ねぇ、あなた私を何だと思っているの?
私は今日、結婚する。
結婚相手は沢山の領地を収める大貴族であるトール・オズシュタイン公爵様。
彼は今まで数々の浮き名を流した女たらしである。
分かっている、この結婚は家同士の繋がりだけで決められたものだ。
愛もないのは分かっている。私は勤めを果たさなくてはいけないことも分かっている。
けれど、結婚初日から家に帰れば愛人がいるのだ。
なんたる屈辱…、怒りをなんとか抑える。
「お帰りなさいませ、旦那様」
と夫のトールにしなだれ掛かる黒髪の美しい女性。
彼女も彼に縋らなければ生きてはいけないのだろう。
しかし、本宅に堂々といられるのは面白くない。
「すまないが、今日は結婚式を上げたばかりだ。妻を優先したい」
「あら、では明日寝室でお待ちしてますわ」
と、私をチラリと見ると勝ち誇った笑みを見せる。
牽制もあるのだろうが、一々挑発に乗ってやる必要もない。無視する。
「すまないな、エヴィリン。彼女は寂しがり屋でね」
「構いませんわ…けれど、私は別邸に移りたいですわ。彼女も私が居ては休まらないでしょうし」
「何故だ?それに外聞が悪い。彼女を別邸に移そう」
「…お好きにどうぞ」
「さぁ、今日は疲れたろう、休むといい。私も後ほど行くから」
「…申し訳ありませんが、今日は一人で休みますわ。結婚式で本当に疲れてしまいました」
「そうか、分かったよ」
私は彼に体を許す気はない、指一本だって触らせてやるものか。
いくら見目がよくとも中身は女たらしである。
眼の前であんな不誠実な行動を取られるのでしたら、私だって妻としての仕事はしますが、本当の意味での夫婦になるつもりはありません。
私を馬鹿にした二人を私は受け入れない。
それから私達夫婦は表面上は普通の夫婦を演じた。
社交界でも夫を立て、家の事をこなした。
公爵家の膨大な仕事は骨が折れるが無駄な事を考えずにすむのでそれは有り難かった。
結婚して3ヶ月、トール様は痺れを切らしたのか、私の寝室まで押しかけてきた。
鍵をかけているので、扉越しでトール様が何やら喋っている。
「エヴィリン!起きているのだろう?開けてくれ」
「…」
無視して寝た振りをする。
「なぁ、怒っているのかい?僕に愛人がいる事がそんなに許せなかったのかい?」
「…」
「なぁ、エヴィリン。君が怒るなら彼女との関係も清算するよ」
私は頑なに答えずに無視をした。
「エヴィリン…」
夫は消え入りそうな声で私の名を呼んだが、そんな事で受け入れられると勘違いしている事が腹立たしい。
夫婦としての役割は果たしている、責められる事などないはずだ。
子ができなければ出来ないで、どちらかの分家から子を招けば良いだけだ。
それで離縁されても痛くも痒くもない、醜聞にまみれるか、この結婚を続けるかなど大差なく思える。
旦那様はそれから何度も私の部屋に足を運んだが、私は家の中では旦那様と話すことはなかった。
何度か怒って扉を蹴ったり破ろうとしたりしていたが、内側からガチガチに鍵をかけたり扉を分厚い物に付け替えたりしたので入られる事は無かった。
その度に旦那様は
「エヴィリン、話を聞いてくれ…頼むよ」
「俺が悪かったから、どうしたら良い?」
「君が望むなら何でもするから、頼むから話を聞いてくれないか」
と、扉の前で言っていたが知ったことではない。
表面上は普通の夫婦で、家ではひたすら無視をしていた。
そうして半年ほどたったころ、愛人の方が私の部屋を訪ねてきた。
「何事ですの?私、忙しいのですが」
「貴女のせいでトール様がお怒りなのよ、妻でしょう?少しは夫を受け入れなさいよ」
「愛人の分際で何を仰るのやら…私は妻としての仕事はしているわ。夫を癒やすのはそちらでやられたらどうですか?」
と、私が言うと彼女は怒ったような顔をした。
「っ!子供ができなければ貴方が困るのよ?!」
「別に?私あの人の子供など欲しくないです」
