サイゼリヤ師匠とマッキー師匠【初めてのデート】
俺は何度も何度も時計を見る。
何度も何度もラインを確認する。
本当に、今日この時間だよな?
で、これって、デート……なんだよな?
今日は高校のクラスメイトの美琴と駅前で待ち合わせている。彼女は本来なら俺みたいなゲーセン入り浸りの陰キャとは生涯話すことのないレベルの「元子役」の経歴を持つ美少女だ。小学生までは数々のドラマに出演して来たが、中高一貫校を受験するために引退したらしい。
俺と彼女との共通点はその高校の「クラスが一緒」という一点のみ。今までだって、特に話したことなど一度もなかった。けれど、なんと彼女からお誘いがあったのだ。
きっかけは、今巷で大人気の「ちいはわ」のぬいぐるみだった。
俺は先日「ちいさくてはわわなやつ」という触れ込みのその小動物キャラクターのぬいぐるみを、何となくゲーセンのユーフォーキャッチャーで手に入れたのだ。俺はそれを学校の鞄につけていた。
すると、美琴がそれを目ざとく発見したのだ。売ってくれと懇願されたが、何となくそういうのは嫌だったので「近くのゲーセンにあるよ」と言ってみた。すると驚くべきことに、美琴はユーフォーキャッチャーの取り方を指南してくれと俺に頼んで来たのである。
(……こんなことって、ある?)
正直、一連の出来事は誰かが仕組んだ罰ゲームか何かじゃないかと不安だったが、
「お待たせ!」
という彼女の呼びかけで、俺の中の猜疑心は全て吹っ飛んだ。
私服姿の美琴は制服の時より輝いていた。アイロンで髪を巻いて来たのか、いつもとは違うウェーブがかった髪型。体に沿うようなシルエットの黒いマキシワンピースとヒールサンダルが、ある意味制服のミニスカよりもエロい。
俺は彼女の余りの眩しさに、目を合わせられなかった。
「槙原くん、待った?ごめんね、西口と中央西口を間違えちゃって」
あるあるだ。地下迷宮みたいだもんな、この駅。俺は目を合わさないで答える。
「いや、そんなに……」
「早速ユーフォーキャッチャーしに行こう!ちいはわのプライズを取り尽くしてやる!」
美琴の瞳から炎が上がっている。え?そんなにヤル気なの?
「このために両替しまくって来たわ。2000円分ね!」
「……ゲーセンの中で両替出来るよ」
「えっ、そうなの!?」
前から薄々感じてたけど、この子はかなり世間知らずなところがある。元芸能人だから浮世離れしているのかな。美琴は友人たちと話している時も「そうなの!?」「知らなかった!」を連発している。
全ての男を好きにさせてしまう魔性の香りを振りまいている美琴の隣を歩きながら、俺は結局ちょっと彼女を好きになり始めていた。美琴はなぜか「ちいはわ」への愛を俺に熱く語り出している。俺もちいはわファンだと思っているらしい。違うから……と思いつつも、彼女に熱心に話し掛けられるのは悪い気がしない。
「でね!?ちいはわは尖ったナイフを〝遅行型〟のバケモノにブッ差すんだけど、実はちいはわ自身も〝遅行型〟のバケモノの一種なんじゃないか?っていう考察もネットに上がっているわけよ。ちょっと聞いてる?槙原くん」
「あ……ハイ」
「何よ、クールぶっちゃって。あんまり無視するなら、槙原くんのことマッキーって呼ぶよ?それでもいいの?!」
「……好きにしてください」
美琴は頷いた。
「マッキーの言う通りにすれば、ユーフォーキャッチャーの達人になれるって4組の浜口君が言ってたの」
浜口……余計なことを。いや、ありがとうございます浜口さん。
「私もちいはわを総取り出来るように頑張らなきゃ。他の友だちにも取って来てって頼まれてるんだ」
「へー、そんなに人気なんだ、ちいはわ……」
俺たちはそんな感じでゲーセンに着いた。開店と同時に店内のユーフォーキャッチャーゾンに流れ込む。ちいはわの筐体には、既に数人が並んでいた。
店員がそばに立っていて、回数制限を設けている。5回トライしたら列に並び直さなければならないらしい。失敗し続ければ、どんどんちいはわは減って行くだろう。かなり集中して勝負しないと、上手な奴がいればあっという間に取り尽くされてしまう。
俺は美琴と列に並ぶ。
「……マッキー、ちいはわゲットのコツは?」
「ちいはわに限らず、コツは筐体のアームの癖を知っておくことだな。あのアームは多分握力が弱いから難易度が高い。俺が見るに、ちいはわの首に引っ掛けて一発で取るより、爪で出口まで寄せて転がすように落としに行ってゲットした方が確実だ。お金は二倍以上かかるけど」
「確実に取れるならそっちの方がいいわね」
「うん。初心者は一発で取ろうとしない方がいいよ」
「……そうね」
美琴は己の拳にはぁ〜っと息を吹きかけている。何?そのおまじない……
「やってやる!」
美琴が息巻いたところで、俺達の番が回って来た。
「……とりあえず最初は、俺がやるところを見ててね」
「うん!」
俺は硬貨を入れてアームを動かすと、ちいはわの首に引っ掛けた。やはりアームが弱くしっかりと挟めない。が、横にスライドさせるとそいつはズリッと出口の脇に引っかかった。
「わ!マッキー凄い!」
「あとは分かるよね?」
「うん!」
美琴はアームをちいはわの耳に引っ掛けると、コロンと筒状の出口に突き落とした。
ひとつめをゲットだ。
「わ~!〝浴衣ちいはわ〟をゲットだ!」
「まだあと三回出来るよ」
「うん!」
美琴はちいはわを出口に寄せる、突き落とすという流れを完璧にこなし、5回の回数制限でふたつのちいはわをゲットした。
俺たちは列の最後尾に並び直す。最近ちいはわグッズは転売ヤーの餌食にされているそうだが、ゲーセンのプライズは実力で取らないといけないため、まだ根こそぎ掠め取られる前例は少ない。
列に並んでいる時、ふと美琴が俺に囁いた。
「ねえマッキー。お腹空いたね?」
俺はそれを聞いてドキッとする。
「これ終わったら、どっか食べに行こうよ」
あいにく、俺には余り持ち合わせがない。まさかお昼ごはんに誘われるとは思ってもみなかったから、準備が足りなかった。
「……悪いけど、手持ちが」
「サイゼでいいよ」
そうか、サイゼでいいのか。俺はほっとした。150円でもどうにかなるもんな、あそこは。
そう考えると、肩の荷が降りた。もう少しユーフォーキャッチャーにお金をつぎ込める。
俺もちいはわを取ることにした。500円で4ちいはわをゲットだ。
「マッキー、スゴーイ!」
「まーねー」
「私も負けてらんないな。友達に300円ずつ貰ってるから」
「えっ……300円でよくそんなこと安請け合いしたね?」
結局美琴は残り1500で3ちいはわをゲットすることが叶った。
俺たちはプライズを袋に詰め、ゲーセンを出た。
「あー楽しかった。よしっ、サイゼ行こ!」
美琴にそう微笑みかけられて嬉しかったが、急に胃がぎゅーっと痛くなる。
俺、この子と何を話せばいいんだ?
