サイゼの終わりに【小説との決別】
鳴り響いた電話を受ける。まあ、売れない作家街道まっしぐらだったから、予想は出来ていたことだけど。
「はい……分かりました」
もう、俺はごちゃごちゃ言わない。
連載している小説が打ち切りになった。二巻確約の二巻で終了。
流行の内容ではなかったし、最近は小説家になろうでポイントが取れても売って見たら爆死なんてことは結構あるわけだ。仕方がない。
この作品が打ち切りになったら、俺の書いて来た小説は全て終了となるのだ。
このタイミングしかない。
俺は前から考えていた通り、小説家になろうの「退会手続」に手を伸ばす。
さようなら、俺の小説家人生。
アニメ化してぇなあ、という願望は叶うことはなかった。
俺の一番売れた小説「無限スライム」は10巻も続いたレーベルの看板作品だった。当時のラノベ愛好家の間では「最もアニメ化に近い」と目されていたようだが──
俺はこの小説の連載中に会社を辞め、専業作家となった。途中、コミカライズもされて本当に天にも昇る気持ちだった。印税もどんどん入って税理士も入れた。いけいけどんどんで様々な書籍化の話が入り、ノリにノッたままガンガン書いた。
しかし、ある時コミカライズが打ち切りになった。そこから全く書籍化の打診が入らなくなり、収入が途絶える事態になった。おかしいおかしいと次々新作にうって出たが、まるで伸びなかった。
ハイファンタジーから異世界恋愛に籍を移し、渾身の作品を書いてみたが、書籍化したもののこの通り打ち切り。
そこで俺は出版界から身を引くことに決めた。生きて行くためには仕方のないことだった。誰にも求められていないのだから、あがいてもしょうがない。
とりあえず、就職先を探さなくてはならない。
ハローワークに登録し、地道に就職先を探す。みんなの中で俺の作品が終わっても、俺の中で俺の人生はまだまだ続く。
やはり、田舎には大した就職先がない。ハローワークのパソコンの中は、アットホームで危険な職場で溢れ返っていた。
小説家という職業に未練がないわけではない。
むしろ未練たらたらだから、吹っ切れるためになろうを退会したのだ。
俺はハローワークを出た。コミカライズ開始で一番景気のいい時に一括払いで買った軽自動車に乗り込み、心にもやを抱えたまま家に帰ることにする。
田舎の一番街にさしかかった時、俺はふと目の前の緑の看板に目を留めた。
サイゼか。金はないけど、家でひとり飯でも気が塞ぐから、たまには外食でもするか。
車を停めて店内に入ると、家族連れで溢れ返っていた。
何だか妙な熱気があるなと思いサイゼの扉を見ると、張り紙がついている。
〝平素よりサイゼリヤ〇〇店をご利用いただきありがとうございます。
誠に勝手ながら、当店は3月16日を持ちまして、閉店することとなりました。
長年のご愛顧ありがとうございました〟
うわー、マジか。ここのサイゼ閉店すんのかよ……
思えば、ここで小説を書いたこともあったっけなぁ。その時はまだ書籍化なんか全く目になくて、仕事の休憩時間を利用して、ただみんなに読んで貰えるのが楽しくて書いていたんだ。
俺はひとりなので、すんなり席に案内して貰える。メニューを開けば、いつもそこにある異国の食い物。
俺は店員を呼んだ。
「ドリンクバーと……マルゲリータピザと、アンチョビペースト」
それらを頼むと、何だかスッキリした。以前はここに来たら、必ず食べていたものだから。
ドリンクを取って戻って来た、その時だった。
ブー!ブー!っと俺のスマホが鳴り出したのだ。画面を見ると、かつて「無限スライム」連載を受け持っていた編集者、大石からの電話だった。
俺は迷った。なろうの登録を消したし、俺はもう作家じゃない。あちらの出版社との契約もとうに切れているはずだ。
いや、しかし……何か権利関係の相談とかかもしれないしな……
俺は恐る恐る電話に出ることにした。
「はい、小坂です」
「先生!なろうの登録消えちゃってますよ!どうしたんですか!?」
大石とは長年やって来たし、歳が近いし男同士ということもあって、久々に声を聞くと何かがぐっとこみ上げて来るものがあった。10巻を出すまでの八年間、彼とは二人三脚でやって来たんだったな。
「Twitterで騒ぎになって来てます!」
「ふーん、Twitterやってないから知らなかった」
「いや、そんなことはどうでもいいんです。なぜ消したんですか!?」
なぜって……ね。やっぱり誰にも分かって貰えないんだな、作家の苦悩なんてのは。
「もう俺、作家辞めるんだよ」
電話の向こうは静まり返った。
「何書いても打ち上がらねぇ。家計もひっ迫しているし、作家を諦めて就職することにしたんだ」
電話の向こうで、すこし唸り声がする。
「でも……就職しても書き続けることだって出来ますよね?」
理詰めで来ようとすんなよ、作家の情緒の問題だってのに。いっぱい本を読んで来た編集者なのに、作者の気持ちには気づかないんだな。
「ま、大石さん。そういうわけなんで、お世話になりました」
俺はそう言って電話を切ろうとしたが
「待ってください!」
彼はそう言って引き止めた。
「先生、今どこにいますか?」
俺は目を丸くした。
「どこって……家の近所のサイゼリヤだよ」
「何店ですか?」
「は?〇〇店……」
「今から行きます!」
「馬鹿言うなよ、出版社のある東京から新幹線でも二時間かかるぞ?」
「待っててもらえますか?」
何で待たなきゃなんないんだよ……と思いつつ、なぜか俺はそこからのどを詰まらせる。
……なんで来るんだよ、馬鹿じゃねーの?
