クラクション
転生した場所は都会とは程遠い田舎であった。
前世の価値観を持った俺にとってはド田舎と言っても過言では無かったが、ここが普通のレベルでもっと田舎な村があると聞いた時には驚愕したものだ。
この世界での家族構成は父と母、それと兄の4人家族だ。
両親は農業を営んでおり、子供である俺達兄弟も、よく仕事を手伝わされていた。
しかし子供に本格的な仕事が務まる訳も無く、お手伝い程度の内容が終わると兄は早々に村の同年代の子供達の所に遊びに行っていた。
俺と同年代の子供も居るのだが、俺は彼らと親しくなる事は無かった。
その子達によれば俺といると口煩くて親といる様な気分になるそうだ。
森に行こうとしても駄目、魔法を使おうとしたら駄目。頭ごなしに注意されるのが腹立たしいらしい。
しかし俺は正しい事を言っているだけだ。森は危ないので大人が止めているし、魔法も同じ理由で止められている。その他の注意だって全部普通の事を言っているだけなので、間違っているのは彼らなのだ。
兄には「もう少し丸くなれよ。そんなツンツンしてっと独りぼっちになっちまうぜ?」なんて言われるが、悪に染まってまで誰かとつるむつもりは無かった。
結果一人でいる事が多くなったのだが、何の問題も無い。村で狩人をしているケリンおじさんに狩りの仕方などを教わり始めたからだ。
教わる名目は兄が農業を継ぐので一人でも生きていける様に技術を付ける為だったが、本当の目的は俺の戦闘技術の向上の為であった。
狩人なので主な獲物は動物等であったが、村の近くに出没する魔物の討伐等も請け負う為か、剣術の訓練なども受けられた。
俺の精神が大人な為か、はたまた才能があったのか、剣の腕はメキメキと成長を続けた。
子供ながらに大人顔負けの実力を認められてからは狩りに同行する機会も増え、何度目かの狩りの時には魔物との戦闘も行い、それも無事に討伐する事が出来た。
普段の訓練の賜物か苦戦は強いられなかったが、スキルが発動する事は無かった。
女神様も言っていたがやはり簡単に発動しない様になっているらしい。
俺はスキルの練習も自主練に追加した。
そんな日々が何年か過ぎ、俺と同年代の子供も狩りに参加する様になった。
ある程度大きくなった男子が、剣に惹かれるのはテクトリアでも同じらしい。
大人としても有事の際に戦える人材が増えるに越した事は無いので、自主的に来る子供は受け入れていた。
「それじゃあシャノン、ダワンが無茶しない様に見ていてやってくれ」
「……分かったよ、ケリンおじさん」
その日は子供の参加者が多く大人だけでは見切れないので、この時既にある程度の信頼を得ていた俺は付き添いの依頼をされた。
「ちょっと頼りにされてるからって調子に乗んじゃねぇぞ」
「……別に乗ってないよ」
このダワンと言う子供は言わばガキ大将で、昔から俺の事を目の敵にしていた。
そんな二人が仲良く出来る訳も無く。
「魔物なんて速攻で俺が倒してやるぜ!」
「あまり大声を上げるな。相手にこちらの位置がばれるだろう」
「へぇへぇ、すいませんねぇ!」
その後も。
「早くこの剣を試したいぜ」
「周りの警戒を怠るなよ」
「分かってるよ!」
その後も……。
「あまり前を歩くな。危ないぞダワン」
「チッ……うぜぇ」
こんな感じで殺伐とした雰囲気の中、森の捜索を続けていた。
数時間は経ったか、少し休憩でもしようかと思ったその時。少し遠くに単体のゴブリンを発見した。
『周りに仲間の気配は無し、持っている武器も粗末なこん棒一本。俺一人なら問題なくやれる。問題はダワンがいる事だが……』
頭の中で次の行動を考えていると、ダワンが武器を抜く。
「やっと現れやがったか。申し訳ねぇがストレス発散に付き合って貰うぜ」
ダワンは武器を構えるとゴブリンに向かおうとする。
「馬鹿、無策で突っ込むな!! あいつは俺がやるから、お前は後ろで警戒していろ」
「……」
俺がそう忠告すると、ダワンはこちらを睨みつける。
「━━せぇ」
「はぁ? 何か言ったか」
