは彼の居ない世界になっていた事だ。
勿論パラレルワールドに転移しただとかそう言う事じゃ無い。学校の在籍名簿を見ればまだ彼の名前があっただろう。
しかし世界は彼がいないものとして回り始めていたのだ。
彼が亡くなって暫くは机に花瓶が備えられていたのだが、今ではその机すらクラスに無い。
彼の使って居たロッカーもすっぽりと抜かれ最初から無かったみたいになっている。
彼は入学早々私の代わりに虐められた為、特別仲の良い生徒がいなかった。それ故にクラスメイトも大きく引きずる事なく今までの生活に戻っていた。
今にして思えば強過ぎる衝撃に耐えられず、私の脳が自身を守る為に記憶を失ったのではないかと思っている。
だから彼の痕跡が無くなった頃に再度意識を取り戻したのだろう。
しかし彼が居なくなったという事は、彼の居ない元の生活に戻ると言う事であり。
「よぉ、またお前で遊ばせて貰うわ」
それは彼と言う防波堤が無くなった私にターゲットが戻る事を意味していた。
しかし正直な所、虐められてても前ほど辛さは感じなかった。
自分勝手な解釈だが、彼への罪滅ぼしでもしている様な気になっていたのだろう。
これは自身への罰だと。どこまでも都合の良い解釈をして。
いやそれ以上に生きる気力を失っていたのかも知れない。
罪悪感に曝され後悔に圧し潰されて、彼の様に自ら終わりを選び彼に直接謝罪するのも贖罪になるのではなんて最低な事まで考えていた。
そんな空虚な毎日を過ごす中で私は聞いてしまったのだ。
「ねぇ、聞いた? このクラスで亡くなった子居たでしょ? 彼実は自殺じゃなくて轢かれそうな子供を助けて轢かれちゃったらしいよ」
その言葉を聞いた瞬間、私は時が止まる程の衝撃を受けた。
彼は恩を仇で返されたのだ。自分が虐められていて、他人に構ってる余裕のある状況でもない。
だから彼は自殺を選んだのだと思っていた。周りのクラスメイトだって言っていた、自分の人生のままなら無さに嫌気が差して死んだのだと。
だが現実はどうだ、そんな状況であるにも関わらずそれでも尚、彼は弱い者に命懸けの善意の手を差し伸べられる人間だったのだ。
私は込み上げる吐き気に突き動かされトイレへと駆けこむ。
「おげぇええぇ……」
生まれて初めて自己嫌悪で吐いた。吐いて、吐いて、もう吐く物も無くなったと言うのに胸の内にはいつまでも生ゴミの様な気持ち悪さが渦巻いていた。
自分の事は嫌いだったが大嫌いになった瞬間だった。
私は彼を自分と同じ様な人物だと勝手に思い込んでいた。虐められてそれが苦で自殺を選んだと決めつけ、我執にとらわれ彼の偉業を乏しめた挙句、あまつさえ逃げ口上に使おうとした。
この時になって私は初めて自分の一番の罪に気が付いた。
彼程の立派な人物に自分の負債を背負わせ、あまつさえ失わせたのが一番の罪だったのだ。
あの時、手を取っていれば友達になったかも知れない。
そうすれば一緒に通学する仲になり共に交通事故の現場に遭遇したかも知れない。
交通事故の時、一人が死ぬ運命だったなら、彼では無く私が死ぬべきだった。
その後個人的に調べてみると、あの日彼は一人の小学生の命を救っていた事を知った。
女生徒が話し合っていた噂は本当で、彼はあんな状況にあっても人に手を差し伸べられる程の高潔な人間だったのだ。
「なあ友達だろ? 今月ピンチなんだよ。分かるだろ?」
その日も昼休みの時間、いつもの様に奴らにカツアゲをされていた。
私はいつも通り財布に手を伸ばすが、突然ピタリとその手が止まった。
不意にこのままでいいのかと疑問に思ったのだ。
昔は恐怖から従っていた。今までは贖罪の為に受け入れていた。
しかし本当に彼はそんな事を求めているのだろうか。
決して自分を許している等と思い上がるつもりは毛頭ない。しかしこんなただ受動的に罰を受け入れるのが彼への償いになるのだろうか?