「は?何で結婚したの?あの人と結婚したくてもできない女がたくさんいたのよ!それをあなたが射止めた、彼と結婚できる事がどれ程のものか考えなかったの?公爵婦人よ?」
「別に私の意志など無いですわ、貴族同士の結婚なんてそんなものよ。家同士の繋がりが友好であればそれで良いのです」
「そう、だから彼には心を許さないってわけ?」
「興味がないのです、結婚初日からあの様に不誠実にされては興味も失せますわ。もうよろしくて?あぁ、そうそう…貴女散財が過ぎますわよ。私の運営している商売があるからカバーできていますけれど、少し控えて頂ける?余りに酷いと旦那様にお手紙を書きますわよ」
「うるっさいのよ!私は旦那様を癒やしているの、着飾るのは旦那様のためよ!」
「そう…ならお好きに」
と、私は仕事へ行く。家の事や、広い各領地の事。
旦那様も仕事をしているが領地が広い分手が回らない事もある。
その手の回らない領地を私が管理している。
「あら、今年は豊作なのね…たまには視察に行きたいわね」
「宜しければご用意いたしましょうか?」
「…そうね、最近は家の中の様子がうるさくてかなわないわ。資料は馬車の中で見るから今すぐ領地へ行く用意をして、旦那様がうるさいから王城に行ってる間に行きましょう」
私はさっさと簡単に荷造りして馬車に乗ると、愛人のイザベラが、
「何?実家にでも帰る気?」
「…そうね、たまには里帰りもしたいわ」
「あっそう、どうぞごゆっくり。貴女がいなくて清々するわ」
言われてみれば、里帰りもしてなかったな。
視察のついでに行ってみよう、家族は元気だろうか。
領地の土産も持っていきたい。
そうして私が不在の間、家では大変なことになっていた。
領地と実家への里帰りで3ヶ月もかかった。
公爵家の領地が広すぎるのは考えものだ、信用できるものが増えたら管理もしやすいのにと考えながら家に戻った。
何故か、侍女や執事が驚いた顔をしていた。
そして
「お、奥様!奥様がお戻りになられましたっ!」
と慌てている。
「…私がいない間に何があったのかしら?」
と執事を捕まえて聞いてみた。
「それが、イザベラ様が家を取り仕切ると仰られてから我が屋敷は大変な事になっていまして」
「何故、彼女が?」
「奥様が実家に帰ってしまい、おそらくもう戻らないからと…」
「あら、まぁ」
「それを聞いた旦那様が大変お怒りになられて、イザベラ様を追い出そうとしたのですが…懐妊の兆しがあると仰られて…」
「あらあら、まぁまぁ」
「奥様、他人事ではありませんよ」
「ふふふ、ごめんなさい。まるで喜劇ね」
「私共には悲劇です、それでイザベラ様が奥様になられると仰り家を取り仕切り始めたのです」
「旦那様は?」
「お怒りでイザベラ様を視界に入れたくないと、仕事部屋から出てこず…。まぁ、イザベラ様の失態をカバーするのに忙しいせいもあり仕事が増えてしまってろくに休めないというのもあるのですが」
「そう、家の者には苦労をかけたわね。…皆に迷惑がかかるから旦那様には今後どうするか話をしてみるわ」
「ほ、本当ですか?!」
「えぇ、こればかりは無視できないわ。皆に苦労をかけたわね…ごめんなさい」
「いえ、早速旦那様にお知らせします!」
「ありがとう、ついたばかりだから1時間後に向うと伝えてくれるかしら?」
「畏まりました」
私は身支度をさっさとすませて旦那様の所へ向う。
全く、避妊しなかった自分が悪い癖に何を怒っているのやら。馬鹿なのだろうか。
イザベラを止めもせず好きにさせて…。
女たらしなら愛人の扱いも確りしてほしいものです。
「失礼します…」
私は夫の執務室に顔を出すと、トール様の目の下には凄いクマができていた、愁いを帯びた顔も様になるとか本当に顔だけはいい。
「あぁ、エヴィリン…本当に君なのかい?」
と泣きそうな顔をしているが、
「他に誰がいらっしゃるのやら…それで?イザベラさんが妊娠したのは本当なんですの?」
私がズバリ聞くと、トール様は