「うるせぇって言ってんだよ! お前は何様だ。俺と同じ年の癖に年上にでもなったつもりか!!」
「うぐっ」
ダノンは俺を突き飛ばし、ゴブリンに向かって走りだす。
「てめぇの力なんざいるか! あいつは俺の獲物だ!!」
その大声に反応し、ゴブリンはこちらに気付く。
「俺は同世代の中じゃ最強なんだよ!」
「馬鹿野郎! そんな大振りの攻撃じゃ……」
ダワンは大上段で剣を振り下ろす。しかしそんな見え見えの攻撃をゴブリンは簡単に弾き返す。
魔物の中では比較的弱い部類だろうが、相手は自然の中で生きているのだ。村の子供の中で最強だろうが、最低限の知恵と工夫が無くては子供では敵わない。
「なに!? ぐふぇ」
「ぐヴぇフぇ」
がら空きの胴体にこん棒の一撃を喰らい後ろに吹っ飛ばされる。
自分の攻撃が上手くいった事に喜んでいるのかゴブリンの汚い鳴き声が響く
気絶こそしていないが、今のダワンにすぐ起き上がるのは無理だろう。
そもそもゴブリンの持っている武器がこん棒だったから良かったが、刃物だったら今の一撃で終わっていてもおかしく無いのだ。
弱った獲物を見逃す程敵は優しくない。
ゴブリンは先程のダワンの様に武器を構え、ダワンに向かって走り出す。
「やめッ」
完全に恐怖に飲まれたダノンの顔。ダノンに相手を倒すのはもはや無理だろう。
俺が何とかしなければ!!
「うおぉおおおお!」
この危機的状況に俺の思考は加速する。
ダノンを救うべく、俺は跳ね起きると同時にゴブリンに向かって駆け出す。
恐らく一撃で決められなければその武器はダワンに振り下ろされるだろう。
死なないかも知れないが死ぬ可能性だって零ではない。最善が一撃で決める事に違いは無いのだ。
今まで一度も発動出来なかったが今ここでスキルを使えねばダノンは攻撃されてしまう。
俺は相手を見遣る。今まで何度も戦ってきたがそれはあくまで対戦相手だった。
こちらも殺そうとしているのだ。殺されたからって文句は言えない。
しかし、アイツは今ダノンを狙っている。俺の守るべき護衛対象を狙っているのだ。
人を傷付けるのなら、お前は悪だ!!
その瞬間初めての感覚に陥る。それと同時に確信する。今ならいけると。
俺はダノンの傍に駆け寄ると、素早く武器を構え剣を振るう。
「いっけええぇぇぇええ!!」
俺の攻撃はゴブリンをすり抜けた。
実際には、俺の武器がゴブリンの身体を斬り飛ばしたのだが、まるで素振りをする様な抵抗の無さに、一瞬勘違いを起こした。
上半身が無くなり下半身のみとなったゴブリンは、少ししてぐしゃりと頽れた。
「やった……やっと発動した!!」
初めてのスキル発動の喜びを小さく噛みしめ、気持ちを切り替えダワンの方へと向き直る。
「おいダノン、何やってんだ。何とかなったから良かったが死にたいのか!」
「……」
少し前まで青くしていた顔色を今度は真っ赤に変えこちらを睨みつける。
「戦闘中は何があるか分からないんだ! 勝手な行動はやめ……」
「……うるせぇ!」
「ぐっ」
そう叫ぶとダノンは俺を殴りつけてきた。
「何すんだよ!」
「お前はいつもそうだ! 何でもかんでも上から物を言って否定しやがる!! 自分が偉くなったつもりか!!! てめぇなんか居なくても俺はどうにかあいつを倒せた! お前がしゃしゃり出て来なければ、俺が、俺が倒してたんだよ!!」
ダワンは俺に指を突き付け強く叫ぶ。冷静に考えればただの子供の癇癪で適当な事を言っているだけなのだが次の言葉で俺の理性は一瞬で消え失せる。
「お前なんか、お前なんかゴブリンに殺されてれば良かったんだ!!」
「……」
その言葉を聞いて俺の視界は徐々に狭まる。
俺とコイツは別に友達では無い。むしろ嫌いな相手と言っても過言ではない。
だからコイツと友達になれるとか、これを機に関係が改善するだとかを期待していた訳では無い。
だがだからと言って、助けた相手に対して殺されてればよかったは無いだろう。
俺が出て来なければ自分で倒せた? ふざけるなよ、顔を青くして情けない声を上げるしか出来ないお前に何が出来たって言うんだ!
