世界が救えたとして
世界が救えたとして
「やあ、少年。」
歩き始める直前、不意に声をかけられた。終電間近で人もほとんどいない時間、今なら誰にも迷惑にならないだろうと足を進める瞬間だった。
「少年、そんなぎりぎりのところに立っていたら危ないぞ。ほら、黄色の線より外側に、とか言うじゃないか」
笑いながらホームのベンチで足を組んでいる彼は、缶コーヒーをあおる。
「…放って置いてください」
「少年。いくら人が少ない時間帯といえど、ぐちゃぐちゃになりに行くのは感心しないな。」
「でも、僕にはもう」
「まあ座りなさんな。私の横が空いている」
「結構です」
幾度となく押し問答が繰り広げられていると、最終の電車がぱーっと音を立てて帰っていく。今日、意識なく消えていたかったのに見知らぬ誰かのせいでまた『明日』が『今日』になってしまったのだ。
「あれが最後だったのに」
「それは悪いことしたね」
全く、悪びれることなく彼は言った。
「なら始発まで君は暇ということだろう、座りたまえ」
「はあ…」
僕は、人が嫌いだ。言葉も表情も上っ面ばかりで全て隠す。僕を傷つけるのはいつだって人だ。下駄箱のなかが墨汁だった学生時代も、書類の束がまわりより何個も違う社会人時代も、陰でこそこそも笑われるフリーターの今も。心の中の僕は何回だって殺された気分だった。
もう消えてしまえるなら、死んでしまえるなら。
ある日の朝、テレビのニュースを見ながら不意に思ってしまったのだ。
「ところで少年、知っているかな」
「…」
「電車の人身事故はマグロ-隠語が出来てしまうほどに多いんだ。駅員さん方は毎度弾けた内臓と死の匂いを嗅いでいる。一発で弾けた本人はさぞすっきりするだろうが、向こうにとっちゃトラウマもいいところだ。
それに、簡単に死ねる人ばかりじゃあない。時には腕だけ、足だけ。何か少しだけがとれることだってある、人形みたいにね。そうするとどうなるか。弾けきれなかった本人は人生最大の苦痛を味わうわけだよ。死にたくても死にきれない。痛い、いたい、イタイ。自分の弾けとれた欠片と死の匂いが一番の恐怖さ」
「…」
「さあ、ここで質問だ少年」
「…え?」
「私はどこが弾けとんだ人間だと思う?」
「…………え?」
「…ははは!!真相は朝焼けの中に、ってね。それじゃあまた『明日』だ、少年」
彼はそう言うと日が登り始めた方向に、おぼつかない足取りで向かっていった。ぎしぎし、と聞いたことない音がする。
その日僕は初めて、人の死の匂いを知ったのだった。