「関係があったのは半年も前だし、俺としては避妊もしていた。だから彼女が疑わしくて何度もこちらが用意した医者を通して検査するよう言ったが聞かず、今では好き勝手にしている…」
「そうでしたか、けど貴方の愛人でしょう?そちらで嗜めて下さらない?」
「何度も言った、しかし…君が3ヶ月も帰ってこないから本当に実家に帰ってしまったのではと思って」
「そうだとしても、手紙を送ってくだされば良かったのに…」
「送ったよ、何度も。けど、相変わらずの無視だったからね…」
「おかしいですわね、こちらに手紙など一切来ておりませんわ」
「ほ、本当に送ったんだよ!皆に聞いてもいい!」
「分かりましたわ、何故かは分かりませんが手紙が来ずにトール様は私が帰ってこないと思いこんでいたのですね」
「…あぁ」
「だいたいの状況は分かりしましたわ、全く…」
私は頭を抱えていると、トール様が私の前に跪いて
「エヴィリン、本当に俺のせいでごめん。これからは心を入れ替えるから、どうか許してくれ」
「許すも何も、私は家同士の繋がりのための結婚と割り切っていますわ。そちらもそうされては?」
「そんな…っ、俺はエヴィリンを見て思ったんだ!こんなに身持ちの固い女性は他にはない、頭も良く領地をよく管理しながら家の管理も怠らない。下の者にも心を配り心優しく、美しく…君のような素敵な人を俺は傷つけて…本当にごめん。無視してもいい、何をしてもいいからどうか俺の妻でいてほしい」
「私、別に離縁はしませんよ?家同士の利益のためですから」
「…そう、だよね」
「えぇ、お互いに心を通わせる事が無くても夫婦はできますわ。私もあなたも、その方が都合が良いでしょう?」
「俺は、できれば君と心を通わせたいと…」
「別に?子供は分家からも引き取れますし、貴方は愛人を何人作られても結構ですわ。私のことは気にしないで下さい」
「そん…な…」
と、絶望的な顔で涙を流している。
何を今更…。
「お話は私からはこれ以上ありません」
旦那様は、
「っ、待ってくれ!」
と何か言おうとしていたが、無視をした。
それからイザベラさんの元へ行き、私は彼女を捕らえた。
「何するのよ!私が次の公爵婦人よ!」
「残念ながら離縁はしません、貴女は、愛人のままですわ」
「私のほうがふさわしいでしょ!もし男の子なら跡継ぎになるのよ!」
「そうですね、では我が領地で健やかにお育て下さい」
「は?」
「言いましたでしょう?離縁はしませんし、本当に旦那様の子か産まれてみないとわかりません、なら領地で大人しくして下されば子の安全も守れます。ここにいても子の為にはなりませんよ、まぁそれ以前に検査をしてないので疑わしいですが」
「…け、検査ならしたわ」
「証明書は?」
「ないわ」
「なら、再度発行してもらうのでどちらの医者にかかられましたか?」
「…さぁ、忘れたわ」
「私は旦那様ほど優しくないですよ。貴女を拘束して検査をさせる事なんか容易いのよ」
「そんな事をして子が流れたら…!」
「旦那様は男だから気づかないのでしょうけど、半年たった割には随分とお腹が小さいのね」
「初めての妊娠なんてこんなものよ」
「庭師から月に一度庭で何か燃やしているようだけど、何をしているのかしら?今まで侍女にさせていた着替えも誰も近寄らせないし湯浴みも…貴女不審な点が多すぎるわよ?一度調べさせて身の潔白を証明してはどうなの?」
「ぐっ…」
「検査するわよね?もし妊娠してなかったとしても、慰謝料は私から出してあげるわ。金貨5000でいいわよね?それくらいあれば生活にも困らないはずよ」
「なら今すぐそれを用意して。それができなきゃ検査はしないわ」
「はいはい」
彼女の妊娠は結局出鱈目だった。
とお金を渡してオズシュタインの家から彼女はさっさと居なくなり、平和が戻った。
彼女が居なくなった事で散財する人もいなくなったので結果としては5000枚の金貨を支払ったが、それよりも支出が大幅に減ったので後々プラスになるだろう。
変わったことはトール様の態度だ。