ダワンに殴られた頬に痛みが走る。
こんな物所詮子供の拳だ。昔親に怒られた時の拳骨や、まだ狩りに慣れていない頃に喰らったゴブリンの攻撃に比べれば、何の痛痒も感じない。
しかし、今この瞬間だけは、これまでに感じたどんな痛みよりも酷く不愉快で仕方が無かった。
……こいつは俺の正義を否定するのか?
「……か?」
「あぁ? なんだよ!」
自然と言葉が勝手に口から零れる。
「お前は悪かってきいてんだよ」
「悪? お前何言って━━」
ダワンは言葉を言い切る事は無かった。俺がダワンの顔を殴りつけたから。
「げっほげほ、お前何しやがる」
「俺の質問に答えろ」
「ひぃ!」
「お前は悪か?」
先程よりも顔を青くしてダワンは小さく悲鳴を上げる。
地面に倒れるダワンを更に蹴り倒し、マウントポジションを取る。
「お前は悪かって聞いてんだよおおぉぉおお!!」
何度もダワンの顔面を殴りつける。何度も何度も何度も何度も。
「おい、やめ、ブフェ! 止ま、やめて、おねが、ぐふぁ」
やがて気絶したのか何も言わなくなるダワン。
「おい、これじゃ悪なのか分かんねぇじゃねぇかよ」
俺はマウントポジションを解いて立ち上がると、武器を手に取る。
その瞬間先程の感覚が身体に走る。
「……ああ、そうかそうか。やっぱりそう言う事か」
一刀良断が俺のするべき事を教えてくれる。
だってコイツは悪を斬る為のスキルなんだから。
「お前は悪か!」
俺は剣を構えると悪に対して振り下ろす。
ギャキン!
「何をやってる!」
俺の攻撃は横から現れたケリンおじさんの攻撃によって弾かれた。
「ケリンおじさん……」
「お前らの争う声が聞えたから駆け付けたら、シャノン何やってんだ!」
突如現れたケリンおじさんに俺は茫然とする。
俺は今何をしていたんだ? 悪を倒そうとして……悪って誰の事だ?