「行きますから、待っててください!」
そこで大石の電話は切れた。俺はでっかいため息を吐き、ふと気づく。
いつの間にか来ていたマルゲリータピザは、すっかり冷え切っていた。
俺は店員を呼ぶ。
「すみませーん。ピザ、温め直してもらっていいですか?」
大石は三時間後に来た。
本当に何の準備もなく、着の身着のままだ。マジでこいつ、ケツに財布とスマホしか入ってねぇ。
「先生、お待たせしました!」
「おー。待ったよ……」
だって三時間だもんな。キッズメニューの間違い探しも全部見つけちまったよ、こんちくしょう。
「先生、作家辞めないで下さい!」
「いきなりそれかよ。いいだろ、辞め時ぐらい自分で決めても」
「先生にはたくさんのファンが」
「そのファンが買ってくんなくて打ち切られたのに?」
「僕もファンですし……」
「あれから打診ひとつくれないのに?」
大石は黙った。俺がうつむいていると、彼はふと切り出した。
「……このサイゼも、閉店ですってね」
「あー、そうなんだよ」
「一番最初のサイゼ……一号店は、燃えたって知ってますか?」
「え?」
そんなこと知らないよ。無駄知識がひとつ増えたな。
「燃えたけど……せっかく縁あった場所だからって、サイゼ創業者はもう一回同じところで再スタートしたんですって」
「ふーん?」
「先生は自分の凄さに気づいてない。色んな縁があってその地位に行ける人は一握りなんです。それさえ掴めず、どれだけの脱落者がいるか」
まあ確かに、打診が来る作品なんて一握り。10巻も続けさせて貰える作家なんて、そうそういないよな。
「でも辞めるんだよ。読まれない絶望ってのは、読者も編集者も分かりはしない。作者のみが知っている地獄だ。サイゼの創業者がどうか知らないが、俺はもうこんな場所にはいたくないんだよ」
大石の顔が次第に陰鬱になって行く。そうか、責任の一端は感じてるんだな。
「そうですか……でも」
大石は顔を上げた。
「先生の作品に関わった編集者たちだって、悔しくてたまらなかったはずなんです」
俺はぽかんと口を開けた。
「どの編集者もみんな、先生の作品が売れるって信じて打診をかけたはずなんです。大長編になるぞ、シリーズになるぞって、可能性を信じてやって来た。誰も、先生を絶望させてやろうとして打診をかけたわけじゃないんです。こっちだって作家さんを喜ばせたくて──」
大石は一息にそう言って、脱力するように椅子に沈み込んだ。
「はー……。まあ、引き止める権利なんて僕には無いですけどぉ……」
現実を受け止め切れていない様子が見てとれる。
「でも考え直して欲しいんです……」
「なろうの登録は消したぜ」
「なんちゅうことをするんですか、本当に……」
大石は苛立ちながらも注文をした。
「飲みましょう、先生。はい、キャンティにプロシュート、エスカルゴ……」
「金ないぞ」
「僕は持ってます。社に申請も出しました。好きなだけ飲んで下さい、サイゼで」
「作家と編集者、最後の宴がサイゼとはな……」
そう呟いた俺に、大石は食って掛かった。
「……誰が最後って決めたんスか?」
「俺」
「言っときますよ?小坂先生は絶対、また書きたくなる!なろうで書かなくたって、再デビューする方法なんか、いくらでもあるんですからねッ!」
俺は大石の勢いに気圧された。こいつ、こんなに熱い奴だったっけ……?
そもそも彼はなぜわざわざ新幹線に乗ってまで、俺なんかに会いに来たんだろう?
サイゼの安ワインで酔っぱらって来た大石がふと漏らしたことで、俺はその原因を知ることになる。
「最近の僕は、好きな作家さん……好きな作品がないんです……」
俺は静かにそれを聞く。
「僕の好きな作家さんが、どんどんフェードアウトしちゃって……多分みんな、今の流行を書かない作家さんなんです。昔は……小坂先生がデビュー出来た頃はそういう尖った人にも打診が出来たんですけど、今の情勢だとそれも出来なくて……会議もなかなか通らないし……」
紙の値段も上がってると言うしな。現在の出版社は、勝負に出られない。どこかで見たような手堅い作品を売って、手堅く儲けたいんだろう。
「小坂先生のは当時、社では評判悪かったんですが、見事大当たりで……ああいうのは、既存の流行からは出て来ないんです。予想し得ない〝外れ値〟からしか……だから小坂先生には、どうしても作家を続けて欲しくて」
いつしか俺は編集者の愚痴を聞いていた。こいつも、社では言えない不満やストレスを抱えて仕事してるんだな。
大石と別れ家に帰った俺は、求人サイトを見ながらふと別のページへ飛んだ。
ライトノベルの賞レースのページだ。それをスクロールし、応募者資格の欄を見る。
〝デビュー済の方でもご応募いただけます〟
俺はスマホをベッドサイドに置くと、目を閉じた。
「バーカ。もう書くかよ、小説なんて」
そう呟いてから、俺はあのサイゼにはもう二度と行けないのだと思う。
「残念だな……」
俺はクダを巻く大石の情けない姿を思い出した。
「……燃え尽きたんだよ、今の俺は」
そこまで口に出して、俺は大石の言っていたサイゼリヤ創業者の話を思い出した。彼が一号店が燃えたからと言って建て直さなかったら、きっとあそこまでの大チェーン店にはならなかっただろう。
俺は再び小説賞のページを開く。
気づけば俺は、新しいペンネームを考え始めていた。