「……だ」
違うだろ、同じ痛みを味わうなら彼の様に進む痛みを味わうべきだ。
「あぁ? 何、聞えねぇんだけど?」
私は声を震わせ、怯えた顔で、されど不良グループのリーダーの顔を真っ直ぐに見つめた。
「嫌だ!」
「はぁ?! 何言ってんだよ!!」
私が反抗すると思っていなかったのか、奴は少し狼狽える。
「嫌だって言ったんだ! もうお前なんかに従わない!!」
「ふざけんじゃねぇよぶっ殺すぞ!」
奴は私の頬を殴りつけると恐ろしい顔で凄んで来た。
今までも殴られた事はある、痛いのは辛いし怖い。今だってこけたまま立ち上がる事が出来ないのだ。
しかしこれ以上彼を虐めたこいつの言う通りに動き、奴を満足させる事はそれ以上に苦痛だった。
毅然とした態度でもう一度はっきりと告げる。
「もう嫌なんだよ、後悔したくない!!」
「はぁ? 何言ってんの、お前キモいんだけど」
リーダーは苦笑を浮かべながら周りに同意を求める。
「ちょっとやり過ぎじゃない?」
「流石に擁護出来ねぇわ」
「誰か先生呼んできた方が良いんじゃない?」
しかし周りの生徒は誰も同意しない。流石に不良達は少し焦り始める。
「お前らマジになんなよ」
「そうだぜ、こんなのネタじゃん」
そんな彼らの主張にクラスの男子は辛辣に応える。
「いや笑えねぇよ。つい最近クラスメイトも亡くなったってのにお前らおかしいんじゃねぇの?」
「ねぇ、これちょっとヤバいんじゃない」
「うるせぇよ!」
リーダーはもはや頭に血が上って興奮している様だった。こちらにぐるりと顔を向ける。
「そもそもお前が言う事聞かねぇのが悪いんだよ」
「ぐふぅ!」
そう言って私は顔を強く蹴られた。
「お前ら何やってる!!」
気を失う直前に私が聞いたのは騒ぎを聞きつけた他のクラスの担任教師が駆け付ける音だった。
その後は流れる様に事が進んだ。
あの騒ぎの後クラスに聞き込みがあり、他の生徒が虐めがあった事を告発したのだ。
それによってまず担任教師が責められ、数ヶ月も経たない内に学校を退職した。
そして虐めに関係があった奴らは他の生徒から白い目で見られ、居心地の悪い学生生活を過ごす事になった。
そしてリーダーの彼についてだが、彼は学校に居場所を無くして自ら退学した。これは数年たった後に聞いた話だが、悪い人達と関わる様になって何度か逮捕と出所を繰り返したらしいが最後は行方不明になったんだとか。
何はともあれ彼に酷い目を合わせた奴らは皆相応の報いを受けたようだ。
後は私だけなのだが、私は被害者という事でお咎めは無かった。
私だけがまた一人許されてしまった。
あの一件から暫くが経ち、漸く学校が落ち着いた頃。私は私を救ってくれた彼と待ち合わせていた場所に訪れていた。
「君を酷い目に合わせた奴らは皆居なくなったよ。後は僕だけだ」
放課後誰も居ない空間で、私は虚空に向かって話続ける。
「また僕だけが何の痛みも与えられていない。正直退学する事も考えた。君の気が済むなら死んだって構わない。だけど、それじゃあ君が救ってくれた命を無駄にするだけだ」
私はぎゅっと拳を握り誓言をする。
「僕は君の分も人を助けるよ。目の前で困っている人が居たら絶対に助ける。もし僕の命か誰かの命しか助けられない、そんな瞬間が来たら、その時が僕の死ぬ時だ」
その声に応える者は誰も居ない。辺りに沈黙が流れる。
もしあの時手を取っていたら、違った未来もあったのかな、なんて考えて泣きそうになるが、私に泣く権利なんて無い。
涙を堪えて、私はその場を後にした。
「これがおじさんの後悔かな」
「兄ちゃん……」
話し終わり青年に目を向けるとズズッと鼻を啜り涙を堪えている。
「高校を卒業してから私は出来る限り人助けをする様になった。目の前で困っている人が居たら話しかけて、ボランティアや募金活動にも取り組む様にしている。それでもこの重く圧し掛かった後悔は減らないんだ。いくら頑張ったって彼はもう戻ってこないからね」
私はぼうっと何もない空間を見つめる。
「あの時彼の手を取らなかった。いや、彼が虐められている時に助けず見捨てた時点で、私の人生は終わったんだ」
私は青年を真っ直ぐ見つめる。