「ッ! ダワン!!」
俺は倒れているダワンに顔を向ける。
「おいダワン大丈夫か!」
「うぅ……」
ケリンおじさんが倒れているダワンの介抱をしていた。
「ダワン!」
「やめろ!」
俺がダワンに近づこうとすると、ケリンおじさんに止められる。
「何があったかは後で聞く。ダワンは俺が看るから、お前は取り合えず先に村に戻ってろ」
その後の展開を、俺はただただ茫然と受け入れるしかなかった。
ダワンと俺の証言から喧嘩両成敗となり、どちらか一方が罰を受ける事は無かった。
しかし俺がその後、村の狩りに参加する事は一度も無かった。
ダワンと俺の件が起こってから数ヶ月後、俺はケリンおじさんに呼び出される。
「シャノン、今後お前を狩りに参加させる事は二度と無い」
「おじさん、確かにダワンとは揉めたけどもうあんな事二度としないよ! それに俺の力は狩りに重要でしょ!!」
あんまりな処分に俺は抗議するが、おじさんは小さくため息を溢すと腕を組む。
「確かにお前さんの能力は認めるよ。お前、隠れて修行してるだろ? 恐らく俺を含め、村一番の。……いや世間一般でもかなりの実力だろう。今後もまだ伸びる見込みもある」
「なら!」
「だが」
そこで区切ると、おじさんはこちらに強い視線を向ける。
「お前一人が強くても、村は守れない。皆で協力し合わなくちゃ必ずどこかでぼろが出る」
その言葉に俺は反論する事が出来なかった。
「村の為に俺は強いお前さん一人より、弱いガキ共を育てる事を選ぶよ」
「……ケリンおじさんも俺を否定するのか?」
「なあシャノン?」
俺の怒りの籠もった言葉におじさんは諭すような言葉を紡ぐ。
「お前が何に怒っているのか、俺には分からん。だがな、その怒りに飲み込まれるな。その果てにあるのはろくでもないもんだろうよ。そんなもん捨てちまえ」
「うるさい!!」
おじさんの発言を遮り俺は叫ぶ。
「俺を否定するなら! おじさんも悪だ!!」
「……はぁ」
再度溜息をつくと、何かを決断した様におじさんは話す。
「すまんなシャノン、お前さんをどうこうするのは俺には無理だ。だがもうこの村でお前に何かを任せる事は無い。お前さんもこんな村に力を貸す気は無いだろ? だから」
そう言うと、おじさんは懐から一枚の封筒を取り出し、こちらに投げ渡す。
「それはこの国一番の学校の受験票だ。お前の実力は認めてる。俺が村長に頼んで入手して貰った物なんだが……、本来ならもっと祝福して渡してやりたかったんだがな」
「結構だ」
その言葉を最後に俺はその場を後にする。この場所に居る意味などもう何もない。
俺の背中に向けておじさんは言葉を投げかける。
「この小さい村にお前を立ち直らせる奴は居なかったが世界は広い。お前にとってぶん殴ってくれる人がある事を祈ってるよ」
おじさんの言葉に返事をする事なく俺はその場を去った。
その数日後に俺は村を出る事にした。村から王都まで遠いと言う事もあるが、こんな村から一刻も早く出て行きたかった思いの方が強かった。
両親は仕事があるので前の日に挨拶を終えた。当日、見送りに来たのは兄だけであった。
「それにしても、お前は本当に寂しい奴だな。上京するってのに見送りは兄ちゃんだけか? 俺の友達を桜として呼んでやろうか?」
「うるさい、帰れ馬鹿野郎」
「おぉ怖い怖い」
デリカシーの無い冗談を乱暴に返すが、兄に気にした様子は無い。
「まあ真面目な話、あっちではもう少しマイルドになれよ。父ちゃんも母ちゃんも口には出さないがお前の事心配してんだからよ」
「……」
父さんと母さんが俺の事を心配しているのは俺も知っている。
「だけど俺の正義は揺るがない。向こうでも悪を許すつもりは無いよ」
「駄目だこりゃ」
兄はやれやれとジェスチャーをする、しかし少しして意地の悪い笑い顔をこちらに向ける。
「でもあんまり調子に乗ってると足元掬われるぜ?」
「……どうゆう事?」
歩くのをやめ兄に顔を向ける。
「井の中の蛙大海を知らずって言葉知ってるか? 確かにお前は強い。だけどこんな小さい村でイキってると王都で鼻っ柱を折られるって言ってんだよ。王都はここより大きいし、国中から色んな人が集まるからな!」
両手を目一杯広げ、王都の大きさを表す兄の姿を尻目に、俺は再度歩き出す。
「馬鹿らしい、もう見送りはここまでで良いよ。一応ありがとう」
振り向かずに手を振ると、兄はこちらに大声を掛ける。
「今度帰って来る時は友達も連れて来いよ!!!」
その言葉を最後に、俺は王都に向かった。