「エヴィリン、君の好きな花だよ」
「…」
「君の好きな紅茶もあるんだ、よかったら使ってね」
「…」
私が無視をしていても、トール様は嬉しそうに贈り物をしたり話しかけてくる。
「エヴィリン、美しい我が妻。」
女遊びはすっかり鳴りを潜めて毎日飽きもせず私に語りかける。
何年も何年も。
5年目のある日…。
私はほんの気まぐれでトール様に話しかけた。
「…今朝は寒いですわね」
トール様は驚いて、目ん玉がこぼれ落ちるのではというくらい見開いていた。
「そうだね…直ぐに温かい飲み物を持ってこよう!そうだ、羽織も必要だね!待っていてくれエヴィリン!」
と大急ぎで走り回る、侍女に任せたら早いのに。
甲斐甲斐しく私の世話を焼こうとする。
ほんの私の気まぐれで振り回されるなんて滑稽な人。
6年目…
私は相変わらずの無視だったがトール様は変わらず甲斐甲斐しく私に尽くす。
「エヴィリン、結婚記念日の品だよ。俺から君へ愛と感謝を」
「…」
「いならければ捨ててくれて構わないから…」
7年目、トール様との夜会の帰り馬車の中で私はまた気まぐれで話しかけた。
その時は子はまだか?と根掘り葉掘り聞かれてうんざりしていたせいもある。
トール様が相手の方を黙らせて威嚇してくれたがチクリと言葉が胸に刺さった。
私だって最初からこうしたかった訳じゃない。
あんな事がなければ…こんなに荒んだ気持ちにもならなかったかも知れない。
トール様を責めたくなる気持ちがフツフツと湧き上がる。
「私だって…好きでこんなになったんじゃありませんわ…」
トール様は悲しそうな顔で
「エヴィリンは何も悪くない、悪いのは俺なのに。本当にごめん…俺は君に謝り続ける事しかできない…許さなくていいから、側で償わせてほしい…罵って、殴って、嫌ってくれて構わない。
家同士の繋がりのために離婚できない君には申し訳ないと思っている…俺に何をしてもいい。俺は君を決して責めないから」
私は今までの事がどんどん込み上げてきた。
あの時…何で…わずかに見ていた夢すら打ち砕いたの?
私は、愛人がいてもせめて隠してくれたら良かったのに。それくらいの覚悟はしてた。
初めて姿絵を見た時、本当はこんなに素敵な方がいるのかと旦那様になるのかと少し夢見ていたの。
少しでも大事にされると思っていた、若かったあの頃の私のまだ柔い部分に突き刺さった棘が痛くてたまらない。
あの時、しなだれ掛かったイザベラの勝ち誇った顔がトール様の態度が私の柔らかい部分をジワリジワリと棘から腐敗させていくのが分かった。
それに目を背けて蓋をした、私の柔らかい部分は誰にも見せない。誰も受け入れてやるものかと誓ったのだ。
「トール様なんか、大嫌いですわ」
「あぁ。分かっている、ごめん」
「イザベラ様も大嫌いですわ」
「うん。そうだよね…ごめん」
「…私はあの時、まだ若く夢見ていたの。少しでも大事にされると…」
「…」
「叶わなかったけど、こんなに夫婦として拗れてしまったから」
「俺のせいだ…」
「そうよ、貴方のせいよ!苦しくて、本当はこんな風に人を責め続ける自分が嫌い、忘れたいのに!何時までもあの時の貴方達が忘れられない!私、本当はこんな女じゃなかった!こんな醜い感情なんて知りたくなかった!」
と、トール様の胸板を叩いた。彼は悲痛な表情で私を見つめている。
「…あの時、まだ若かった君を深く傷つけていたんだね」
「そうよ、私…傷ついた。今でも許せない…」
「ごめん」
「…っふっ…ふぅ…」
私が涙腺が崩壊したみたいに涙が止まらなかった。
強く振る舞う事も、頑なに受け入れない事も、この感情を抱き続けることも本当は苦しかった。
「ごめん…ごめん、エヴィリン」
私はトール様に抱きしめられながら、それは大泣きした。恥ずかしいくらい、幼子みたいに泣いた。
泣きつかれてトール様に支えられ、初めてトール様は私の寝室に入り私が寝るまで慰めた。
8年目…
あの日以来、挨拶はするが私の態度は相変わらずだ。