サイゼリヤに入った。
休日だから、ほぼ満席だ。二人用の席に案内して貰うと、急に距離が近くなったようでドギマギする。
「マッキー、残金いくら?」
俺は財布の小銭入れを見る。残り150円だ。
「150円」
「えー!」
「ミニフィセル齧っとくから、いいよ」
「そんな……!師匠にミニフィセル齧らせとくなんて、弟子にはとてもとても!」
……いつから師弟関係が発生していた?
「ここは私にまかせて!」
「女子に奢らせるなんて、出来ないよ」
「ううん、ちょっと私のを分けてあげる。ミニフィセルがあれば、あと少しのおかずでどうにかなるでしょ?」
なるほど、それならそこまで心は痛まない……かな。
「じゃあ、ちょっとだけ分けて貰おうかな」
「頼んでいい?」
美琴は呼び鈴を鳴らした。
「ミニフィセルをふたつ。あと、ガーデンサラダとプロシュートで」
俺はちょっと訝しんだ。ずいぶんあっさりした昼ごはんだなぁ。しばし考え、閃く。
「まさか……」
「ふふふ、気づいた?そのまさかです、マッキー師匠!」
注文した料理が来ると、美琴はまずミニフィセルに縦に切れ込みを入れた。美琴が俺を促す。俺もミニフィセルにナイフを入れた。
二人でサラダとプロシュートを分け合い、フィセルに挟む。
立派なサンドイッチが出来上がった。
「味付けは胡椒で!オリーブオイルを垂らしても美味しいの。私、よくこうして食べてるんだ」
悪いなと思いつつ、俺も美琴流フィセルを齧った。胡椒とプロシュートの塩気がパンに挟まって、シンプルに美味い。俺は不精だから、サイゼでこんな風に調味して食べた事なかったなぁ。
「……サイゼに関しては、美琴が師匠だな」
「サイゼリヤ師匠って呼んでもいいよ、マッキー師匠」
「その浅草演芸場芸人みたいな呼び名やめてくれる?」
「何ですか、マッキー師匠?」
美琴はあえてそう言って、からかうように笑った。
困ったな。
美琴のことめちゃくちゃ好きになるよ、このままじゃ。
休日が開けた登校日。
「おはよー!マッキー師匠!」
クラスに入って来ていきなり美琴がそんなことを言うものだから、クラスはざわついた。俺は慌てて美琴の前に飛び出す。
「ちょっ……学校の中でその呼び方はやめろっ」
「見て、マッキー師匠!日曜もゲーセンでこれ取って来たよー!全種類オールコンプリートだよ!!」
彼女が持って来たのは、大量のちいはわのぬいぐるみだった。
さすがは元子役。教えられたことの飲み込みが格段に早い。瞬く間に俺の腕など抜かしてしまったのだ。俺はちょっと笑うと、
「師匠から弟子に教えることは、もうないな」
と宣言した。すると美琴は
「えー、つまんない。そうだ、じゃあ今度は師匠の私から弟子に教えたいことがあるんだけど、いい?」
などと言う。ああもう、そういうのいいから……
「今日もサイゼに行こうよ。サイゼリヤ師匠として、マッキー師匠に色々教えたいことがあるんだ♪」
何かを嗅ぎつけたクラスメイトが、周囲に集まって来る。やめてくれ俺は目立たずに適当に生きたいんだ……!
「ねえ槙原くんに美琴。さっきから〝マッキー師匠〟〝サイゼリヤ師匠〟っていうのは、どういうことなのよ?」
やめてくれ……
「それはねー」
美琴は得意げにその経緯を語り始めた──
その日から、俺はクラスでのあだ名がマッキー師匠になった。
サイゼリヤ師匠というあだ名は広まらなかった。不公平過ぎるだろ。
アーリオ・オーリオにエスカルゴを混ぜながら、今日もサイゼで美琴は言う。
「うーん、最高のアレンジ!今日から私のこと、エスカルゴ師匠って呼んでいいからね!」
「……絶対そのあだ名流行らせてやるからな!」
そう心に誓いつつ、俺はいつまで彼女とこうしていられるのだろう……と密かな想いに胸を焦がすのだった。