王都へ向かうまでの道のりで魔物や盗賊を狩る事で俺の力量はメキメキと伸びた。
元々、悪を罰する為に転生したのだ。むしろ今の生活が俺の求めていた生活だと言ってもいい。
「危ない所だったんだ、本当にありがとう!」
「いえいえ、当たり前の事をしたまでです」
魔物や盗賊に襲われている人を助ければ、皆感謝の言葉を述べる。
あの時のヒーローに一歩近づけた様で、この世界に生まれて来て初めてと言ってもいい位の充実感を感じていた。
王都に到着してからも試験当日まで人助けは続けた。悪は滅びて皆から感謝される、だからこれは正しい行いなのだ。
この国一番の試験だと聞いて少し緊張していたが結果は問題なく合格だった。流石に座学には苦戦したが前世の知識とずば抜けた実技の成績を考慮され、俺は上位クラスのBクラスへと入学する事を許された。
『なんだよ、村を出てから全てが上手くいくじゃん。やっぱりあんな村に居たのが間違いだったんだ。俺の正義の力はより多くの善人の為に振るわれる物なんだ』
村を出てからの生活が充実していたので、俺はこの学院生活で更に充実する物だと確信していた。
結果は、予想を裏切り酷く退屈な物だった。
国一番の学校と聞いて居たので、素晴らしい人物との出会いを期待していたのだが、結局ここに集まる連中も村の同世代と大差なかった。
俺がパトロールの呼びかけをしても下らない理由で断る者達。学校のルールすら守れず自分勝手に行動する者達、それどころか前世の屑同様の行動をする者達まで居る始末。
これが今後国を引っ張る者達の姿なのか。認めない、否認める訳にはいかない。
ここに居る者は皆期待を寄せられている。将来国の為に働く事を望まれている。言わば模範なのだ。
そんな者達が悪であって良い訳がない。悪は滅びるべきなんだ。滅びるから悪なのだ。『勧善懲悪』それ以外は認めない。
クラスメイトを一人でも多く悪の道から救う為日々行動をする。
しかし日増しに村に居た時の、否それ以上の苛立ちが心に広がりその不快感を誤魔化す様に街のパトロールをする頻度は次第に増えて行った。
そんなある時だった。
学園を歩いているとラウンジの方で人だかりを発見した。
初めは注意をする為に近づいたのだが、しかし少しして気が付いた。その周辺に生まれて初めて感じる悍ましい気配が漂っている事に。
全く初めての事ではあったが不思議と一つの結論に辿り着いた。
これが女神様が言っていた邪神の力であるのかと。
急いで俺は隠れてその気配の中心を観察すると、その人だかりの中心には一人の生徒がいた。
「リベルさん、これ最近流行のスイーツです!」
「リベルさん! 席確保しておきました」
「ありがとう皆さん」
恐らくこの気配を発しているのは、このリベルと呼ばれる女生徒なのだろう。周りの生徒が不必要に接待でもするみたいに彼女を扱っているのが不気味に映った。
それが彼女の能力による物なのか、はたまた脅されて嫌々やらされているのか分からないが、彼女が邪神の手先である事は間違いないだろう。
俺に悪を見逃す選択肢は無かった。それに悪の中でも今まで出会って来た中でとびきりの悪だ。邪神なんてモノに関わる奴が良い奴な訳がない。
だが俺は暫くその場から動く事が出来なかった。
勿論未知数の相手故に警戒はしていた。不用意に突っ込んで自滅しない様に留まったのも間違いない。
しかし、それ以上に目の前の光景に見惚れていた。周りの生徒と仲良く楽しそうに過ごす光景に。全員が楽しそうに笑うその空間に。そしてその中で一際楽しそうに振る舞う悪の存在に。
「何で……、何で悪がそんなに楽しそうに笑えるんだよぉ……!」
胸中を襲う憤懣たる激情と、不明瞭な痛みに、俺は小さく呻く事しか出来なかった。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」
少しの間茫然としていたシャノンが急に叫声を上げ暴れ出す。
「やめなさい、もう勝負はついたでしょう」
「認めない! 悪が楽しそうにしているなんて間違ってる!! 悪は悪らしく日陰でこそこそしていなければ駄目なんだよ!!!」
自分の身体が傷付く事も恐れずに荒れ狂うシャノン。次第に凍り付いた手足から血が流れだす。
「漸く本心を現したわね。そうよ、結局貴方は他人を僻んでいるだけの卑屈な人間なのよ」
「違う! 俺は正義なんだ、俺が正しいんだ!! 俺の行動を阻む物は全て悪だ!!!」
その瞬間、シャノンの身体から張り詰めた空気を感じ始める。……この主人公、土壇場で私の予想を上回りやがった!