それでもトール様は毎日私に語りかける。
贈り物や、私の好きなもの、私を気遣う言葉。
毎日飽きもせず私に甲斐甲斐しく尽くし続ける。
私達夫婦はそうして結婚して9年という月日が流れた。
私は、ある日突然病に冒された。
治ることのないと言われる病だ、幸いトール様が私の異変に気づいて直ぐに医者を呼んでくれたが今の技術では治せる方法がないものだった。
徐々に体が動かなくなる病で、時期に口もきけなくなり息をする力もなくなり静かに死んでいく病だ。
おそらく家系のせいもあるかもしれない、私の身内で何人かこの病で亡くなっているからだ。
「何てことだ…君が病にかかるなんて」
トール様は可哀想なくらい涙を流して、私の足元で泣いている。
こんな愛想の悪い妻なのに…私が亡くなったら後妻でも見つければ良いだけなのに。
「エヴィリン、きっと治るよ。国中の医者を呼び寄せよう」
「…」
本当に、トール様は毎日沢山の医者を呼び寄せ、私を診察させた。しかし皆首を振るばかり。
それに加え、私が負担していた仕事もトール様にのしかかり彼は忙しさでみるみる顔色も悪くなった。
私より病人みたいだ、なのに毎日私の体を拭き髪を梳かし食事をさせ私の介護をしてくれる。
彼が倒れてしまうと思った。
「トール様、もう良いのですよ…」
見かねた私が声をかけると、トール様は
「俺がやりたいんだ、それに領地の運営は信頼できる者が見つかってね。仕事の負担もそのうち減るよ」
と頑なに止めようとしない。
病が見つかり一年が経ち、私はもう歩けなくていつ死んでもおかしく無かった。
もう、喋ることも大変だった。
「エヴィリン、たまには外に出るかい?」
「はい…」
トール様が私を抱えて車椅子に座らせた。日に日に筋力が無くなり軽くなる体にトール様は悲しそうに眉をひそめた。
「今日は天気も良くて良かったな」
私に日傘を挿して車椅子を押してくれる。
「トール…様」
「何だい?」
トール様は、私の前に跪いて必死に私の言葉を聞き取ろうとしている。
私の声はか細くて聞き取りづらい。
「…私、トール様に、今まで素直になれなくて…ごめんなさい」
「いいんだ!俺が悪いんだからっ」
「…トール様、私…貴方が夫で良かった…」
「エヴィリン…」
「今、こんなになって…後悔してます。もっと…早くに許していたら…貴方の真心を信じていたらって…」
「そんな事ない。俺は、君といるだけで…それだけでいいんだ」
「…こんな死際の私から言われても、今更と…思うでしょうが…」
「何だ?」
「愛してます…私を愛してくれて…ありがとう」
トール様は、大きな目を見開いてその後はくしゃくしゃの顔で私を見て
「俺も…君を愛してる」
トール様は泣いてしまって、止まらなくなってしまった。それから落ち着いたら
「もう一度、結婚式をしないか?」
「え?」
「今更だけど、やり直したいんだ…」
「けど…」
「ベッドの上だってかまわない。どうかな?君が無理なら…」
「やりたい…もう一度、やり直したいです」
「よし!直ぐに準備させよう!」
トール様はそれから大急ぎで屋敷に戻り、私の部屋を結婚式みたいに飾り付けて早馬で神父を呼び、結婚式の時に使ったドレスにヴェールを準備して私は久しぶりに化粧をした。
屋敷の中が久しぶりに慌ただしく活気づいた。
侍女も執事もてんやわんやの大騒ぎで私は久しぶりに笑ってしまった。
「本当に綺麗だ」
「だいぶ痩せちゃったけど」
「どんな君も綺麗だよ」
「貴方も、昔と変わらず素敵ね…」
私達は神父の誓の言葉を聞いて、夫婦の契りを交わした。結婚式依頼、10年ぶりの口吻をした。
「例え、死がふたりを分かつ時が来ても俺の生涯の妻は君だけだ」
「…私も生涯の夫は貴方だけです」
私は嬉しくて涙が止まらなかった、思いが通じ合うとはこんなに幸せなのか。
それから私達夫婦は仲睦まじく暮らした。
それから半年…徐々に私の体は限界を迎え、私は息を引き取った。
私は魂だけになり、夫が心配で魂が天に帰る期限が来るまでの僅かの間夫の側で寄り添った。