「彼の命日に彼が救った少年と出会いこんな話にも付き合って貰えるなんて、これはきっと天啓だろう。ずっと知りたくて、でも怖くて聞けなかった事がある。お願いだ、彼の最後に立ち会った君にしか分からない事なんだ」
私は青年に頭を下げる。青年もまた居住まいを正して言葉の続きを待つ。
「彼の最後はどんな風だったんだ。恨み言を吐いていたか、喋れないなら何かを恨むような表情をしていたか。なんでもいい教えてくれ。それは君では無く当時の我々が受けるべき言葉なんだ」
私の願いを聞いた青年はぐしぐしと乱暴に目を擦ると、真剣な表情を向ける。
「おじさん、アンタ当時の行動を反省してんのか?」
私の質問に青年は別の質問を返す。
「どういう事だい? それに一体何の関係が……」
「答えろよ、必要な事だ」
青年の怒気を孕んだ雰囲気に私は狼狽える事無く即答する。
「そんなの決まっている。猛省しているよ。もしあの時に戻れるのなら全財産、いやこの命だって惜しくない」
「……」
私のこの回答を聞き暫くお互い見つめ合うと、青年はニコリと表情を変える。
「ならいい、アンタはもう許されて良いんだ」
少年のその急な変化に面を喰らうが、それよりも言っている言葉が納得いかずすぐに反論する。
「許されて良いだって? そんな訳ないだろ! 私は許されない事をしでかしたんだ。一生恨まれるべきなんだよ!」
感情的になり大声を出してしまう私に、青年は怯まず落ち着いて返答する。
「ミスをしない人間なんか居ないよ。ちゃんと反省して悔い改めたなら許されるべきなんだよ。それにあんたの理屈で言えば俺なんて死んで償わなきゃならない」
「それは……そんな事……」
青年の言葉に、私は返す言葉を失った。
許される云々は納得いかないが、青年は自分が原因で彼を殺してしまっているのだ。直接死に関わっていない私ですらこんなに苦しんでいるのに、この青年の背負っている重みは私と比べよう筈もない。
それでもこの青年はちゃんとその罪に真正面から向き合い、その上で許されて良いと言っている。
その言葉を一方的に否定する事は私には出来なかった。
「本当にすまない。そう言うつもりで言った訳では無いんだ」
「わかってるさ、謝らないでくれよ。これは俺の罪で俺が背負うべき物だ。オジサンは関係ないよ」
謝罪の言葉に、青年は軽い調子で応えてくれる。
それから青年も過去の話を話してくれる。
「当時の事聞きたがってたよな。正直あの時の記憶は俺も曖昧なんだよ。突然突き飛ばされたと思ったら大きい音がしてさ。そこからはただただ怖いって感情しか覚えてないんだ。気付いたら暫く経った後でさ。身体の至る所に絆創膏とか湿布とか貼ってあってビックリしたな」
「……辛い事を思い出させたね。申し訳ない」
あっけらかんと答えるが、少年にとってのトラウマに無遠慮に踏み込んだ事に今更ながら後悔する。
「大丈夫、今はもう乗り越えたからさ」
少年は笑顔を少し真面目な物に変える。
「前後の記憶は覚えてないんだけど、それでも鮮明に覚えている事が一つある。呻き声が聞えてさ、俺は痛くていつもみたいに動けない身体を動かしてそこに向かうんだよ。そこには血の海に沈む一目で重傷だって分かる兄ちゃんが居たんだ」
青年の言葉に見た事も無い光景がまじまじと浮かんだ。
「兄ちゃんは苦しそうな、怒ってるみたいな表情で『ふざけるな』って言ってたよ」
やはり彼は恨んでいたのだろう。当たり前だ。むしろ当然だろう。
しかし青年はまだ続ける。
「その時俺は自分に言われてるんだって思ってさ。ただただ泣いて謝るしか出来なかったよ。ごめんなさい、ごめんなさい、僕のせいでごめんなさいって」
私は言葉が出なかった。この青年に一体どれだけの重荷を背負わせたのだろうか。
その謝罪を言うべきなのは私だったっというのに。
「でも俺がまた兄ちゃんを見るとさ、さっきの怒った表情から変わってたんだ。その時は分からなかったけど今にして思うとあれは安心した表情だったと思う。俺が助かったの見て安心したんじゃないかって思ってるよ」
外野がいくら否定したって仕方ない。当時その場にいた青年がそう言っているのだからそれが真実なのだ。
「それでもまだ泣き続ける俺にさ、兄ちゃんは痛む身体に無理して言葉を掛けてくれたんだ」