シャノンが動く度に剣と腕を凍らせていた氷がピシピシと音を立てて罅が入る。
「一刀良断ッ!!」
シャノンが一際力を入れると、張り付けていた氷が音を立てて崩れ去る。
私の計画では、後はシャノンの信条を折って勝つつもりでいた。と言うよりも、一度スキルが切れたシャノンに戦闘を継続する事は不可能なはずだった。
それをこの土壇場で再度発動させるなんて、どうしてこの世界は私以外に主人公補正を働かせるのだろうか。
いや、あの異常な雰囲気は覚醒と言うより第二形態と言った方が正しいか。あいつはいつの間にか主人公からボスへとジョブチェンジしていた様だ。
「お前は目障りなんだよ!」
乱暴に左脚で地面を踏み締め氷をぶち破る。
流石に一刀良断で壊した手の氷と違い、足からはダラダラと少なくない血を流すが、気にする素振りをする事無くこちらに武器を構える。
「悪は悪らしく滅びろ、リベル!!!」
最初と同じくこちらに向かって踏み込むシャノン。だがその気迫は先程とは比べ物にならず、生半可な攻撃ではその進行を止める事は適わないだろう。
現実逃避はここまでだ。ボスバトルに形態変化は付き物だろう。そしてそれは往々にして最終ラウンドを意味している。
ここを制した者がこの勝負の勝者だ。もはや出し惜しみはしてられない。
私は牽制に火球を飛ばしながら、右手に魔力を集める。
「本当は、使わずに終えたかったんだけどね」
私の右手に目視できる程の魔力が集まり白い輝きを放っている。しかしこのままでは何の効果も無いただの光るだけの魔力に過ぎない。
その手を胸の前に掲げると、今度は世界一理想の女の子を発動し、右手の魔力に集中する。
するとただ白く輝いていた魔力は昏く妖しい紫色の光へと輝きを変える。
何故この様に色が変わるのかは分からない。しかしこれからやる奥の手はイメージが大切なのでスキルを可視化する為に魔力で代用してみたらこの様になったのだ。しかしこの禍々しい様を見ていると、なるほどこれがシャノンが言っていた邪悪なオーラとか言う物か。確かにこれは敵側の使うエフェクトだななんて下らない感想を浮かべる。
しかしまだ足りない。これからする事の為にはより深く、より濃密なスキルの発動が必要だ。
だがそれがシャノンにも伝わったのか、シャノンはより一層速度を上げこちらに向かう。
「正義なら変身バンク位待ちなさいよ」
「黙れぇぇええ! お前の好きになんてさせるか!」
シャノンに向けて、火球や石弾を飛ばす。それらを足を止める事無く斬り伏せ、寧ろ加速しながらこちらに向かってくる。
「マルチタスクは嫌いなのよ……!」
私は苛立ちを隠さず顔に出しながら目を閉じ集中する。
私の目の前から先程と同じく、火球や石弾を先程以上に飛ばしつつ、更に水球や風弾も追加する。
「どれだけ数を増やそうが無駄な足掻きだ!」
シャノンはその砲撃の嵐に対応して見せる。彼我の距離はどんどんと近づいて来るが、私は焦らず右手に集中する。
昏い光はより深くその色彩を堕とし、刻々と密度を上げる。
後少し、後数十秒あれば━━
「終わりだ」
シャノンは冷たい声で淡々と告げる。
その声に私は目を開く。
「もう油断はしない、情けも掛けない」
シャノンは冷めた表情で目の前に立っていた。ここからどう動いてもシャノンの射程範囲から逃れる事は出来ないだろう。それは防御無視のシャノンにとって必殺を意味する。