「エヴィリン…」
夫は私の姿絵と髪の毛の入ったロケットに口づけをしている。
「俺は、本当に馬鹿だ…」
夫は酒を飲んでいた、ボロボロと涙をこぼしている。
「エヴィリン…君と初めて会った時、なんて美しいと思ったんだ。本当だよ…」
まるで、私が側にいるのに気づいてるみたいに語っている。
「なのに、俺は自惚れていたんだ。どんな女の子も夢中にさせてたから、君も許してくれると思ったんだ。本当に馬鹿だよね」
私は溜息を吐いた、そうだ最初はそうだったな。
「けどそうじゃなかった、君を傷つけてしまったね。初めて女の子に無視されて、とても焦ったよ。それでイザベラに八つ当たりもした。今思えば彼女にも悪いことをしたな」
「それから、君は本当によく公爵家を支えてくれたね、社交界でも君は良妻賢母と言われてとても良い妻を迎えたとよく褒められていたんだよ。下の者からも評判が良くて、家の中もとても明るくなって…何でこんな素敵な人を蔑ろにしたのかと後悔したんだ」
「なのに、馬鹿な老人のせいで君が傷ついて大泣きした時本当に心から俺のせいで何てことをしたんだと改めて思ったんだ…あの時…、君の心の声を聞いて…時間が戻ったらいいのにとか、やり直せたらいいのにって心底思ったんだ」
トール様は酒を一気に煽った、体に悪いですよ。
「それから君に許されるまで何年かかっても謝ろうって思ってたんだ。なのに…君が居なくなるなんて思わないだろ?」
「俺は…君が居なくなるなんて、そんな事思いつきもしないから…君が弱っていくのに何も出来なくてごめんね」
そんな事ない。あんなに尽くしてくれたのに…、私こそ何も返せなかった。
「最後に、俺の我儘のせいで結婚式なんかしたから…余計に弱らせたのかな…」
「でも、どうしても君とちゃんと夫婦になりたかったんだ。あの時のやり直しがしたくて…」
「君が、愛してると初めて言ってくれたとき嬉しくて嬉しくて…全てから許されたような気持ちになれたんだ」
「俺のせいで、幸せにしてあげられなかった…君に会いたい。エヴィリン、君に会いたい…」
トール様はそうとう酔っているのか、私に会いたい会いたいと言いながら泣きながら寝てしまった。
私は時間が来たのか、トール様がすっかり寝てしまってから天からの迎えに従い名残惜しくも本当にこの世を去った。
「エヴィリン、次の輪廻転生の輪に加わりますか?」
神様が私を遠くに見える大きな輪の入り口を指さした。
「夫を待っていては駄目ですか?」
「良いですよ…夫と共にその輪を潜ったとしてもその輪の中でバラバラになる可能性が高いですが」
「それでも待ちます」
「下界とこちらでは時間の流れが違いますから…少し待てば来ますよ」
と、穏やかに言うと神様はフワリと足音も立てず姿を消した。
私はどれだけ待ったか分からない、ここでは時間の感覚もあやふやになる。
すると、奥から杖をついた老人が現れた。
「エヴィリン…?」
「あら、トール様ですの?随分と長生きをされたのですね」
「あぁ…本当に君なのかい?」
「えぇ、お待ちしてましたわ」
「この日をどれ程夢見たか、もう一度君に会いたかったんだ」
「知ってますわ、さぁ一緒に行きましょう」
「これは?」
「神様が言うには輪廻転生の輪らしいですわ」
「この輪を潜るとどうなるのかい?」
「中でバラバラになる可能性があるみたいです」
「なら、確りと抱き合わなければね」
気づいたら、夫は老人から若かりし頃に戻っていた。
「姿が…」
「不思議だね、君を守らなきゃと思ったら姿が変わってしまった」
「ふふふ、おかしいわね」
「君は相変わらず美しい」
私達は口づけをして、輪廻転生の輪の前に行く。
「愛してる」
「私も」
確りと抱き合って私達はその輪を潜った。
グルグル巡る中、意識も溶けそう。
私の手に感じる温もりだけは離してはいけないという意識だけが残り、私を支える温もりに安心する。
いつの世でも、この温もりがありますように。