一番聞きたい事がやっと聞ける。私は一言一句聞き逃さない為に耳を澄ます。
「『泣くなよ笑えって、もし後悔してんなら、今度はお前が困ってる誰かを助けてやれよ』って」
「……本当にそれだけなのか」
思わずそう言わずにはいられなかった。
「こいつを許さないとか誰かを恨むとかそう言う事は言ってなかったのか?」
「ああ、兄ちゃんは最後に笑って逝ったよ」
「……君って奴はどこまで良い奴なんだ」
涙が溢れて止まらなかった。心の奥底から様々な感情が堰を切った様にとめどなく溢れてくる。
当時の彼の状態を考え私は怨嗟を撒き散らしながら亡くなったと思っていた。少なくとも私が彼と同じ立場になったならば周りの目など気にせず不平不満の限りを喚き散らしながら死んでいくだろう。
彼も初めは同じだったのだろう。当たり前だ、当時の彼の胸中には周り全てに対する呪詛が渦巻いていたのだろうから。
だが彼は助けた少年に寄り添い重しを乗せる事はせず、その罪悪感を少しでも軽減しようと優しい言葉を掛けた。死ぬ最後の最後まで彼は他人の事を想いやれる人間だったのだ。
「やっぱり、僕が死ぬべきだったんだ」
「それは違う」
泣き言を言う私に青年はきっぱりと否定する。
「最初に言ったけどあんたは許されて良いんだ。俺は兄ちゃんの最後の言葉に従って生きて来たよ。困ってる人が居たら助けろってね。あんたがカスならぶん殴ってでも後悔させてやるつもりだった。でもあんたは十分に反省してる。俺の目から見たら、今のあんたは『困ってる誰か』だ。自分で自分が許せないってんなら俺が手助けしてやるよ」
少年の言葉を聞いて私は涙を拭う。
「こんな私を彼は許してくれるだろうか?」
「困ってる人を見捨てないなら少しは許してくれるんじゃない」
「はは、そいつは責任重大だな」
私はベンチから立ち上がる。
「ありがとう、君のおかげで漸く前に進めるよ」
「困った時はまた助けてやるよ。お互い兄ちゃんの分も人助けしような!」
私は青年に別れを告げると真っ直ぐに帰り道へと歩き出すのだった。
私は後悔とは一生背負う物だと思っていた。重過ぎるならそのまま潰されるべきだと。
しかしそうでは無かった。
私は自身に圧し掛かっていた岩を削る。
「決して忘れないよ。でも留まる事もしない。進む方が痛いし大変だって知ったからね」
岩の一部を削り取り掌大の石を手に取る。
「より多くの人を救うよ。君の分もね。絶対誰一人見捨てないって誓うから」
立ち上がると進むべき道を見つめる。
「だからどうか、どうか君に安寧と祝福が訪れる事を祈らせて下さい」
長い長い道のりを今再び歩き始める為に。
シャノンの前世の善行は決して報われる事がありませんでした。実際彼自身はその事について悩み、歪んでしまっている訳ですし。
しかし彼の正義の光は失われる事無く確かに受け継がれているのです。彼の助けた青年といじめられっ子に。
勿論失われたモノは帰って来ません。だからこそ間に合わなくなる前に皆が少しの優しさを持つことが大切だと私は思うのです。
シャノンの死ぬ前に遺した言葉は少年の心に宿りました。それは一種の呪いなのかもしれません。
しかし「まじない」もまた呪いと書きます。彼の残した言葉が「のろい」なのか「まじない」なのかは死ぬ前の彼の心境次第です。
自分と同じ修羅の道へ青年を道連れにする為だったのか、本文にある様に少しでも青年の罪悪感を減らす為に言ったのか、それを知るのは生前のシャノンと青年だけです。
しかし願う事は第三者にも出来ます。私は死ぬ直前のシャノンは憎しみから一時でも解放されていたんだと願っています。
最後にシャノンがいじめられっ子を許すかどうかですが、許す事は無いでしょうね。
結局の所許される側以上に許す側の方がその時間に縛られていたりするのです。
シャノンは現時点で過去の因縁に縛り付けられています。この縛りがある以上シャノンの情念が薄まる事は無く決して許す事は出来ません。
ただし、今はですが。
未来は誰にも分かりません。シャノンがその因縁から解放される事があるのか、それは蛇足では無い本編で確認してください。
これにて第一章は本当におしまいです。読んでいただきありがとうございました。