「今度こそ外さない。この一撃で終わらせてやる」
シャノンが武器を大上段に構える。
私は目を見開き空いている左腕を前に突き出す。
「間に合えぇぇええ!!!」
「何をしようが無駄だ。恨むなら悪に産まれ落ちた自分の不運を恨め!」
シャノンはとどめを刺すべく武器を振り下ろす。
私に振り下ろされる剣がスローモーションの様にゆっくりと見える。
これが死を目前に見ると言う走馬灯と言う奴だろうか。いや走馬灯は今までの思い出がフラッシュバックするって言うし、これはアドレナリンやらの脳内物質が見せる一種の幻覚の様な物か。
全てが停止した様に見える世界で剣だけが徐々に迫ってくる。
三十センチ……二十……十……五、四、三、二━━
「プァァアアアアアア!!!」
「……間に、合った」
突然シャノンの背後から爆音が鳴り響く。
今のシャノンの極まった精神に、たかが騒音程度で対抗出来る訳が無い。
その筈であった。
しかしシャノンの凶刃は私の眼前でピタリと止まった。
その剣からは一刀良断の気配も霧散し、ただの剣になっていた。
その事からも分かる通り、シャノンは完全に混乱を起こして硬直いた。
「なんで……」
シャノンは茫然としたままポツリと呟く。
「なんでここでその音が響く!!」
そしてギギギっと油の切れたブリキ人形の様に後ろを振り返る。
そこには何も無く、ただ荒れた闘技場が広がっているのみだった。
「素直に引っかかったわね。子供の頃に悪戯して遊ばなかったの?」
私は茫然としているシャノンの背中に語る。
「大きい音を鳴らしたり、相手の苦手な音を真似て鳴らすだけの魔法。音響魔法でさ?」
シャノンの前世を推測している時に、シャノンの死因についても行き当たったがそれについてはなんとなく目星をつけていた。
二日前に暴走する馬車に轢かれそうになっていた時、シャノンは普段の様子と違っていた。
勿論この世界に来てから何らかの因縁が出来た可能性もあったが、故意又は事故で死んだ可能性が高いシャノンが馬車を見て茫然としていたのだ。誰だって一つの可能性が頭に浮かぶだろう。
そう自動車だ。完全に一致とは言わないが形状や役割でトラウマが刺激されていてもおかしくはない。
車の事故で亡くなったのならもしかしたらと思い、いざと言う時の策を練っていた。
シャノンの後ろで鳴り響いたのはただの爆音では無い。前世の物なら誰もが聞いた事のある、車の警告音だ。
製作は容易だったが効果の程も未知数だったので、使えないと言う意味で最後の切り札だったが賭けは勝ったようだ。
「そして今、時は満ちた」
シャノンは急いでこちらに顔を向ける。
私の手にはこれでもかと言う程、どす黒い闇の塊と化した魔力が集まっている。ドロドロとしたそれは音こそ出ないが、まるでべちゃりべちゃりと言う様に地面へと滴り落ちる。
「クソッ!!」
シャノンはまずいと思ったのか一飛びで私から距離を取る。
シャノンは最後の最後で選択を間違えた。奴は剣を振り下ろすべきだったのだ。そうすればスキルの解けたただの剣とて決定的な致命傷を与えただろうから。
しかし、奴は選択を間違えた。そしてもう奴に好機は二度とやってこない。
「安心しなさい。これはそう言う使い方をする物じゃ無いから」
私はけらけらと笑うと右手を高く掲げる。
「これはこう使うのよ!」
そう言って私は悍ましい気配を漂わせる右手を自身の胸へと、べしゃりと叩きつけた。




